道州制論議に寄せて―最終回

 自民―官僚同盟の復活すすむ
                                 堀込 純一


 Ⅶ 第二期分権改革の混迷

  (六)中央集権制の再強化で元の木阿弥

 一昨年の衆議院選に引き続き、昨年の参院選でも自公が勝利し、巨大与党の下で、中央省庁の復権が進められている。この結果、自民党と中央官僚の同盟が修復され、元の木阿弥となり、地方分権そのものがかすみだしている。
 北陸新幹線の大阪延伸、延期されていた高速道路の復活、無駄なダムの工事再開など、アベノミクスの一環としての公共工事は、安倍内閣によって、矢継ぎ早に、大幅に復活している。 
 労働力の縮小という全体的な傾向の下で、今、公共工事の増大は、人手不足で被災地や緊急に必要なインフラ工事など優先的に進められるべき箇所ですら、入札が成立しなかったり、工事開始時期が延期されたりする始末である。これに加えて、円安に伴い資材が高騰し、工事が遅れている。
 それだけではない。インフラの老朽化対策では、道路法が「改正」され、国が地方自治体に代わって、地方の道路を補修する仕組みが作られている。これによって、国土交通省の出先機関の権限強化がもたらされるのは、いうまでもない。
 自公の選挙公約に盛り込まれた「地方産業競争力協議会の設置」は、ブロックごとに地方版の同会議を設けて、地方企業の要求を国の政策に反映させる、としている。これもまた、産業経済省の出先機関の肥大化となるであろう。
 安倍政権が唱える「地域活性化」なるものは、地方分権ではなく、中央省庁主導であり、中央官僚を復権させ、自民―官僚同盟を復活させる代物に過ぎない。
 
 〈道州制推進の熱気も冷める〉
 近年、財界を中心に熱心に論議されてきた道州制の推進も、一部の財界筋を除き、いまやめっきり熱気が冷めつつある。
 二月一八日、自民党の道州制推進本部は幹部会を開き、道州制導入に向けた基本法案の原案をまとめた。それによると、①首相や国・地方の議員らによる首相の諮問機関「道州制国民会議」を内閣府に設置する。②道州の区域割りや権限などの設計を3年以内に答申させる。③導入するかどうかの最終判断は、政府に委ねる―などである。
 昨年の通常国会で提出をめざした法案では、「国民会議」の答申から2年をメドに必要な法整備をする、と明記されていたが、今回は、この部分が削除されている。これは、党内や地方団体に、依然として、道州制に対する右からの反対論が強く、これに配慮したためである。
 なお、内閣に別途設ける「道州制推進本部」の役割は、省庁間の調整などに限定し、具体的な企画立案には関与しないことになっている。
 三月一七日、自民党の道州制推進本部の今村会長らは、安倍首相に官邸で会い、道州制推進基本法案の党内論議を再開させる方針の了承を得た。反対論が強く、昨年は党内論議を中断し、法案の修正作業に転じていた。その作業が先月終わったので、党内論議を再開
しようと、安倍首相・総裁の了解を取ったのである。
 この際に、今村会長は、基本法案の今国会提出を目指す考えを表明した。4月にも、公明党などと議員立法で、法案の共同提出を目指すというのである。
 しかし、安倍首相は、「丁寧に議論してほしい」と指示し、法案提出に積極的ではなかったようである。この結果、一部マスコミでは、「早期の法案提出は微妙な情勢だ」(『日経新聞』三月十八日夕刊)と報じている。
 安倍政権は、いまや道州制による「地方活性化」などという回り道をすることなく、中央官僚との結託による「日本経済の再生」という手馴れた手段に復帰するほうが手っ取り早いというのであろう。
 
 〈人口減時代の小手先での都市対策〉
 総務省は、横浜市や新潟市など指定市の要望をふまえた「指定市強化法案」を練ってきた。これにより、安倍政権は三月一八日に、政令市制度改革を柱とする地方自治法改正案を閣議決定した。
 法案の主な内容は、以下の通りである。
①政令市の現行の「区」を「総合区」に格上げできるようにする。現行の「区」は、住民票の発行などの窓口対応が主な業務となっている。だが、新設の「総合区」では、街づくり、社会福祉・保健衛生などの事務をも執り行なうようになる。
②「総合区」には、議会の同意を得た上で、特別職の区長を置き、区長は、区職員の任命権や、関連予算に関して市長への予算提案権などをもつ。
③道府県と政令市の「二重行政」を解消すると称して、重複する事業の一本化などを話し合う「調整会議」の設置を義務付ける。「調整会議」での協議が難航した場合には、市長や知事が総務省に勧告を求める仕組みも盛り込んだ。
④人口減などにより、単独では既存の住民サービスを維持できない自治体には、近隣自治体との間で、事業や費用負担を分担する広域連携を促す「連携協約」を導入する。
⑤政令市に次ぐ中核市の要件を、人口30万人以上から20万人以下に引き下げる。特例市制度(現行20万人以上)を廃止し、中核市に一本化する。(政令市は70万人以上の要件)
 今回の地方自治法改正の全体的な特徴は、現状の矛盾から来る都市の要求を部分的に認めて、お茶を濁す程度で、地方自治・住民自治を大胆に前進させるものではない。いわば、小手先での都市問題に対する対処策でしかない。
 具体的にみれば、④、⑤は、人口減少に追随した施策である。自治体間の連携は、従来から進められてきた「広域行政」の一種であり、④の場合は、とりわけ、人口減少という事態に焦点をあてたものである。
 ⑤は、人口減少が都市部にまで及んできている現状に、ただ合わせただけである。従来からかかえる、中央政府―中間政府―地方政府というピラミッド型の上からの支配機構と基礎自治体優先の原則との間のあつれき・矛盾を解消するようなものではない。
 ①、②、③は、今回の地方自治法改正の柱となるものである。この間、道州制論議の結果として、大阪都構想、中京都構想など、地方版の中央集権主義構想が新自由主義とともに吹聴され、一つのブームになってきた。既成政党は、この風圧をできるだけ避けようと、とりあえずこの流れに押しつぶされないようにと迎合し、2012年に、東京23区のような特別区を設置できる大都市地域特別設置法を成立させた。
 だが、中京都構想はすでに見るも無残に破綻し、大阪都構想も堺市が拒否し、大阪維新の会も弱体化することなどで、きわめて困難な事態になっている。
 このような情勢を前にして、安倍政権は、橋下市長や維新勢力の「撤退」を助けるために、新たに「大阪都」を設置しなくても「二重行政」の解消となる(とされる)「調整会議」を道府県と政令市の間で設置することを義務付けたのである。
 しかも、中央政府はここで、上級権力者としての権威をふたたび確認させるかのように、「調整会議」の協議が難航した場合には、実質的に総務省が裁くという仕組みを設けたのである。なんのことはない、地方自治の前進ではなく、中央集権制度の補強でしかない。
 そして、他方では大都市での矛盾が一向に解決されないで放置されていることから蓄積する市民の不満をそらすために、都構想のような制度改革をへることなく、迅速に対処するために「総合区」の設置を可能としたのである。しかし、区長は区民による直接選出ではなく、住民自治の発展に結びつくものではない。
 したがって、大都市の自治制度問題の抜本的な解決とはならず、戦後かかえてきた東京都と23区との間の矛盾・対立と同じような問題が、各地の政令市に波及することにならざるを得ないのである。
 
 〈復興を遅らせる無駄遣いと官僚主義〉
 自民―官僚同盟の復活は、その弊害を早速露呈させている。その典型的な事例は、東日本大震災の被害地にみられる。
 政府は、被災地の復興事業に5年間で約25兆円をあてる予定だが、すでにマスコミなどで報じられているように、被災地とは遠く離れた場所で、復興事業とは関係ない事業に、復興予算が使われるというデタラメな状況が明らかにされている。
 それだけではない。2011~12年度の会計検査の結果によると、復興予算約19兆円のうち、22・8%にあたる約4・5兆円が未使用だったといわれる。
 これには、さまざまな理由がある。第一には、実際に、復興予算を使う職員が足りず、未使用予算が増えているのである。第二は、安倍政権のアベノミクスでより顕著になったのだが、資材の高騰と人手不足で、復興事業が立ち遅れているからである。
 このことは、事業遂行の実際状況も十分に点検しないで、人気取りのために、とにかく復興予算を増やしてきたことを意味する。それに加えて、安倍政権は不要不急の公共事業を全国各地で増大させ、資材を高騰させ、人手を被災地から引き離したのである。
 他方で、政府とは対照的に、現地では無駄な公共事業をなくし、実際的な公共事業に換えていく活動が役人などの妨害や抵抗をはねのけつつ、進展している。
 代表的なのは、防潮堤計画が相次いで縮小していることである。三月九日付けの『朝日新聞』によると、岩手・宮城両県だけでも、官僚たちが一方的に作った巨大な防潮堤計画が、34か所で、当初の計画よりも堤の高さを引き下げる形で縮小しているといわれる。
 計画が縮小された理由は、主に、住民の要求である。その要求とは、「景観をそこねる」とか、「海が見えず、逆に危険だ」とかである。官僚の計画から見えるのは、相変わらず、自然の活動を人為的に完全にコントロールできるという思想である。だからこそ、10数メートルもの防潮堤をつくるなどという計画になるのである。
 だが、住民たちの考えは正当にも、自然と共生するという思想である。だから、とほうもない高さの防潮堤などよりも、津波が発生したら何よりも避難することを最優先するというものである。
 このことは、公共事業を官僚任せなどにはしないで、計画段階から住民の意見を反映させることがいかに重要なことかを示している。安倍政権が、無駄な公共事業を横行させ、財政赤字を拡大させるのをやめさせるためにも、住民要求を計画段階から反映させる制度が、是非とも必要である。
 この間の復興活動でもう一つ重要な教訓は、復興庁の活動を抑え込む官僚主義の弊害である。
 復興庁は、行政の復興活動の「司令塔」であり、霞ヶ関と被災自治体間の「調整役」でもある。この役目を果たすために、復興庁は、「各省より一段高い立場から総合調整を行う」(内閣官房)と位置付けられているそうである。
 だが、復興庁は、現実には、位置づけ通りに活動できておらず、その役目を果たしていないのである。それは、一体、何故なのか。
 結論的に言えば、それは、既存の省庁の権限が強く、縦割り主義に振り回され、復興庁が本来の役目を果たせないためである。
 復興庁の職員は、約520人(昨年末現在)であるが、2020年度末には解散が決まっているため、生え抜きの職員はおらず、各省庁からの寄り合い所帯である。復興庁の予算も、約2・9兆円(昨年度)であるが、その四分の三である2・2兆円あまりは各省庁の要求を検討して計上したものである。したがって、「自前でできることはあまりない」(元政務三役の一人 『朝日新聞』三月八日付け)といわれる。
 日本の官僚機構は、戦前から巨大で歴史も古く、内閣ではなく天皇に仕えてきた歴史も古く、各省庁とも、「省益最優先」の体質が強く、役人は、現役時代だけでなく、OBになっても、出身官庁への隷属心が強い。
 だから、非常事態に応じて、復興庁などを組織しても、とても目的通りの活動と任務遂行はできないのである。所属する職員は、出身官庁の方へ眼が向いていても、住民の方へはほとんど向いていないからである。
 
  基礎自治体優先の原則と住民自治の発展を

 日本の地方自治は、戦後憲法の下で、戦前とは質的に異なった地方自治制度を獲得することができた。しかし、それは簡単なことではなかった。制度は変わっても、その担い手も含め、旧来の体質を克服する活動なしには、人民的民主的な地方自治は運営できなかったためである。
 その中で、何回かにわたって復古反動が起こっている(最大なものは、占領期が終わる時)が、それを乗り越えつつ、地方自治を前進させる闘いは継続している。その歴史を踏まえると、最大の教訓は、基礎自治体優先の原則を地方自治制度全体に浸透させることであり、住民自治を発展させることである。
 今日また、安倍政権の「復古反動」が憲法や軍事・外交などで顕著となっているが、教科書問題などをはじめとして地方自治の分野でも明確になっている。安倍政権の反動に抗し、地域住民の広範な団結と連携で、地方自治・住民自治の発展と前進が求められている。 (終わり)