道州制論議に寄せて-地方支配の歴史的変遷⑲
  基礎自治体優先の原則曖昧
                           堀込 純一

Ⅶ 第二期分権改革の混迷
  
   (五)民主党主導政権の看板倒れ

 長年の自民党政治の悪弊を変革すると期待された民主党であったが、民主党主導政権の地方分権・地方自治の分野での実際をみると、以下のような経過をたどって、しりすぼみになっていった。

〈地域主権改革は一丁目一番地〉
 まず政権交代直後の二〇〇九年九月一五日、鳩山内閣は、明治以来の政治・行政システムを転換する第一歩として、「本当の国民主権」、「内容のともなった地域主権」を二つの大きな柱として掲げ、内閣の基本方針とした。
 一〇月二六日の衆参本会議での所信表明演説では、鳩山首相は、鳩山内閣が取り組んでいることは、いわば「無血の平成維新」であるとして、「今日の維新は、官僚依存から、国民への大政奉還であり、中央集権から地域・現場主権へ、島国から開かれた海洋国家への、国のかたちの変革の試み」と規定した。そして、「戦後行政の大掃除」を組織・事業面や予算面で進めるなかで、税金の無駄をなくすこと、規制のあり方を見直すことなどとともに、「右肩上がりの成長期に作られた中央集権・護送船団方式の法制度を見直し、地域主権型の法制度へと抜本的に変えて」いくこととした。
 内政面では、「いのちを守り、国民生活を第一とした政治」、「互いに支えあっていく日本社会」の実現とともに、「人間のための経済へ」の変革をかかげ、その一環として、「地域のことは地域に住む住民が決める、活気に満ちた地域社会をつくるための『地域主権』改革を断行」するとした。
 具体的には、「地方の自主財源の充実、強化」、「国が地方に優越する上下関係から、対等の立場で対話していけるパートナーシップ関係への根本的転換と、同時に、国と地方が対等に協議する場の法制化」、これらの土台としての「自らの暮らす町や村の未来に対する責任を持つこと」(住民自治)などを挙げている。
 一一月一七日、鳩山内閣は、地方分権改革を政治主導で推進するための新たな組織として、「地域主権戦略会議」(議長・鳩山首相)を内閣府に設置した。同会議は、一二月に初会合を開き、原口総務相が改革の工程表を提出した。
 あくる年二〇一〇年一月二九日の鳩山首相の施政方針演説でも、地方分権・地方自治は重視された。今日の中央集権的体質は、明治の富国強兵策で導入され、戦時体制で盤石にされ、戦後復興と高度成長期に因習化されたとして、「地域主権の実現は、この中央政府と関連公的法人のピラミッド体系を、自律的でフラットな地域主権型の構造に変革する、国のかたちの一大改革であり、鳩山内閣の改革の一丁目一番地」であると表明した。
 鳩山内閣は、二〇一〇年の通常国会に、いわゆる「地域主権関連3法案」を提出する。この3法案とは、①地方議会の議員定数の制限を廃止するなどの「地方自治法の一部改正」、②国が法令で地方の仕事を縛る「義務付け・枠付け」見直し、③地方公共団体の政策の効果的かつ効率的な推進を図るなどの目的をもつ「国と地方の協議の場」の法制化である。
 3法案は、四月二八日に参院で、与党3党などの賛成多数で可決される。しかし、自民党は「地域主権改革」という名称について、「国民主権や国家主権の概念と対立する」と批判し、「地方分権改革」へと語句修正を求めて反対した。
 3法案は、鳩山首相が「政治と金」の問題、普天間基地移設問題などによって六月初め退陣したため、この通常国会では、衆院の継続審議となった。

〈中央官僚の巻き返しに妥協〉
 二〇一〇年六月八日、鳩山内閣に代わって、菅内閣が成立する。菅首相は六月一一日の所信表明演説で、第一の政策課題(第二は、「経済・財政・社会保障の一体的建て直し」、第三は、「責任感に立脚した外交・安全保障政策」)として、前内閣の改革を続行させること(「戦後行政の大掃除」)をあげ、その一環として、「地域主権・郵政改革の推進」を強調した。
 すなわち、「地域主権の確立を進めます。……住民参加による行政を実現するためには、地域主権の徹底が不可欠です」といって、「各地域の要望を踏まえ、権限や財源の移譲を丁寧に進めていきます」とした。
 菅内閣の「地域主権戦略会議」は、同月二一日に、地域主権戦略大綱をまとめた。この会議で、菅首相は「地域主権の確立は私の内閣でも政権の重要課題であることに変わりはない」と演説した。菅内閣は、翌日、この大綱を閣議決定した。
 大綱の柱は、大きく4つあげられる。第一は、中央政府が使い道を決めて配布する補助金を、地方自治体が自由に使える財源に改める一括交付金化である。第二は、国の出先機関を「原則廃止」として、地方自治体や広域連合がその実情に合わせて公共事業を実施したり、河川などの管理業務などをできるようにしたりすることである。第三は、法律で自治体の仕事を縛る「義務付け」を見直すことである。第四は、土地区画事業(50ヘクタール超)の都市計画決定など住民の身近なことは、市町村で決定できるように権限を基礎自治体に移譲することである。
 しかし、大綱発表の前の四月の地域主権戦略会議で、すでに鳩山首相は、「改革の時計の針を遅くしよう、あるいは逆方向にしようという思いが強まっているように思えてならない。それならば何のために新政権をつくったのか、その意味がまったく失せてしまいかねません」(『朝日新聞』二〇一〇年六月二二日付け)と、述べている。
 このような深刻な発言は、鳩山内閣の求心力が普天間基地移設問題などで衰え、官僚勢力が巻き返し攻勢を強め、これに迎合する閣内政治家が台頭してきていることを示す。
 現実に、大綱の内容も、官僚勢力の抵抗で素案段階よりもいくつかの点で後退した内容になっている。たとえば、ひも付き補助金を一括交付金に変える改革には、国の事前関与が大幅に残っているといわれる。「義務付けの見直し」でも、対象とした748条項のうち、約7割の528条項が廃止あるいは緩和することを盛り込んだが、地方自治体側とすれば、「重要事項での未達成が多い」という不満が強く残っているのである。
 二〇一〇年七月の参議院選挙は、菅首相が消費税増税を準備もなしに突如掲げて、民主党の惨敗となり、与党全体としても過半数割れに陥ることとなった。一〇月一日に召集された臨時国会では、参院選敗北の影響で、「地域主権関連3法案」は自民党との間で(衆院段階では)「地域主権」の名称変更で妥協に追い込まれ、さらに審議日程の関係で、ふたたび継続審議となった。
 一一月二二日、政府は、首相官邸で全国知事会など地方六団体と協議する「国と地方の協議の場」を開き、一括交付金を二〇一一年度からの2年間で1兆円超の規模で導入する方針を明らかにした。一二月二四日の臨時閣議では、初年度は都道府県分の5120億円を対象として決めた。ひも付き補助金は、二〇一〇年度予算の一般・特別会計を合わせると計21超円、609本(一部重複)もあることからすれば、当初の想定よりも大分こじんまりしたスタートになったといわれる。
 菅首相は、二〇一一年一月二四日、通常国会での施政方針演説でも、地域主権改革の重要性を強調した。菅首相は、「国づくりの三つの理念(①平成の開国、②最小不幸社会の実現、③不条理をただす政治―引用者)を推進する土台、それが内閣の大方針である地域主権改革の推進です」と前置きし、「改革は、今年大きく前進します」といって、自治体が自由に使える一括交付金の創設、基礎自治体への権限委譲などを挙げている。
 二〇一一年四月二八日、この年の通常国会で、懸案の「地域主権関連3法案」が、「地域主権」という表現が削除された形で、ようやく成立する。
 それは、①地方議会の議員定数の上限制限を廃止し、議決事項の範囲が拡大する「地方自治法の一部を改正する法律」、②「義務付け・枠付け」を見直す「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」、③「国と地方の協議の場に関する法律」である。
 菅内閣は、「3・11」という緊急事態で忙殺される事態におちいる。だが、この機会を利用して、中央官僚は「広域災害に対応するには出先機関が必要だ」として、出先機関の「原則廃止」の方向性に抵抗する。これに自民党なども同調する。というのは、この論理は従来型の公共事業の復活に同調することになるからである。
 しかし、復興事業、災害予防事業こそ、地域の実情に応じた住民自治を原則とした対策・計画が必要なのであり、中央官庁の現地の実情を無視した一律の対策・計画では大きな無駄が出てくるのは必至である。
 
 〈官僚に押されて改革熱意冷める〉
 民主党主導政権の地方分権・地方自治改革への熱意は、野田政権時代になると誰の眼で見ても明らかなほど冷めてくる。
 鳩山首相は、かつて民主党の看板政策として、地域主権改革を「改革の1丁目1番地」とした。だが、二〇一一年九月一三日、野田首相は就任後はじめての所信表明演説では、まったく素っ気なく、「また、地域主権改革を引き続き推進します」と、一言触れるだけである。完全な付け足しでしかない。関連したものはないかと探しても、「東日本大震災からの復旧・復興」の項で、わずかに「自治体にとって使い勝手のよい交付金や、復興特区制度なども早急に具体化します」と述べているだけである。
 野田首相の一〇月二八日の所信表明演説や二〇一二年一月二四日の施政方針演説では、さすがに就任後初の所信表明演説よりもやや長く地域主権改革について触れているが、しかしそれは前任者たちが述べた内容を越えたものではない。
 野田首相の熱意のなさは、民主党の地域主権改革での目玉ともいえる「一括交付金」問題でも明らかである。従来の民主党主導政権の方針では、交付対象を都道府県から市町村にまで拡大し、その規模も初年度(二〇一一年度)の5120億円から1兆円超に倍増することを2010年に決定している。しかし、野田内閣は、交付対象を政令市までには拡大したが、他の市町村については、「都道府県に比べると一般市町村の財政規模は小さく、年度ごとの補助金総額の変動が大きいため、客観的な交付基準を定められない」という理由で交付対象からはずした。
 だが、これは理由にもならない。補助金総額の変動が大きいというなら、数年単位でならせばよいのであって、その上で基礎自治体への交付額を調整する制度を作るなどの工夫の余地はあるのである。一般の市町村に対する「ひも付き補助金の廃止・一括交付金化」を断念するというのは、基礎自治体優先の原則に全く反するものである。
 
 〈民主党動揺の背景〉
 民主党主導政権の「地域主権改革」がしりすぼみになっていったのは、何故であろうか。それは、鳩山内閣のときから世論の支持が大きく下がり求心力を欠いたこと、予算編成の上での余りにも楽観的で粗雑な見通し(特に財源確保での裏づけのなさ)、官僚勢力の抵抗に対する対処策の甘さ、党内の政策不一致のひどさなど、さまざまな理由がある。
 だが、ここでは地方分権・地方自治改革の分野での政策理論にしぼって検討してみると、次の問題が致命的な欠陥をなしたと言えるであろう。
 それは、結論的に言うと、基礎自治体優先の原則があいまいであり、市町村と都道府県を比べた場合、前者を優先するのでなく、しばしば後者を優先し、立脚点における動揺に陥ったのである。
 鳩山内閣の方針提起以降でも、「地域のことは、地域に住む住民が決める」という言葉は、いわば慣用句に近いものになっていた。しかし、それは、都道府県レベルの自治体(中間自治体)と市町村レベルの自治体(基礎自治体)とを比較した場合、どちらを重視し優先させるか―という質問に対しては、回答を留保したあいまいなものでしかなかった。「地域主権」という合言葉自身にも、そのあいまいさが色濃く反映されている。
 それゆえに、政権基盤が弱体化し、内閣の求心力が衰えると、いち早く中央官僚との妥協に走り、その結果、従来からのピラミッド型の階層制的秩序、すなわち上意下達の官僚制の体質が公然化し、基礎自治体優先の原則は蔑ろにさせられるのである。
 このことは、前述した野田内閣の「一括交付金」問題に対する態度で明らかである。それだけではない。大阪都構想、中京都構想、新潟州(新潟都)構想が地方からつぎつぎ提起されると、民主党はこれにおもねり動揺するのであった。そして、民主党は自民党・公明党など7会派と共同して、これら都構想の実現を後押しする「大都市地域特別区設置法」を提出して、この法案を二〇一二年八月二九日に成立させた。
 これらの都構想は、今日の都道府県と当該市の関係を東京都―特別区と同様の関係に改変するという反動的なものである。現在の東京の特別区の関係者からすれば、それらは文字通り歴史を巻き戻す代物である。というのは、たとえば千代田区は千代田市への脱皮を図っており、特別区長会の諮問機関である特別区制度調査会は、2007年の第二次報告で特別区の廃止を提言している(詳しくは理論誌『プロレタリア』11号掲載の拙稿を参照)。東京の特別区にとっては、大阪都構想などは真反対の動きである。(つづく)