止めよう!辺野古新基地建設5・21国会包囲行動に1万5千
  「本土」民意も辺野古NO!

 五月二四日、国会周辺では午後二時から、「止めよう!辺野古新基地建設 許すな!日本政府による沖縄の民意の圧殺を 5・24首都圏アクション国会包囲ヒューマンチェーン」が行なわれ、約1万5千人が国会を包囲した。主催は、沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、沖縄意見広告、ピースボートを連絡先とする同実行委員会。この日、全国各地で連携行動も行なわれている。
 この5・24辺野古国会包囲は、「1万人を越えよう」が掛け声だったが、今年1・25国会包囲(約7000人)に倍する結集を実現し、人数的にも大成功を収めた。
沖縄では那覇市で「5・17県民大会」が3万5千人を結集して、翁長知事を先頭に「辺野古新基地NO!」の民意を圧倒的に示している。他方、安倍政権は今夏埋め立て開始強行の姿勢をくずしていない。こうした決戦的な情勢において行なわれた国会包囲は、「本土」および首都圏の労働者・市民による沖縄への連帯の広がり、「本土」も辺野古新基地建設を認めないという気運の広がりをはっきりと示したという意味でも、大成功であった。
集会が国会正門前で開始され、実行委員会あいさつ。ピースボートの野平さんが、「5・17県民大会でも沖縄の民意は明らか。今度は本土の私たちが民意を示す番です!」と本行動の意義をずばり示した。
 注目の中、5・17県民大会の共同代表である稲嶺進・名護市長が発言、「辺野古工事の手続きは進みません。不可能です。ウチナンチュは孤立していない、今日の行動で実感できます。勝利をかちとるまで、日本の進むべき道を正すまで、共にがんばろう!」と訴え、国会を包囲する万雷の拍手が送られた。
 続いて沖縄選出の国会議員、仲里利信、玉城デニー、照屋寛徳、赤嶺政賢の各衆院議員、また糸数慶子参院議員が発言した。
 仲里さんは、「2007年の教科書改ざん反対の県民大会から、私は島ぐるみの行動に立っているが、その頃の沖縄戦体験者も次々と亡くなっています。私は新人代議士としては最高齢です。しかし、出て行ってしゃべれるのは私ぐらいしかいないので、各地の講演なども頑張っています。」「今、国民の関心は高まっています。戦争する国にさせない、まずは辺野古を止めることです」と語った。
 玉城さんは、「わたしは先月訪米しましたが、かって貴国は日本に民主主義を根付かせるとしたが、今、私たちはその民主主義を実現しようとしている、分かっているのかと言ってきました」と述べ、照屋さんは、「この国は民主主義国家か、いや安倍独裁政権である。さらに包囲を広げ、30万・300万の包囲で安倍政権を打倒しよう!」と訴えた。
 糸数さんは、「沖縄の民意は完全に無視であれば、祖国日本に復帰したことも、改めて問い直す時に来ている。独立も視野に入れて、沖縄の自己決定権を考える必要がある」と述べ注目をひいた。
 次いで高橋哲哉さん(東大教授)、沖縄問題議員懇談会の阿倍とも子衆院議員などが発言し、さらに参加動員の主力といえる平和フォーラム、東京全労協、解釈で9条壊すな!実行委などがアピールした。戦争法案阻止の6・14国会包囲、横田オスプレイ配備反対の6・20行動などが呼びかけられた。
 午後3時10分、ヒューマンチェーンが開始された。人々は国会の全周で、「辺野古NO!」の青いプラカード(5・17県民大会と同じもの)を一斉に掲げ、「埋め立てをするな!」「普天間基地を即時閉鎖しろ!」「日本政府は沖縄の声を聴け!」などを叫んで、包囲行動を完了させた。
 翌日、稲嶺市長ら県民大会要請団は、内閣府、防衛省、外務省に対し、大会決議による申し入れ行動を行なった。(東京A通信員)


〔沖縄からの通信〕

 5・17沖縄県民大会、圧倒的3万5千
  自己決定権で日米に対峙

 五月十七日、ナハ・セルラースタジアム、午後1時から「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会~建白書の理念を実現させよう~」が開会された。
 3万5千人。外野席まで埋め尽くし、入り口付近は参加者で詰まってしまい、会場裏側にモニター会場ができた。
 主催の実行委員会では、辺野古ブルーにちなんで、大会カラーを青と決めていた。朝から青が多かった。モノレールの満員が続き、青色とペットボトルで、スタジアム行きの人々だなと分かる。わたしはモノレールをあきらめ、タクシーで接近を計ったが、会場近くはラッシュ、途中から歩きにした。
 この混雑の中、「日の丸」を揚げた街宣車十数台が、禁止区域でユーターンを繰り返し、大会妨害にいそしんでいる。なぜ何時間も放置されているのか。
 入り口をかいくぐると数万の人々。暑い。長いコンクリートの通路に板が張られ、グラウンドにはブルーシート、その向こうに演壇。この光景は、歴史的な映像になるだろう。
 密集した県都ナハの万余の人々。これは、辺野古の浜や、シュワブ・ゲート前の雰囲気とは、ひと味もふた味も違うものである。
 さて、すでに翁長知事は四月、菅や安倍と会談し、彼らを公然と論破した。とくに、「沖縄はみずから基地を提供したことは一度もない」など、沖縄の歴史を根拠にすえて辺野古を拒絶したことは、沖縄を一つにし、巨大な力を発揮させる。
 残っているのは米国である。民意を明瞭に示した昨年の県知事選を打ち消すかのように、四月二八日に日米首脳会談がもたれ、使い古された文言「辺野古移設が唯一の解決策」が繰り返された。米国にも、この文言が残っている。これも拒絶しなければならない。
 五月二七日の知事訪米は決まっていた。5・27のために、5・17が持たれたのである。
 また、どこで県民大会をやるか。主催者は当初、辺野古の浜で5・17を持つつもりであった。翁長知事誕生後、座り込み・海上行動を応援して、そこではすでに2回(辺野古と瀬嵩の浜)県民集会が持たれている。日米会談での「唯一の解決策」を拒絶するための知事訪米、これを応援するためには、県都でやるのがふさわしい。これを市民運動サイドが強く主張して、「5・17ナハ」は実現された。
 背景の県民感情はどうだったか。いわゆる一般市民の、ゲート・テント村に対する違和感は消え去りつつある。それに代わり、もっとも「屈しない」を要求されている辺野古の現場、そこの人々に対する尊敬の念が市民の中に生まれている。誰もが、「島ぐるみ会議」のバスで現場に来るようになった。今、沖縄の人々は、ゲート前の人々に対し、また翁長さんに対し、自分たちの救世主みたいな感情さえも抱いている。一昨年暮れの、あの県民代表者たちの惨めな変節、それ以来、悲憤にもんもんとしていた人々は、「屈しない」人々、硬骨の翁長、この二者に明るい展望を見い出し、抑圧された精神が解放された。
 こうして県都ナハの市民は、5・17を迎えたのである。
 県民大会では、共同代表の平良朝敬(島ぐるみ会議共同代表)、呉屋守將(辺野古基金共同代表)、大城紀夫(連合沖縄会長)、稲嶺進(名護市長)など各氏があいさつし、翁長雄志・県知事あいさつで最高潮となった。最後に、日米両政府に対する「大会決議」を採択。
市民運動、政治家の運動と、県、名護市当局者たちの運動が一体となった。非暴力実力抵抗運動と、持てる権限・使える法はすべて行使する行政の運動とが、一体化している。これは、県民の数歩先を歩んだ大田知事の時代、これをはるかに超えてしまっている。
なお県民大会では、安次富浩氏(ヘリ基地反対協)と、佐藤優氏(作家・元外務省)とが「自己決定権」を訴えた。同じ言葉を使っているが、まったくの別物である。佐藤氏は沖縄アイデンティティーを強調しているが、その言葉は今現在は、辺野古NO!の実現のために考え、使われるべきものである。
県民大会は大成功したが、「オール沖縄」「島ぐるみ」はいぜん成長途上である。5・17に前後して、各市町村ごとの、手作りの「島ぐるみ」が結成されている。現在、島ぐるみ会議の辺野古バスは5路線あるが、全線に広がる。
四月九日に発足した「辺野古基金」も、3億円を超えた。県内では、大衆的な100円カンパが基金の環となっている。
五月三十日、うるま市で、「海人会議」が232人で結成されたことも重要である。「海人の良心と道理に基づき、辺野古・大浦湾の新軍事基地建設を阻止する行動を会員一丸となって推進する」と決議した。
翁長知事が訪米から帰ってくる。検証委員会の答申を待つまでもなく、埋め立て承認は取り消すほかは無い! 日本政府は、沖縄の総意を犯すことはできない! 自己決定権を沖縄県議会で制定しよう!(沖縄T通信員)