東京地裁7・3
自治体初の原発差止裁判始まる
   大間原発建設中止求め、工藤函館市長が陳述

 あくなき原子力発電をベースとしたエネルギー政策を推進し、早期の原発再稼動を目論む独占資本とその代理人である安倍政権の喉下に、二つの刃が突きつけられた。
 一つは、関西電力の大飯原発3、4号機に関して再稼動を認めなかった5・21福井地裁判決であり、もう一つは、函館市という一つの自治体が初めて国と事業者の電源開発㈱を相手取り建設差し止めや原子炉設置無効確認などを求めた、その訴訟が東京地裁で始まったことである。
 福井地裁が再稼動を認めなかった判決の有効性とその正当性は、まさしく「司法は生きていた」と言わしめる衝撃的内容であったことは前号で周知の事実である。
特に、原発の運転に伴う判断について、これまで各裁判所が「専門家の判断」を尊重するという立場に立って、住民が訴える危険性を「抽象的」として退けてきたことを真っ向から批判し、住民の生存にかかわる権利を重視し、「人格権」に基づく立場から原発の「許されざる危険」が一つでもあれば再稼動すべきではないとして、それを尊重すべきとする判決となったことである。
過去に住民が提訴した原発訴訟の多くは「安全神話」を根拠にした判決が大勢を占め、僅か北陸電力志賀原発差し止め訴訟での金沢地裁判決など二件だけが住民側勝訴の判決をかちとったが、上級審では敗訴となっている。しかし、今回の判決は「放射能による未曾有の被害」そのものが司法権力にも作用し、原発再稼動にストップをかけるに到ったものであり、「原子力ムラ」の面々に足かせをはめたことは事実である。
 そして、函館市が東京地裁に訴えた裁判が、七月三日第一回口頭弁論として始まった。今回の提訴は、福島第一原発の事故が発端かつ大きな要因であり、まさしく「安全神話に騙されてきた」と工藤寿樹・函館市長自身がこの日の意見陳述で認めつつ、さらに陳述では、「日本政府が根拠を示すことの出来ない『世界一厳しい基準』による建設」は「第二の安全神話を作っているに過ぎない」と弾劾している。
更には、「福島原発事故は誰も責任をとっていない」とした上で、「このような無責任体制では福島が繰り返される」と喝破している。まさしく、「原発はゼロリスクにはならず、万一の事故を想定した上で市民の生命と平穏な生活・財産を守るため」、「27万市民の総意として建設凍結を求める」ことを根拠にした提訴となっている。
 提訴に至るまでには紆余曲折があり、「政治的パフォーマンス」だけではないか、等の疑心暗鬼が生じる日々もあったことは事実である。決定的引き金とタイミングは、東京都知事選挙(今年二月)が原発を争点として闘われたことであり、元首相経験者が脱原発を掲げて運動したことに、工藤市長が勇気をもらったことは確かであろう。
ともあれ自治体が初めて税金を使って原発安全性を問う提訴であり、その影響は少なくはない。弁護団は全国に与える影響の一つとして、「原発を周辺に抱えつつも泣き寝入りせざるを得なかった自治体が、地方自治権を盾にしての裁判」によって、大きな勇気を与えられずにはいないとしている。
 被告の国は、これまた異例といえる代理人の意見陳述がなされ、「財産権や地方自治権は『生命身体の安全』のような人的利益とは言えない」とし、「函館市は『法律上の利益を有する者』にはあたらず原告適格は認められない」として訴えを退けることを求めている。その意味では、福井地裁の「国富は人であり、人格権が侵害される恐れがあるとき」は運転すべきではないとして、原発の危険性に関する判断を避けることは「裁判所の最も重要な責務を放棄するに等しい」と述べていることからも、その判決に対する脅威を体現したものとして国の陳述がなされたといえる。
 これらの動きと歩調を合わせる形で、海峡を繋ぐ運動が展開されている。昨年、大間現地で始めて開催された北海道と青森の労働者、労働組合、住民の連帯した集会が、再度取り組まれている。七月十二日函館市内において、平和運動フォーラム、平和労組会議の共催で、約1000名の青函労働者による「無用の長物・大間原発」建設反対集会が開催された。
七月十八日には、大間原発住民訴訟第13回口頭弁論が函館地裁で開催された。しかし、これまでとは打って変わって、裁判長の強権的訴訟指揮が行なわれ、原告の意見陳述を認めようとせず、結果として、一方的に閉廷し裁判自体が進められなかった。昨年末あたりから最高検による「指導」が入っているのでは?と疑わせる裁判長の発言はあったが、遂に、権威と権力を強引に使い、住民の権利を奪い尽く結果となっている。

  7・20大間町現地行動

そして、七月二十日には、下北半島・大間町現地での第7回大間原発反対集会が開催され、全国から約500名が参加した。
集会の発言では、「女川から未来を考える会」の土屋さんが、「ボランティアがどんどん少なくなって来ている。被災地に出会いを求めて参加して欲しい」と訴え、また、「大阪おおい原発を止めよう裁判の会」の武藤さんからは、「自分は、福島原発事故でふるさとを無くした。今だったらまだ間に合う大間の人に、故郷を残してやれる」と自らの体験を通した切実な思いが語られた。
集会後、500個のメッセージ付き風船を飛ばし、大間町内をデモ行進し、全員のシュプレヒコールで町民に訴えかけた。
 安倍政権の横暴、強権がまかり通っている。その根拠としているのが、「国民の命と生活を守る」ということである。函館市が提訴した根拠は、「住民の暮らしと命を守る」ことである。
何処に違いがあるのだろう。主権は国民であり、住民であること、その負託された責任において行政を進めることを、両者とも表現しているのである。しかし、その内実は政治的野心を成就させるために主張するのか、真に住民の生活を守ることを主眼にしているのか、この判断は全ての人が明確に見極めることが出来るだろう。
司法はその判断を見間違うことなく良心に従い、福井地裁の判決に込められた「人が人として暮らす権利」を尊重した判決を、東京地裁でも早期に出すべきである。(北海道M)


東京地裁7・16
 経産省前「脱原発テント」第7回公判
 誰もが「占有」者なのだ

 七月十六日、東京地裁で、国が経産省前脱原発テントの撤去を要求しておこした裁判の第7回口頭弁論があった。約百五十名が傍聴を求めて集まり、九〇名ほどが法廷に入ることができた。午後四時からは、衆議院第一議員会館で、報告集会が開催された。
 今回の口頭弁論は、二カ月ほど前に大飯原発3・4号機の運転をしてはならないとした福井地裁の内容的にも画期的判決があり、他方で直前に原子力規制委によって鹿児島・川内原発再稼働のゴーサインが出された中で開催された。そしてテント裁判もいよいよ本題へ、すなわちテントが立地する土地の「占有」をめぐる問題について争われた。
 最初に弁護団長の河合弁弘之護士が立ち、福井判決は、テント広場が当初から主張していることと同一であり、それを裏付けた判決だ。原発を推進してきた経産省が、正当性のあるテントに対して訴訟を起こすなどということは、職権の乱用であり、ただちに取り下げるべきだ、と主張。
 続いて浅野史生弁護士が、被告とされている渕上太郎さん、正清太一さんは、「第一テント」に関係しているだけで、「第二テント」や「第三テント」は被告たちの所属していない団体が建てたものであること。しかも「第一テント」についても、被告たち以外に20名の人たちが占有者だと名乗り出ていることを指摘。この事実関係の認否を国側に求めた。
 そして弁護団副団長の宇都宮健児弁護士が、このテントの活動は憲法21条の表現の自由を保障するにあたる。これを訴えることは訴権の乱用に当たる、と指摘。
 「被告人」たちも発言し、私たちは、今後も全原発の廃炉と再稼働に反対してテントから発信していく、と表明した。
 国側は、弁護団が求める「占有」に関する事実関係の認否について、答えないという態度に終始した。
 次回公判は、10月14日、午前10時30分、東京地裁一〇三号法廷。(東京M通信員)