経産省前テント8・21強制撤に抗議する!
  掲げて5年、脱原発は全国へ

経産省前脱原発テントが、公安警察や民間警備員を引き連れた裁判所執行官によって強制撤去された。
総勢100名による襲撃は、8月21日・日曜日の午前3時40分に始まった。近隣の歩道と地下鉄の出入り口を封鎖、テントを包囲した上で、泊りの仲間5名を強制退去させ、一時間余の間にテントを撤去し敷地をフェンスで囲ったのであった。駆けつけたカメラマンが正当な理由もなく逮捕される(さすがに釈放せざるを得なかったが)。
 経産省前脱原発テントは、福島第一の事故に直面する中で、原発を推進してきた国と東電に対して爆発した人々の怒りが、2011年9月11日に立ち上げたものである。国と東電は、事故の原因も責任の所在も明らかにしようとせず、汚染水のたれ流しや被曝の現実を隠蔽し続け、安倍政権になってからはさらに被害補償の打ち切りと汚染地域への帰還の強制へ、そして原発の輸出促進と原発再稼働へ開き直り的に舵を切っている。国と東電のこうした民衆の命を蔑にし続ける態度も、人々がテントを支え続けた理由であるだろう。そしてテントは、脱原発運動の一つの象徴として、福島の被災者をはじめ人々の交流の場として、大きな役割を果たしてきた。このようなテントに対する強制撤去の暴挙に対して、強く弾劾しなければならない。
 この撤去より先の7月28日、最高裁は安倍政権に右へ倣いして、「テントの撤去と国への3800万円の支払い」の決定を行っている。最高裁のこの不当な決定に対して脱原発テントの側は、「いささかもたじろがず粛々とテントを守り、脱原発の旗を高く掲げて闘い続ける」との声明を発し、淡々と座り込みを継続していく心づもりを固めた。そういう訳で脱原発テントに集う仲間たちは、強制撤去弾劾の集会を即日100名規模で開催するとともに、撤去後つくられたフェンスを背景に座り込みを継続しているのである。泊り込みがなくなったというだけで、たまり場・交流場の機能は変わらず、脱原発の象徴する場でもあり続ける。丸5年(マイナス21日)もやってきた継続の力だと言えるだろう。
 なお来る9月11日には、午後3時頃から夜8時頃まで、「脱原発テント」前・経産省周囲一帯で、「脱原発9・11怒りのフェスティバル」が開催される。(東京M)


北海道・泊原発、九州・玄海原発の再稼働阻止しよう!
  東海第二は延長申請するな


 伊方原発8・21再稼動

 原発再稼動の動きが、優勢な脱原発世論を無視して、相次いでいる。
四国電力は8月12日、伊方原発3号機の再稼動を強行した。中央構造線の大地震が危惧される中、プルトニウムMOX燃料で稼動が強行されたのである。7月26日に起動が予定されていたが(またもや事故発生で延期)、これに対して伊方原発ゲート前では、「7・24みんなで止めよう伊方原発全国集会」が約700名で闘われた。12日の起動当日も、この暴挙に抗議し、朝からゲート前行動が約百人で闘われた。
 伊方再稼動により、九州電力の川内1、2号機に加えて、再稼動された原発は、3基になる。安倍政権が、原子力規制委員会の新規制基準適合性審査に適合した原発は、再稼働させるとの原発推進路線をかかげる中、これまでに3原発(川内、高浜、伊方)7基が、審査に適合とされてきた(高浜原発は、滋賀地裁判決により停止したまま)。いずれも加圧水型原子炉で、同型の九電玄海原発3、4号機や、北海道電力の泊3号機も、審査の大詰めを迎えている。
 泊原発の再稼働阻止については、10月8日に札幌で大集会、9日~10日に泊現地行動が闘われる。
 他方、8月26日には鹿児島県の三反園知事が、その公約に沿って、九電・瓜生社長に川内原発を直ちに停止するよう要請した。熊本地震をふまえた安全性の再検証、避難計画の不備などを理由とするものである。知事の同意なしで、運転続行は許されない。
こうした原発全国情勢の中、8月19日、「22年目の《六ヶ所ピースサイクル》in東海村行動」が闘われた。地元茨木県をはじめ東京、千葉、神奈川県などから20名以上の労働者市民が結集しての、東海村一日行動である。
 東海第二原子力発電所(事業者は日本原子力発電)の再稼働準備も、急ピッチで進められている。日本原子力発電は14年5月、東海第二原発の適合性審査を申請。今年6月の放射性廃液漏れ事故の究明をあいまいにしたまま、再稼働準備を進めている。
 また、当原発は経年38年の老朽原発であるにもかかわらず、運転期間20年延長を画策し、申請期限(17年8月28日~11月28日)を前に、運転期間延長認可制度への申請を実施せんとしている。
 こうした情勢下、東海村一日行動は、再稼働阻止・廃炉、放射性廃液漏れ事故の真相究明をかかげて闘われた。

 東海村政の大幅後退

 6月2日、東海第二原発は、高濃度放射性廃液750リットルを漏洩する大事故を引き起こした。廃液からは、1リットルあたり37万ベクレルの放射性物質が検出されている。
 しかし日本現電は、地元自治体への通報に2時間以上を要し、2週間以上経過するも、ホームページ以外の説明を行なわず、地元住民・自治体への謝罪一つ行なわなかった。事故の原因は、稼動38年近くにも及ぶ原発の疲労劣化が無縁とは考えにくく、今後もこの種のトラブルが懸念されている。
 一日行動では、JR東海駅前集会に続く最初の行動として、東海村役場を訪問した。漏洩事故への自治体の対応を問うものである。しかし東海村は、事故原因等について、日本原電の報告をそのまま伝えるにとどまり、「社員や協力会社員の被ばくはもとより、環境への放射能の影響もないと聞いており」との回答は、村政の大幅な後退を印象付けた。村上前村政の住民の命と人権を守ろうとする主体的姿勢からの、山田現村政の後退である。
 次いで、山田村長の「脱原発をめざす首長会議」参加問題が討議された。山田村政3年・3たびにわたる質問に「丁寧に幅広く意見を聞いたうえで、議会を含めて議論を重ねていきたい」と三度同様の回答である。しかし、「どのような住民の意見があるのか」との質問に当局は一切答えられず、村長の脱原発会議参加は、ほぼあり得ないことが鮮明になった。ちなみに村議会は、原発推進派が絶対多数を占めている。

 東海第二で抗議行動

 午後は、東海第二原発への要請行動。自転車の仲間たちは、いわき市に向かうピースサイクル隊と、要請行動参加とに分かれる。
東海第二は、先発隊の施設内への入場を認めたものの、昨年同様、自転車隊をいったんは強引に追い返した。のぼり旗・反原発ステッカーなどを付けた車両の入場を拒否する構内ルール違反、という言い分だ。先発隊は断固抗議し、自転車隊の入場を認めるよう要求。警備関係者を含めた十数人の職員が取り囲む中での抗議に、会社側は結局入場を認め、ここに要請行動が開始された。
 最初に、6月2日の事故について原因を追及。会社側は、濃縮廃液貯蔵タンク内に界面活性剤が混入し、粘度の高い泡が床ドレンファンネル(排水桝)に詰まって漏洩したもので、原発の疲労劣化が原因ではないと説明した。しかし、混入してはならない活性剤混入の原因が不明であり、また排水桝から漏れた廃液が、床配管貫通部の漏洩防止用ゴムシートの劣化によって、下に漏れたことは明白である。事故は劣化が関連し、同様の事故が今後も起きることが予想される。
 しかも、タンク内の廃液が泡立ったのは、マニュアル通りに減圧したためと説明し、何ら問題はないとの見解を示した。しかしチェルノブイリも、マニュアル通りの操作で爆発したのだ。
 次いで会社側は、3・11時の東海原発「危機一髪の状況」を、はっきりと否定した。しかし、5・4mの津波で、非常用ディーゼル発電機で動かす冷却水循環のための海水ポンプ3台のうち1台が、使用不能になったことは事実である。3台あっての平常運転であった。当時は、作業員の必死の努力で大事故を免れたと報道されている。
 さらに、あと70cmで6・1mの壁を、津波は越えるところであった。「危機一髪」はまぎれもない事実であり、再稼動のために事実を隠蔽することは許されない。

 今後も現地と連携し

 一日行動の最後は、地元との交流会。地元では、「20年延長申請」に反対する署名や、「安全協定見直し」を支持する署名が取り組まれている。
 現在、原発再稼動には、立地自治体の合意のみが優先されている。しかし、東海村および隣接5市の6名の首長が立ち上げた「原子力所在地域首長懇談会」は、適合審査前の安全協定見直しを求めている。後者の署名は、これを運動的に推進するものである。
 「3・11から5年、多くの人々が原発がなければ、と考えている。しかし親類が原発や関連施設で働いていれば、消極的賛成になる。村民に正確な情報を知らせ、理解を得る活動を地道に進めている」との地元からの発言が、印象的であった。
 首都圏の地域・職場から、東海現地と連携した活動を発展させよう。(東京O通信員)


安倍政権の戦争・改憲とどう闘うか8・28討論集会
  反サミット闘争を引き継いで

 8月28日、「安倍政権の戦争・改憲とどう闘うか8・28討論集会―サミット反対から考える」が、東京・池袋の生活産業プラザで開かれ50余名が参加した。主催は、伊勢志摩サミットに反対する実行委員会。
 今年3月以降、5月の伊勢志摩サミットに反対して、「戦争法廃止!安部たおせ!反戦実行委員会」や「破防法・組対法に反対する共同行動」など諸団体・個人が実行委を形成し、共に闘ってきた。この集会はその仲間たちが、参議院選挙後の情勢認識を共有化し、戦争法反対、反基地、共謀罪―治安管理体制の強化との闘いを、反サミット闘争を引き継いで、継続・発展させるためにもたれた。
 集会では、最初に沖縄一坪反戦地主会の大仲さんから、緊迫する高江ヘリパッド建設反対闘争を中心に、沖縄情勢の報告を受けた。このかんの経験からいうと、高江は500人以上で阻止行動を取ると、工事はストップする。「本土」からも高江現地に結集を!と訴えた。また代執行「和解」後に政府が強行した違法確認訴訟は、9月16日に高裁判決となる。それを機に政府が強行せんとしている、辺野古陸上部の工事再開を阻止しようと訴えた。
 講演が、小倉利丸さん(ピープルズプラン研究所)から行なわれ、伊勢志摩サミットの内容、背景の内外情勢をふまえつつ、運動の課題が提起された。小倉さんは、このかんの日本での運動の限界として、「日本の新しく登場した運動が、おしなべて戦後民主主義への根底的な懐疑なしに既存の政治と価値観に依存した運動にしかならなかった」、また「『格差』社会といわれながら、貧困層を主体とする大衆運動を左翼の運動として創造できていない」と指摘した。
 この提起を受けつつ、池田さん(10・23朝霞デモ実行委員会)、石橋さん(破防法・組対法共同行動)、松平さん(反戦実)が発言した。
石橋さんは、今秋臨時国会に提出されんとしている共謀罪(欺まん的に「テロ等組織犯罪準備罪」と名称を変えての、組織犯罪処罰法改正案)について報告した。9・26国会開会日行動などに結集し、共謀罪の永久廃案をかちとろうと訴えた。
最後に会場から、自由な意見表明を受けて、このかんの総括的な集会を終了した。反サミット実行委はこれをもって解散し、仲間たちの更なる闘いが始まった。(東京W通信員)


  戦争法廃止・憲法改悪許さない8・19国会前行動
  
 8月19日、国会の衆参議員会館前で午後6時半から、「戦争法廃止・憲法改悪を許さない8・19総がかり行動」が行なわれ、戦争させない・9条壊すな!総ががり行動実行委の主催で約3000人が参加した。昨年9・19の安保法強行成立の以降、国会前行動としては十回目の「19の日」行動となる(昨年12・19の北トピア集会を含めて十一回目)。
 メインの主張は、南スーダン自衛隊PKOでの11月からの派遣(陸自青森駐屯地など)から、戦争法によって「駆け付け警護」「宿営地共同防護」「治安維持」などの新任務が派兵部隊に与えられようとしている、これへの反対であった。
南スーダンでは、停戦合意が崩れているだけでなく、当事者の受け入れ合意も崩れている。8月12日に国連安保理は南スーダンPKOの増派を決めたが、ロシアや中国は棄権した。南スーダン政府自身が増派に同意していない。PKO等協力法からいっても自衛隊をただちに撤収させるべきであり、現地は、新しい武力行使任務をもって日本が派兵するなどもっての外の情勢となっている。安倍政権は、新任務付加ではなく、南スーダンの自衛隊を直ちに帰国させろ!
 国会前行動では、国会議員挨拶が民進党、日本共産党、社民党からなされた。民進党からは、7月参院選で千葉の議席を守り抜いた小西洋之参院議員がアピール、「憲法改悪なのか、憲法を私たちの手に取りもどすのか、この二つの道。何がなんでも勝利せねばならない。与党は今秋から、憲法審査会を動かそうとしている。これを打倒しよう。審査会をやるなら、一つは憲法違反の実態がないか調査すること、また一つは、立憲主義が守られているかどうかを審議すべきだ。臨時国会は、野党4党で闘う。もう一度、国会闘争を!」と訴えた。
 続いて、総がかり実の構成3団体(1000人委員会、解釈で9条壊すな実行委、憲法共同センター)がアピールし、また各団体の連帯挨拶が、日弁連憲法委、障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会、日本国際ボランティアセンター、沖縄一坪反戦地主会関東ブロックと行なわれた。一坪関東の仲間は、高江ヘリパッド建設での国家暴力を徹底糾弾、国会前は高江・辺野古への連帯を確認した。
 今回の「19の日」行動でもっとも重要な発言は、7・26相模原障害者殺傷事件をふまえた、障害者全国連絡協の仲間の発言であったとも言える。彼は、私たち障害者が地域で暮らせる社会を作らねばと改めて痛感した、と切々と語った。

 最後に、主催者から菱山南帆子さんが行動提起。①安保法違憲訴訟の第1回口頭弁論が9・2東京地裁、②9・19は国会正門前で午後3時半から、③臨時国会開会日(9・26ごろ)に対して議員会館前行動、正午から、④10・6シンポ集会(北トピア)、以上への結集を訴えて終了した。
 「3分の2」を稼動させようと企む臨時国会に対し、それを圧倒する大衆闘争を全国各地で用意しよう!(東京A通信員)