【沖縄からの通信】
 
 1・19名護市長選大勝利-沖縄民衆は日本政府に必ず勝つ
  恥辱・仲井真は即刻知事辞職せよ

  素の市民が県庁包囲

 今、沖縄は、一月十九日の名護市長選挙の大勝で喜んではいるが、昨年暮れの恥辱は、心の中にまだまだ消えずに残っている。
 十二月二七日の仲井真知事による辺野古埋め立て申請の承認、それに先立つ十一月二五日、自民党の沖縄選出5国会議員がヤマトの圧力に屈し、沖縄人との公約「普天間基地は県外」を破棄したこと、これらは、沖縄人の自由、民主主義を屈服させようとする日本政府の残虐な仕打ちとして、沖縄人の記憶にながく消えないだろう。
 昨年十月以降、平和市民連絡会などは、街頭行動・県庁前行動を展開した。自民国会議員のうちでも島袋安伊子、西銘恒三郎らは、「県外」公約を破棄し辺野古移設をやらねば、と公言して歩き廻っていた。これを市民たちは、知事の埋め立て承認への地ならしと感じとり、反撃の必要を痛感した。この運動が、十二月の県庁前での、「知事は承認しないでください」のより大きな行動へ繋がっていく。
 市民連絡会は連日の県庁前行動に入り、十二月十五日に県民集会がもたれた。翌十六日からテント村となった。市民たちが主役になっている。一昨年のオスプレイ配備阻止・普天間ゲート封鎖行動の以来、現場は、普天間爆音訴訟団、さらばんじの会、平和市民連絡会の人々が占めるようになっていて、県庁前もそうなっている。自律、自費自弁、自責で、生活そのもののように闘いの現場にやってくる人々の行動力には、政党・労働組合も真似できないものがある。
 県民は気が気でならない。その瞬間が近づいてくる。二五日には県議会議員らの主催で、県庁包囲が行なわれる。家庭の中で気をもんでいる市民らも、出て来た。この日以降、素の市民たちが数千も街頭に出て、県庁を連日包囲した。小雨が降って寒い。しかし市民らは減らない。県庁ロビーも埋めつくされた。
 二七日の午後三時すぎ、知事は県庁に来れず、知事公舎で「埋め立て承認」を表明した。何を言っているのか分からない。弁明にもならない。条件にもならない安倍首相との口約束を並べて「安倍は立派だ」、「沖縄人全てが感謝している」、もうどうなっているのかも分かっていない。ハダカの王様、あざ笑われていることを知らない、捨てられている知事。
 二八、二九日も、市民たちは怒りさめやらず、県庁前に集まった。知事や日本政府の連中の悪知恵だが、正月休みで嵐が過ぎ去るのを待っている。しかし大晦日にも、知事公舎には「辞職せよ」と市民は押しかけた。
 辺野古「移設」反対は、世論調査では沖縄人の八割に近い。これだけの人々の中に、知事が東京の病院にこもるまでは、まだ知事はNOというだろうという思いがどこかにあった。沖縄の公明党が「承認しないでください」と知事に頼んだ時でも、その対応はNOに近かった。県議会でも、「県外」堅持との答弁を繰り返していた。八割もの沖縄人が、心から頼んでいる、それを軽くあしらったのだから、怒り天を突くのは当然である。

  沖縄人自身の闘いで

 県庁包囲、このかんの普天間ゲート封鎖、と市民たちの活況は著しい。運動の主導権は、市民たちの手に、沖縄民衆の手に移っていくのであろうか。
 市民たちが、政党系に比して、大いに台頭してこざるを得ないのは、いくつかの訳があろう。沖縄人には、圧政者たる日本政府に勝とうという思い、リアルな目標があり、主体的にならざるを得ない。これに比べ、日本共産党やその他急進派の人たちを例にとると、かれらの闘い、かれらの沖縄闘争は、全国の闘いの一部、安保体制打破の闘いの一部である。これらの全国政党に属する沖縄人は、日本政府という対象をリアルに持ちえない。日本政府に勝つという現実感、主体性、自律性は持ちえない。
 このことは、このかんの「県外移設」要求をめぐる論議に関わる。沖縄の市民は闘う相手が日本政府であるから、普天間「代替」なら、県外へ持っていけと堂々と主張することができる。日共は、「他県に持っていけとは言えない」、「国民分断になる」と言う。かれらは誤まった形式主義から脱け出せないでいる。沖縄民衆は、日本政府に「県外」を言っているのであり、なにも〇〇県民に「代替を受け入れろ」と言うわけではない。〇〇県民が「移設」反対を言えば、沖縄県民はそれを支持するのである。日本の他県民は、沖縄県民が日本政府に要求していることを認めて、何の不都合が起こるのか。この「県外」問題は重要で、理解を共有し解決しないと、いつまでたっても団結して大敵を討つこと、「オール沖縄」の再強化などできはしない。
このことは更に、沖縄の独自性を認め、自己決定権を認めるかどうかという問題に重なる。沖縄は、他県とは異なった歴史的な存在であり、「構造的な沖縄差別」と闘っている。「県外」を認めない人は、沖縄県は他県と同じ一県であるとして、沖縄の特殊性を認めない。
 日本政府は、平然と名護市長選の結果を無視し、埋め立て強行の手続きに入っているが、沖縄の市民たちは、自分たちの戦略と闘いによって、日本政府に勝つことができると思っている。が、沖縄の全国政党の党員は、全国で勝たなければ、自分たちも勝てないと思いがちである。「安保破棄の闘いによってこそ、沖縄は救われる」のではなく、「沖縄人自身の闘いによってこそ、沖縄は救われる」のである。
 この違いは大きい。これらの点からして、誰が沖縄の闘いを主導するのかは明らかである。
沖縄民衆自身が闘いを主導するのである。その沖縄の市民たちは、自律・自責であり、官僚主義もなく、諸政党と争う必要がない。日共その他は、選挙のたびに邪魔をし合い、候補者一本化をこわし、共倒れしていく。この点で言うと、沖縄の市民からみれば、今の東京都知事選挙が上策の闘いになっているとは思えない。

  安倍政権の誤算

 安倍政権が打った、沖縄の「県外」要求と「オール沖縄」への破壊の手は、沖縄人への差別に満ち満ちてはいても、浅はかなものであり、そう怖いものではない。その手の内にあるコマを思慮浅く無駄に使い果たし、空転しているだけではないのか。
他方では、全沖縄人の心をひどく傷つけ、県民の支持を決定的に失ってしまった。持ち駒を失い、公約という信頼も失って、ただ知事の「承認」だけを手中にしたが、直後の闘いでは、東京の力とカネを全力投球しても、沖縄やんばるの片田舎の一市の市長選に敗れたのである。
安倍の、中国と大喧嘩をやる執念の深さはすごいが、あの大日本帝国の浅はかさは克服していないのではないか。中国と大喧嘩をやるには、何が何でも沖縄を手中にしなければならない、辺野古を手に入れなければと考えても、しかし人心を失っては、すべてを失うこととなるだろう。人心を失って、長く統治を続けることはできはしない。
 沖縄人は、公約を塵あくたのように捨てた自民党国会議員を許すことはない。かれらは議席を失うだろう。安倍はすでに、かれらを失ったのである。仲井真も、県議会から1・10「知事の公約違反に抗議し、辞任を求める決議」を賛成多数で突きつけられた。もう一撃も二撃も受けるだろう。もはや死に体である。
 日本政府にとって、仲井真はもう使い捨てであるが、彼の後継を失ったも同然であることは巨大な失敗である。高良倉吉副知事のことである。
 また日本政府の強圧はこのかん、沖縄保守の分裂をもたらした。翁長雄志那覇市長らが反発行動に出た。十一月の自民幹事長・石破の弾圧の時には、那覇市議会内の自民十四議員(安慶田光男市議会議長など)が、公約破棄の国会議員中の一人・国場幸之介に反旗を翻して、1区支部役員を辞任した。十二月二日には、翁長市長と計って、那覇市議会で「辺野古移設を強引に押し進める政府に対し激しく抗議し、普天間基地の県内移設断念と早期閉鎖・撤去を求める意見書」を全会一致で採択させた。
 さらに仲里利信氏が、十一月二九日に離党。氏は元県議会議長、現自民党県連顧問で、県民大会議長団の一人。氏は離党後ただちに、自設のスピーカー付き軽自動車で名護入りし、「稲嶺すすむ支持、辺野古反対」の辻演説を完全消化している。
 平良長敬氏は、リゾートホテル・ゴルフ場経営者で観光協会会長であるが、彼も自民支持を翻し、稲嶺支援に回った。
 その1・19名護市長選の結果は、
稲嶺19839
末松15684
で現職稲嶺が大勝した。
 名護市には、十七年も砂糖漬けにされてきた岩盤のような強固な辺野古誘致派が存在する。昨年参院選での反対派・容認派の得票数は、ほぼ同数であった。今回市長選で4000票の差がついたことは巨大な変化である。その多くが、昨年暮れの恥辱に対する反応としての、誘致派の投票忌諱の結果とみられる。投票率の低下がそれを示している。
 かって鳩山の「少なくとも県外」が提起された時、自民国会議員はゼロとなった。あの時は、まだ民心を失ってはいなかった。今回はあの時の比ではない。再びゼロとなる可能性は大である。

  「オール沖縄」再建

 沖縄の言論界では、「オール沖縄」をどうするのか、が論じられている。「再建する」が、ほとんどの人々の意見である。筆者も賛成である。
 辺野古NOは、以前にもまして増えている。民意を代表しない少数が加わらずとも、「オール沖縄」は存在する。日本政府に対する伝家の宝刀なのだから、更に磨きをかけねばならない。
 「オール沖縄」の発端は、大田県政時代の1995年・少女暴行事件糾弾県民大会に始まる。その県民大会が示した可能性はしかし、その後の政党間の選挙争奪などによって消えていく。
 再び動き出したのは、2004年の参院選挙においてであった。中立的な政党・社大党から糸数慶子が、「沖縄民衆代表」として出馬する条件が備わった。県民の「一本化をはかれ」の圧力によって、それが成立、「日本政府派」候補に圧勝した。これが「オール沖縄」の原型である。
 これによって、辺野古NOの沖縄民衆は可能性の現実化をつかんだ。が、その後の国政選挙ではほとんど、一本化は成立していかなかった。共産党の特性である、全選挙区で自党候補者を立てるという方針を沖縄でもやれば、「沖縄民衆」と「日本政府」との対決構図を作ることができない。2010年の県知事選では、諸党間で共通の候補を作ることはできたが、先述の「県外」論議でつまづき、県民の広範な「県外」要求を取り込むことに失敗した。「県外」を擬態的にかかげた仲井真・日本政府派に敗北した。
 その前年の09年、鳩山民主党への「政権交代」、「少なくとも県外」によって、沖縄人自身の手で「日本政府に勝ちたい」「勝つ方法を採用したい」という思いが、はからずも政治的舞台に結実化されることとなった。この情勢変化が、仲井真に「擬態」を強制することともなった。
 この時点で自民党沖縄国会議員はゼロとなり、沖縄自民党は生き残りを計って、「県外」要求に転じた。この転換がウソであっても、地縁・血縁・職縁に縛られていた保守系の人々が、自由に「県外」を表明できるようになったことの意味は大きい。
 その後、民主党政権は2010年の「5・28日米合意」で、辺野古推進に回帰した。すると沖縄自民党が、はじめは方便だったのに、この民主党政権に対抗する意味から、「県外」を魂をこめて言うようになった。こうして沖縄自民党に内的に、方便派と真実派の分化が起こったことが、翁長雄志や仲里利信のその後をみれば分かる。
 ともかく、鳩山の政変を媒介にして、「オール沖縄」が誕生したのである。この言葉は始めのうちは、議会の決議にまつわって使われ出したが、今では、日本政府に対決する「島ぐるみ」的な意味に育っている。この「オール沖縄」が、日本政府と闘ううえで有効であることが、逆説的に証明されたのが昨年暮れの屈辱的事件であることを疑う者はいまい。
 「オール沖縄」が政党間のフレームであれば、それは壊れてしまったと言えるが、それは今や沖縄民衆の戦略次元のものに育っている。むしろ仲井真ら反面教師によって、強化されているのである。沖縄民衆にとっては、石破が間引いた何本かは、もともと「オール沖縄」に不用なものである。民衆に面従背反で最後に公然と裏切った仲井真も、安倍が引っこ抜いてくれた。これらの跡に、民衆は立派な苗を植えればよい。
 簡単に言えば、「オール沖縄」に自民党はいらない。自民党抜きの「オール沖縄」なんて存在しないとは、誰も言わない。「オール沖縄」は民衆のものだ。
 
  沖縄の自己決定権!


 さて昨年2013年は、琉球大学の島袋純氏が、沖縄の自己決定権を民衆運動に提案した年である。
 島袋氏は言う。人は人として生まれた以上、天賦の人権をもっている。この基本的人権は、国家によって与えられるものではない。国際人権規約では、人民の自己決定権を国家が侵害してはならないことが制定されている。スコットランドやカタロニアでは、国家の施策(たとえば辺野古新基地建設)を拒否する主権を認められている。沖縄の場合は、日米の協議、地位協定、安保条約によって、沖縄の基本的人権は奪われている。
 沖縄人が主権を宣言し、自己決定権を持つ議会を創設して、日米の国家による基地建設や環境破壊の施策を拒否できるようにする。沖縄人の自由、安全、非戦、主権に関するこれらを自分たちで決定できるようにしよう、と。
 遅くとも今年十一月の沖縄知事選は、「オール沖縄」が「日本政府派」を圧倒する戦いとならねばならない。この際、だましの公約で功利を盗み取るような知事を再び生み出さないために、そういう法的・制度的仕組みを提起する必要もあるだろう。
 「オール沖縄」の再建と、沖縄の自己決定権の獲得・創設、この二つの戦略を合流させていけば、日本政府に完全に勝つことができるのではなかろうか。
◎仲井真知事は――辺野古移設候補を応援しながら、「県外」公約を捨てていないと言って平然としていられるような、県民を愚弄する仲井真知事は一刻も早く辞職し、県民の恥辱を一刻も早く解消せよ!
 ◎公約を破った自民党5国会議員はただちに辞職せよ!
 ◎稲嶺名護市長を県民みんなで守ろう!
 ◎「オール沖縄」を再建強化しよう!
 ◎ 自己決定権の創設を!
                                         (1・31沖縄T)