教育委員会制度抜本転換の「地教行法」改革案
    許すな!首長権限強化
                           教育労働者 浦島 学

(1) 制度改悪は、軍国主義教育の推進

 2月17日、安倍首相は、新教育長の任免権を首長に与えるなど、教育委員会(教委)制度改悪のため「地方教育行政法改正案」の今国会提出を明言、その決意を示した。
 その首相決意表明後の2月19日、自民党文教部会で「教委制度改革案」を正式決定した。それは、戦後教育制度を変える1956年の教委公選制廃止に次ぐ大転換であり、教育への政治介入を許し、軍国主義教育を強力に推進する教育制度の大改悪である。
 「教委制度改革」論議は、2011年大津市で起きた「いじめによる自殺」という心をいためる事件で、市教委の対応に批判が高まったことに端を発している。本質的には、新自由主義による差別選別教育を推進し、子どもたちを競争のルツボに投げ込む教育こそが問われたにもかかわらず、安倍政権は、「教委改革」論議に擦り替え、教委制度改悪を画策した。
 それは、子どもたちの幸せとは無縁の教育であり、子どもたちを再び戦場に送らんとする反動教育以外の何物でもない。国会提出を許さず闘い抜き、安倍反動政権の打倒が求められている。

(2) 首長権限強化で教委の独立性は形骸化

 政府と自民党が大筋合意した「教委改革案」の最大の特徴は、自治体の首長権限が大幅に強化されていることである。「改革案」は、教委のトップ教育委員長と、教育事務局を指揮監督する教育長を統合、新ポストに「新教育長(仮称)」を設置している。そしてその任免権を首長が持ち、新教育長の任期も首長の意向を反映しやすくするため、教育委員の半分、2年としている。しかし現行では、教育委員は地方公共団体の長が議会の同意を得て任命(地方教育行政法=地教行法第4条)し、教育長は、当該教育委員会の委員であるもののうちから教委が任命する(同16条)とされている。つまり教育委員の中から互選し、教委が任命することになっている。「改革案」は、これを否定、教委と首長の関係が対等から主従関係に変化し、首長の権限を強化。教育への政治介入を可能にしている。
 さらに「改革案」では、新教育長や教育委員・議会代表者・有識者で構成する「総合教育施策会議」(仮称)も設置するとしている。この会議は、首長が主宰し、教育行政の大綱的方針や学校の組織再編、教職員定数などの重要事項を議論し決定する。これによって首長が教育にかかわる重要事項を掌握、教育行政を牛耳ることも可能になる。現行制度ですら首長の顔色をうかがう教育長が多く、独立性が形骸化しているが、この「改革案」によってさらに形骸化が進むことになる。また「重大事」が起きた場合、教委に対し措置要求できることも盛り込まれている。
 「教委改革案」が実行されるならば、教育行政は、首長によって大きく変化することになる。従って、極右反動の安倍首相につながる日本会議地方議員連盟や反動右派勢力が、首長に反動政治家を擁立、当選させて、軍国主義教育を強力に推進することが可能になる。

(3) 教委の「最終権限」とは詭弁

 昨年12月13日、「教育委員会制度改革案」が中教審から下村文科相に答申されている。そこでは、首長が自治体の教育理念や目標を定め「大綱的な方針」を策定、教委は、その方針を事前に審議・勧告する、補完的役割のみ担うとされている。しかし、今回自民党がまとめた「教委改革案」は、最終権限のある「執行機関」と位置付けられた。そして、教科書の採択、教職員の人事・研修、公立教育機関の管理規則の制定等、教委に権限を残している。それは、公明党などに配慮して盛り込まれたもので、本質は、何ら変わることはない。
 例えば、教委に教科書採択の権限が残るにしても、前述の首長が主宰する総合教育施策会議で「愛国心を高める」というような方針が決定されれば、反映せざるを得なくなる。つまり自主的に教科書を採択するのは困難になる。
 なぜなら、教育長の任免権は首長にあり、関係は、主と従の関係に変化しているのだ。自民党案は、公明党を抱きこみ、教育改革を有利に進めるために、教委に執行機関としての権限を形だけ残しているに過ぎない。
 現に公明党の井上幹事長は、2月14日の記者会見で、教委が執行機関として存続することについて、「最終的な責任が、行政から独立した機関で担われることで、政治的中立性の担保という基本的な考え方が貫けるのではないか」と評価した。首長の権限強化で教委の独立性を形骸化し、軍国主義教育推進の片棒を担ごうとする意志を鮮明にしたのだ。特定秘密保護法は、公明党の賛成によって強引に可決されたことを忘れてはならない。

(4) 国の関与強化の「改革案」

 自民党「教委制度改革案」と、12月13日に中教審から下村文科相に答申された案とでは、前述のように、教委の位置づけのちがいや、新教育長の設置、「総合施策会議」の設置などで違いがある。中教審からの答申では、「大綱的な方針」等の策定は、補完的役割の教委が審議・勧告し、首長が策定するとされている。しかし、自民党「教委改革案」では「総合施策会議」が担うとされている。このようにいくつかの違いがある。しかし、基本的には、教育への首長権限の強化・軍国主義教育の推進を画策していることにかわりはない。そして、国家関与を強化する内容も盛り込まれている。
 現行、地教行法は、第5章「文部科学大臣及び教育委員会相互間の関係等」の中の第49条(是正要求の方式)、第50条(文部科学大臣の指示)で、文部科学大臣が都道府県教委・市町村教委に是正要求、是正指示できる場合を定めている。それによれば、「児童・生徒等の教育を受ける機会が妨げられ、教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」や、「児童・生徒等の生命または身体の保護のため緊急の必要がある場合」に是正要求は限定されている。
 しかし、自民党「教委改革案」はこの要件を緩和、教科書採択やいじめ問題等でも教委を直接指導できるようにしている。
 安倍政権は、これまで、戦争する国を目指し、教育に政治を介入、愛国心強要・軍国主義教育、格差拡大の差別選別教育を推し進めてきた。第一次安倍内閣は2006年12月、教育基本法(教基法)を改悪し、反動教基法制定を強行した。反動教基法第2条、教育の目標では、公共の精神、道徳などいくつかの徳目をならべたて、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」として愛国心を強要している。
 そして第二次安倍内閣では、集団的自衛権行使を容認し、米国と共に世界の各地で戦争する国を目標に様々な攻撃を仕掛けている。道徳の教科化、1月17日検定基準改定の強行は、愛国心を強要し、軍国主義教育の実現をねらったものである。自民党「教委改革案」は、その流れに沿って仕掛けられている。それは、教委制度の実質的終焉である。

(5)任命制(56年~)で教育統制の手先に

 教委制度は、1948年公選制教育委員会法が公布されたことに始まる。戦前・戦中の日本は強力な中央集権的教育体制の下、教育勅語と国定教科書によって国民を統治し、天皇のためにすすんで命を投げ出す教育を実施してきた。それによって子どもたちを、「軍国少女・少年」に育て上げ、アジアへの侵略戦争を担わせ、戦争加害を実行させた。
 この反省に立って1947年、教育基本法公布。それにもとづいて国家の教育権を否定、教育の中央集権化を防ぎ、地域に根ざした教育をめざして、公選制教育委員会法が制定された。
 それは、①地域住民の教育意志を教育行政に直接反映させるため、公選制を採用。民衆による統制をはかり、②教委の教育財政権を保障、首長に対する独立性を担保した。③文部省の指揮監督を原則として受けない自治組織であった。
 しかし、この公選制は、永くは続かなかった。選挙も1948年10月、1950年11月、1952年の3回行われたにすぎず、1956年、任命制教育委員会制度にかえられた。
 1956年6月2日未明、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法の正式な名称)」が警官隊の院内導入下で強行採決され、可決成立した。これによって公選制教育委員会制度は廃止され、任命制が施行された。それは、1951年サンフランシスコ講和条約調印前後から表面化していた教育行政の官僚的中央集権的再編を貫徹するために、公選制が大きな障がいになったためであった。
 こうして暴力的に成立させた地教行法は、立法理由として①教育の政治的中立と教育行政の安定確保、②地方公共団体での教育行政と一般行政との調和、③国・都道府県・市町村を一体化した教育行政制度の樹立等を掲げている。
 しかしそれは、行政委員会制度として教育委員会を残してはいても、その独立性を著しく形骸化し、教育の国家統制を強化したものに他ならなかった。つまり任命制教委制度は、教育の国家統制を可能にするために、文部省・都道府県教委・市町村教委の権力的な上下関係を構築して国家統制のルールを設け、人事権の掌握・学校管理規則を導入して、教育労働者をそれに動員せんとする意図のもとに施行されている。それは法案成立直後の1956年6月、文部省が「公立小中学校管理規則試案」を提示したことに示されている。
 そしてその後も攻撃が強められ、教育の管理強化・教育の国家統制は強化されていった。1957年教頭省令化、1958年校長の管理職手当新設、1965年教頭の管理職手当導入、1974年主任の省令化、1977年主任手当導入と攻撃は、次々に仕掛けられていった。そして、これらの攻撃によって教育委員会を、教育統制・支配のための「手先」として使い、教育労働者をがんじがらめにして、教育の国家統制が進められてきている。従ってこれら文部省・文科省等による攻撃が教委制度を変質させ、様々な問題を生み出している。
 それにもかかわらず安倍政権は、教委制度の原点を無視し、いじめ問題を「教委制度改革」に擦り替えて、首長権限の強化・教育の国家統制・軍国主義教育推進さえ画策している。それは、教委制度の終焉である。

(6) 教委制度終焉で戦争する国へ

 2月12日、安倍首相は、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐって、「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、その上で選挙で審判を受ける」と衆院予算委員会で発言した。憲法解釈に関するこれまでの政府見解は、集団的自衛権の行使を否定している。歴代内閣も内閣法制局の議論の積み重ねを尊重してきた。安倍首相のこの発言は、それを覆して自ら解釈改憲を主導する考えを示したものである。解釈改憲に踏み切れば、国民の自由や権利を守るために政府を縛る立憲主義を否定することになる。憲法を守るべき首相が、憲法違反を犯すことになる。
 首相の暴走は、こればかりではない。集団的自衛権の行使を認めさせるための憲法解釈の変更に向け、従来の政府見解から逸脱した国会答弁を繰り返している。
 2月3日安倍首相は、「憲法は国家権力を縛るものだという考え方はあるが、それは、かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え」と発言。憲法の立憲主義を否定した。
 そして2月5日「(集団的自衛権の行使容認に)憲法改正が必要だとの指摘は必ずしも当たらない。政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることは可能だ」とまで言い切っている。
 これらの発言からも、安倍政権が何が何でも集団的自衛権の行使を認めさせ、米軍とともに戦争できる国家を目指して暴走していることは明白である。そして解釈改憲から明文改憲にまで突き進もうと画策している。
 そればかりではない。安倍政権の軍事・外交戦略には、戦後の「対米従属」の図式を否定し「大日本帝国」の正当性を復権させようとする意図さえも感じとれる。
 安倍政権は、そのためにも教育を主要な柱にすえ、教育の国家統制を強め、愛国心を強要して軍国主義教育を推進せんと目論んでいる。
 「教委制度改革案」など安倍政権による一連の「教育改革」は、このために仕掛けられた攻撃である。「軍国少女・少年」を育て上げ、再び子どもたちを戦場に送るために…。

(7)今こそ教育労働者の闘いを!

 安倍政権は教委制度を見直し・一連の「教育改革」を推進して、子どもたちを戦場へ駆り立てようとしている。今こそ教育労働者には、教育闘争・経済闘争を職場で組織し、若者と結合、地域の市民運動や労働運動と合流することが求められている。地域では、脱原発、改憲阻止の闘いが燃えさかっている。教育労働者は、子どもの教育を通して保護者と連携し、これらの運動と固く団結することが必要である。連帯の輪を拡大してこそ、反動教育施策を打破することも可能になる。闘争を拡大し反動安倍政権を打倒しよう。(了)