7・22東京地裁
 経産省前「脱原発テント」撤去裁判
  初回上回る結集で

 七月二十二日、経産省が提訴した「経産省前脱原発テント」の撤去を求める訴訟の第二回口頭弁論が、午後二時から東京地裁で行なわれた。
 第一回口頭弁論(五月二十三日)の際は、三〇名ほどしか入らない法廷に二九八名が押し掛ける事態になったこともあり、今回は九〇名が入れる大法廷となった。今回は二回目ということもあり、参加者が減るのではとの心配もあったが、実際には前回を上回る三二六名が傍聴を求めて集まった。運動の根強さを見せたといえるだろう。
 法廷に入る前に、地裁前の路上で簡単な集会がもたれた。
 午後四時から、第二回口頭弁論の報告集会が、弁護士会館クレオで開催された。三〇〇名を超える参加者で、会場はいっぱいになった。
 まず弁護団副団長の宇都宮健児弁護士が、「公共性の強いテントの訴えを、訴えられるべき当事者であるはずの経産省が潰そうとするのはおかしい」と訴えた。続いてテント広場応援団の作家・澤地久枝さんが、「ふるさとを潰してしまった国の責任」を批判。
 弁護団長の河合宏之弁護士は、さきほどの法廷で、国の側が「被告」の正清さんだと提示した写真が全く別人であることを指摘してきた旨、報告した。河合さんは、二人の被告と「別人」も登壇する中、このような考えられない取り違えをするなど、そもそも訴訟の要件を満たしていないと厳しく指摘した。
 福島集団疎開裁判を支援する駒崎ゆき子郡山市議や、傍聴者の木村結さんからも発言があった。
そして最後に、二人の「被告」が発言。渕上太郎さんは、参院選東京選挙区での山本太郎さんの当選の意義を確認し、「再稼働阻止」などの今後の闘いを訴え、もう一人の「被告」正清太一さんは「歳だが最後まで頑張る」と決意表明して、集会を締めくくった。次回口頭弁論は、九月十二日。(東京M通信員)


7・20「釜ヶ崎講座」第6回学習会
  釜の子どもと共に

 七月二十日、大阪市・釜ヶ崎の西成市民館において、「第6回釜ヶ崎講座学習会」が開かれた。「釜ヶ崎のこども、その家族の生活、未来は形づくられていけるのか」をテーマに、カトリック大阪大司教区「こどもの里」施設長の荘保共子(しょうほともこ)さんが講師であった。
 荘保さんは実に気さくな語り口で講演し、約三十名の参加者に釜のこどもの実像をストレートに伝えた。こんにち、釜ヶ崎の「こどもの里」をはじめ、大阪を中心とした「こどもの家」事業は、「西成特区構想」の動きの中で同事業の統廃合、補助金の大幅削減として、「市政改革プラン」によって事業存続の危機に立たされている。
 4万3千筆といわれる事業存続を求める署名を提出するなど、西成区の山王こどもセンターや、他地域の子育て・子どもの居場所づくりをすすめるグループなどと連携しながら、生活の困難をかかえる親と子の結びつきを守っていく運動を推進している最中である。
 荘保さんは、約四十年前に釜ヶ崎のことは何も知らず、釜の子どもと接したこと、言葉は乱暴でも生き生きとしたその姿から、しだいに学んでいった当時の「出会い」の時代から話し始めた。そして、子どもらが学校に行かん、家に帰りたがらん、やらの問題の背景には、常に「しんどさ」やら「暮らされへん」生活の実態がつきまとい、これを共有しながら接していく重要性を訴えた。
 また、日雇い労働者のおっちゃんらとの日常の中での交流(子ども夜回りや種々の交流)によって、子どもらは労働者に寄り添い、人の尊厳をしだいにつかみとってきたこと、労働者と共に生きていくことを感じ取ってきていることを語った。
 そして、このような地域での日常の取り組みこそが少しづつだが、行政側の「構想」を、筋道の通った施策に変えていける道であることを訴えて、講演を集約した。
 また、講演の中で、日本と諸外国の子どもの心の有りようの違いを、集会参加者と探し当てるゲームを演出するなど、学習会の盛り上げにも工夫がみられた。
 釜ヶ崎講座の参加者は、これまで二回にわたる「西成特区構想とはいかなるものか」の企画などで、西成に生き暮らす人びとの生きざまと展望をともに考えてきた。今回も、問題の共有化を広げることができた。続く第42回釜ヶ崎夏祭りの成功に向けても、釜講座の仲間たちの努力が期待される。(関西I通信員)


麻生の「ナチス改憲発言」糾弾!
  安倍は麻生副総理を更迭せよ

 麻生太郎副総理が七月二九日、右派団体が主催するシンポジウムにおいて、ナチスが憲法を変えた手口を学ぶべきだと発言し、日本と世界を驚かせた。
 麻生は、ただちに閣僚と国会議員を辞職せよ。そうしないならば安倍首相は、ただちに麻生副総理を更迭せよ。麻生の八月一日の発言撤回コメントはデタラメである。今開かれている臨時国会(自民党は各委員会の役員を決めるだけの一時的な開会としている)で、麻生を喚問し、この重大問題を審議せよ。
 麻生は次のように述べた。「今回の憲法の話も狂騒(ママ、引用者)のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。」「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで、本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。」などである。
 これは確信犯である。桜井よし子が主催し、西村真悟(前民主党)などがパネラーをする右翼仲間内のシンポであるため、本音がこぼれたのである。
 この麻生暴言は第一に、何がテーマであれ、「ナチスの手口に学ぶべき」と明言したことが大問題である。安倍首相が「戦後五十年・村山談話」の書き換えを策動する中、元首相で現閣僚の麻生がナチスに学べという犯罪発言を行なった。ナチス・ドイツの同盟国であった日本は結局、変わっていないというを印象を世界中に深めさせた。中国が「尖閣問題」で言う、ポツダム宣言の否定そのものである。外交的に言えば、日本の国益は大損害だ。
 第二に、憲法のテーマでそう言ったことの犯罪性である。麻生暴言は、憲法改正でも靖国参拝でも、世論や外国に騒がれないようにやるべきだ、これを主旨としている。日本国憲法、とくに9条は第二次世界大戦の反省として生まれたのであり、その改定問題が国際的論議になることは当然なのである。麻生はこれを嫌がるだけでなく、国内の憲法論議、憲法についての世論が活発になることをも否定的にとらえ、論議を排除して改憲したいという極めて悪らつな意図を表明したのである。
 第三に、閣僚が改憲の方法について、あーだこーだと語っていることの犯罪性である。自民党が政党として改憲を主張するのは自由であるが、党員が公職(政府メンバーや国会議員)に就けば、99条の憲法尊重擁護義務がある。麻生暴言は、立憲主義をじゅうりんするものである。
 麻生の言っていることは、史実じたいがデタラメである。何が「静かに変わった」、「みんな納得」なのか。国会放火事件をでっち上げ、ナチス反対派を弾圧し、1933年には全権委任法を反対議員を暴力的に排除して成立させた。これでワイマール憲法は停止状態となったが、この過程のどこが静かなのか。
 麻生は、現在の日本でも、憲法改悪反対の声を「静か」に排除して改憲をやりたい、その手本がナチスだと公言しているのである。
 麻生を首にしない安倍も同類だ。日本の恥さらし、麻生、安倍を打倒しよう。(W)


東京・日暮里で「統一マダン」
  停戦協定60年国際行動の中

 七月二八日、恒例の「統一マダン・東京」が第二十回目を迎え、いつもの三河島駅前の真土小学校跡地から、隣駅でターミナルでもある日暮里駅前のイベント広場で行なわれた。今回は周辺に開放されたためか、多くの制約があるものの、街への宣伝効果が大きいためか、前年を上回る参加者を見ることができた。
 統一マダン東京のオープニングは、韓統連東京本部の梁炳龍(ヤン・ビョンヨン)代表のあいさつに始まり、例年通り朝鮮舞踊やテコンドー演武、ノレの会による韓国民衆歌謡等々が次々と披露され、トリを李政美(イ・ジョンミ)さんのコンサートで締めくくった。
 途中天候が崩れる場面もあったが、人の流れは途切れることもなく、滞りなく統一マダンの進行はなされた。梁代表の挨拶や日韓の女性たちのアピール、韓国の統一民衆団体からの連帯メッセージにある通り、朝鮮戦争停戦六十年の今年、朝鮮半島の平和と統一の問題、日本の歴史に根ざした平和憲法を守りぬく闘いの必要性が確認される場でもあった。
 なお韓国においては、停戦協定六十年の反戦平和国際連帯行動が、七月三日に海軍基地建設反対闘争を闘う済州島を出発点として韓国全土を巡り、停戦六十年目の七月二七日ソウル市庁舎前広場にて、記念行事が一万名ほどの結集で行なわれた。この行事には日本からも、日韓ネット(日韓民衆連帯全国ネットワーク)や全国会議(韓国良心囚を支援する会全国会議)の代表を含めて五十名ほどが参加し、日韓民衆の連帯の絆を更に深めることができた。
朝鮮戦争停戦から60年目を迎えた今こそ、停戦協定を平和協定に変え北東アジアの不安定要因を除去し、平和実現を勝ち取らねばならない。そのためにも一層の日韓民衆連帯を、安倍政権の排外主義策動に抗して闘いとろう。(東京Ku通信員)