連帯ひろげ8・13〜15「第42回釜ヶ崎夏祭り」
 平和・民主主義は闘いとるもの

 大阪・西成の釜ヶ崎では、八月十二日の前夜祭から始まり十三日〜十五日にかけて、「第42回釜ヶ崎夏祭り」(実行委員会主催)が開催された。
 天候に恵まれ(過ぎか)、まだ暑い昼過ぎから多くの仲間たちが会場である三角公園に集まり、ふだん飯場ぐらしをしている仲間との旧交をあたためながら、「ふるさと」を想い、倒れていった仲間を想い、「夏祭り」を最後まで楽しんで団結を打ち固めた。
 今年の夏祭りの第一の特長は、大きな歴史の転換点の中で闘い取られたということである。
 七月参院選での安倍自民党の勝利で、原発推進、改憲―戦争への道が本格的に切り開かれようとしている。
 原発再稼動に向けた「審査」が始まり、また八月三日からは多くの反対の声にもかかわらず、沖縄普天間基地に米海兵隊オスプレイ十一機の追加配備が強行された。五日には、米軍ヘリHH60が宜野座村内のキャンプ・ハンセンに墜落する死傷事故が引き起こされたにもかかわらず、それを日米両政府が強行したことは許しがたい。
 また更には、八月からは生活保護費の削減が強行され、またTPP交渉への出席、消費増税の段取り(アリバイ的ヒアリング)と一気に攻撃が強まっている。
 こうした中、今年の夏祭りでは、「止めよう原発、歴史の改ざん、改憲―戦争への道」とのスローガンが掲げられ、闘いの方向が指し示された。
 沖縄の仲間は、「本土では平和・民主主義は守るものだが、沖縄では平和・民主主義は闘い取るものだ」とし、身体をはった闘いをこの夏も続けている。八月三日にも不当な弾圧にも屈せず、オスプレイの追加配備に反対する闘いを、ゲート封鎖の実力闘争として闘い抜いている。
 また、反原発を闘う仲間は、大飯をはじめ現地で、そして経産省前でと連携を強めながら闘い抜いている。
 釜ヶ崎では、沖縄と同じ様に、平和・民主主義は守るものではなく闘い取るものだ。
 釜ヶ崎の闘いは、既成の労働運動からも切り捨てられ、労働者(人間)としての民主的権利すらも奪われてきた。こうした中で、法律や行政に頼るのではなく、ある時は実力闘争で、またある時は粘り強い交渉で、「安心して働き生活できる釜ヶ崎」を目指して、「新たなしくみ」をつくり出してきた。
 「今後三年間、選挙がない」といわれる中で、安倍の「原発推進、改憲―戦争への道」を止めるためには、現場での具体的闘いとの結びつきがますます重要になっている。
 と同時に、この闘いの主勢力を、「平和・民主主義を守る」ものから「平和・民主主義を闘い取る」ものへと変えていかなければ、勝利することができないことは明白だ。
 夏祭りの第二の特長は、その参加の枠がまた更に拡大したことである。
 夏祭りは当初、釜ヶ崎労働者の自前の夏祭りとして出発した。当然のごとく支援も少なく、社会から孤立した夏祭りであった。
 しかし年々、新たに参加する仲間が増え(そのほとんどが常連になり、越冬闘争への協力もしてくれる)、地域の大きな祭りとして発展してきている。
 今年は、「関西大弾圧Q援会」の仲間も参加(出店、集会発言)してくれた。反原発闘争や「在特会」との闘争で顔見知りになった仲間が参加して、大阪府警の弾圧の不当性を訴えた。(関西電力本店前の「ころび公妨」については、夏祭り後の八月二六日、大阪地裁で無罪を闘い取った)。
 「弾圧に対しては、更なる闘いを!」、これが釜ヶ崎の闘いの歴史だ。敵の弾圧にひるみ、「合法的に闘います」と宣言し、この攻勢に屈服するのではなく、闘いで打ち破っていこう。
 夏祭りも終り、急に秋めいてきた。夏祭りを楽しみ、団結を打ち固めた成果を、秋の闘いへ!(釜ヶ崎S)


釜講座
 「特掃見学ツァー」「夏まつり釜ヶ崎ツァー」
   特掃作業で共に汗

 第42回釜ヶ崎夏祭りは、今夏も団結したすべての仲間の力で成功した。これに合わせて、市民と釜ヶ崎を結ぶ市民団体・釜ヶ崎講座は、恒例となった「特掃見学ツアー」と「夏まつり釜ヶ崎ツアー」を八月十四日・十五日に執り行なった。
 八月十四日の「特別清掃事業・見学ツアー」には8名が参加し、当日同行させてもらう作業班の仕事先である茨木市の茨木西高校へ向かった。
 参加者は、同校グランド周辺の除草作業の見学ならびに補助作業にあたり、労働者作業班の責任者の方から熱中症を中心とした諸注意を聞いた後、作業にかかった。炎天下のもと、NPO釜ヶ崎支援機構のスタッフさんが用意してくれた作業具を身につけて、正午の休憩時まで作業に参加させてもらうなか、釜ヶ崎労働者の姿と心意気に全員が学んでいった。
 また、当日の見学メンバーの中には、ある報道配信社の記者さんも参加してくれて、この特別清掃事業の生起してきた歴史と、闘ってその存立を勝ち取ってきた意義を、一人ひとりの労働者から勉強していた。
 最後は、釜の労働者からも親しく声をかけてもらい、互いにあいさつを交わす中、参加者はお礼をのべて作業場をあとにした。
 翌十五日の午後一時より、水野阿修羅さんの案内による「夏まつり釜ツアー」が挙行され、総勢25名の釜ヶ崎歩きとなった。
 今回のツアーでは、「釜ヶ崎の労働現場」というテーマを水野さんが提起し、古くは「電光社マッチ工場」の歴史(1900年前後)から、今日までの釜ヶ崎の働き方の推移を語り歩いてもらった。
 通称「あいりん労働センター」の施設内での説明では、2万人規模といわれた日雇い労働者の往時を語るなかで、釜ヶ崎労働者の高齢化にともなう、安心できる働き口の確保と居場所の問題はしっかりと解決できていないことを、水野さんは、いまだに続く野宿の問題を引き合いに出しながら強調していた。
 ツアー集約集会は、特掃スタッフ責任者の方のはからいで、特掃1階集会所にて行なうことができた。参加した金沢大学の学生さんをはじめ多くの人から質問を受けて、水野さんと釜講座代表の渡邉充春さんが回答した。
 「医療センターの移転の話はあるのか。体制の確保は本当にできるのか?」、「高齢者や障碍をもった人の暮らしの先行き、居場所づくりの問題は、どういう方向へ向かっているのか?」等々の質問が出され、ツアー参加者一人ひとりが釜ヶ崎のまち全体のくらしと労働に深い関心を抱いているのが明らかとなった。
講座を代表して渡邉さんが、毎年の「釜ツアー」への参加と種々の取り組みへの賛同に、感謝の意を述べた。そして情勢の報告を行なった。この一年の中で、行政施策サイドから「居場所支援」「地域密着型就労自立支援」など四つの支援策の柱をもとに、具体的な動きが始まっていること、「西成特区構想」の絡みの中で、釜ヶ崎のまち全体が今変化しつつあること、そして労働者・住民にとって、命とくらしに関わる重要な関心事がより明らかになっていく、そういう一〜二年になることが語られた。
そして釜講座としても、さらに市民へ向けて釜ヶ崎からのこれらの問題の細かな発信ができる態勢を整備し、充実させていきたいと決意が語られ、今後も釜ツアーへの参加を要請して、今ツアーの終了となった。(関西I通信員)