12・28~1・4第47回釜ヶ崎越冬闘争うち抜かれる
  失業・野宿対策はいぜん重大

 昨年12月28日の三角公園での「突入集会」以降、本年1月4日の大阪府・市への要請行動「お礼まいり」までの8日間、大阪・釜ヶ崎では47回目の越冬闘争が勝利のうちに闘い抜かれた。
 釜ヶ崎の越冬闘争は、冬の寒さが増す中、仕事も途切れ、また行政の窓口も閉じられる年末・年始に、「野垂れ死に」攻撃を打ち破り、仲間どうしが支え合い、生き抜いて闘いの春を迎えるという、釜ヶ崎の闘いの「原点」ともいえる闘いとして1970年に始まり、今回で47回目を迎える。
 今回も、日頃釜ヶ崎で責任をもって活動している団体・個人によって「実行委員会」が結成され、全国の仲間のカンパも寄せられ、「仲間内の団結で一人の餓死・凍死者も出すな!」を合言葉に準備が進められた。
 12・28突入集会には、「辺野古新基地建設を許さない大阪行動」、「日本軍『慰安婦』問題関西ネットワーク」、反原発を闘う「若狭の家」などの仲間も駆け付けてくれ、多くの仲間が闘う決意を打ち固めた。
 さあ!越冬闘争に突入だ。
 医療センター前では、「集団野営」の態勢が整った。医療センター前は、野宿を強いられた仲間の為の解放された空間であり、地域内外で野宿する仲間の「かけこみ寺」であり、パトロールの出撃拠点だ。
 日々「集団野営」する仲間が増え続け、最終日は50名近くになった。また、この夜から「医療パトロール」も開始された(1月3日の夜まで)。これは、野宿する仲間一人ひとりに「声かけ」をする重要な活動だ。
 「炊き出し」も始まった。「あたたかいものを腹いっぱいに」を合言葉に連日、仲間の腹を満たしてくれた。
 30日からは「人民パトロール」も始まった。釜ヶ崎への「封じ込め」を打ち破り、難波、梅田、天王寺などの盛り場に百名を越える部隊で出撃し、野宿する仲間を激励すると共に、市民に越冬闘争の意義を訴えた。さらに、襲撃され殺された野宿の仲間への追悼をやり抜いた。
 こうした闘いと結びつきつつ、「少しは年末年始を楽しもう」と、30日からは「越冬まつり」も始まった。
 今年も、「SHINGO★西成」によって呼びかけられた「ライスカンパ」には、多くの若者がカンパの米を持って、三角公園に集まってくれた(1月2日時点で935kgの米が届けられた)。
 また、三角公園ステージの出演者が出演後、ギターケースを背にパトロールに参加する姿が見られた。
 さらには、「地域内臨泊」も3年目を迎え(今年は432名の仲間が利用)、NPO釜ヶ崎支援機構にその業務が委託された結果、年末年始の間だけではあるが、多くの仲間の仕事を作り出すことができた。
 こうした団結した力で、「安心して働き生活できる釜ヶ崎」を目指して「新たなしくみ」を創り出していく闘い、これが釜ヶ崎における反失業闘争の前進だ。そして、原発推進・改憲・戦争への道を突き進む安倍政権、またその別働隊と対決し、「原発も基地(戦争)も差別も失業・野宿もない社会」を目指して闘おう。
 その為には、釜ヶ崎労働者の団結を強めるとともに、下層・非正規の仲間との団結、全国の闘う仲間とのつながりを強めよう。既成の労働運動から切り捨てられ、また戦闘的といわれる大きな労組からも「付随する組合」などと言われても、絶望することなく連帯を求めていこう。
 2017年、闘いの火ぶたは1月4日に切られた。府市への「要望書」提出行動が70名を超える仲間たちの結集で闘われたのである。
 要望書では、今年8月に延長期限の切れる「ホームレス自立支援法」の再延長を、国に府市が働きかけることを求めている。所謂ホームレス問題は解決していない。釜ヶ崎の越年期だけを見ても、432名の仲間が臨泊を利用せざるをえず、また地域内で野宿のまま新年を迎えざるをえなかった仲間が、集団野営も含めて150名近くにのぼっている。このことを見ても、釜地域だけで600名近い仲間が失業・野宿を強いられていることが明らかだ。打ち切りを許さず、再延長をかちとろう。
 要望書の第二の柱は、「安心して働き生活できる釜ヶ崎」に向けて、府市がNPO釜ヶ崎に委託する高齢者特別清掃事業、この「特掃」の拡大を柱とした「新たなしくみ」づくりの問題だ。
 「特掃」拡大、若い仲間への「仕事づくり」の他に今回は、「特掃」登録の毎月の実施(現在年2回なので、最長半年間登録ができない)、生活保護の単給支給との結合問題など、具体的な提案を行なっている。
 今年いよいよ動き出そうとしているのが、西成総合センターの「センター建て替え」問題である。橋下以後も着々と進められている「西成特区構想」、さらには「大阪都構想」との関係の中で、釜ヶ崎労働者の利益を第一に、この問題で討論・論争を創り出し、具体的な「新たなしくみ」として実現していかねばならないだろう。
 越冬闘争後も、1・9山谷決起集会への参加、大阪1・19総がかり行動、1・21関電本店包囲闘争と闘いは続いている。(釜ヶ崎S)

         1・9東京  
           山谷決起集会

 1月9日、東京台東区の玉姫公園で、日雇労働組合全国協議会の主催による「佐藤さん・山岡さん虐殺弾劾・追悼、寄場とむすび社会運動の前進を!1・9山谷集会」が行なわれ、山谷一周のデモ行進を闘った。釜ヶ崎日雇労働組合の代表参加など全協各支部からの参加、都内の労働・市民団体など数百名が参加した。(編集部)

   釜ヶ崎講座
     1・3新春釜ツァー

 あなたと釜ヶ崎をむすぶ市民団体「釜ヶ崎講座」は、今越冬闘争の取り組みに連帯・参加しながら、独自に「12・30越冬連帯1日行動」と、「1・3新春釜あるきツアー」を挙行した。
 この両日の取り組みには計30余名が参加し、釜ヶ崎の実状を通じて、現代社会のあり様を考える機会となった。
 「12・30越冬連帯1日行動」は、釜講座がアシストする形で、この日初日となる人民パトロールなど越冬闘争の諸取り組みへの、紹介と参加をはたした。この行動で釜ヶ崎日雇労働組合の佐々木さんからは、自力・自闘による越冬の取り組みの歴史的意義、また働きながら自立をめざせる種々の仕組みの確立が可能なことなど、行政依存ではない労働者・住民の主体的な街づくりの抱負が語られていた。
 「1・3新春釜あるきツアー」は、毎夏冬にガイドを引き受けてくれる水野阿修羅さんが今回は、小説や映画などの舞台となった場所を中心に紹介した。高橋和巳の小説や映画『極道ペテン師』(フランキー堺主演)などで、下層大衆の生き生きとした生活とその怒り・執念が、釜ヶ崎のそこここに描かれている。
 そして現在、「センター立替え」問題を軸に動いている釜ヶ崎の街を、労働者・住民の主体で作り上げていく重要性を、水野さんは語ってくれた。
 歩き後の討論では、やはり参加者の多くは、日常の労働者の生活に関心の重きがある。住居・医療・社会保険等、これら相互扶助の仕組みの実現が重要ということを、みんなで認識してツアーは終了した。(講座会員I)

   12・17第11回釜ヶ崎講座学習会
     自立支援法の再延長を

 越冬闘争が準備されるなかの昨年12月17日、第11回釜ヶ崎講座学習会が、「なぜ、これからもホームレス自立支援法が必要か」のテーマで、釜ヶ崎地区内の西成市民館において開催された。NPO釜ヶ崎支援機構など諸団体の人々、講座会員など約35名が参加。
 講師は、北九州ホームレス支援機構を拠点に、野宿者支援に携わってきた香田初穂(こうだはつほ)さん。香田さんは、33歳の新鋭にてホームレス支援全国ネット事務局に所属、当面の喫緊課題である「ホームレス自立支援法」延長・存続活動に多忙な日々を送っている。また、大阪ホームレス就業支援センター事務局長の岩野一彦さんから、現場報告も行なわれた。
 90年代のバブル崩壊以降、多くの下層大衆が職と生活を失う状態が現出し、2003年には25000人以上の人々が路上へと投げ出された。こうした情勢下、野宿をしないで済む仕組みをつくれ、との声と運動が全国から台頭し、周知のように2002年8月「ホームレス自立支援法」が成立した。豊かな運動成果を生みつつも、しかし同法は、今年2017年8月の消滅時限をまじかに迎えるにいたった。
 司会者のこうした概要説明の後、講師の香田さんが登場。香田さんは、いったい「ホームレス支援法」とは何かという切り口によって、北九州での経験を挙げながら、以下のように語った。
 ①北九州は人口が減少し、80年代からかっての八幡等の鉄鋼産業が落ち込んで、それに伴い野宿者が増えてきた。この当時より、野宿者支援活動は始まっていた。当初、行政・自治体は支援を無視、「あんな連中の手助けを、なぜするのか」と公園からの排除等を行なった。しかし、「自立支援法」の成立で、ホームレス解消が国の責務(これが画期的)として明確化され、支援側の動きに行政も動かざるを得ない状況に変化してきた。
 ②イ、法による責任・履行義務の明確化。ロ、ホームレス可視化、作業に伴う個々のケースへの対策策定。ハ、支援各事業の実行と検証、実績の見極めと更なる対策の確立。こうしたサイクルにより、約10年のなかで、野宿者の数は圧倒的に減少した。
 ③法の存在で、これまでの個人・支援団体のみの活動から、「北九州ホームレス自立推進協議会」の設置等、官民の協働が促進された。
 ④国は、ホームレス問題は今後、「生活困窮者自立支援法」(2015年4月成立)で対処するとしているが、同法にはホームレス支援の義務付けがない。支援の対象・捉え方にも限界があり、「ホームレス支援法」には代わりがたい。
 そして香田さんは、現在取り組み中の「ホームレス支援法の存続」を求める署名運動をはじめ、同法存続の全国的な運動拡大を訴えて講演を終った。
 次に、大阪ホームレス就業支援センターの岩野さんが、同センターによる事業者と野宿者をつなぐ、このかんの活動実績を報告。この支援法を継続しなければ、今までの成果は無に帰し労働者の利益は守れない、残された時間で法存続の取り組みを大きくと語った。
 討論では、「青テントや段ボールで居宅をかまえているホームレスは、今は少数で、その実態はつかみにくい。多くは悪条件の中で、転々とする形態をとっていると考えられる」との指摘もあり、数字に現われない野宿者あるいは野宿労働者の存在が改めて意識された。
 何歳になっても、仕事をしながら住み暮らして生きたい、と希望する労働者が釜ヶ崎では圧倒的である。今後も野宿労働者自立支援法の存続を、との思いを共有する学習会であった。
 最後に、釜日労の山中委員長が第47回釜ヶ崎越冬闘争への参加を訴えて、講座を終了した。(関西I通信員)


 高浜原発うごかすな!
 1・22関電包囲全国集会

   
逆転判決は許さぬ

 1月22日、大阪市・中之島公園にて午後2時から、「高浜原発うごかすな!1・22関電包囲全国集会」が開催され、約450名が結集した。デモ・情宣の後、堂島川近くの関西電力本店前へ移動し、午後4時から約600名で関電を包囲した。
 主催は、原発に反対する福井県民会議、さよなら原発びわこネットワーク、若狭の原発を考える会など6団体の呼びかけによる実行委員会。
 同行動は、高浜原発3・4号機を停止させた大津地裁仮処分決定(16年3月9日)の控訴審(大阪高裁)で、2月にも判決が出されようとしている現状をふまえ、先んじて高浜原発を動かすな!のアクションを起こし、民衆側の世論形成を大きくしようという意図であった。鹿児島・川内から青森・大間まで全国の立地点の運動、関西一円の反原発の諸団体、おおさかユニオンネットワーク、釜日労など労働組合、これらが結集していた。
 集会で、主催の宮下さん(福井県民会議)は、「全国で裁判を展開し、たとえ負けてもまた提訴し、長期に負けない闘争態勢を作っていく」と決意を述べた。昨年、新潟では反原発知事が誕生し、国際的には台湾が原発廃止を決定するなど、闘いは負けていないのである。
 参加者は、勝利の確信をもって、関電本店を包囲したのであった。(関西A通信員)