7・27「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」が結成さる
  オール沖縄が再結集

 七月二七日、沖縄県の宜野湾市民会館において、「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の結成大会が開かれ、沖縄の保守・革新や経済界、労働・市民運動などの違いを超えた約2000人以上が集まった。
 大会では、島袋純・琉球大教授が司会を務め、発起人共同代表の十一名が、それぞれの思いを発言した。
自民党県連顧問を辞めた仲里利信さんは、このかん「本土」各地で辺野古新基地建設反対を訴えてきたことを報告しつつ、「県民が保守・革新で争えば喜ぶのは日本政府、オール沖縄で再結集を」と呼びかけた。平良朝敬さん、呉屋守将さんら沖縄財界人も、平和あってこその沖縄経済、日本政府の基地押し付けを拒否しようと訴えた。
労働・市民運動からは、大城紀夫さん、高里鈴代などが発言した。
最後に、「島ぐるみ会議」結成アピールが採択された。アピールは次のように述べる。
「私たちには、私たちの土地、海、空を守り、活かす権利があります。地球上のすべての人々が共有するものであり、人類が長年の努力から勝ち得てきた普遍的な権利です。
県民総所得約4兆円のうち、米軍基地関連収入は約5%に過ぎず、基地の返還跡地は、沖縄経済全体を牽引する発展の拠点となっています。米軍基地の返還が経済的発展の自由と自立と平和につながることを、沖縄の人々は気づいています。
基地に支配され続ける沖縄の未来を、私たちは拒絶します。私たちには、子どもたちに希望のある沖縄の未来を引き継いでいく責務があり、沖縄らしい優しい社会を自らの手で自由につくっていく権利があります。」
この結成アピールは明らかに、「オスプレイ配備撤回・普天間基地閉鎖・県内移設断念」を日米両政府に要請するということ以上のものを語っている。それは、沖縄県民の自己決定権の表明である。
結成大会に到る四月二十二日の発起人会議でもすでに、島袋純さんが、「島ぐるみ会議」設立の趣旨として、「私たちには沖縄の土地、海、空を守る普遍的な権利がある。普天間基地の辺野古移設はこの権利の侵害であり、沖縄の自己決定権を取り戻す必要がある」と述べている。
当面は、辺野古新基地阻止・普天間即時閉鎖の闘いに「オール沖縄」で勝利しようということである。しかし、今やその闘いは、沖縄の自己決定権の実現というより大きな闘いに発展しつつある。「本土」の我々は、それをよく認識する必要があるだろう。
なお、「島ぐるみ会議」の共同代表十一名は、次のとおり。大城貴代子(元県女性政策室長)、大城紀夫(連合沖縄会長)、呉屋守将(金秀グループ会長)、平良朝敬(かりゆしグループCEO)、高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、友寄信助(元社民党県連委員長)、仲里利信(元県議会議長)、宮城篤実(前嘉手納町長)、宮里政弦(沖縄対外問題研究会顧問)、由井晶子(元沖縄タイムス編集局長)、吉元政矩(元副知事)。
(編集部W)



【沖縄からの通信】

  自己決定権の獲得へ第一歩
      沖縄人は、この権利の意味を共有化しよう

 シュワブ・ゲート前で市民たちのたくましい行動が続くなか、普天間基地のある宜野湾市では七月二七日、「島ぐるみ会議」が結成された。
 この結成は、昨年の暮れ、「建白書」団の一角であった自民党が抜けるとともに、仲井真知事が辺野古埋め立て申請を「承認」したため、さらに強固なオール沖縄を作ろうとする各界の思考が一致した結果である。
 その特徴は、呉屋守将、平良朝敬、自民党那覇市議団が、自民県連の支配を超えて参画していること。連合沖縄の大城紀夫が入り、政党は共同代表から抜けていること。各界から参加する事務局が作られていること。このかん自己決定権の確立を提案した島袋純が司会であること。そして、十一月知事選での翁長雄志(現那覇市長)の勝利を固めたこと等々である。
 常識的に考えれば、一つに集まれるはずのない人々が、一市民として一つの団体に集まった。これは、昨年暮れの、あの事態がもたらしたものと言えよう。沖縄人は、仲井真の「承認」を政策の選択とは見ていない。犯罪と見ている。自民中央・石破の脅迫の下での公約破りを、政策の転換とは見ない。
 全沖縄人を冒涜した一連の犯罪が、野放しになっていてよいのか。仲里利信が、典型的に行動を起こした。翁長雄志も、「県外」と「建白書」を堅持する。
 知事選では、石破は、仲井真は「悪いことをしたので勝てっこない」と思っている。当の仲井真は、「悪いことをした」という思いが無いのか、再出馬するという。しかし、仲井真再出馬の意味を、納得いくように説明した人はいない。
 「島ぐるみ会議」結成は知事選には関係ない、と自民党県連は言う。「建白書」を捨てて、その外に出てしまった人々は、「島ぐるみ会議」に何も言えない、本音(我われの敵だ)も言えなくなっている。
 さて、昨年暮れ、沖縄の総意が、仲井真という知事ただ一人によって、消されてしまった。これを考えると、今後沖縄人は、知事の独断では「県民の総意をくつがえすことはできない」という法を創設する必要があるだろう。
 沖縄人は一般的には、日本国憲法によって基本的人権を保障されている。しかし、今の沖縄では蹂躙されている。他県では、沖縄で日本政府がやっているようなことは不可能だ。しかし、日本政府が国防を煽り、沖縄に基地を強要すればするほど、「それが日本全体のためになる」とする日本国民のナショナリズムが働く。
 これが沖縄人の言う「構造的差別」だ。この構造的差別は、法としては日米安保・地位協定等によってもたらされているが、この構造的差別も、法の創設によって取って捨てられなければならない。この法の創設が、自己決定権である。
 この自己決定権の考え方は、我われ沖縄では、島袋純教授が唱え、広がったものである。しかし、これはすでに国際的には常識である。かって帝国主義とその植民地が地球を覆う一時代があった。その後、植民地は「解放」され、基本的人権を手に入れたが、完全ではなかった。旧植民地でも基本的人権を実現せんとして、国際法学者たちが苦闘した。それが、自己決定権なのだ。独自の歴史と現状をもつ沖縄人もまた、自己決定権を得ることができる。
 自己決定権は、日本国家から沖縄に与えられるものではない。すでに国際人権規約など国際法で確定され、日本国も批准しているものである。

  「沖縄人の生存権」

 注意しなければならないことは、自己決定権の言葉の意味である。国際法の世界では常識になっている言葉だが、近年まで沖縄人には知られていなかった。島袋純が紹介し、沖縄の活動家が「使える」と感じて、これを吸収し、ここ一年ぐらいで使い出されている言葉なのである。だから沖縄で、まだ大衆的には普及していないし、この言葉を知り使っている人でも、誤解して使っている人々が多い。
 例を言うと、①ある沖縄戦研究家は、自己決定権を「大切なことは自分で決める」という主旨で、つまり抽象的な主体性の意味で言っている。②自治体職員が、憲法上の地方自治の一つとして言っている。③ある小説家は、独立論のことを指してそう言っている等々。
 ③の解し方は、誤りではないが、大部分の沖縄人が今現在のところは独立論を取っていないから、使えないことになる。また主権独立であれば、国の自決権があるのだから、自己決定権を二重に語る意味が無い。
 わたし的には、自己決定権の言葉の意味を、「沖縄人の生存権」の意味に使いたい。この場合、日本国憲法第25条の生存権ではない。今の「尖閣」「集団的自衛権」などなどの言説の氾濫が帰結するのは、沖縄の戦場化である。これから逃れることが、「沖縄人の生存権」である。
 だから、自己決定権としての「沖縄人の生存権」は、具体的には「日本政府に対する拒否権」のことである。沖縄人がその基本的人権に関わって拒否権を持つことを、日本政府との間で確認する。その拒否権の事項は、法律家などを集めて決める。辺野古の基地建設も、その対象に入る。日本国内にあって、拒否権を持つ内的自己決定権ということになる。
 「自己決定権」の意味を共通化し、広げていくていくことが重要だ。「デモクラシー」を「民主主義」と訳して普及させたように、この権利を普及させることは、沖縄人の運動の重要な一部分ではなかろうか。(T)


東京7・19
  辺野古の海を埋め立てるな!
  新基地建設を許さない集会&デモ

   
ボーリング調査をやめろ!

 七月十九日、東京都の千駄ヶ谷区民会館にて、辺野古への基地建設を許さない実行委員会(辺野古実)の主催による「辺野古の海を埋め立てるな!新基地建設を許さない7・19集会&デモ」が開催され、約300名が結集した。
 この集会とデモは、政府・防衛省が辺野古の米軍新基地建設をねらって、七月中にボーリング調査開始、その後埋め立てへと突き進まんとする緊迫した情勢のもと、権力の弾圧をはねのけて打ち抜かれた。
 集会は、『沖縄ニューズリール№3』上映に続いて、沖縄県議会議員・玉城義和さんが登壇、沖縄からの報告が行なわれた。
 玉城さんは、「工事が強行されようとしている。安倍政府は、キャンプ・シュワブ沿岸の常時立ち入り禁止区域を沿岸50mから2000mに拡大して、抗議行動を徹底排除し、その区域に入った場合には逮捕する等弾圧体制を布いている」。「六月二十日に日米合同委員会を開いて、その拡大を決めた」。工事が始まれば、「県民同士が、ぶつかり合うことになるかもしれない。仲井真知事がそうさせた。だが何としても勝つ、身体を張って闘い抜く。それが県民の共通の意志だ」と固い決意を表明した。
 さらに玉城さんは、「七月二七日、沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議、この結成大会を開催する。沖縄県民全体がまとまっていく」と力強く語った。これらの報告に、会場から大きな拍手が沸き起こった。
 この「建白書」(日本政府に2013・1・28提出)は、オスプレイ配備撤回、普天間基地閉鎖および県内移設断念を掲げてまとめられている。また「未来を拓く」という言葉には、ひろく沖縄の未来を自分達で決めていくという固い決意が込められている。
 つづいて、稲嶺名護市長のメッセージ、「今後とも、日本政府からのいかなる圧力に対しても屈することなく、『辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない』という信念を貫き、不退転の覚悟をもって臨んでいく」が読み上げられた。
 各団体の連帯発言に入り、「ゆんたく高江」からは、「N4ヘリパットはほぼ完成させられ、来月に米軍に引き渡される。防衛局は次に、別地点の新たなヘリパットの工事を進めようとしており、資材搬入などのために道路工事がなされている。辺野古、高江の両方の闘争をつないで、阻止するためにがんばりたい」と力強い発言があった。
 集会では、七月二八日の防衛省前抗議行動で手交する抗議文(案)が読み上げられ、その「立ち入り禁止区域の拡大を撤回しろ!」「ボーリング調査をやめろ!」「辺野古新基地建設を断念せよ!」の要求と抗議が、満場一致で採択された。
 集会終了後、参加者は原宿・渋谷方面へのデモ行進に出発した。官憲の弾圧を許さず、道行く人々に辺野古新基地建設反対を訴え、力強いデモが貫徹された。
 さて、現地の名護市辺野古では、七月一日の着工開始以降、シュワブ基地ゲート前での座り込み行動が続けられている。
しかし、この東京集会の翌日二十日の未明に、防衛省沖縄防衛局はゲート前座り込み行動の間隙を突いて、ブイ等の資材搬入を闇討ち的に強行した。
 七月二七日には、この資材を使って浮き桟橋の設置を強行、市民・住民は海上から、「平和丸」など漁船・カヌーを出して阻止・抗議行動をくりひろげた。日本政府は不当にも、海上保安庁を反対運動排除に動員している。防衛局はこの浮き桟橋を使って、立ち入り禁止区域を示すブイの設置を開始しようとしたが、台風接近によって一時中止されている。
 またシュワブ・ゲート前では、正当な抗議・監視行動を排除するため、防衛局は仮設柵の設置やギザギザ鉄板を歩道に敷くなど、常軌を逸した違法な妨害を行なっている。
 現地では、基地ゲート前の陸からも、辺野古の海からも、政府・防衛局との長い闘いが始まった。県内はもとより、全国からの持続的な現地行動参加の態勢づくりが問われている。(東京O通信員)