〔映評〕

  軍事独裁下の不屈の意思を再現
    2012年・韓国映画『南営洞1985』*鄭 智泳監督

 最近、自主上映が行なわれた作品を中心として、私見を述べさせていただく。
 まずは、2012年製作の韓国映画『南営洞(ナミョンドン)1985』(鄭智泳監督)を取り上げる。この作品は、2011年に死去した金槿秦さん(キム・グンテ、民青連議長などを経て、ノ・ムヒョン政権時代の保健福祉部長官=厚生相とウリ党議長を歴任)の実話にもとづき、映画化されたものである。南営洞とはソウルの地名で、警察の公安組織・対共分室の所在地を指す。
 この作品では、民主化運動青年連合(民青連)の議長であったキム・ジョンテを主人公として描く。キム・ジョンテは、八五年のある日、南営洞の対共分室に連行され、家族を含めた外部との連絡を遮断される。ここで壮絶を極める拷問が開始される。北朝鮮と通じた運動を指導したとの虚偽の自白を強要され、殴る蹴る、水責めの拷問にも屈しない。
そこで対共分室は、所長と称する拷問の専門官を呼び寄せる。その拷問は、窒息寸前まで追い込める水責め、究極とも言うべき電気拷問が行なわれ、ついに上申書なるものを書くことを強要される。ジョンテは、もうろうとする意識の中で、家族の幻影を見るまでになるが、上申書にサインを拒む。己の出世だけのためi拷問を続ける公安職員と、民主化と統一をめざす確信分子ジョンテとの違いが鮮明に浮き彫りとなる。
時間は一挙に長官時代に飛び、不法な拷問を繰り広げて逮捕された所長との、面会シーンとなる。
 この映画は、韓国の軍事独裁政権下で不屈の闘いを続けた民主統一人士が、苛酷な拷問によって揺れ動きながらも、屈することなく意思を貫く姿を描いた作品であり、この主人公と同様に軍事独裁政権から拷問を受けた人々は数知れない。朝鮮半島分断の悲劇の一ページとも言える。
対共分室の一室を舞台とし、カメラを低い位置に据えて撮られる映像は、観るものを主人公と同じ位置に置くこととなる。拷問に屈しない闘いを描いた傑作『アルジェの戦い』
に勝るとも劣らない作品に仕上がっている。ただ残念なのは、この作品の日本での定期上映が未定なことである。
 もう一つ、日本映画を観る機会があった。全国で初めて制定された常設型の住民投票条例によって、原発の誘致を拒否した新潟県の巻町の闘いを描いた『日本の青空』、この第三弾『渡されたバトン さよなら原発』という作品である。
68年に始まった原発誘致問題を小料理屋の一家を通して描いているが、多くの問題点を抱えた作品と言える。
一番肝心の住民投票条例制定運動の描写が不十分で、その直接民主主義的意味が説明しきれず、原発誘致問題をめぐる住民間の動き、住民投票の闘いの描写としてはリアルさに欠けている。脚本をジェームス三木氏が担当しているようであるが、住民投票条例を通じた住民自治と反原発とが平板に描かれ、住民運動の盛り上がりが描写しきれず、出演俳優が勝手に盛り上がっているようにしか受け取れないほどである。
作品の粗雑さはそればかりではない。その年代と全く合わない小道具が散在し、目を覆うばかりである。ストーリーも闘いの現場・現実から離れ、小市民家族を中心に描くため、ホームドラマの域を超えていない。これでは橋田寿賀子(テレビドラマ『おしん』の原作者)の作品に、原発問題を接木したようなものだ。
これが、リアリズムと言えるのだろうか。このような作品があるから、『南営洞1985』のような作品が、一層引き立つことになるのである。(Ku)