韓国セウォル号沈没事故―高まる政治不信
  人殺しの新自由主義

 四月十六日に韓国南西部の珍島沖で起きた、韓国旅客船セウォル号沈没事故では、高校生ら220名の死者と82名の安否不明者(五月一日現在)を出す大惨事となったが、多くの問題点と多数の逮捕者を出す「人災事故」ともいえる事態に発展している。
 我々は、この事故の犠牲者の皆さまに衷心から哀悼の意を表する。それとともに、韓国民衆と共にこの問題の本質を探り出す必要があるだろう。
 各種マスコミでも、さまざまな問題点が指摘されている。このセウォル号は、94年に日本で建造・就航された後、韓国の海運会社に売却され、増改築をした後の2013年に、仁川と済州島間のフェリー船として再就航していた。この増改築では、定員増大や積載量の拡大などが施されていた。この事故時、セウォル号には、制限量の3~6倍もの貨物が搭載されていたという。
 また、事故直後、船員による適切な避難誘導が乗客になされておらず、救助船が到着した時、乗客救出の「先陣」を切って助けられたのは、船長をはじめ船員たちであった。船員には、避難誘導訓練が行われていなかったという。
 事故発生時の韓国海洋警察などの対応のデタラメさも指摘され、海洋警察には捜査の手が入った。これらを含め、犠牲者家族から政府への批判が高まると、朴クネ大統領は批判をかわそうとテレビで謝罪会見を行なったりしたが、被害者家族との直接の面談謝罪を拒絶し、国民から非難を受けて、その支持率の急低下を招いている。
 指摘されている事象だけでは、事故原因の全体には迫りきれないが、その範囲でも本質的な問題点が潜んでいるだろう。この海運会社にしても、韓国政府にしても、「規制緩和」の掛け声の下、人命よりも利潤追求を第一としてきた姿勢に変わりはない。このような事態を招いたのも、とくに前政権・李明博時代に強力に進められた、新自由主義の結果といえる。
 事故原因があれこれ開陳され、海運会社や船長、海洋警察が処罰されても、労働者・利用者の権利や安全をないがしろにする新自由主義政策が止められなければ、事故の根絶は望みようもない。
 朴クネに一層の批判が高まれば、父親同様、より強権政治に向かう危険もあるだろう。このかん進歩勢力に向けられた刃が、全ての韓国民衆に、事故犠牲者家族であろうとも向けられるかもしれない。
 その前に、朴クネ政権に終止符が打たれることを期待したい。四月末の世論調査では大統領支持率は、事故前の6割台から48%に急落し、与党支持率も低下している。事故で野党支持が増えるかというとそうではなく、最大野党の新政治民主連合も25%から24%に下げている。既存の政治全体が、民心を失ったというべきである。
六月四日の統一地方選はどうなるのか。新政治連合は、民主党と安哲秀(アン・チョルス)派が連合して三月に発足したばかりの、いわば保守リベラル勢力であるが、かえって事故によって不透明となった。新自由主義では、李政権以前の民主党政権にも責任がある。
労働運動・社会運動と統一運動とを不可分におし進める勢力を、韓国では「進歩勢力」と呼ぶ。このかん統合進歩党は、激しい弾圧を受けている。しかし、セウォル号事故の深刻な教訓が国民全体のものとなるならば、進歩勢力の再生も見えてくるのではなかろうか。(Ku)


4・19東京
 済州島4・3事件66周年追悼の集い
  法定記念日とはなったが…
  

 李承晩による南部だけの単独選挙に反対する、1948年の済州島民の武装蜂起。これに端を発する「済州島四・三事件」は、朝鮮半島の南北分断を決定づけ、朝鮮戦争の導火点となった。このなかで済州島民3万とも、8万ともいえる人々が虐殺された。
 そこから66年を迎えた本年四月十九日、済州島の代表団を招き、「済州島四・三事件66周年追悼の集い」が東京・日暮里サニーホールで、満員の500名を超える参加でひらかれた。主催と企画・構成は、「済州島四・三事件を考える会・東京」。
 追悼の集いは、女優・佐々木愛さんによる追悼の言葉の朗読と、黙祷で始まった。
 主催者あいさつが、「考える会・東京」会長の曺東鉉さんから、済州島代表団の紹介とともに行なわれた。十一年前のノ・ムヒョン大統領の謝罪に始まる韓国国家としての取り組みは、今年三月二四日に、「済州4・3犠牲者追悼の日」を法定記念日と定めるに至ったことを紹介しながら、しかし国家権力の動向は監視し続けねばならない、分断反対と4・3蜂起の史実の解明、米軍の責任追及など課題は多い、と今後の取り組みの決意が述べられた。
 済州島代表団からは、済州4・3平和財団のリ・ウンギョ理事長、済州島犠牲者遺族の会のチョン・ウギョン会長が挨拶した。
 映画『スチル』の映像紹介の後、済州島出身で作家の玄基榮(ヒョン・ギヨン、代表作・小説「順伊おばさん」)さんが、「大量虐殺はなぜ起きたのか―済州島四・三事件」との演題で講演した。
玄さんは、こう語った。作品の執筆を通し真実を明らかにしたことで、かって軍部の情報機関に連行され、拷問を受けた。これにより、当時三十年前のあの事件が、現在進行形であると認識した。また済州島4・3事件は、米軍が介入した事件なので、世界に向かって戦争ではなく平和を、と堂々と叫ぶ資格があるとも語った。講演の後、多くの質問が出されたが、彼は丁寧に答えていた。
朴保(パク・ホ)ライブも行なわれた。例年の祭礼は行なわれなかったが、済州島4・3事件の核心を突く熱気あふれる集いとなった。(東京Ku通信員)