第45回釜ヶ崎越冬闘争(12・28~1・5)貫徹さる
  釜で正月迎えた地区内「臨泊」

 大阪市西成区の釜ヶ崎では、十二月二八日の突入集会から一月五日の「お礼参り」=対府市要望書提出まで、「第45回釜ヶ崎越冬闘争」が、「仲間たちの団結で一人の餓死・凍死者も出すな!」を合言葉に闘い抜かれた。
 越冬闘争とは、冬の寒さが厳しくなる中、行政の窓口が閉ざされる年末・年始にかけて、仲間どおしが支え合い、仲間の生命を守り抜き、春からの闘いを準備するという、釜ヶ崎の闘いの「原点」とも言える闘いだ。
 今回も、釜ヶ崎日雇労組をはじめ日頃釜ヶ崎で労働者に対して責任をもって活動している団体・個人によって実行委員会が結成され、民主的討論を深め、基調・スローガン・行動予定が決定され、団結して闘い抜くことができた。
 年末二八日の突入集会と並行して、医療センター前では「集団野営」の準備が進められ、「臨泊」に「行けない」「行かない」仲間の寝床が確保され(~五日朝まで)、「医療パトロール」も開始された(~四日まで)。三角公園での「炊き出し」も始まった(~四日夜まで)。
 また三十日からは、三角公園で「越冬まつり」も始まった。さらに「人民パトロール隊」は、「釜ヶ崎への封じ込め」を許さず、連日市内各地へ進撃していった。
 今回の越冬闘争の第一の意義は、原発推進、歴史の改ざん、改憲-戦争への道を突き進む安倍政権との対決を鮮明に打ち出したことである。
 昨年一年間、釜ヶ崎労働者は、川内、伊方、高浜の原発再稼動阻止を闘い抜き、集団的自衛権行使を許さない闘いなどを闘い抜いてきた。また、「在特会」との攻防を闘い抜いてきた。
 とりわけ、沖縄の辺野古新基地建設阻止の闘いには、着工直後からメンバーを常駐させ、闘いの一翼を担ってきた(現在も続く)。こうして全国の闘う仲間との信頼関係を深め、連帯関係を深めてきた。
 二八日の突入集会には、日本軍「慰安婦」問題関西ネットワークの仲間たち、福井の原発再稼動阻止の闘いを担う「若狭の家」の仲間たち、辺野古新基地建設阻止を闘う大阪行動の仲間たちが、駆けつけてくれた。
 さらには、辺野古の闘いでの、「隊長」をはじめとした「カヌー隊」のメンバーも、期間中釜ヶ崎に駆けつけ、パトロールにも参加してくれた。
 また三十一日には、「近畿生コン圧送労組」の仲間が、三角公園の集会に駆けつけ、パトロールにも参加してくれた。
 こうした新たに参加してくれた仲間たちとの闘いを通じた団結を、さらに強く打ち固めていかねばならない。
 第二の意義は、地域内「臨泊」を実現したことである。七十年代初頭以降、「治安対策」上、「臨泊」は地域外で行なわれてきた。(七十年代中期以降は「南港」)。
 「釜ヶ崎で正月を迎えさせろ」は、釜ヶ崎労働者の、とりわけ「臨泊」を利用せざるを得ない仲間の切実な願いであった。今回、港区の「第二港晴寮」の65名をのぞいて、356名の仲間が地域内「臨泊」を利用して、「釜ヶ崎で正月を迎える」ことができた。
 とりわけ、「今宮シェルター」での「臨泊」では、普段シェルターを利用している仲間も臨泊スタッフとして働くことができる様になり、NPO釜ヶ崎支援機構の創成期のように、「仲間どうしが支え合う」関係を創り出すことができた。
 年が明け、いよいよ「決戦」のときだ。
 安倍政権打倒の大きなうねりを、議会主義的に集約するのではなく、大衆行動の爆発で闘い抜こう。原発も、戦争(基地)も、差別も失業もない、安心して働き生活できる社会をめざして闘おう。(釜ヶ崎S)

  釜ヶ崎講座「一日行動」「釜ツァー」

 今越冬闘争に連帯し、「あなたと釜ヶ崎をむすぶ」市民団体・釜ヶ崎講座は、年末三十日には「釜講座一日行動デー」、明けて一月三日には「釜あるきツアー」を行なった。
 「一日行動デー」には7名が参加し、地域内人民パトロール、医療パトロールをやりぬいた。沖縄辺野古より釜ヶ崎へ連帯行動のため来阪中の仲間も、この行動に参加してくれた。途中、三角公園では釜日労の佐々木さんから、越冬闘争の意義や社会的就労の実現の必要性などの話をうかがった。
 新春恒例の「釜あるきツアー」は約20名が参加し、水野阿修羅さんの案内で、釜ヶ崎の真実を見て廻った。
 今回は、とくに花園1~2丁目近隣を重点的に歩き、西成特区構想の進捗の中で街がどう変わってきているか、という点を押さえながらのツアーであった。ぽつぽつと建ってきた特別養護老人施設、老人向け医療ケア付きマンションの出現など、確実に総合センター周辺の街が様変わりしつつある。労働者の街、下層・貧困の街としての生き生きとした機能の中心がセンターに代表される寄り場にあること、再開発の名の下に巨大タワーが立ち並ぶ街にさせないためにも、ここに住み暮らす人々を中心にした日々の闘いが大事であること、これらを感じさせるツアーであった。
 今冬は「南港臨泊」から釜地区内「臨泊」となり、労働者同士の助け合いという内容を含めた「臨泊」となった。釜講座の仲間は、こうした連帯意識発揚の見本がある中で、地区外の労働者・市民と釜をむすぶ釜講座の企画をさらに定着させ、さらに研鑚を重ねていきたいと語っていた。(関西I通信員)

東京・山谷1・12
  日雇全協反失業総決起集会

 大阪・釜ヶ崎、東京・山谷、名古屋市などでの越冬闘争が終了した後の一月十二日、東京・台東区山谷の玉姫公園で、「佐藤さん虐殺30ヵ年、山岡さん虐殺29ヵ年、弾劾・追悼2・12日雇全協反失業総決起集会」が行なわれ、日雇労働組合全国協議会の主催のもと約200人が参加した。
 集会は、右翼ヤクザ金町一家に殺害された佐藤さん・山岡さんに黙祷をささげた後、各団体が発言した。反原発関係では経産省前テントひろば、たんぽぽ舎、沖縄基地撤去では沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、労働運動では争議団連絡会議、ひばく労働を考えるネットワーク、等々が当面の闘いをアピールした。
 日雇全協各支部からは、釜ヶ崎日雇労働組合、名古屋越冬闘争実行委員会、寿日雇労働者組合、そして山谷争議団が、各越冬闘争の報告と今後の決意表明を行なった。
 集会後、山谷地区一周のデモ行進を貫徹し、諸団体・人々との連帯と日雇全協の団結を示威し、安倍政権打倒をはじめとする本年の闘いの火蓋を切った。(東京M通信員)


韓国
 統合進歩党「解散命令」の暴挙
     党国会議員全員、地方議員6名も追放 

 韓国の歴代軍事独裁政権でも、最悪の暴政を振るった大統領パク・チョンヒ(朴正煕)の娘である現大統領パク・クネ(朴槿恵)が、その本性を露わにした。昨年十二月十九日、パク・クネの意を受けた憲法裁判所が、野党第三党で進歩政党の主流である統合進歩党に、解散命令判決を下す暴挙に出たのである。
 これは、1958年イ・スマン(李承晩)極右政権下で、国家保安法により解散させられ、党首チョ・ポンアムが処刑された進歩党以来の出来事である。
 この報は、議会制民主主義を標榜する日本を含む欧米各国のマスコミを賑わし、いわゆるリベラル派からも、パク・クネ政権への懸念の声が上がった。そもそも韓国の憲法裁判所は、87年の韓国民衆抗争の中から、政権側の専横を許さないために生まれたものであり、今回のような統合進歩党への適用ということは、想定外と言えるものであった。
 このような解散命令が出された経緯としてイ・ソッキ(李石基)事件があるが、この統合進歩党イ・ソッキ前議員にかけられた嫌疑、内乱陰謀罪に関する裁判の様々な問題点が、浮かび上がっている。
 しかも、この事件での大法院(最高裁)判決は、本年一月二二日に出され、内乱陰謀罪の根拠とされたRO(革命地下組織)は存在が認められず、この嫌疑については否認されるも、内乱扇動罪が適用され有罪とされる事態となった。
 この事件が公表された2013年当初から、細部に至るまで捏造の可能性がきわめて高いと言わねばならない。公表当時、この前年暮れの大統領選での不正疑惑が沸騰し、韓国民衆の怒りの先頭に統合進歩党が立ったことへの、パク・クネと与党セヌリ党による報復とみるのが妥当と言える。また昨年のセオル号沈没事件で、パク・クネ政権の不誠実な対応に、遺家族と共に最も鋭く追及したのも統合進歩党であったことがある。
 韓国の法学会関係者からは、内乱陰謀罪と内乱扇動罪が分離されて判決が出されることに、法理上の問題も指摘されているが、憲法裁判所が、イ・ソッキ前議員の大法院判決確定以前に、統合進歩党に解散命令判決を出すのはきわめて拙速とも言える。そのような行動に出たのも、パク・クネの意向を忠実に反映するための政治的な意識的行為とも言える。
 統合進歩党は、憲法裁判所の解散命令判決によって、所属の国会議員5名(イ・ソッキ氏を含めると6名)の資格失効が同時になされた。この政党解散の判決に対する異議申立ての仕組みは存在せず、韓国民衆の制度圏登場を果たした民主労働党以来の14年の歴史に、一旦終止符を打たざるを得ないだろう。(国会議員資格失効については、行政裁判提訴で抵抗が続けられる)。
 しかし、これは制度圏での闘いの一つの区切りに過ぎず、韓国民衆は一歩もひるむことなく闘い続けるだろう。今年行なわれる統一地方選では、真の進歩勢力の確固たる前進を期すこととなるだろう。
 なお、憲法裁判所判決に続いて韓国中央選管が十二月二二日、統合進歩党地方議員の内の比例代表部分6名についても失効を宣言したが、地方議員への適用は無効だと批判されている。
 政党解散、議員資格剥奪は未曾有の弾圧である。このような弾圧を行なうパク・クネは、むしろ窮地に陥っているというのが、いつわらざる事実ではなかろうか。日韓民衆連帯の力で、パク・クネ政権、安倍政権を打倒しよう。(Ku)