大飯原発差止裁判完全勝利(5・21)に続き、川内原発再稼働阻止へ!
  九州・全国で広がる再稼働反対

 国内には数多くの原発があるが、廃止・解体中を除いた原発はすべて停止中もしくは定期検査中であり、現在、稼働している原発はない。2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原発事故以降、すべての原発が定期検査等で稼働停止するなか、再稼働した原発は1年余りではあったが、大飯原発のみである。
 大飯原発の場合、福島原発事故当時、第1号機が定期検査のため停止中で、他の第2号機から第4号機までは稼働中であった。その後、第3号機は11年3月18日から定期検査に入り、第4号機は同年7月22日から、さらに第2号機は同年12月16日から定期検査に入り、大飯原発すべてが稼働停止となった。
 しかし民主党の野田政権は、多くの反対を無視して大飯原発の稼働再開を認め、第3号機が12年7月5日から、第4号機が同年7月21日から稼働再開した。そのため福井県内の住民を中心とする「福井から原発を止める裁判の会」の原告154人が、同年11月30日に福井地裁に大飯原発3・4号機の運転差止を提訴。公判が行なわれるなか、13年9月には両方とも定期検査のため稼働停止となり、再び国内の原発稼働がゼロになった。
 ところが、関西電力は早期の再稼働を目論んで、大飯原発の第3・第4号機の新規制基準適合性に係る審査を、定期検査のため稼働停止する直前の13年7月8日に、全国のトップで原子力規制委員会に申請していたのであった。
 関西電力の性急な運転再開の野望は、先日5月21日の福井地裁判決のとおり原告の全面勝利で見事に挫かれたが、その勝因は多くの人民が原発の再稼働に反対し、その意思を行動で示してきたことにあるのは間違いない。

 川内再稼働が全国的焦点に


 一方、再稼働の突破口が目論まれているのが、九州電力の川内(せんだい)原発である。川内原発の場合、第1号機が11年5月に、第2号機が同年9月に定期点検で停止。九州電力のもう一つの原発である玄海原発は、福島原発事故発生時に第2・第3号機が定期検査中で、11年12月に第1・第4号機が定期検査で停止。その日以降、現在まで約2年半、九州での原発はすべて稼働停止中である。
 しかし九電は、13年7月8日に大飯原発と同時に国内トップで川内原発の第1・第2号機の安全審査を原子力規制委員会に申請するや、四日後の7月12日には玄海原発の第3・第4号機を申請するという暴挙を強行している。
 規制委員会は、一つでも早く再稼働をさせようと川内原発の審査を優先的に進めているが、今年5月23日には地震の審査が終了したとしており、九電は5月末までに、審査で指摘された問題点に関する補正申請書を再提出する予定といわれていた。補正申請書の内容を規制委員会が認めれば、規制委員会は事実上の「合格証」となる審査書(案)の作成に着手し、1ヶ月間の意見募集期間を経て6月末頃、審査書を完成させるつもりであった。最終的には機器設備の点検などの審査を経て合格という形となるが、そうなった場合、新規制基準下で初めての審査合格の原発となってしまう。稼働再開には立地自治体の同意や現地検査が必要とされているが、電力需要が逼迫する夏場での運転再開を大義名分として強行してくることが予想されていた。
 このような緊迫する情勢のなか、川内再稼動阻止が全国的闘いとなった。
東京では、福島原発事故緊急会議の主催で5月24日に連続シンポジウム第6回 「川内原発再稼働を許すな!―― 現地から訴える」が、東京・文京区民センターで開催された。川内原発の地元で三十年以上反対運動を続けてきた川内原発建設反対連絡協議会の荒武重信さんと、地元の取り組みを支援するために「川内の家」を開設している再稼働阻止全国ネットワークの岩下雅裕さんから、現地の取り組みが報告された。シンの案内には、こう記されている。
「原子力規制委員会は、鹿児島県の川内原発を再稼働させるための優先審査を加速させ、5月中にも審査書案をまとめようとしています。しかし、東電福島第一原発事故の原因究明も不十分で、事故収束のメドも立たない中、再稼働などあり得ません。安倍首相がいまだに『世界のどこにも劣らないレベルの厳しい安全基準』(5月1日のロンドン講演)と宣伝する新規制基準は、溶融炉心を貯留・冷却するコアキャッチャーなどの重要設備が義務付けられておらず、世界レベルには程遠いものです。また、政府や規制委は、避難計画の策定を自治体に丸投げし、責任を放棄しています。川内原発の避難計画は、重要項目に『整備するものとする』との記述が目立ち、要援護者の避難手段や十分な避難道路も考慮されておらず、住民に大量被ばくを強いるものとなっています。さらに規制委は、川内原発周辺に林立する巨大火山のリスクを極めて軽視しています。火山学者の警告が相次ぐ中、規制委は有識者会合の必要性を認めたものの、再稼働審査と切り離して行うと表明しています。火山学者の指摘に真摯に向き合い、『立地不適』の判断こそを下すべきです」
 ところが、5月27日九電は、補正申請書の提出が当初予定の5月末から6月にずれ込むと発表した。そのため夏場での再稼働は困難になったといわれているが、大飯原発の運転差止判決や川内原発の再稼働を認めない運動の高まりが、早期の再稼働を押し留めたといえるだろう。
また5月29日には、実行委員会の主催にて「川内原発動かすな!東日本決起集会」(明大リバティホール)が行なわれ、鹿児島への6・13全国結集などが意志一致された。さらに6月1日には、首都圏反原発連合の主催にて「川内原発再稼働やめろ!首相官邸前・国会前大抗議」が行なわれる。

 5・31自主公聴会、 6・13鹿児島集会

 九州ではどうか。5月28日から30日にかけて三日間連続して、宮崎県では「さよなら原発!都城・北諸連絡会」の主催で都城市にて、また「宮崎の自然と未来を守る会」の主催で宮崎市にて(300人参加)、また「さよなら原発!小林連絡会」の主催で小林市にて、井戸川克隆・前福島県双葉町長の講演会が開催された。
 5月31日には、川内原発の地元である薩摩川内市にて、原子力市民委員会の主催の「川内原発再稼働についての自主的公聴会」が行なわれ、約100人が参加。
この自主的公聴会で吉岡斉九州大学教授(元政府原発事故調査委員会委員)は、「原子力市民委員会は、政府の原子力政策大綱に対して真正面から代案を出す」と提起し、新規制基準の曖昧さや原子力規制委員会の審査の欠陥を、また規制委員会は原発事故の際の避難など全然考えていないことを指摘した。
満田夏花・国際環境NGO理事は、原子力規制庁(規制委員会の事務局)の火山審査ガイドの矛盾点について説明。
荒木田岳・福島大学准教授は、「放射能は絶対に漏れないと言いながら、事故が起きたらこの程度は大丈夫と安全基準が緩められた。いわば禁じ手を使われた」と原子力規制のいい加減さを指摘し、福島原発事故の原因が究明できていない中での再稼働の動きを批判した。また自分が福島に在住するも原発事故による緊急事態宣言が出ていたことがわからなかった経験を紹介し、避難計画を作成しても通信機能が不通の状態では全く役に立たないことが説明された。
滝谷紘一・元原子力安全委員会事務局技術参与は、「自分は民間企業で原子力開発に携わり、最後の8年間は原子力安全委員会の事務局で規制に従事した。しかし福島原発事故で自責の念に襲われた。発生頻度は百万年に一回程度で実際に起きることはないと思っていた。過酷事故の深刻さ、甚大さも含めて自分の不明を恥じ入るばかりです。その悔悟と反省に立って過酷事故を再発させないためには原発ゼロしかないと思い、脱原発の市民活動に加わりました。仕事を通じて得た原発技術や規制の知識を活かしたいと願っています」(案内文)と自己紹介し、川内原発の新規制基準での審査内容の問題点、いわゆる過酷事故や水素爆発への対策がなっていない点を指摘した。
地元からは複数の市民団体から、避難受入先を含めて各自治体と避難計画について交渉するも、「今後検討します」、「受入先としては避難側が考えるべき」、「国の指示があると思います」などと無責任な回答に終始している実態が報告された。
6月1日、川内原発から50km圏内にある熊本県水俣市では、「脱原発をめざす首長会議」および原子力市民委員会の主催、「原発避難計画を考える水俣の会」共催によって、緊急集会「川内原発の再稼働を考える~鹿児島だけの問題ではない」が行なわれ、「脱原発をめざす首長会議」から上原公子・元国立市長、佐藤和雄・元小金井市長、井戸川前双葉町長が出席予定である。
 さらに6月13日の鹿児島県議会の議会開催初日に、県議会(県庁)を包囲する現地行動が、「ストップ再稼働!3・11鹿児島集会実行委員会」(地元や全国の住民団体や市民運動団体のほか、生協や宗教団体、旧総評系労組、全労連系労組、部落解放同盟など超党派で参加)のもと呼びかけられており、全国から結集する予定である。
 川内原発の操業停止を求める「原発なくそう!九州川内訴訟」は、民主党政権当時、大飯原発の再稼働が強行されようとする緊迫情勢のなかで準備され、12年5月30日に原告1114名で鹿児島地裁に提訴したものである。裁判は現在も係争中であるが、原告は約2200名に増大。
内23人が先日5月30日、再稼働の差止を求める仮処分を鹿児島地裁に申し立てた。これは早期に差止め命令を得るために、基準地震動に問題をしぼった請求となっている。

 九電本社前テントの現況

 川内原発と玄海原発を抱える九州電力に対して、12年4月20日から開始された、福岡市・九電本社前でのテントを張っての座り込み行動「原発とめよう!九電本店前ひろば」は、14年1月14日で1000日目に突入。開始当初は24時間体制で、現在は平日の10時から17時までの行動であるが、この記念すべき日に九電に対し、玄海原発第3・第4号機の再稼働申請を取り下げるよう再度の要請書を提出(最初の要請書は「さよなら原発!福岡実行委員会」で13年12月27日に提出済)。
九電は原子力規制委員会で審査中であることを理由に回答を拒否していたが、このたびやっと半年経過して回答することになり、来たる6月11日(テント座り込み1148日目)に本社前テントひろばに集合し、九電の回答を受けて交渉を行なうことになっている。
 反原発の声と運動の高まりは裁判所までを動かし、大飯原発の運転差止の判決にまで至った。再稼働の先陣が目論まれる川内原発に対して、判決以降はとくに、再稼働阻止の取り組みが全国各地で連続して行われる。それらに結集して再稼働させない運動をさらに大きくして行こう!(九州M)


東京6・1
 川内原発再稼働やめろ!官邸・国会前大抗議
  地元鹿児島から怒りの訴え

 川内(せんだい)原子力発電所の再稼動が、原発再稼動の突破口として政府・電力会社によって目論まれる中、六月一日の国会周辺では、「川内原発再稼動やめろ!0601官邸・国会前★大抗議」が取り組まれ、炎天下にも負けず約・・・・人(主催者発表)が参加した。主催は、反原発諸団体による首都圏反原発連合。
 2時からの国会正門前での抗議集会では、井上勝博さん(薩摩川内市議会議員)が次のように発言した。「市内に、首都圏反原連からもらった再稼動反対のリーフレット2万部を配布中ですが、同時にアンケートを求めています。すでに750通もの返信が来ており、内85%が再稼動反対で、市民の率直な声が表明されています。残念ながら市議会では議員26名の内、明確に再稼動反対2名・消極的反対2名という状況ですが、これは市民の世論の変化を知らないからです」と地元情勢を報告し、東京・全国と連帯して再稼動阻止の決意を表明した。
また、小川美沙子さん(鹿児島市議会議員)は、「昨年霧島が噴火し、今年は桜島大噴火百周年です。川内再稼動は、その教訓、噴火災害の危険を無視しています」と、鹿児島市民に配られる「克灰袋」を示しながら報告した。
また、川内博史さん(民主党、元衆院議員・鹿児島1区、なお薩摩川内市は2区)は、「九電による川内原発での基準地震動が、ゴマカシであることを広く知ってほしい。想定される揺れを2分の1位で算定している。耐震性から言っても再稼動はありえない」と指摘した。
その他多くの発言が、国から地元自治体に丸投げされた机上の避難計画、川内原発については、鹿児島県が二九日に発表したばかりの試算(30キロ圏内の避難時間29時間、ただし要援護者考慮せず)を批判した。避難計画が成り立たなくても、再稼動を認めるのか。十三日からの県議会で大きな論点となるだろう。
抗議集会は、菅直人元首相、阿倍とも子衆院議員、共産党の志井委員長ら、社民党、生活の党、また河合弘之弁護士、伊方原発立地の地方議員などなどが発言。全体に、大飯原発差し止め裁判の画期的勝利を受けて、攻勢の感がある行動であった。(東京W通信員)