7・16「釜ヶ崎講座」第10回学習会
  野宿者問題を真に終わらせるには?

 7月16日、大阪市の釜ヶ崎地区内の西成市民館にて、第10回釜ヶ崎講座学習会が開かれ、約35名が参加した。
 この学習会は、「ホームレス問題をしっかり終らせるために、釜ヶ崎からできることをしよう」と題され、昨年12月の第22回同講座講演のつどい「取り残されるホームレス問題の解き口をさがして」を、継続・発展するものとして開かれた。
 今回も、NPO釜ヶ崎支援機構事務局長の松本裕文さんが講師で、今後の野宿労働者自立支援の方向性が模索された。
松本さんは、「本日参加してもらっている方々にも、今後の私たちの活動に賛同して手伝ってもらえれば」と希望を述べ、釜ヶ崎でできることからの行動の大切さを訴えた。松本さんのお話しの要旨は以下の通り。
①ホームレス自立支援法が延長期限(2017・8)をむかえ、このままホームレス問題は終ってよいのか?と危惧されている。国が「ホームレス手前で対策が打てる」と自負している生活困窮者支援法には、ホームレス対策は明文化されていない。一方、1950年代からの国の失業対策の歴史は、個々の働き方への軽視と、その時代時代での資本の要請への追随であった。日雇労働者を使い捨てにし、現在では念頭にすら入れていない(国によると日雇労働者数は、全国で14万人)。
②リーマンショックを前後して、生活保護適用は容易になったと言われるが、今日も釜ヶ崎では、生活保護にたよらず、働けるうちは働いて生活したいと考えている人が多数派だ。しかし、釜ヶ崎での「特別清掃事業」にみられるように、社会的就労を基礎として、一人ひとりの社会参加を図っていこうとする私たちの主張と運動は、全国的にはマイナーの位置にあると言わざるを得ない。
③東京の支援グループであるアーチARCHが昨年、夜間の都市部ホームレス概数調査を行なったが、こちら釜ヶ崎としても参考にしたい。釜でシェルターを出た労働者が、居場所を求めてセンターで何時ごろまで滞留するのか等を、時季や諸条件を考慮に入れて調査・データ化し、カフェなどの居場所事業を含め、自立支援の施策づくりに役立てたい。
こうした松本さんのお話しは、結論的には、就労を伴う社会参加の重要性、ホームレス問題に即しては、ハウジング・ファースト(居住優先)よりも、ワーキング・ファースト(就労優先)の重要性を訴えるものであった。
なお、この学習会には、福祉・生活サポート部門などの第一線で活動しておられる方々も多く来ておられたようだが、発言の時間設定が無かった。これらの人々の意見、報告を出してもらいながらの豊富化を、講座の今後として期待したい。
 小さい企画ではあるが、団結・信頼の中で協同の取り組みをすすめ、ホームレス問題を本当の意味で終わらせる一端を担っていく、そういう雰囲気をかもし出す学習会であった。(関西I通信員)


三里塚闘争50年の集い7・17東京集会
  「世直し」の闘いは続く

 7月17日、三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)は、文京シビックセンターで「三里塚闘争50年の集い7・17東京集会」を行ない、155人が参加した。
 1966年7月4日、政府は三里塚農民に事前に知らせず、突然三里塚の地に空港を建設することを閣議決定した。三里塚農民は空港反対同盟を結成し、体を張った闘いを展開した。民主主義とは何かという問題を全国に突きつけ、多くの労働者・学生・市民が三里塚に駆けつけた。
 集会は、60年に及ぶ農民・人民の闘いの成果、教訓をを確認し、さらに現在の第三滑走路建設計画も含め、今後の方向性に向けて発言が行なわれた。
 会場には、三里塚闘争の歴史を振り返る写真パネル、諸資料・文書などが貼られている。集会冒頭には、「抵抗の大地」(1971年強制代執行阻止闘争の記録)が上映された。
 前半の司会は、山崎宏さん(横堀地区)。
 柳川秀夫さん(代表世話人)は、「巨大開発で空港がどんどん大きくなっていく。政府がいくら謝ったとしても、この課題は解決できない。世直しという課題を掲げて闘ってきたが、それは本質的には革命だ」と主催者あいさつ。
 石井紀子さん(成田市川上・農業)は、東峰十字路事件(1971年9月16日)で地元の青年たちが不当逮捕され、裁判支援のために家族会を結成。家族会の手紙などを紹介しながら、「三里塚の中で、ものすごく華々しく燃えた若い女たちの闘い」を語った。当時の家族会を撮り続けていた島田恵さん(映画監督)も登壇し、エールの交換を行なう。
 平野靖識さん(東峰地区、三里塚らっきょう工場)は、1969年3月に三里塚闘争に参加、その成果として「有機農法、農的価値を掲げた地球的課題の実験村」を取り上げた。「第三滑走路計画が問題となっているが、農業基盤が弱くなり、農業後継者がいないなかで、反対運動の困難性がある」と指摘した。
 加瀬勉さん(大地共有委員会Ⅱ代表)は、亡くなった反対同盟員と支援者、獄中闘争を闘いぬいた管制塔占拠の同志に対して、「インターナショナル」を歌って敬意を表した。闘争を前進させるために、①農民の主体性の確立と民主主義、②社会党、共産党、中核派などの「政党公害」の総括、③社会変革と結びついた三里塚闘争の発展などを強調した。
 後半の司会は、辻和夫さん(田んぼくらぶ)。
 発言は、清井礼司弁護士、鎌田慧さん(ルポライター)、高見圭司さん(スペース21)、関西・三里塚闘争に連帯する会、代島治彦監督、羽田空港増便問題を考える会、中川憲一さん(元管制塔被告団)、田んぼくらぶから行なわれた。閉会あいさつを柳川さんが、今後も「世直しで頑張っていこう」と訴える。最後は、全体で団結ガンバローで締めくくった。
(「三里塚空港に反対する連絡会」の共同報道文を転載)