大阪・釜ヶ崎
 第46回釜ヶ崎越冬闘争闘い抜かれる
  雇用も生む地域内「臨泊」

 12月28日の越冬闘争突入集会から、1月4日の「お礼まいり」(大阪府市への要望書提出行動)までの第46回釜ヶ崎越冬闘争が、釜ヶ崎労働者の団結した力、そして全国の仲間の支援・参加で勝利のうちに闘い抜かれた。
 釜ヶ崎越冬闘争とは1970年、全港湾西成分会有志や闘う仲間によって、冬の寒さが厳しい中、行政の窓口が閉ざされる越年期、仲間どうしが支え合い生命を守り抜く闘い、いわば釜ヶ崎の闘いの「原点」として始まり、闘い継がれて来た。
 46回目の今回も、10月下旬、釜ヶ崎日雇労組をはじめ、日頃釜ヶ崎で責任をもって活動している団体・個人によって実行委員会が結成され、全国の仲間の支援・参加に支えられ、「仲間内の団結で一人の餓死・凍死者も出すな!」を合言葉に闘い抜くことができた。
 今越冬闘争の特徴の第一は、地域内での「臨泊」を実現できたことである。
 越年期、行政の唯一の施策である「臨泊」は、治安対策として当初は市内各施設での「分散型」から始まり、長らく「南港臨泊」として行なわれてきた。「釜ヶ崎で年を越させろ!」は、釜ヶ崎労働者の長年の願いであった。
 今回から完全に地域内で「臨泊」を実現でき、451名の仲間が利用した。生活保護への包摂が進み、「臨泊」の利用者は年々減り続けていたが、「地域内臨泊」の実現によって、「南港なら行きたくない」と考えていた仲間も利用する様になった結果、利用者は増大した。また、「新シェルター」での「臨泊」をNPO釜ヶ崎支援機構が行なうことによって、従来であれば「臨泊」の利用者であった80名の仲間が、今回はスタッフとなり、延べ400名の雇用が実現できたのである。
 しかし他方、医療センター前での集団野営をふくめ、地域内では150名前後の仲間が、路上で年を越さざるをえなかった。この中のかなりの数は、生きるために新たに釜ヶ崎にたどり着いた若い仲間たちであった。
 特徴の第二は、具体的な闘いをつうじた共闘体制の拡大だ。
 今回も「突入集会」に、日本軍「慰安婦」問題関西ネットワークの仲間たち、大阪で辺野古新基地建設阻止を闘う「大阪行動」の仲間たち、高浜原発再稼働に反対する「若狭の家」の仲間たち、そして沖縄現地からも「辺野古カヌー」の仲間が駆けつけてくれた。
 また期間中に、石川一雄さん夫妻とともに東京高裁前で狭山再審を求めて闘う野島ミカさんも駆けつけてくれた。「狭山・釜ヶ崎住民の会」をつうじて関係を深めてきた仲間も駆けつけてくれ、こうした仲間たちに支えられて再審要求の署名活動を行なうことができた(越年期間中に120を超える署名が集まった)。
 特徴の第三は、若い仲間の支援・参加の拡大だ。
 「学生企画ネットワーク」からは、今年も150名の仲間が参加してくれた。また、前回から始まった「SINGO☆西成」のライスカンパの呼びかけには、多くの若者たちが米持参で三角公園に集まってくれた。その数は、事前の郵送分も含めて156名、1548キロにのぼった。
 こうした釜ヶ崎越冬闘争の勝利をもって、1月11日「日雇全協総決起集会」に結集し、全協各支部の仲間たち、更には全国で炊き出し・夜廻りを行なう仲間たちとの交流・団結を深め、下層・非正規の仲間たちの反失業闘争の前進を誓い合ったのである。(釜ヶ崎S)


釜講座「1・3釜ツァー」
 シェルター臨泊での協働を見学

 「あなたと釜ヶ崎をむすぶ」市民団体・釜ヶ崎講座は、第46回釜ヶ崎越冬実行委に参加し、「12・30講座行動デー」「1・3越冬釜ツアー」の2つをメインにしながら、全力で行動した。
 とりわけ1月3日の釜ツアーは、昨年に続いて「臨泊」が釜ヶ崎地域内でやり抜かれる中、釜NPOの配慮で、新「北シェルター」の見学を行なうことができ、その実態を知ることができた。シェルターでは、地域の労働者が臨泊利用の仲間をケア・支援し、かいがいしく働いている姿を見せてもらい、団結と協働の力を肌で感じとることができた。
 さて、越冬闘争期間中は比較的温暖な毎日が続いていたが、この記事を記している昨今は、釜ヶ崎にも強烈な寒波が押し寄せている。それで、釜ヶ崎反失業連絡会に結集する諸団体によって、野宿労働者への連日の夜廻り行動が継続されている。
 今なお、シェルター利用者も含め、500名を越える仲間が野宿を余儀なくされている中、「特掃」の充実化を軸とした仕事の仕組み作り、その具現化が急がれている。釜講座は本年も、反失連を軸とする釜ヶ崎の闘いの前進に呼応しつつ、さらに研鑚を重ねていくだろう。(関西I通信員)


東京・山谷
 1・11日雇全協反失業総決起集会
  新たな日雇労働戦線めざし

 1月11日、東京・山谷の玉姫公園にて、「佐藤さん31ヵ年・山岡さん30ヵ年虐殺弾劾、1・11反失業総決起集会」が、全国日雇労働組合協議会の主催で開かれ、2016年の闘いの幕を明けた。
 集会は、山谷争議団の荒木さんの開会宣言に続き、佐藤さん、山岡さんへの黙祷から開始された。
 基調報告がなされた。1980年代の労働運動の帝国主義的再編、天皇主義の攻撃が強まる中、これに抗して1981年日雇全協が結成され、全国の寄せ場の闘いを拠点に全戦線で闘いぬき、日本階級闘争の前進のために奮闘してきた。まさにこの為に、資本・権力は国粋会金町一家という天皇主義右翼をして、佐藤さん、山岡さんを虐殺した。我々はその階級的報復を誓って闘い続けた。そして今日、世界資本主義の行き詰まりの中、改憲クーデター政権・安倍政権を打倒し、沖縄・反原発で勝利し、21世紀の大闘争を形成しなければならない。本日の闘いは、その第一歩であると報告された。
 連帯発言が、たんぽぽ舎、被曝労働を考えるネットワーク、差別排外主義と闘う連絡会、争議団連絡会議、全労協・神奈川県央共闘、、そして滞日外国人労働者と共に闘っているAPFS労組、また、経産省前「テントひろば」などから行なわれた。野宿者支援では、渋谷越冬実行委、立川のサンキュウハウスなどが発言した。
 最後に、当該の全協各支部の発言。釜日労、名古屋越冬実行委、寿日労、山谷争議団より決意表明が行なわれた。釜日労は、大阪維新府政の特区構想との闘いを報告しつつ、安倍戦争内閣を大衆的実力闘争で粉砕しようと訴えた。山谷争議団からは、「日雇全協結成から今日までの総括を行ない、新たな戦線の構築を目指して闘おう」との提起があった。
 これらの発言を全体で確認し、デモ行進に出発。仲間たちは山谷の街を席巻して、新春の闘いの火蓋を切ったのである。(東京Y通信員)


高浜原発再稼働を許すな!全国から1・24現地、1・27関電本店包囲
 闘志は衰えない、安倍打倒へ向かう

 1月27日、「高浜原発再稼働を許さない!関電包囲全国行動」が大阪市北区の関西電力本店前で行なわれ、全国から約400名が集まって、近日中に再稼働のボタンを押そうとする関電に中止を迫った。
 午後4時から始まった集会は、平日にもかかわらず北海道から鹿児島まで、各地で原発と闘ってきた仲間が参加し、その顔は勝利の確信に満ちている。昨年の川内原発再稼働を許したとしても、脱原発の闘志はいささかも衰えていない。
 「若狭の家」の木原さんから、1月24日の現地闘争(福井県高浜町)の報告がなされた。町の路地裏を廻り、この2年間で70回以上の現地情宣が行なわれている。その成果か、24日には高浜原発ゲート前には、当該地域の京都や滋賀、また東京や鹿児島からも仲間たちが300人以上集まった。残雪の中、町内を細かくデモ行進。幾人もの住民が手を振って応えてくれた。このデモ時点で、参加者は600人に膨れ上がっている。高浜原発北門で職員に、「事故が起これば、関西一円に被害は及ぶ。再稼働を即時断念すべき」とする、八木誠関電社長への抗議申入書を手渡した。
 その後、高浜町民会館では約600人で屋内集会も開かれ、福井県の住民らが「電気の消費圏の住民も、自分のこととして考えてほしい」などと訴えた。
 さて、これらの運動が27日には関電本店前に集まっている。参加団体は40を超え、これらの人々がリレーでアピールした。各発言は、大地にしっかりと根を張ったように充実していた。
 高浜原発3号機の危険性は、もう言うまでもないだろう。危険な加圧水型でMOX燃料を使用し、原子炉はすでに39年が経過し老朽化が激しい。地震動の算出基準、蒸気発生器細管などの耐震性評価が大きな問題となっている。原子炉につながる高濃度に汚染された配管、不燃処理されていない20キロとも言われる配線。
 また、避難経路は曖昧で、住民の6割が再稼働反対と意志表示している。周辺自治体は無視、立地自治体の住民にも、規制委員会は何ら説明していない。
 そして原発再稼働問題では、被ばく労働を余儀なくされている労働者のことは考慮されていない。原子力規制委員会の「審査」は、働く人間を無視している。
 今や再稼働をめぐる闘いは、原発ベースロード電源計画で安全を無視する、安倍政権の経済成長戦略との政治的な闘いになっている。再稼動が原発輸出とリンクされ、安倍の富国強兵・戦争国家路線の一環となっている。
 原発再稼働の申請が14原発21基という現状をふまえ、一歩も引かず、広範な反原発戦線の隊伍を固め、それらを安倍政権打倒の奔流としようではないか。(関西M通信員)