強行成立糾弾!2015年安保闘争は止まらない
  大衆闘争で戦争法廃止・安倍打倒へ


 違憲立法の安保法制は、9月30日に「公布」され、自衛隊の戦闘準備を整えて半年以内に「施行」されるという。自衛隊が海外で戦闘に突入する前に、一日も早く、この戦争法を廃止し、14年「7・1閣議決定」を撤回させなければならない(それによって日米改定ガイドラインは空文化する)。
 このかんの大闘争によって、議会政治では、野党5党(民主、共産、社民、生活そして松野維新)と、与党および追随者(自民、公明、次世代そして大阪維新)との対決二分状況が生み出された。それで日共も、「自共対決」の標語を引っ込め、野党協力の新提案を出さざるを得なくなった。憲政が異常事態に入る中、戦争法廃止を主眼とした「政権交代」が問われる情勢となったのである。
 このかんの主役、直接民主主義のほうはどうなるのか。選挙モードが強まる中、直接民主主義(大衆闘争)を、間接民主主義(選挙・議会)の補完に封じ込めようとする動きは強まる。「民主主義って、何だ!」、その闘いの真価は、これから問われるだろう。(編集部)


  決戦序盤

 安保法制法案は、9月17日の参院特別委員会で、採決の体を成していないデタラメな強行「採決」が行なわれ、19日未明に参院本会議で強行成立という事態となった。
しかし参院段階の全過程で、労働者人民の闘いは全国的に高揚を維持し、東京の国会前では天候に恵まれない日が多かったが、安倍打倒・法案阻止の人波が連日国会正門に迫り続けた。それで、成立後も人々の敗北感は小さく、安倍打倒はこれからという闘志のほうが勝っているのではないか。「9月最終決戦」を振り返ってみよう。

9月6日、反戦実(集団的自衛権法制化阻止・安倍たおせ!反戦実行委員会)がデモ行進を昼に行なった(前号既報)新宿では、夕方から歩行者天国の大通りで、シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)と「安保関連法案に反対する学者の会」の共催による「学生と学者による街頭宣伝行動」が行なわれ、雨の中、大混雑となった。民主、共産、社民の代表者の他、元公明党幹部の二見伸明氏も発言した。
9月9日、日比谷野外音楽堂では、総がかり実(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)の主催により、来週参院強行採決阻止の決起集会。台風による大雨にもかかわらず5500人(主催者発表、以下同)が参加し、国会と銀座方面へのデモ行進も貫徹した。ずぶぬれになって参院決戦の決意を示した。
 9月12日、辺野古国会包囲が総がかり実の協力を得て行なわれた。翁長知事の埋め立て承認取り消しと、戦争法案阻止で安倍を倒すのだ(記事2面)。

  9・14国会前

「9月最終決戦」の山場は、大衆闘争の観点からみると、参院特別委の強行採決を阻もうとした9・14と9・16の国会正門前の大行動にあった。
9月14日、総がかり実の主催で「戦争法案廃案!安倍政権退陣!9・14国会包囲行動」が行なわれ、4万5千人が押し寄せた。包囲中心の正門前では、8・30の12万人参加時と同様な大結集であった。
警察は8・30の時の対応とは異なり、鉄柵バリケードを延々と繋いで、国会前車道を完全封鎖。しかし集会開始の前から、正面坂道の両側歩道の各所からは、「道路をあけろ!」のコールが自然発生的に起きている。8・30を経験した人々は、もはや歩道に押し込められることをガマンしなくなっている。
午後6時半に集会が始まり、野党4党(民主、共産、社民、生活)が連帯挨拶。生活の玉城デニー衆院議員は、「ベトナム戦争では沖縄は、B52による北爆の出撃基地となり、悪魔の島と呼ばれた。安保法制案が成立すると、日本全体が悪魔の島になる」と指摘。続いて大江健三郎さん始め各参加者の訴え、鎌田慧さん(戦争させない千人委)は、「この闘いを続けねばならない。60年安保闘争は岸政権を退陣させたが、その後の池田政権の所得倍増政策によって負かされたといえる。今後の闘い方が重要だ」と述べた。
おもに坂道下から参加者がますます増えてきて、歩道が限界となる。不穏な雰囲気の中、7時頃に機動隊のカマボコ車(装甲バス)が両車線に入り、車列の壁を作った。これは参加者を威圧しつつ、全10車線中の6車線を最低限守ろうとしたとみられる。人々は「装甲車が来た!」と叫んだ。
しかし人々はこれにひるむことなく、「道路をあけろ!」の声はますます高まる。各所で鉄柵を挟んで人々と警官隊の押し合いが発生、7時20分頃に各所で鉄柵は倒され、人々は車道になだれ込む。たちまち全車線は人々で埋められ、カマボコ車列も人民の海に没してしまった。制服の機動隊もかなり多く配置されていたが、人々が圧倒的な数の多さで押し切った。時を同じくして、8・30時には決壊しなかった憲政記念館側車道にも人があふれ出た。
8・30に次ぐ二度目の車道解放、大衆的な実力による国会前占拠の実現であった。ステージから急きょ高田健さんが発言、「実行委員会は皆さんの行動を支持します。これは、警察が不当な規制を行なっているからです。しかしお年寄りやお子さんもいます。整然たる行動をお願いします!」と。
 9月15日の午後、参院特別委で中央公聴会が行なわれた。強行採決のための通過儀礼であるが、野党推薦・公述人として、奥田愛基さん(シールズ)や小林節教授(慶応大)が廃案を訴えた。

  9・16国会前

参院特別委で採決が予定されていた9月16日の正門前大集会は、15日(1万5千人)を挟んで、もう一つの山場となった。院内では民主党議員などが廊下に座り込んで抵抗し、院外では3万5千人(夜9時発表)が正門に迫った。
このなか正門前で、13名が不当逮捕された。ステージからも、「逮捕者が出たようだ。過剰警備をやめろ!」の声が出された。(逮捕者の内、勾留が続いていた学生ハンスト実行委の2名は、25日に釈放を勝ちとった)。
正面坂道のほうでは、警察は早々と夕方から装甲バス車列を完成させ、屈辱の9・14を再現させない構えであった。それでも集会開始の午後6時半以降、押し合いと鉄柵倒しは発生、警察は両側2車線ずつを開放せざるを得なかった。ステージの高田健さんも、「カマボコ車をどけろ!」と叫んだ。(17日、18日は、この部分開放措置がむしろ警察ペースで行なわれ、制服機動隊大量投入を併せて、権力がコントロールを回復したと言える)
16日の昼、横浜での地方公聴会は、大荒れの闘いとなった。数千人が会場のホテルを包囲し、閉会後は、与党委員を国会へ返すな!と人々は会場前の道路に寝ころがり、ごぼう抜きされても、また座り込んで抵抗した。
こうした闘いによって、与党は16日の内の強行採決をできなかった。

  決戦終盤

 17日、院内では鴻池委員長に不信任動議が出され、空転。午後四時半ごろ、動議を否決して鴻池が戻って来るや否や、議場は大混乱へ。これが「採決」なのか、無効だ。この日の正門前集会は、これに徹底抗議して3万人。
 18日は、参院本会議の採決阻止をかけて、4万人(午後7時半発表)。維新を加えた野党5党が、衆院に内閣不信任案を提出して抵抗したが、夜8時に否決。与党は19日になってようやく参院本会議再開に持ち込み、院内外で闘いは最終局面となった。国会内外での闘いが弱ければ、9・18、すなわち日本軍の中国全面侵攻開始の日(柳条湖事件)に戦争法案が成立するところだった。自公の歴史感覚はどうなってるんだ。
 19日午前2時18分、戦争法案は参院で、自民・公明・(および次世代・元気・改革)の賛成、民主・維新・共産・社民・生活・無所属クラブの反対によって可決され、成立した。国会前では、多くの人々が午前3時近くまで集会を続け、「違憲立法は無効だ!」と抗議した。総がかり実は19日、強行採決に断固抗議し、「戦争法のすみやかな廃止を実現し、その発動を阻止する」との声明を発した。

  今後は?

 強行成立以降も連日、各団体・個人によって、国会前・全国各地で行動が続いている。各共同行動は形を変えつつ続行されるだろう。反戦実も、「戦争法廃止・安倍たおせ!反戦実行委」として継続される。また、戦争法の無効を問う大型の違憲訴訟も準備されるなど、創意工夫ある闘いが続くだろう。
 9・22の首都圏反原発連合を中心とした国会行動につづき、9・23には一千万署名系による代々木公園の大行動が成功し、反原発・戦争法廃止の号砲が上げられた(記事3面)。
総がかり実は、これまで続けてきた国会前毎木曜行動を、戦争法廃止を迫る毎木曜行動(午後6時半)として再出発させる。その第1回目として9月24日に国会正門前集会が行なわれ、5千名と野党4党が参加した。
 安保国会は9月25日で事実上閉会となり、議会野党間では来年7月参院選へ向けて、選挙協力の駆け引きも盛んになっている。労働者人民にとって、戦争法廃止を軸に野党に選挙協力を求めるのは当然だが、選挙頼みの安倍打倒でよいのか? このかんの情勢を動かしたのは、大衆闘争であった。大衆闘争を基礎に、闘争全体をどう継続・発展させていくのか、おおいに検討が必要だ。(編集部W)