10・13原発ゼロ・統一行動
   再稼働阻止!国家に4万人


 安倍政権による原子力発電再稼動の攻撃が強まる中、脱原発・再稼動阻止を求める大規模な集会・デモとして「10・13原発ゼロ★統一行動」が、十月十三日の都心で行なわれ、国会周辺には延べ約4万人の労働者市民が結集した。
 この行動は、首都圏反原発連合の主催、さようなら原発一千万人アクション、原発をなくす全国連絡会の共催で行なわれ、まず午後一時からは開始集会が日比谷公会堂で始められた。およそ2千席の会場は満杯、約5千人参加で会場周辺には人があふれ、熱気に包まれた。
 集会では、福島からは和田央子さん(鮫川村焼却炉問題連絡会)が、同村に設けられた除染廃棄物の仮焼却施設について問題点を報告。
 続いて、広島で被爆、医師として被爆者治療に取り組んできた肥田舜太郎さんが登壇、「もう一つの原発事故を起こしたら、日本は滅びる。すべての原発を止めるのが、いま生きている人々の責任だ」と力を込めて訴えた。次いで作家・大江健三郎さんは、「二年半たって危うくなっている。これから半年、我われの決意を譲ってしまうと、もう再稼動の流れを押し返すことはできない。」「将来の子どもたちが生きていける社会・世界を取り返すことが必要だ」と力強く呼びかけた。
 最後に首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんが、「このかんの市民運動が再稼動を遅らせた。」「再稼動を一切させない強い気持ちを見える形でアピールし、今後の活動の礎にしたい」と結んだ。
 集会後、参加者は続々と霞門に集結、経産省前テント広場、東京電力本社前を通り日比谷公園に戻る2・5キロの、「巨大デモ」への出発が開始された。参加者は、「原発いらない」「大地を汚すな」の怒りの声を上げ、経産省前テントの仲間には連帯のコールを送り、東電本社には無責任な対応を追及・抗議の声を突きつけた。ようやく午後7時、延々と続く隊列の最終部隊が西幸門に到着、国会前の行動に合流していった。
 国会正門前では午後5時過ぎ、国会前大集会が開会、デモ後の合流が続き国会周辺は人々であふれた。ファミリーエリアでもいつもの数倍を超える人々が集まり、シュプレヒコールやアピールが続けられた。
 国会前集会が最高潮に達した頃、作家・広瀬隆さんが突然参加。「活断層がなくても原発は500ガルの震動で壊れてしまう。活断層の調査、のち再稼動はまやかしだ。地震によって起こった福島原発事故を原子力ムラは消し去ろうと画策している。」「今、国内の原発はすべて停止状態だ。最初の一基を絶対に動かしてはならない。」「国民5%が動いたら国を変えられる。伊方原発がとても危険、十二月一日には数万人で現地結集し、抗議の声をあげよう」としめくくった。国会前に割れるような拍手が起こり、廃炉!の声が響き渡った。そして壮大な抗議行動が終了した。
 脱原発・廃炉にむけ、福島現地と結合した闘いをおし進めよう!(東京O通信員)


10・5
  現地・北海道岩内町に1500名
    STOP!泊原発再稼働

 去る十月五日、「さようなら原発北海道集会in岩内」が泊原発3機を目視できる岩内町フェリー埠頭緑地を会場に、全道から1500名(主催者発表)の労働者・市民が参加し、終始熱気溢れる集会・デモ行進として開催された。
全国各地の「さようなら原発一千万人アクション」に連動する開催であり、泊原発再稼働に向けてなりふり構わず原子力規制委員会に安全審査を申請する北海道電力に抗議する意味合いから、呼びかけ人による実行委員会の主催で開催されたもの。
集会は、その呼びかけ人の一人である小野有五さん(北海道大学名誉教授)から、「泊原発沖には活断層が存在し、20年前の南西沖地震は、その隣の地層が震源である。15キロ沖での地震であれば、フクシマと同様の被害を被っていた。奥尻島での多くの死者は、私たちの身代わりである。私たちは、その上で生かされている思いを強くして生きるべきだ」と、悲壮な思いを込めた挨拶で始まった。
「一千万人アクション」呼びかけ人の鎌田慧さんからは、「欲望の塊である再稼動を目指す原子力ムラの人々に、負けない闘いが求められている。平和を脅かす者とのせめぎ合いの時」として、確実に廃炉するための持続的闘いを進めようと力強い挨拶が行なわれた。
現地からの報告では、建設予定が決まってから一貫して反対してきた斉藤武一さん(岩内原発問題研究会)ら、3名から発言があった。斉藤さんは手作りの紙芝居によって、建設から今日まで原子力に群がる者らの主張と現実とのギャップをユーモアを交えて報告し、連帯の意志を明らかにした。
夕張市の高校生が、将来を見据えた不安と原発の恐ろしさを若者の視点から訴え、再稼動反対を表明した。その後、再稼動阻止に向けて闘う伊方原発、大飯原発の立地県から参加した方からも、共同した闘いを進めていくことが訴えられた。
集会アピール採択後、「泊原発風船プロジェクト」の提案で、1000個の風船を飛ばして放射能の流れをリサーチしたいとする取り組みを全員で確認し、色とりどりの手持ち風船を青空高く飛ばした。その後の報道では、これが旭川、札幌にも到達し、各地で舞い降りた風船が確認されたそうである。まさしく、食料基地北海道が泊原発の事故で汚染され、農業が破滅し、人も住めない地となることが証明された行動となった。
道民は、泊原発の再稼動を許さない!

やめるべ大間!10・19青森・北海道合同現地集会

 昨年と今年六月、北海道、青森の住民が海峡を越えた共同の集会を成功させてきたことに触発され、今回十月十九日、「北海道平和運動フォーラム」と「青森県反核実行委員会」の共催による大間現地反対集会が、約600名の参加を得て成功裏に開催された。
北海道は平和フォーラム、青森は反核実行委がこのかん、反原発、反核燃の闘いを地元に根ざして闘いを進めてきたが、ここ大間に至ってはフクシマ原発震災の例を見るまでもなく放射能が海峡を瞬く間に越えることが明らかとなったことを踏まえ、双方の力の結集が求められていたことでもあり、その実現は歴史的な成果として互いに確認しあった。
集会は、大間町役場総合開発センターで開催された。共同主催者として現地双方が抱える課題を提起。北海道からは、泊原発再稼動に向けた安全審査が規制委員会に提出されたが、審査で1、2号機の過酷事故対策で3号機の解析結果が流用されていたことが明らかとなったことが報告された。青森からは、大間町弁天島の隆起が報道され、活断層に囲まれた下北半島の核汚染を許さず、大間原発に反対する決意が表明された。
特別報告として「あさこハウス」の小笠原厚子さんが登壇し、「母はあらゆる買収工作、脅かしにも屈せず炉心から300メートルの土地を売らなかった、建設を止めることが母への供養であり、宝の海を守っていきたい」と決意固く訴えた。
決意表明として、道南地域平和運動フォーラムの相澤代表は、「再生可能なエネルギーをみずから実践し、原発に頼らない運動を作り出していきたい」と述べ、また大間原発訴訟の会の竹田代表は、「原発建設の経験のない電源開発故㈱が、世界で初めての一番危険な原発を作っている」と指摘、建設差し止め裁判への支援と合わせて訴えた。
その後、参加者は大間町内を、「原発いらない、子供を守れ、建設反対」と訴え、デモ行進した。地元から反対の声を出すことは極めて厳しいと言われてきたが、デモ行進の合間に手を振り賛同を表す人も見かけ、着実に大間原発建設反対の動きが地元でも広がっていることを実感できた。
大間の新規建設を阻止するためにも、フクシマを知ることが必要だ。フクシマ原発震災の被害現状が地元ばかりでなく、全国的に報道が抑制され見えなくなってきている現状がある。特に、廃炉に向けた動きは遅々として進まぬ現実、4号機を含めて新たな再臨界の恐れ、太平洋を放射能汚染水の投げ捨て場と化しているような現状。地震・津波による被害、放射能汚染から避難している多くの住民の実態を知ることから始めていかねばならない。フクシマの現実を可視化しよう。(北海道M通信員)