いわゆる「西沙・南沙諸島の領有権」問題をめぐって
  公正・対等で平和的な解決を
                             堀込 純一

 昨年十一月、我が党の二中総が開かれたが、そこでの「日中関係決議案」は継続審議となった。この審議で修正案を提案した者の一人として、以下、いわゆる「西沙・南沙諸島の領有権」問題について、私見を述べることとする。

  (1)九段線(十一段線)とは何か

 1930年代、日本帝国主義とフランス帝国主義との間で行なわれた「西沙・南沙諸島」の争奪は、日本の奪取で終わった。だが、日本帝国主義は第二次世界大戦での敗北により、同諸島の領有権を放棄することとなる。
 これに際して、中華民国海軍はただちに接収に入る。そして、「一九四七年一二月一日、中華民国の内政省地域局が作成し、国民政府が議決・公布した『南海諸島新旧名称対照表』及び『南海諸島位置図』には、十一段のU字線が中国の領海として取り囲まれるように描かれていた。」(矢吹晋著「南沙諸島の紛争―歴史と現在」―『情況』2015年9月号に所収)と言われる。
 今日頻繁に耳にする九段線は、「中華人民共和国がベトナム戦争当時支援していた北ベトナム軍のトンキン湾内にある島でのレーダー建設などの活動を妨げないよう、自国の安全保障政策と整合させるべく前述の十一段線のうちからトンキン湾付近の点線二つを除去し、新たに九段線へと書き直した」(同前)ものである。
 中国、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、フィリピンなどで囲まれた海域(以下、「中国大陸の南方海域」と略)は、世界最大の「半閉鎖海」であるが、その内、九段線内の水域はその8割あるいは9割を占めるといわれる。
 この九段線(十一段線)の具体的内容について、それを明らかにする資料を入手することは、筆者にとってなかなか困難である。そこで、中国圏の研究者の見解を調べてみる。
 李国強著「中国と周辺国家の海上国境問題」(『境界研究』№1 北海道大学スラブ研内CEOプログラム 2010年)によると、九段線に対する法的解釈はいろいろ存在するが、以下の引用のように4つに分類できると言われる。
 
 第1の理解は「島嶼帰属の線」とするものである。すなわち、線内の島嶼及び周辺海域は中国に属しており、中国がこれを管轄し、統制する。この説によれば、法的には、線内の島嶼、暗礁、岩石、砂洲、環礁などが中国の主権管轄下にあるが、線内水域の法的地位は線内の島嶼及び群島の法的地位によって決められるため、法そのものは「帰属線」に関係ない。この説によれば、九段線は「中国は南沙群島及び周辺海域に対する議論の余地がない主権を有する」という中国政府の旧来の立場と一致するとみなされる。
 第2の理解は、「歴史的な権利の範囲」である。すなわち、線内の島、礁、浅瀬、砂洲は中国領土であり、内水以外の海域は排他的経済水域と大陸棚となる。中国は、島、礁、浅瀬、砂洲の主権及び海域にあるすべての自然資源の主権権利を含む線内の歴史的権利を求める。海域は法的には排他的経済水域に相当し、他国による航行、上空通過、海底ケーブル及びパイプラインの敷設など、3つの活動の自由は確保される。
 第3の理解は「歴史的な水域線」とする。すなわち、中国は線内の島、礁、浅瀬、砂洲及び周辺海域の歴史的権利を有するのみならず、線内のすべての海域が中国の歴史的水域とされる。当該水域において外国船舶は許可なしで航行、通過することができない。台湾の学者の多くがこの説を支持する。
 第4の理解は「伝統的疆界線(国境線)」である。すなわち、線内の島、礁、浅瀬、砂洲及び周辺海域は中国に属しており、線外の区域は公海または他国に属する。当線は断続した国境線、すなわち、未画定ではあるが、国境線を基に描かれたもの、「中国と外国との境界」を示している。線内は中国領、線外は隣国領あるいは公海となる。また、当線は中国と隣国の中間線に位置し、南シナ海諸島の範囲あるいは外部との境界を表示している。(下線とゴシックは引用者。以下も同じ)
 前掲の矢吹論文も同様のグループ分けをする李金明の主張を紹介する。そこでは、「これら三つ(*李国強の言う「第2~4の理解」を指す)をすべて現行『海洋法の規定』に照らして難点があるとして退ける。/こうして李金明は〔*九段線を〕……「島嶼帰属の線を示す」(*李国強の言う「第1の理解」)と解した。すなわち『線内の島嶼、東沙群島、南沙群島、中沙群島と西沙群島を含み、および周辺海域は中国に属しており、中国がこれを管轄し、統制する』という解釈だ。これは高之国(中国国家海洋局海洋発展戦略研究所所長を経て、二〇〇八年一月三〇日国連海洋法法庭判事に当選)のそれと同じであり、中国政府の公認解釈でもある。」と矢吹氏は言う。
 しかし、2014年5月11日付けの『朝日新聞』によると、中国外務省国境海洋事務局の易先良副局長は、同月8日の会見で、九段線について、「1982年の国連海洋法条約が署名される半世紀近く前からあり、歴史は古い」とし、「歴史的に形成された中国の権利である」と主張している。この主張は、前述の「第2の理解」あるいは「第3の理解」に近いものであり、そうすると「中国政府の公認解釈」とはズレが生ずることとなる。
 
  (2)国際海洋法と九段線の矛盾


        公海自由の原則や領海規定の歴史的形成
 ともあれ、4つの理解は、1から4に進むにつれて、中国の主権や管轄権が強まるという違いをもつが、しかし、ともに九段線がその内部の島嶼・礁・砂洲などや周辺海域(その広さは異なる)の帰属を示す線であるという点で共通している。
 これは、1982年国連海洋法(82年に採択され、94年に発効した。以下、「国連海洋法」と略。)の考え方と真っ向から異なるものである。「国連海洋法」の原則的な考え方は、領土を起点(正確には「直線基線」1))に、領海―排他的経済水域(EEZ)―公海の三元構造をもっており、領土・領海・EEZが同心円的構造をもっている。ところが、九段線の考え方は、「海域」がその内部の島嶼などの帰属を決定する論理となっている。
 このような根本的な矛盾があるにもかかわらず、中国は1996年に国連海洋法条約を批准している。これは、とても理解できないことである。
 九段線と似た考え方をもって、海洋支配を行なった歴史事例は少なくない。「大航海時代は、ポルトガル・スペインが異教徒の陸と海を、ローマ教皇の贈与により領有した。厳密にいうならば潜在的に領有した。……海洋領有の観念は大航海時代になって初めて出現したわけではない。たとえば、かつてヴェネツィア人はアドリア海に対し、ジェノヴァ人はリグリア海に対して支配権を主張した。地中海だけではない。北海に対しても、イングランドやノルウェーによって同様の主張がなされた」(高瀬弘一郎著「大航海時代とローマ教皇の権限」―中村質編『鎖国と国際関係』吉川弘文館 1997年 P.53)と言われる。
 だが、大航海時代のスペインやポルトガルに対して、オランダやイギリスが激しく反発する。オランダのグロティウスは、1609年に『自由海論』を著わし、“海洋は自然法によって万人の使用に開放されている”と主張する。
 ところが、やがてイギリスは、自国沖合で操業するオランダ漁船を閉め出すために、一転して「自国に近接する海域の領有」を唱え出す。
 海洋権論争の結果、海洋を、国家の海岸に近接する沿岸海と、その外側の外洋とに分けた。そして、前者を領海としてその国の主権に属し、後者を公海としてすべての国の自由な使用に任された。こうして、19世紀には、「公海自由の原則」は、一般国際法の基本原則となった。(EEZは新しく、1982年の「国連海洋法」で設定された)

         九段線は国際海洋法たりうるか
 前述の易先良副局長は、九段線が「1982年の国連海洋法条約が署名される半世紀近く前からあり、歴史は古い」2)とし、「歴史的に形成された中国の権利である」と主張している。
 だが、そもそも国際海洋法が多国間で採択されるのは、海洋での国際紛争を未然に防いだり、紛争が生じた場合の解決基準を示したりするものである。自国の主張が古いからと言って、他の国々が承認しないかぎり、それが国際海洋法的な役目をはたすわけではない。古いという理由だけで、国際海洋法に優越するものではない。

   (3) 米英帝の戦後処理は公正か

 2中総の「日中関係決議案」は、「……また、西沙・南沙諸島については、第二次世界大戦の戦後処理としては中国の領有権主張に分があると考えられるが、中国がいわゆる『九段線』を根拠として、南中国海のほとんどを領海等と見なすならば、これは不当である。……」と規定している。
 しかし、筆者は下線部は不要であり、誤解を生ずるものであるので、修正すべきと考える。
 その理由は、以下の通りである。

         公正・対等の条件なき有利・不利論
 第一は、領土・領海紛争に関しては、一般的には、直接関与しない国(同じく人々も)は、特定の国の主張を支持・不支持したり、またそれを示唆したりすることを行なうべきでないからである。
 直接関与しない国(同じく人々)が特定国を支持・不支持することで、直接関係する国々の話し合い解決を複雑にし、混乱させるからである。ましてや、今回の決議は我が党の公式見解であり、単なる個人の論評に留まらないものである。
 第二に、「中国の領有権主張に分がある」との根拠を、第二次世界大戦の対日戦後処理に求めることは、不公正だからである。
 今日、いわゆる「西沙・南沙諸島の領有権」をめぐる紛争の当事国は、中国、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、フィリピンである。この内、1945年、日本帝国主義の無条件降伏の時に、完全に独立していたのは中国のみであった。ベトナムはフランスの、マレーシア・ブルネイはイギリスの、フィリピンはアメリカの植民地であった。
 確かに、対日戦後処理は日本帝国主義の植民地主義などを一掃した。しかし、米英仏帝国主義の植民地支配は清算しなかった。したがって、置かれた立場と条件が根本的に異なる中国とこれら諸国とを比較することは、国際政治において、とても公正であるとは言えない。
 このような状況下で、対日戦後処理は米英帝国主義のヘゲモニーによって行なわれたのであり、そのような戦後処理をもって「中国の領有権主張に分がある」と評価するのは公正ではなく、賛成できない。
 トラック競技でいえば、中国以外の関係国は、スタートラインに立つことはおろか、エントリーさえできなかったのである。一般的に言って、物事の優劣あるいは事態の有利・不利を比較し論ずる場合は、当事者が対等に扱われ、公正に論じられるべきである。

        国境線廃止への一歩踏み出すべき
 第三は、対日戦後処理は、米英帝国主義が裁定したものであるというだけでなく、歴史上の一時的力関係を示しているだけにすぎないからである。
 歴史的にみると、国境線(領土、領海)は、主要に、大国・強国・帝国主義国によって、絶えず変更させられてきた。だが、共産主義者は、歴史的な既成事実をそのまま受容するべきではなく、正義と公正の見地から関係国が紛争案件を話し合いで解決しうるように環境づくりに貢献すべきである。
 「中国大陸の南方海域」の島嶼は、歴史的に見ると、経済環境と経済的合理性からみて、太古から(国家形成以前から)一般の人民が定住することがなかったとみることができる。特定国家の人民が長期にわたって定住したということは、筆者は寡聞にして未だ耳にしない。ただ、関係諸国の人民が、漁業活動のために一時的に拠点にしたとみられる。
 かつて帝国主義者は、「無主先占の法理」をもって、このような島嶼まで武力で占守・支配する弱肉強食主義を横行させた。この傾向は、今日でも決して無くなっているわけではない。
 私見では、このような島嶼については、国家帰属を無理矢理に推し進めるのではなく、なんらかの国際機関の管理下において、共同運営すべきである。国家の廃止・死滅を長期目標とする共産主義者は、率先してその実践に踏み出すべきである。(以上) 

注1)「直線基線」とは、「国連海洋法」によると、「海岸線が著しく曲折しているか又は海岸に沿って至近距離に一連の島がある場所においては、領海の幅を測定するための基線を引くに当たって、適当な地点を結ぶ直線基線……」(第七条1)をいう。この領海の基線の陸地側の水域を「内水」という。
2)この発言は、1947年に制定された十一段線よりも以前に、つまり1930年代ころから既に同様の考えがあったことを示す。実際、1939年に「世界輿地学社」から発効された「中華国恥図」と題された地図には、当時の中国国境線の一部として、現在の九段線や十一段線に類似したU字線(段線ではなく実線で)が描かれている。この地図は、『境界研究』№1のP.13に転載されている。