憲法9条解釈改憲と立憲主義破壊を許すな!

      集団的自衛権行使容認は絶対阻止


  共同闘争拡大で閣議決定阻止

 安倍政権は、9条解釈改憲による集団的自衛権行使容認の閣議決定を、今国会中に強行せんと画策している。しかし、それに対して自民党内外からも与党公明党からも批判が噴出、一層矛盾が拡大している。
 安倍政権は、極右首相をいただく右翼反動政権として、靖国問題などで世界の諸政府、人民から孤立し、今や自民党内外からも「立憲主義に反する」、「慎重に議論すべきだ」との批判が噴出、孤立を深めているのである。
三月のロシアによるクリミア不法併合は、孤立する安倍政権への助け舟となった。四月下旬のオバマ訪日では「力を背景とする現状変更に反対」として、日米同盟の修復を演出するだろう。しかし集団的自衛権問題での強行突破は、安倍を再び孤立させる。
 党内対策が必要となった安倍政権は三月二五日、自民党総務会で、憲法解釈の見直しによる集団的自衛権行使容認に向け「党内論議を本格化するため」として、首相直属の協議機関「安全保障整備推進本部」設置を決定した。そして石破幹事長を本部長に、三月三十一日初会合を開催している。
 安倍政権は、石破幹事長を本部長にすえることによって批判を封じ込め、行使容認への意見集約を加速せんと狙っている。近々の安保法制懇の報告を受け、閣議決定に持ち込まんと遮二無二突き進んでいるのだ。安倍右翼反動政権は、アメリカとともに地球の裏側ででも戦争できる国をねらっている。その野望は、2013年12月決定の新防衛大綱が、集団的自衛権行使を先取りして構想されていることにもあらわれている。
 また安倍政権は四月一日、武器輸出を原則禁止から原則自由に変更する閣議決定を強行した。これは集団的自衛権行使容認と表裏一体の大暴挙であり、安倍政権を打倒して撤回させねばならない。
安倍政権が描く集団的自衛権行使容認のシナリオとしては、四月、安保法制懇報告提出。その後自公での話し合い。夏、内閣法制局了解と集団的自衛権行使容認の閣議決定。秋、臨時国会での自衛隊法など改正案成立。年末、「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」改定との報道もある。(2014・3・3朝日)
 今や集団的自衛権行使容認阻止の闘いは、正念場を迎えている。労働者・市民は、安倍政権の矛盾をつき、固く団結して幅広い共同闘争を実現。闘いを一層拡大しよう。そして、安倍右翼反動政権を打倒しよう。

  行使否定の歴代政府解釈

 安倍政権が行使容認を画策する集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合、自国が武力攻撃を受けていなくても武力で反撃する権利を指している。つまりアメリカが武力攻撃を受ければ、自衛隊はアメリカが行なう戦争の前線で一緒に戦うことを意味している。
 この集団的自衛権の行使は、歴代の政権のもとで否定されてきた。歴代政府の9条解釈では、「集団的自衛権は国際法上認められているが、憲法9条のもとでは行使することはできない。自衛力は自衛のための必要最小限の実力であり、自衛隊がそれにあたる」と説明してきた。この解釈は、自衛隊や日米安保条約を正当化する一方、日本の軍事力を制約する役割を担ってきた。これが今日までの内閣法制局の見解である。
 1951年「日本国との平和条約」と旧「日米安保条約」が結ばれた。この二つの条約は、集団的自衛権にも言及している。しかし当時の政権は、「国際法上の問題であって、憲法上行使できない」との基本的考え方をとっている。
 60年改定安保の際には、日米安保条約第5条「共同防衛」に、「日本国の施政の下にある領域」との文言を加えている。政府は、集団的自衛権を必要最小限度の範囲で行使するとの論議を否定、在日米軍基地への攻撃に対する反撃も、個別的自衛権の範囲であると説明してきた。
 さらに1972年の田中内閣時には、「集団的自衛権の行使は自衛権の限界をこえるもので許されない」とし、そして、1981年5月、稲葉衆議院議員の質問に鈴木善幸内閣は答弁書を示し、現在の議論の基礎になっている法制局見解を定式化することになる。
 これら9条解釈の変遷は、平和運動と憲法を結びつけた労働運動・市民運動の展開、憲法学界の多数が非武装平和主義の解釈をとっていたこと等、当時の力関係で規定されていた。
 また一方では、米ソ対決に日本自身がかかわる過程で、対米協力を正当化するために、集団的自衛権を国際的には保有するが、行使は9条との関係でできないとの解釈を政府に執らせることになった。
 しかし冷戦が終了すると政府は、アメリカ軍の行動と一体化しない概念を作って、憲法解釈をなし崩しにしていく。つまり、戦闘地域と一線を画す地域での医療や補給等それ自体戦闘ではない行為を行なうのであれば、憲法上禁止されている集団的自衛権行使にはあたらないとの政府解釈をとるようになる。自衛隊イラク派兵や給油艦アラビア海派遣も、このような憲法解釈で行なわれている。
「一方に9条があり、他方で国民の生命・財産の保護がある。そこで外国からの武力攻撃があれば自衛の措置をとる。しかし9条から、その措置は必要最小限でなければならない」、歴代政府はこの解釈を基礎にしてきた。無論、これは9条の条文に照らして明らかに違反している。個別的自衛権を含め国家による交戦権を放棄したのが、第9条である。我が党も日本国憲法9条「戦争・戦力放棄」の支持を表明、共産主義者の国家論に立脚して、9条の社会主義的継承を明確にしている。従って、政府の憲法解釈を容認しないのは当然である。

  政府の解釈変更は立憲主義否定

 安倍政権は、9条の「戦争放棄、交戦権の否認」を否定し、従来の政府解釈を変更して、集団的自衛権行使を可能にしようと画策している。現に安倍首相の私的諮問機関「安保法制懇」の北岡座長代理らは、集団的自衛権行使は憲法上認められるとし、憲法解釈として全面解禁する内容で、四~五月に報告書を提出する。
 そして「地球の裏側まで自衛隊が米軍と共に戦争する」との批判をかわすために、他国領土に上陸しないなど「必要最小限度」の集団的自衛権行使であるとか、周辺事態法の「周辺事態」での行使であるなど、あいまいな答弁を付けて乗り切ろうと画策している。
 しかし、「周辺事態」を政府は、「地理的範囲ではなく、あくまで日本の平和と安全に重要な影響を与えるかどうかという事態の性質に着目した概念」と統一見解をまとめている。それは、「日本の平和と安全に重要な影響を与える」との解釈によって、世界中のいたる所で戦争を可能にする。しかも「重要な影響」の定義もあいまいで、「必要最小限度の集団的自衛権行使」の必要最小限度とは、どの地域どの範囲を指すのかも定かでない。限りなく拡大することも可能となる。
 つまり、集団的自衛権行使の容認によって、もはや9条は存在しないことになる。これは9条改憲を意味し、本来は96条の改憲手続をとらねばならない性質のものである。集団的自衛権行使を憲法解釈によって容認するのは、憲法違反を首相自らが犯すことになる。しかも、憲法を守るべき首相が改憲を主張するのは、99条違反であり、立憲主義を否定する暴挙である。
 この立憲主義と憲政擁護の立場からも、まさに安倍政権は打倒されなければならない。