伊勢志摩サミット断固反対!
  米超大国の覇権のかげりを、戦争で補完する安倍政権   

 来たる5月26~27日、三重県志摩市賢島において、第42回先進国首脳会議(サミット)が開催される。われわれは、これに断固として反対する。
 サミットは1975年に第1回会議が開催され、超大国アメリカの覇権のかげりを他の帝国主義諸国が補完し世界支配秩序を維持するという目的で開催され、合わせて相互の利害調整を行う場として機能してきた。初期のころは経済問題が主要議題であったが、今回のサミットでは軍事問題が前面化している。それは超大国アメリカの覇権の衰退が軍事領域に及んできており、他のサミット諸国の軍事的補完を切実に必要とする時代を迎えているからである。ちなみに世界経済問題はいまやG7サミットでも手に余り、新興国をも取り込んだG20 によって対応するようになっている。
 こうしたことから伊勢志摩サミットの主要議題は、「対テロ」戦争、「対中国」牽制、「対朝鮮」制裁なのだ。戦争法を手にした安倍政権は、この機会に議長国としてサミットを主導し、アメリカの覇権を補完する軍事大国として、内外に日本を認知させようとしているのである。
 「対テロ」戦争は、当面「イスラム国」等を相手とする戦争であるが、その本質は国境をこえた民衆に対する戦争である。それはアメリカやフランスにおけるごとく、国内の民衆に対する戦争も構成部分とならざるを得ない。日本政府は、サミット「厳戒態勢」でこれに着手し、各種治安立法や「非常事態条項」改憲などで、それを法制的に確立せんとしているのである。
 「対中国」牽制は「自由の航行」作戦という形で、「対朝鮮」制裁は史上最大規模の米韓合同軍事演習や国連制裁決議などの形で展開されている。これに安倍政権も軍事的対中包囲外交、辺野古新基地建設・琉球列島軍事要塞化、朝鮮に対する独自制裁強化で呼応してきた。
 伊勢志摩サミットは、「対テロ」「対中」「対朝鮮」の軍事協力を約し宣言する場になろうとしているのである。また我々は、サミット開催地を伊勢神宮と結びつけた安倍政権の意図を見落としてはならない。天皇制の強化は、侵略戦争の遂行と不可分だからだ。
 検討中といわれるオバマ広島訪問も、決して「核廃絶」のためではない。それは、核クラブ以外の諸国の核開発や核拡散を許さないというメッセージを発するためであり、アメリカの核独占(軍事覇権の核心)を維持するためのパーフォーマンスに過ぎない。その矛先は明示的には朝鮮に、隠された形で日本に向けられたものであり、日本政府はこの訪問をセットすることで、アメリカに対して二心の無いことを明らかにし、アメリカの核の傘の下での軍事同盟を政治的に打ち固めようとしているのである。
 
  この間の闘いの限界

 安倍政権は、こうした伊勢志摩サミットを成功させることで、違憲の戦争法問題での国論分裂状況を突破し、侵略戦争への道を政治的に開こうとしているのだ。このような危険なサミットと安倍の策謀を、東アジアの人々・オール沖縄と連帯して打ち砕いていこう。
 昨年の闘いは、中間層の高齢者を主力とした闘いであった。非正規・失業労働者が層的に登場することはなく、職場・学園における国家と資本の日常的支配が維持されている上で闘われた。学生の登場が脚光を浴びたが、高齢者の闘いと同様、この現実の上でのことだった。
 とはいえこの現実は、アベノミクスに資金供給された金融バブルによって支えられていたに過ぎない。今日の国家と資本主義は、社会と人間を壊し続けており、東アジアを震源とする金融バブルの崩壊がそれを表面化させずにはおかない。2015年安保を超える闘いの準備が求められているのだ。
 伊勢志摩サミットで演出される集団帝国主義によるグローバルな戦争挑発政治は、それが極めて強力であり、また民主主義や人権の言葉で飾られているだけに、民衆の間の萎縮・不問化・同調を助長しているが、反面で、資本主義・帝国主義に対抗する人々を密集させもする。差別排外主義を打つ返す闘いが鋭く問われる。われわれはその中で、次の決戦への準備をしていかねばならない。

  民衆の「第三極」へ

 われわれは今、歴史の曲り角にいる。
 産業の発展とそれを支えた政治体制は、すでに過去のものだ。世界史的に産業成熟段階に到達した中で、アベノミクスが「新産業」と「経済成長」をもたらさずに破産したのは必然である。物質的豊かさを追求した時代、物質的生産力を増大させるために人と人、人と自然の関係性を犠牲にしてきた鉱工業文明時代からの転換が求められている。国家と資本主義を廃絶する課題が浮上せずにはおかない。すでに国家と資本主義は社会を崩壊させていくシステムへと転化しており、そのことを「対テロ」戦争という形で集中的に表現しているのだ。
 このような時代において支配階級は、アメリカ一辺倒をやり、産業から遊離・肥大化する投機マネーに奉仕し、新自由主義政策を露骨に推進して社会が壊れても構わないとする「第一極」と、進行する社会の崩壊に不安をつのらせ、ますます生きていけなくなる民衆との間で政治的に動揺する「第二極」とに分裂していく。その中でいま問われているのは、労働者民衆が社会を崩壊させ人間を破壊する旧いシステムを解体し、共生と協同の社会の創造を目指す「第三極」を立てることである。
 来たる7月には参院選挙がある。安倍政権を打倒するには、ここでの勝利が重要だ。4月の北海道5区衆院補選は、僅差で敗北したにせよ、安倍政権に対抗する野党共闘の意義を確認させるものとなった。韓国総選挙での朴政権与党の大敗に続いて、安倍政権を敗北させることは可能だ。
 同時にわれわれは、大衆闘争による安倍政権打倒の道を拓いていかねばならない。巨大な大衆行動を背景に、労働者民衆自身の政治勢力(「第三極」)を展望しよう。伊勢志摩サミット反対の闘いは、そうした政治構想の実現を目指す一歩でもある。成功させていこう。