「安保国会」闘争の大高揚へ!
 反戦実、総がかり実は、国会前行動をいかに闘いつつあるか

 四月二七日に日米防衛協力指針の改定が強行され、安倍首相らが米国から帰国、以降、この新ガイドラインと昨年「7・1閣議決定」を法制化せんとする安保法制法案、これを最大の眼目とする後半国会が始まった。
 集団的自衛権行使の解禁など戦後の日本の安全保障政策を大転換させるのか、否かが懸かった安保国会である。60年安保・70年安保闘争と同等以上の、「戦争法案」を許さない闘いが望まれる。

  許すな!戦争法案5・12集会

 出だしの行動は、総がかり行動実行委による「5・12集会」であった。
 安保法制諸法案の閣議決定・国会提出が五月十四日にもくろまれる前々日、東京・日比谷野外音楽堂で開催された「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!5・12集会」である。あいにく台風が近づく中で2800人程度の結集にとどまったが、一連の戦争法案阻止闘争の火蓋が切って落とされた。
 主催の「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は、市民団体などによる「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」、平和フォーラムが主力の「戦争をさせない1000人委員会」、全労連や憲法会議などによる「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」の三者によって構成される。
  集会は最初に、主催者挨拶を鎌田慧さん(1000人委員会)。「安倍政権は戦争を平和と言いくるめ、自衛隊員の命をアメリカのために捧げようとしている。我々は絶対にそれを許さず、5・6・7月を闘い抜こう!」と訴えた。
 政党からは、民主、日共、社民、生活の党と山本太郎と仲間たち、沖縄社会大衆党が挨拶。生活の党の玉城デニー衆院議員は、「辺野古新基地建設は不可能、それを示したのが、昨年十一月知事選をはじめとする沖縄での四つの選挙だ。」「この集会には、小さな違いを超えて、戦争を認めない人々が集まっている。そのように団結すること、それが、このかんの沖縄の真髄だ。希望ある社会を若い人たちに渡すために共に闘おう」と訴えた。
 ゲストスピーチの暉峻淑子さん(埼玉大学名誉教授)は、「一人になっても安倍政権に反対しなければならない。心の底から戦争に反対する根拠を、一人ひとりが持つことが大事だ」と戦中世代の体験から訴えた。
 連帯挨拶では、山岸良太さん(日弁連憲法問題対策本部)が「戦争は最大の人権侵害」と述べ、憲法学の清水雅彦さんが、六月上旬に研究者の広範な反対声明を出すことを報告した。
 最後に、五月十四日・朝8時からの閣議決定阻止・首相官邸前行動、二十一日からの毎木曜・国会前行動、二四日の辺野古国会包囲、6・14国会包囲全国集会などへの結集が呼びかけられた。
 参加者は「戦争させない」「9条プラカード・アピールを行なった後、銀座方面へパレードを行なった。ひどい風雨が始まったが、戦争法案反対を訴えて最後まで行動を貫徹した。

  5・11~15議員会館前座り込み

 以上の総がかり行動実行委による5・12に先駆け、「集団的自衛権法制化阻止・安倍たおせ!反戦実行委員会」(略称・反戦実)の人々は、五月十一日から国会前闘争の先陣を開いていた。反戦実の主催による「5・11~15国会議員会館前座り込み」の闘いである。
 この反戦実は、「9条改憲阻止の会」の呼びかけで諸団体・個人が集まり、今年一月に結成された共同行動。その中心といえる改憲阻止の会は、60年・70年安保闘争世代の人々が、9条改悪だけは黙ってられないと、運動から遠ざかっていた人も再起して、2006年に作ったもの。07年の改憲国民投票法案反対・国会前座り込みが、その代表的な闘いであった。
 「座り込み」は、基本的には座っていれば良いのであるから、シルバー世代向けの闘争形態といえる。しかし、国会前で一週間も二週間もほぼぶっ続けでやるというのは、車両を含めた器材、宣伝物、連日の要員の確保など、どの団体でも簡単にできると言う訳ではない。今回、阻止の会、反戦実は、それをやりきった。
 五月十一日の衆院議員会館前、反戦実の連日(午前十時から午後四時まで)の座り込みが始まった。青い横断幕「集団的自衛権行使容認を許すな!安倍政権を打倒しよう」が張られ、黄色いノボリ「安倍をたおせ!」が翻える。
 この初日には、香港のテレビ局が、座り込みの実況中継に来た。戦争法案の行方に、アジアが注視していることの証左である。
 反戦実が座り込みを続ける中、十四日・午前の首相官邸前では、総がかり実による戦争法案閣議決定反対行動が約500人で闘われた。その日の午後、安倍政権は閣議決定、翌日に国会提出を強行した。
 また、この十四日・昼の銀座では、戦争法にレッドカードを!女たちのパレードが、女性団体の連携で行なわれ約800人を集めている。
十五日には、反戦実の座り込みの隣りで、連合による労働法制改悪反対の国会前座り込みが約800人で闘われた。連合中央としては派遣法・労基法改悪に反対しても、戦争法案のほうは知らんぷりであるが、この日の連合座り込みの各発言では、戦争法案に反対し、その非正規増大との関連を指摘する声も出されていた。
反戦実は、国会審議が始まる翌週からは、反対側の正門前に転戦、「5・18~24国会正門前座り込み」に突入した。
議事堂を正面から見据える正門前というのは、そこで座り込み行動、というのは聴いたことがないのである(ずっと過去は知らないが)。正門前は、反原発や沖縄反基地の国会包囲行動では、行動の中心地となる。しかし普段は運動関係者は、議員会館や議員面会所がある国会裏側にしか行かないのである。
国会警備員や警察はどう出てくるか。議員会館前でも、警備員が(ノボリの固定などで)うるさい時がある。そもそも国会のどちら側にせよ、国会敷地側歩道からは排除、という不当規制が続いているのではあるが。

  5・18~24国会正門前座り込み

五月十八日午前十時、国会正門前、無事に布陣完了。正門前は意外と、小中学生の国会見学や「はとバス」などで賑わっている。市民ランナーも走っている。宣伝のし甲斐がある。
反戦実座り込みは五月二四日まで、計12日間打ち抜かれた。連日、短時間の人も含め20人以上が参加というところか。反戦実としては健闘と言えるが、反戦実の座り込みが呼び水となって、国会前にどんとん人々が集まってくるという状況には至っていない。総がかり実をはじめ、運動全体のエンジンの掛かりが遅すぎる感がある。
座り込み最終日は、辺野古新基地阻止5・24国会包囲行動(記事1面)の日である。反戦実は、正門前で座り込みのまま、午前十一時からは独自集会を行なった。集会では、5・17沖縄県民大会の上京要請団の一員である、安次富浩さん(ヘリ基地反対協)からのアピールも行なわれた。
国会包囲行動は、1万5千人を集めて大成功した。反戦実は、この一角を担いきって、沖縄連帯でも存在感を示したといえる。直面する情勢は、辺野古の埋め立て阻止と、戦争法案反対とが一体の闘いとなった決戦局面である。

  総がかり実の毎木曜国会前行動

総がかり行動実のほうは、どうだったか。5・12野音、5・14官邸前に続き、五月二十一日から毎木曜の戦争法案反対国会前集会が開始された(午後6時半、衆院第二議員会館前)。この5・21国会前に約850人、衆院審議入りの五月二六日の昼には、審議入り抗議の国会前緊急行動が打たれ約900人。
毎木曜の2回目の5・28国会前は、1000人余の結集であった。参加者は、衆院特別委員会の審議で次々と出てくるデタラメ答弁を、つよく非難した。
総がかり実の行動も、だんだん参加者は増えてきているが、今のところ参加団体の枠をこえた波及とはなっていない。その参加団体も大所帯のところは、まだ本気になってないんじゃないか。
また、総がかり実の行動では、野党議員の国会報告が直接聞けるのはメリットだが、院内情勢に行動が規定されかねないとも言える。他方、反戦実のチラシでは、「直接民主主義の発動」が強調されている。国会審議があって闘いがあるという訳ではない、主権者である我々が直接に主権を行使せよ、と言うことだろうか。
総がかり実にせよ、反戦実にせよ、「6月決戦」6・24会期末に向け、急ピッチで情勢を打開しなければならない。不特定多数の個人や少数グループが、予測不可能に集まってくる情勢、それは原発反対の高揚期(2011年9・19明治公園~12年6・29首相官邸前~7・16代々木公園)に見られたが、そうした情勢を戦争法案反対で勝ち取らねばならない。
六月中旬から下旬は連日ぶっ続けの、反戦実、総がかり実の総決起での、国会包囲の座り込みだ!(W)