道州制論議に寄せて-地方支配の歴史的変遷⑯
  自治機能軽視の地方版集権主義
                       堀込 純一

   Ⅳグローバル時代の道州制構想

       (二)第28次地方制度調査会の道州制構想
 
 二〇〇六年二月に第28次地方制度調査会(二〇〇四年三月発足)が、「道州制のあり方に関する答申」を明らかにする。ここでは、将来、府県制を廃止してより広域的な自治体として道州制を採用する方針が明確に示された。
 
 〈答申内容の概要〉
 この答申の概要は、以下の通りである。
 前文―道州制は、国と基礎自治体の間に位置する広域自治体のあり方を見直すことによって、国と地方の双方の政府を再構築するものであり、その導入は地方分権を加速させ、国家としての機能を強化し、国と地方を通じた力強く効率的な政府を実現するための有効な方策となる可能性を有している。
 第一 都道府県制度について―「市町村合併の進展による影響」、「都道府県の区域を越える広域行政課題の増大」、「地方分権改革の確かな担い手」といった観点から、現在の都道府県制度がふさわしいものであるかどうかなどが問われている。
 第二 広域自治体改革と道州制―①〈広域自治体改革のあり方〉都道府県制度に関する問題への対応にとどまらず、国と地方の政府のあり方を再構築し、新しい政府像を確立するという見地にたつならば、道州制の導入が適当と考えられる。②〈道州制検討の方向〉
 道州制は、「地方分権の推進及び地方自治の充実強化」、「自立的で活力ある圏域の実現」、「国と地方を通じた効率的な行政システムの構築」という方向に沿った道州制として具体的な制度設計を検討すべきである。
 第三 道州制の基本的な制度設計
ア)広域自治体として都道府県に代えて道または州を置き、地方公共団体は、道州及び市町村の二層制にする。
イ)道州の区域については、第二の②の趣旨に沿うよう、ふさわしい範囲をもって定めるべきであり、このため、社会経済的な諸条件に加え、地理的条件、文化的条件も勘案して、数都道府県を合わせた広域的な単位を基本とする。そして、三つの区域例を図のように示した。
ウ)道州の事務については、現在都道府県が実施している事務は大幅に市町村に移譲し、現在国(特に各府省の支分部局)が実施している事務は、国が本来果すべき役割に係るものを除き、できる限り道州に移譲する。
エ)道州に議会を置き、議員は住民の直接選挙とすること、また、道州に長を置き、長は住民の直接選挙とするが、長の多選は禁止する。
オ)大都市圏域においては、道州との関係において大都市圏域にふさわしい仕組み、特例等及びこれらに見合った税財政制度等を設けることが適当であり、東京においてはさらに特例を検討することも考えられる。
カ)都道府県であった区域(あるいはこれをさらに区分した区域)について、一定の位置付けを検討することも考えられる。
キ)道州制の下における地方税財政制度は、道州制への移行に適切に対応するものであると同時に、地方税中心の財政構造を構築し地方の財政運営の自主制及び自立性を高めなければならず、また、適切な税源移譲を行なうことに加え、偏在度の低い税目を中心とした地方税の充実を図り、分権型社会に対応し得る地方税体系を実現するとともに、税源と財政需要に応じ、適切な財政調整を行なうための制度を検討する。
 第四 道州制導入に関する課題―権限委譲や地方税財政制度の改革が、道州制導入の検討を理由として遅れることのないようにしなければならない。道州を設置することは、圏域構造のあり方を長期にわたり方向づけ、国民生活に大きな影響を及ぼす。導入に関する判断は国民的論議を踏まえて行なわれるべきであり、理念やプロセス等を規定する推進法制を整備することも考えられる。
 
  〈巨大すぎて自治機能は形骸化〉
 日本経済新聞社の調査によると、当時の全国知事四七人うち、道州制に賛成は二七人、反対は二人、「どちらとも言えない」が一八人だった。賛成が多いのは、北海道、東北、九州などで、所属する道州が不透明な北陸や東海の多くは、「どちらとも言えない」と答えたといわれる。反対は、佐藤栄佐久・福島県知事と井戸敏三・兵庫県知事であった。反対理由は、佐藤知事が「大都市への一極集中で不均衡が生じる可能性がある」とし、井戸知事が「国の統制が強化される」としている。
 第28次地制調の答申には、いくつもの問題点が存在する。
 第一は、広域自治体改革として、道州制を導入することが果たして妥当なのか、ということである。
 賛成する知事が東京から離れた地方に多いということは、建前はともかく本音では、道州制によって、「東京一極集中」を是正できるという期待・願望があると思われる。だが、それは幻想である。先述したように「東京一極集中」は、基本的に資本主義、とりわけ弱肉強食の新自由主義で進められており、それに、許認可権を握る中央官庁が東京に存在するからである。これらの根拠は、道州制によっては克服できるものではない。せいぜい、(東京と道州の間の格差拡大だけでなく)多くの権限と財源をもって、道州の中心都市と道州内の他の地方との格差がさらに拡大するだけである。
 このように道州制を敷く根拠は、全くもって不明確なのである。それに加えて、前回述べたように、従来の単一民族論の延長で、沖縄自治州やアイヌ自治区などの考えが完全に欠落しているのである。
 第二は、これも従来の発想の延長であるが、中央政府(いわゆる国)―中間政府(都道府県ないしは道州)―基礎自治体(市町村)という重層的なピラミッド型体制が維持され、重層的支配秩序が厳然と再生産されるということである。これでは、従来からの中央と地方の間の上下関係、主従関係を完全に克服することはできないのである。
 第三は、新たな道州制が果たして、自治体の規模として合理性を持つのであろうか。
 答申された道州制3案によると、最も人口が多いのは9道州案の南関東2278万5279人で、最も人口が少ないのが3案共通の沖縄136万830人であり、沖縄を1とすると南関東は16・7である。地域格差は、甚だしいものである。しかも、各州の規模は、13道州案でみても、北九州が約860万人、東海、北関東が1500万人前後、関西が約2100万人という大規模なもので、とても自治体として活動しうる規模を超えたものでしかない。アメリカの州は一つの国家なのであるが、それでも平均人口は580万人程度といわれる。道州はもちろん法定受託事務を担い、国家活動の一部をなすが、基本はあくまでも自治体である。しかし、このような大規模なものでは、道州知事や議員のリコールさえ事実上、不可能なのである。
 小泉内閣が地方自治に冷淡なのは、次の一例でも明らかである。二〇〇六年六月七日、全国知事会など地方六団体は、地方自治法が定めた「意見提出権」にもとづき、「地方分権の推進に関する意見書」を内閣と国会に提出した。意見書は、①「国と地方の協議の場」を法定化した「地方行財政会議」を設置すること、②地方交付税を、特別会計に直接繰り入れる「地方共有税」に改革すること、③国庫補助負担金の総件数(約400)の半分を廃止する(一般財源化)こと――などを求めた。
 小泉内閣は、七月二一日に回答を閣議で決定した。だが、それは、「地方行財政会議」を事実上棚上げし、「地方共有税」(注)にも直接ふれていないものであった。
 
       (三)安倍・福田内閣の道州制構想

 小泉内閣の後を継いだ第一次安倍内閣(二〇〇六年九月~二〇〇七年九月)は、憲法改正を真正面から打ち出すとともに、道州制についても推進の意向を示し、道州制担当大臣を置くなど、グローバル資本主義時代に対応した新たな国家体制の構築を積極的に行なう姿勢を明らかにした。
 二〇〇六年一二月八日、国と地方の役割分担をさらに見直す新たな地方分権改革のための一括法の制定に向けた地方分権改革推進法が成立した。
 これは、一九九五年の旧地方分権推進法の成立で始まり、機関委任事務の廃止などを行なった二〇〇〇年までの第一期分権改革に次いで、地方への税財源の移譲などを目指す第二期分権改革をスタートさせるものとして位置づけられた。新法は、三年間の時限立法であり、政府は三年以内に関連一括法案を策定しなければならない。この法案の成立を受けて、政府は二〇〇七年一月に、有識者7人で組織する地方分権改革推進委員会を内閣府に設置した。
 二〇〇七年二月、安倍内閣は内閣府に「道州制ビジョン懇談会」を設け、担当大臣をおいて、道州制推進の姿勢をさらに鮮明にした。安倍内閣は、わずか一年強の短命内閣におわったが、二〇〇八年三月(福田内閣時代)には、同懇談会は中間報告を行なっている。そこでは、以下のような内容が展開されている。
  日本の中央集権体制は、グローバル化する世界の中で有効性を失い、このため日本は国際社会の中でかつての勢いをなくし、経済においてさえ「もはや一流の国とはいえない」状態に陥っている。今こそ「明治以来の古い国のかたち」を解体し、「新しい国のかたち」をつくらなければならない。この新しい「国のかたち」とは、国民一人ひとりが自助の精神を持って、地域の政治・行政に主体的に参加し、みずからの創意と工夫と責任で地域の特性に応じた地域づくりを行える統治体制であり、そのためには、国政機能を分割して自主的な地域政府「道州」を創設する必要がある。
  国の権限は国家に固有の役割に限定し、国民生活に関する行政の責任は一義的には道州と基礎自治体が担い、広域的な補充は道州が行なう。道州および基礎自治体の役割や権限について、国会が法律を定める場合、その内容は最も根幹的な事項にとどめ、具体的な内容については道州議会の定める立法に委ねる。地域主権型道州制では、基礎自治体および道州は税の性格によって分割された税源を持ち、それぞれ自立した権限を運用する。道州ならびに基礎自治体は、自立した立法と行政の権限を持ち、人材を備え、財政を運営する。
  国政機能を分割して自主的な地域政府「道州」を新設するが、その道州は、基礎自治体の範囲を越えた広域にわたる行政、道州の事務に関する規格基準設定、区域内の基礎自治体の財政格差などの調整を行なう。(具体的な事務は、略)
  基礎自治体は、地域に密着した対人サービスなどの行政分野を総合的に担う基本単位である。(具体的な事務は略)

 〈道州庁は地方支配の拠点〉
 みられるように、「道州制ビジョン懇談会」の中間報告は、従来の超中央集権主義が色濃く残っている。それは、地方版集権主義とも言うべきもので、地方分権とは真逆の思想である。まさに地方支配の思想が連綿として続いているのである。
 第一に、この間のほとんどの道州制構想にも共通するが、「東京一極集中の是正」をスローガン的にかかげ、「グローバル時代に対応した」国家構想の軸として道州制を構想するが、最大の問題は経済成長至上主義によって、自治主義が二の次、三の次になっていることである。したがって、地方拠点が基礎自治体ではなく、道州になっている。そして、道州制を軸とした地方版集権主義が、厚かましくも吹聴されているのである。
 第二に、基礎自治体の立法機能が、道州議会の立法に制約されていることである。「具体的内容については道州議会の定める立法に委ねる」とされ、基礎自治体優先の原則が破壊されている。これは、従来からのピラミッド型中央集権主義の秩序からまったく解放されていない中央集権主義者の思想である。
 第三は、道州の役割として、「区域内の基礎自治体の財政格差などの調整を行なう」として、依然として、道州が基礎自治体の上級機関として振る舞っていることである。法律的に地方交付税による地方配分率が決まっているのにもかかわらず、国は具体的な配分運営を牛耳っている。この機能は、基礎自治体連合に戻すべきである。この考え方ならびに基礎自治体優先の原則からすれば、基礎自治体の財政格差の調整は、道州が行なうのではなく、基礎自治体連合が行なうべきである。(つづく)
 
(注)「地方交付税」は、国税である所得税・酒税の一定割合(一九六六年以降32%)、法人税の35・8%、消費税の五分の四の29・5%、国税のタバコ税の25%が、地方自治体の一般財源となる。自治体間の財源均衡と自治体に必要な財源を確保することが目的である。だが、「地方交付」という名称は、国から地方への恩恵的な援助のような語感をともなうので「地方共有税」とすべきだというのが地方六団体の主張である。地方の財源不足に対しては、地方共有税の法定率の引き上げ要求となる。