総括ぬきで「地方創生」実現できるか

 本丸の霞が関改革が不可欠

 大企業や投機家などを除き、圧倒的多数の世論が景気回復を実感できていないのが、アベノミクスの現状である。とりわけ、非正規労働者や地方の人々が苦しい生活に追いやられている。
 このため、安倍政権は、今年春の統一地方選をも念頭に、「地方創生」なるものを必死に打ち出している。
 昨年秋の国会では、「地方創生関連2法」を衆院解散のドタバタ劇の中で成立させ、12
月27日には、これまでの総括ぬきに「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」を閣議決定している。
 「地方創生関連2法」の一つは、「まち・ひと・しごと創生法」である。これは、「生活の基盤となるサービス提供の確保」や「魅力ある就業機会の創出」といった理念をかかげ、国・地方自治体のそれぞれが目標などを盛り込んだ「総合戦略」を定めるとしている(ただし、都道府県と市町村は努力義務)。地方自治体の「総合戦略」策定のためには、中央から人員を派遣し支援する制度も取り入れている。
 しかし、中央政府からの人員派遣は、これまでも数多くの官僚が派遣されており、なんら新味のないものである。「地方創生」には、文字どおり地方自身の研究・企画・実施という自立精神が決定的な鍵なのであり、はなから中央政府の公務員を派遣したうえでの「総合戦略」決定によって、果たして「地方創生」を実現できるのであろうか。
 もう一つは、「改正地域再生法」である。この改正法では、地域支援策の手続きを簡略化するため、省庁の窓口を一元化するとしている。また、自治体から首相に支援策を直接提案できるようにした。
 しかし、「省庁の窓口一本化」なるものは、マユツバものである。現に、東日本大震災での被災自治体と国との間の窓口は復興庁とされているが、中央省庁の縄張り主義が強いため、被災自治体の方が各省庁との調整をやらなければならないのが実際である。まず改革しなければならないのは、霞が関の方なのである。
 このことは、「地方創生」政策全般に言えることである。まず、地方自治体が自立精神で「総合戦略」を立て実践するためには、前提として、財政自主権が確立していなければならない。それがないと、地方がいくら自力で立派なプランを立てても財政を握る中央の考えでいくらでも「修正」されてしまうからである。
 戦後以来、地方自治がたえず建前化するのは、中央政府が地方政府の財政をコントロールし、地方の中央依存体質を育成してきたからである。「財政自主権なしには、地方自治はなし」なのである。
 だが、安倍首相は、民主党主導政権が不十分ではあれ(地方にとって自由度の高い)「一括交付金」を導入したのにもかかわらず、政権復帰するやいなや(地方の裁量がほとんどない)元の補助金に戻してしまっているのである。そんな中央集権主義の安倍政権がかかげる「地方創生」なるものは、単なる選挙目当ての代物に見えざるを得ない。
 地方の活性化は、全般的に、まず霞が関の改革こそが先決なのである。その第一は、地方政府の財政自主権の確立である。
 第二は、東京一極集中を是正し、首都機能を移転することである。
 国会は、一九九二年に、国会等移転法を成立させ、一九九九年には、移転候補地を3地域に絞り込んだ。この法律は、確かに「国会等の移転を目指した積極的な検討」を求めたものにすぎず、移転そのものを定めたものではない。こうした中途半端な状態のままでは、「東京一極集中」の是正はありえない。まず中央政府が率先して、首都機能の移転を実践するのが先決である。
 第三は、地方政府に「地方創生」を促すだけではなく、中央政府自身がやるべきことを行なうべきである。それには、一例として、地方にとって需要な産業である農業を発展させる面では、まさに逆行するTTP交渉を打ち切り、日本農業と農民生活を成り立たせるような内外政策に転換するべきである。
 自民党政権は、一九六一年の農業基本法いらい一貫して、専作化・過度の分業化など工業的農法をおしすすめ、自動車・機械など工業製品の貿易拡大のために日本農業を犠牲にしてきた(その見返りとしての農業補助金の多投)。今回のTTP交渉はその最終段階となるであろう。これに呼応し、国内政策でも、農協勢力の政治力を削ぎ、農業における資本活動(食品関連を中心に)を自由にするための攻撃をシャニムニに推し進めている。
 これらの反動政策を取りやめ、農業政策を根本的に改め、水田農業を利用した自前の飼料生産の発展と畜産の発展、地域を単位とする有畜複合経営こそが求められる。
 その上で、農工間の生産性格差(農業は気候条件に左右されるハンディキャップを持つ)を緩和して農民生活を向上させるために、休耕地などを利用した自然再生エネルギーの生産とその経営を支援することが重要である。この点では、全国的規模での送電機能を中央政府が保障し、自然再生エネルギーの生産を安定化すべきである。
 「地方創生」には、地方の自立が不可欠であるが、そのためにも中央政府の機構・政策の改革も不可欠である。(T)


経産省前テント裁判の2・26不当判決を弾劾する!
  仮執行阻止し安倍打倒へ

 二月二六日、東京地方裁判所・民亊37部の村上裁判長は、国が「経産省前・脱原発テント」の撤去等を訴えていた裁判で、国・経産省の言いなりとなった不当判決を強行した。満腔の怒りをもって糾弾する。
 その判決は、現時点では被告・弁護団側が判決文を受け取っていないので、詳細は分からないが、①テントの設営を国有地への不法占拠とみなして、その強制撤去を国に仮執行宣言付きで認め、②国の損害賠償請求を認めて、被告2名(渕上太郎、正清太一)に対し、延滞金と合わせて2800万円余を科すという不当なものである。
 被告側は当然控訴であるが、仮執行が付いたので、判決確定前にいつでも強制撤去攻撃が法的には可能となる。被告・弁護団がこの日の第十一回公判に出廷せず、判決文の受け取りを拒否しているのは、受け取りが強制撤去の手続きの開始となるので、撤去攻撃を少しでも遅らせるためである。しかし、判決文は送付されて、手続き開始と見なされてしまう。仮執行の停止申し立ては行なわれるはずであるが、これに期待はできないだろう。
 したがって、いつ来るか分からない強制執行に対決して、テントの泊まり込みの強化や緊急支援動員の態勢を整えること、また撤去攻撃とそれへの抵抗を、国内・国際的な大問題としてクローズアップさせる宣伝態勢などが、急務となっている。これらに協力できる人は、経産省前テントひろば(TEL070-6473-194)に連絡し、指示に従ってください。
 このテント裁判は、判決の内容が経産省べったりであるだけでなく、でたらめな訴訟指揮で行なわれたという面でも、日本の司法の問題としてきわめて重大である。
 村上裁判長は、経産省前ポケットパークに設営されているテントの現場を見てもいない。現場検証もせずに判決を出せるのか、常識はずれである。証拠・証人調べもしていない。福島の女たちの会などの当事者参加申立てにも回答していない。亀屋さんの意見陳述を認めただけ。
そして、重要な各意見書の審理もこれからという時に、昨年十二月三日の第十回公判で結審を通告して逃げてしまった。まともな訴訟指揮でない裁判官に対しては、交替を求める権利がある。第十回公判や、二月二六日第十一回開廷の前にも、弁護団から裁判官忌避の申立てが行なわれたが、「忌避権の乱用」として無視している。忌避の却下は、別の部による公判が必要なんじゃないのか。
判決のひどさとともに、「訴訟指揮権の乱用」そのものの政治裁判であった。

  2・26経産省前、東京地裁前、報告集会に圧倒的結集

さて、テント側は不当判決が予想される2・26に向けて、12・3以降、運動の盛り上がりを図ってきた。
二月二三日には、被告・渕上、正清、当事者申立人、また「脱原発といのちを守る裁判」弁護団(河合弘之団長、宇都宮健児副団長、大口昭彦、一瀬敬一郎など)らが揃って、テントひろばで緊急記者会見が行なわれた。
二月二六日の判決当日は、あいにくの冷たい雨の中でも、昼のテント前集会に300人余が集まって、「撤去されるべきはテントではなく、経産省だ!」と抗議した。一時半からは、さらに人が増えて東京地裁前抗議集会が400人余で行なわれ、傍聴団を送り込んだ。不当判決強行への抗議行動が地裁で行なわれた後、午後四時からは、裁判報告集会が参院議員会館講堂で開かれた。
 報告集会は、400人余で超満員であった。
 大口弁護士が経過報告。「午前中最後の忌避申立てをした。刑事裁判には簡易却下はあるが、民亊にはないのに。」「テントを撤去したいという政治的意図による、訴訟指揮権乱用の裁判であった。」「二月十九日提出の内藤光博教授(専修大学・憲法学)による意見書、大阪の高松医師の意見書が審理されねばならない」と述べつつ、この闘いは国際的にも、日本国民が安倍政権と闘っているもの、日本の民主主義が係ったものとして注目されていると報告した。
 被告とされる正清さん、渕上さんが発言。「世界各国がテントを報道している。日本の原発は世界の問題、この意義をつかもう」。「再稼動反対のために2011年9月から始まったテントは、図らずも反原発の象徴、一つの拠点になった。経産省前テントによる世論の可視化・運動の継続化は、今後各地のテントにさらに広がっていく」。
 判決後の法廷からは、福島の女性らを含む8名がごぼう抜きで排除されたが、その一人の黒田節子さんも発言。「テントの第2ラウンドが始まる。沖縄辺野古のテントにも、『あきらめないことが勝つこと』と書いてある」。
 たんぽぽ舎の柳田真さんは、大口弁護士も触れた内藤意見書の意義を強調。内藤意見書は、①本件のエンキャンプメント(テント設営および居住)の自由は、なにゆえ憲法21条1項「表現の自由」、これの保障をとくに受けるべきであるのか。②パブリック・フォーラムは、経産省の管理権に優越する。③原告に実質的法的利益がなく、スラップ訴訟である、と論じている。
 その他多くの仲間が発言したが、最後に行動提起。「非暴力不服従で闘い抜く。強制執行が開始されたら、それが何時であれ、ただちに終日で抗議行動を行なうので結集を!」。
 経産省前テントの闘いは、今や、一つは各地の原発再稼動阻止の闘いに伝播しつつ、また一つは、攻撃の元凶・安倍政権を打倒する国民的闘いの発火点になろうとしている。
(二月二七日、東京W通信員)


東京地裁2・26不当判決に対する
        声 明
          経産省前テント広場 

 2月26日東京地裁では、テントを巡る第1審の判決が出された。その内容は、原告の請求提訴内容を全面的に認めるというものであった。①被告はテントを撤去し該当土地を(国に)明け渡せ、②被告は損害賠償金(約2800万円)を払え、③以上の2つについて「仮執行宣言」(ただし、損害金に関する仮執行対象額は約1144万余円)を付す、というものである。
 これは明らかに不当な判決であって、当然ながら我々は承服できない。この判決は司法の独立性をみずから踏みにじり、東電の責任を不問にし、事故解決・安全体制の確認もないがしろにしたまま原発の再稼動に突っ走る、今の政府を支配下におく安倍内閣の意向に全面的に沿った、きわめて反動的なものである。
 この判決を書いた村上裁判長は、2011年の3・11東電福島第1原発の深刻きわまりのない未曾有の大事故とこの事故の責任について、そもそも被害者・国民の立場から真剣に考えたことがあるのか。同様にいまだに続く事故の継続(例えば手の打ちようがない汚染水の問題)について自らの問題として一時でも考えたことがあるのか。そして何よりもこの事故で甚大なる被害を受け、今も受けつつある福島の住民の痛みについてわずかにでも心をはせたことがあるのか。村上裁判長は、福島双葉町からの避難者の涙ながらの陳述を法廷で直接に聴いたではないか。にもかかわらず、裁判長はまさに亡国の輩の巣食うとしか言いようのない経産省の意を迎え、司法の正義を売り渡したのだ。
 だが、いかなる判決であろうが、われわれは法律的に可能な対応(控訴、執行停止の申立等)を含めて、断固として闘いを継続する。われわれには恐れるものは何もない。われわれが、たとえとるに足らない微小なものであっても、無力ではないし、たとえ非力であったとしても、全国・全世界には何百万、何千万、何億の人々の「脱原発・反原発」の願いと無数の力があり、連帯したこの力は、巨大な力を発揮し得るという確信のもとで、以下のように闘う。
 もっとも大事なことは、こうした潜在的な力を具体的・政治的な力として、例えわずかずつでも白日のもとに実現していくことである。そのためには、あきらめず、しぶとく、しなやかに闘わねばならない。第二に福島の事故を忘れず、福島の人々を忘れず、全国各地、とりわけ原発立地で粘り強く闘い続ける人々との連帯を更に実現していくことである。少々の意見の相違を誇張するのではなく、互いの違いをむしろ前提にして、互いに尊重し、連帯を最優先すべきである。肝心なことは人と人との連帯であるからだ。第三にわれわれの重要な特徴である「テントの精神」を全国的に理解してもらい、これを大胆に押し広めること。テントの精神とは、一言で言えば、脱原発を掲げ、可視化された日常的・持続的・実際的な存在であることである。だからこそ脱原発運動に一定のインパクトをもたらし、一種の拠点となったのである。全国各地の可能な所から、可能な人々によって始められ、やがて無数の脱原発テントが筍のように生えてゆくであろう! 経産省前テントひろばは、まさにそのような存在である。
 共に闘おう!
 2015年2月27日