安保法制懇、武力行使全面解禁の報告提出
  安倍「限定的に」でも戦争突入


 五月十五日、安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、憲法解釈についての報告書を提出した。これを受け、安倍首相は同日、記者会見で政府の「基本的方向性」なるものを表明した。
 安保法制懇報告は、集団的自衛権のみを扱ったものではない。それは、日米同盟などの集団的自衛権・国連決議に基づく集団安全保障措置・国連PKO・武力攻撃に至らない侵害への対応(所謂グレーゾーン)・在外自国民の救出・国際治安協力、これら全範囲にわたって、集団的であろうが個別的であろうが、日本が海外で武力行使できるようにすべきだとする極端な提言である。そして湾岸戦争以降の自衛隊派兵において、政府が使ってきた「武力の行使との一体化」を避けるという論は、「役割を終えた」としている。
 にもかかわらず報告は、「憲法改正は不必要」、「政府が新しい解釈を」と結論づけるため、憲法論として無茶苦茶になっている。その思想的特徴は、国防があってこそ人権があるとする国家主義である。
 安保法制懇が十割出して、首相が七~八割出す、そういう演出がされている。安倍は、報告書の全面的な武力行使解禁論に対して「採用しない」としつつ、「わが国の安全保障に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」、これを政府の方向性とすると述べた。
 第一に踏まえるべきは、この集団的自衛権行使の論議の核心は、アメリカの戦争に日本が武力行使をもって参加することの是非にある。
 「重大な影響」、「限定的に」とは、どうにでも解釈できる。「日本人のおじいさん、おばあさんを乗せた米国の軍艦が――」という奇想天外な例も含め、事例が色々語られているが、実際の想定は、米軍との共同作戦における自衛隊の役割の飛躍である。
安倍は、「自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と明言した。しかし武力行使できないとも、戦地に行かないとも言わない。これまでの兵站活動や米軍輸送を安倍が武力行使に含めないのは不当であるが、それ以上のことをやりたいのである。やむを得ず武力行使、は合憲としたいのである。
そして安倍は五月二九日、「年末の日米防衛協力指針の見直しに間に合うように、本件についての方針が固まっていくことが理想的だ」と、本音を述べた。
さて、安倍や安保法制懇は、解釈改憲の必要性のおもな根拠として、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層の厳しさを増している」と呪文のように繰り返している。第二に踏まえるべきは、この「安保環境の変化」は、八割がた日本政府の外交の誤りに起因しているという点である。
中国の海洋進出が、最大の論拠とされている。中国は1974年から実効支配している「西沙」では積極策に出ているが、「尖閣」については、日本の国有化の撤回、「棚上げ合意」の復活を求めているにすぎない。しかし野田政権・安倍政権が一顧だにしないため、日中関係が好転しない。
朝鮮については五月二九日、拉致問題での全面的調査を開始するとの日朝合意が発表された。この進展は、日朝国交正常化の始まりと位置づけるべきであり、アメリカの朝鮮武力攻撃に参加する集団的自衛権行使などはお呼びでないと言うべきだ。
外交政策の誤りのツケを、憲法9条に払わせてよいのか。時々の政府の誤りで、解釈改憲・明文改憲するならば、これほどの立憲主義の破壊はない。安倍政権は、解釈改憲の閣議決定方針を撤回せよ。