幕藩体制の動揺と天皇制ナショナリズムの起源―最終回

   王政復古への道―天皇制と海外侵略
                                     堀込 純一


 Ⅷ 侵略主義と不可分の皇統主義

 日本が近代に踏み込む契機は、言うまでもなく明治維新である。だが、その明治維新は、王政復古として成し遂げられた。
 1868年の王政復古は、近世において、基本的なイデオロギーとして、第一に大政委任論、第二に国粋主義と侵略主義の流布・拡大で準備された。
 このため、近代の天皇制ナショナリズムは、国粋主義から侵略主義・排外主義へ発展し、江戸期の侵略思想を現実のものとした。

   (1)天照信仰と世界支配は背中合わせ

 王政復古を準備したイデオロギーは、宣長思想の核心とも言うべき「直毘霊(なおびのみたま)」(1771年刊行)の冒頭に明記されている。すなわち、
 (A)皇大御国(すめらおほみくに *日本国)は、掛(かけ)まくも〔*言葉に出し
 て言うことも〕可畏(かしこ)き〔*おそれ多い〕神御祖(かむみおや *皇祖神)天
 照大御神の、御生(みあれ)坐(ませ)る大御国にして、
 万国に勝(すぐ)れたる所由(ゆえ)は、先(まづ)ここにいちじるし(著し)、国とい 
 う国に、此(この)大御神の大御徳(おほみめぐみ)かがふらぬ(*こうむらない)国 
 なし、……
 (B)天雲(あまぐも)のむかぶす(向か伏す *はるか向こうに遠く伏す)かぎり(限 
 り)、谷蟆(たにぐく *谷のヒキガエル)のさわたる(さ渡る)きはみ(極み)、皇御
 孫命(すめみまのみこと *天照大御神の子孫)の大御食国(おほみをすくに *天皇
 の統治する国)とさだまり(定まり)て、天下(あめのした)にはあらぶる(荒ぶる)
 神もなく、まつろはぬ(*服従しない)人もなく、
 いく萬代を経(へふ)とも、誰(たれ)しの奴(やつこ)か、大皇(おほきみ)に背(そ
 む)き奉(まつら)む、……

      〈一人よがりの太陽神信仰〉
 これらの主張は、日本が万国に勝れた国の根拠として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の生まれた国だからであり、したがって、日本は世界を統治する国であることが定まっている―というのである。
 この考え方を後年の『玉くしげ別巻』(1789年刊行)で、さらに詳しく見ると、次のようになっている。
 まず(A)の部分は、「抑(そもそも)天地は一枚(*一つ)にして、隔(へだて)なければ、高天原(たかまがはら)は、万国一同に戴(いただ)くところの高天原にして、天照大御神は、その天をしろしめす(*お治めになる)御神にてましませば(坐します *いらっしゃる)、宇宙のあひだ(間)にならぶ(並ぶ)ものなく、とこしなへに(*永久に)天地の限(かぎり)〔*極限まで〕をあまねく(普く)照らしましまして、四海(*四方の海。天下)万国此(この)御徳光を蒙むらず(こうムラズ *受けない)といふ(言ふ)ことなく、何れ(いずレ)の国とても、此(この)大御神の御蔭(おかげ *ここでは神仏の助け)にもれては、一日片時(かたとき)も立(たつ *身を保つ)ことあたはず(能ハズ *不可能)、世中(よのなか)に至て(いたりテ *きわめて)尊(とうと)くありがたきは、此(この)大御神なり」(全集第8巻 P.310~311)というのである。
 宣長は、日本が万国に勝れた尊い国であるという論拠として、太陽神である天照大御神の「御徳光」に蒙っている点をあげている。しかし、太陽神信仰は日本だけの独自なものではなく、世界各地に存在するものである。このような幼稚な主張の誤りは本紙559号ですでに述べたので、ここではこれ以上繰り返さない。

      〈万国は日本に服従すべきと説く〉
 次に(B)の部分は、「さてかくのごとく本朝(*日本)は、天照大御神の御本国、其の皇統(*天皇の系統)しろしめす御国にして、万国の元本(げんほん)大宗(たいそう)〔*おおもと〕たる御国なれば、万国共(とも)に、この御国を尊み戴き臣服(*臣下として服従し仕えること)して、四海の内みな、此(この)まこと(誠)の道に依(よ)り尊はではかなはぬことわり(理)なるに、今に至るまで外国(とつくに)には、すべて上件(*上に述べたような)の子細どもをしる(知ル)ことなく、ただなおざりに(等閑ニ)海外の一小嶋(*一つの小さな島)とのみ心得(こころえ)、勿論(もちろん)まことの道の此(この)皇国にあることをば夢にもしらで(知ラデ)、妄説をのみいひ(言ひ)居るは、又(また)いと(*非常に)あさましき(*嘆かわしい)事、これひとへに(偏に *もっぱら)神代(かみよ)の古伝説なきがゆゑ(故)なり」(同前 P.312)とする。
 ここでは、①天照大御神の生まれた国、②その天照大御神の子孫である天皇が代々引き継いで統治する国―であることを根拠に、日本は世界の「おおもと」の国なので、万国が日本に服従すべきである、と独りよがりのことを言っている。
 この主張には、まず第一に、日本が世界の「おおもと」の国である証拠として、①と②を挙げているが、これらは全く独りよがりであり、論理的にみてとても他者を説得しうる内容ではない。第二には、日本が世界の「おおもと」の国であることを前提に、万国は日本に「臣服」し日本を尊ぶべきとしているが、これもまた独善的なものでしかない。
 この第二の点は、宣長の古道論が単に独りよがりの国粋主義に止まらず、すでに日本近代の侵略主義を促す思想を懐胎している、ということで極めて重大なものである。世界の「おおもと」である日本に万国が「臣服」することは、当然なことである。したがって、
服従しない国には侵略して、「臣服」させる―ということの一歩手前に至っているのである。
 ここには、極めてうぬぼれに満ちた独善的な考え方が披瀝されている。この考えによれば、日本は天照大御神の子孫である代々の天皇が支配するべきだ―というだけでなく、日本が世界の大本である故に、万国はともに「日本を尊み戴(いただ)き心服すべき」だ―というのである。この、①天照信仰→②天照大御神の子孫の支配する日本は、万国に勝れている→③万国は日本に心服すべきという一連の思考回路は、万世一系の天皇制と世界に心服されるべき日本(近代では世界支配の侵略主義へ)という2つの環が、背中合わせとなり、分かちがたく結び付いているのであった。まさに天皇制ナショナリズムの原型である。

   (2)常世国願望と外国認識の混同

 「万世一系の皇統主義」と「万国に心服されるべき日本」という2つの考えが分かちがたく結びついているのは、もちろん、「日本が万国に勝れている」という思いあがった独善主義が基調としてある。そして、その観念的独善を根拠づけるものとして、日本のみに古の道(古道)が正しく伝えられた―という尤(もっと)もらしい体裁が採られている。そのために、宣長は、30数年間という途方もない時間を『古事記』研究に費やしたのである。
 宣長の古典研究は、たしかに日本語の科学的研究に貢献した面もあるが、思想的には大きな弊害をもたらした。
 その原因は、宣長が意(こころ)・事(こと)・言(ことば)の一致を単純に想定したこと(記紀に込められた支配層の政治的作為を見抜けられなかった)とともに、『古事記』の恣意的解釈がある。

       〈古事記の恣意的解釈がもたらす〉
 たとえば、対外認識にかかわる点でいえば、「常世(とこよ)の国」を強引に「外国(とつくに)」と同じものとして解釈した。
 『古事記』は、大国主神(大国主命)が天照大御神の子孫に「国譲り」する前段での葦原(あしはら)の中つ国(なかツくに)(注)の国作りにかかわって、神産巣日(かむむすひ)の神が、葦原の色許男(しこを)の命(みこと)〔*大国主神の別名〕に対して、少名毘古那(すくなびこな)の神〔*神産巣日の神の子〕と兄弟(あにおと)となって、葦原の中つ国を「作り堅(かた)めよ」と命じたことを述べている。よって、「……かれ(*そこで)、それより〔*その仰せ以来〕大穴牟遅(おほあなむぢ *大国主神の別名)と少名毘古那と、二柱(ふたはしら)の神相並(あいなら)びて、この国を作り堅めたまひき。しかる後は、その少名毘古那の神は、常世の国に度(わた)りましき(*お渡りになった)……」(新潮日本古典集成『古事記』 P.74~75)となる。
 この「常世」の意味について宣長は、『古事記伝』で三つに分類する。すなわち、①「常夜(とこよ)の義(こころ *意味)なること」、②「常(とこ)とは(*いつまでも変わらない)にして不変(かはらぬ)こと」、③「常世国(とこよのくに)」―である。そして、「右の三、其(その)言(ことば)は同じけれども、其意(こころ)は各(おのおの)異(こと)にして、相関(あひあずか)らず【三を同意に心得るは、字の同じきに迷ひて、深く考へざるものなり、言の同じきままに、字は相通(あいかよ)はし借(かり)て、常世と書るなり、】」と、注意を促す。(全集第十巻 P.8)
 その上で、宣長は、「さて常世の国とは、如此(かく)名(なづ)けたる国の一(ひとつ)あるには非(あら)ず、ただ何方(いずかた)にまれ、此(この)皇国(みくに)を遥かに隔(へだた)り離れて、たやすく往還(ゆきかひ)がたき處(ところ)を泛(ひろ)く〔*あまねく〕云(いう)名なり、故(かれ)【常世は借字にて】名〔の〕義は、底依国(そこよりぐに)にて、ただ絶遠(はるけ)き国なるよしなり」(同前)と定義づける。
 また、「……常世国とは、何処(いずく)にまれ、遠く海を渡りて往(ゆ)く国を云なれば、皇国の外は、万国みな常世国なり、……此神(このかみ *少名毘古那の神)は、初(はじめ)高天原にして、御祖命(みおやのみこと *神産巣日の神のこと)の御手俣(*指の間)より放去(はふれさり)て降(くだり)坐(まし)しより、永く外国に坐(いま)す神にて、其間(そのあひだ)に少時(しばらく)皇国には渡来坐しし事ありしなり、さて此(この)趣(おもむき)に拠(より)て、今つらつら按(おもふ)に、外国【三韓及(また)漢天竺其餘(そのほか)も四方(よも)の万国】は皆(みな)本(もと)、此神(*少名毘古那の神のこと)の経営(つくり)堅成(かためなし)たまへるものなるべし、……」(同前 P.10)と、外国すべてが少名毘古那の神によって作られたと勝手に決めつける。
 しかし、これは宣長の恣意的な解釈である。確かに、宣長の言うように、中国文化が流入するようになると、その影響で「常世国」の意味は、“不老不死の想像上の楽土”というものになる。この解釈は、宣長も否定している。
 では、それ以前はどのような意味合いが込められていたのであろうか。
 『角川新版 古語辞典』によると、「常世国」には前述した意味のほかに、「上代人が、遠く離れた海のかなたにあって、祖先の霊が住んでいると考えた国。たやすく行かれぬ異境」とある。
 平凡社の『世界大百科事典』によると、武藤武美氏は「常世国」を「海のかなたにあるとされた異郷で、永遠不変の国の意」としている。そして、「常世国は永遠の生命と豊饒をもたらす祖霊の国としての、原始的な理想郷と考えられていたようである。それは日常生活の中から想像された、さまざまな願望と富とを託されたユートピアであった。」と解説している。
 両者に共通しているのは、「常世国」が「海のかなたの異郷」、「祖霊の国」である。このことは、「常世国」が少なくとも現実世界でないこと―が確かである。上代人が多用していることからすれば、それは現実生活から生み出された「理想郷」であろう。

      〈国粋主義から海外侵略への準備〉
 以上から、宣長が「常世国」を「外国(とつくに)」全般と解釈することの誤りが明らかとなる。
 まず第一は、「常世国」は現実世界でないにもかかわらず、それを宣長は現実世界である「外国」と同じ意味にしたからである。 第二は、宣長も「常世国」を「遠く海を渡りて往く国」と規定しているが、少なくとも朝鮮半島は対馬から目にすることができ、波が荒くない限り容易に渡海できる距離である。実際、『古事記』ができる以前から倭と朝鮮半島の人々との交流や交易は頻繁に行なわれていたわけで、とても身近な外国である「三韓」などを「常世国」とすることは誤りである。
 では、このような誤りを宣長は何故に犯したのであろうか。それは、第一に、宣長が「神代」の世界を正しく神話の世界としないで、「神代」の世界をも史実の世界としたからである。このような、神話の世界と歴史の世界を同質とする考え方は、今日でも無くなっていない。
 第二は、「常世国」を「外国」一般にすると、万国が日本を尊び日本に心服し、日本が世界に君臨するという宣長思想を正当化し得るからである。
 宣長は、『古事記』で少名毘古那神が永く「外国」に住むことを踏まえ、『古事記伝』では「今つらつらに按(おもふ)に、外国……は皆本、此神(このかみ *少名毘古那神のこと)の経営堅成たまへるものなるべし」と強調する。宣長は、これを日本が万国に勝れる国(この裏面は外国に対する不当な侮蔑と差別)という国粋主義を正当化するために強調したのである。
 だが、弟子の服部中庸や、弟子と自称する平田篤胤になると、この傾向はさらに強められ、篤胤の弟子である佐藤信淵になると、具体的に朝鮮・中国などの侵略計画が練られることとなる。この侵略計画は、幕末の尊王攘夷運動でも強調される。
 江戸後半期の国学運動や幕末の尊王攘夷運動が描いた侵略思想は、近代日本の指導層によって現実化されるが、アジア人民の広範な反撃にあい、無残にも蹴散らされるのである。(終り)

(注)「葦原の中つ国」という表現の使用は、『古事記』と『日本書紀』だけである。風土記・祝詞・万葉集では、「豊葦原瑞穂国」、「葦原水穂国」という表現である。「葦原の中つ国」は、「高天の原」と「黄泉の国」(あるいは「根の堅州国)に対応したもので、両者の間にある国で、それぞれ上・中・下という位置を示す。
 記紀神話は、単に民間の説話を集めたものでなく、国家的な狙いを込めた神話である。「記紀の神話は、高天の原を中心とする垂直的な世界像と、以前から民間で一般的だった水平的な世界構造を一本化しようとする。水平的な神話を、垂直的な枠に押し込めたのだ。そのため地上は、天と地下のあいだの場所になる。こうして、葦原の中つ国が誕生するわけである」(西條勉『「古事記」神話の謎を解く』中公新書 2011年 P.117)。「常世の国」が水平的な民間説話に由来することは明らかである。