憲法96条改悪阻止の一大闘争を
 参院選で自民・維新96条改憲派を打倒し、憲法闘争の国民的共同戦線へ


 参院選争点としての96条

 6月20日、自民党は参院選公約を発表。憲法96条改悪等を争点にした参院選が7月21日実施される。それは、自民党石破幹事長が、「(96条改定を問う参院選では)国民は9条の改定を念頭において投票していただきたい」と本音を漏らしたように、9条改悪・「戦争する国家の創出」か否かを問う重大な闘いである。
 現行96条は、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が」改憲を発議できると規定している。しかし安倍首相と自民党は、これを「過半数」に引き下げ、改憲のハードルを低くして容易に憲法改悪ができるよう画策している。
 96条改悪、基本的人権の形骸化、そして9条改悪にむけ、着々と準備が進められている。我が党は、96条改悪反対の闘いを高揚させ、7・21参院選で、自民党と日本維新の会を主力とする改憲勢力の打倒、「右傾化」「原発社会」からの転換にむけ、労働者・市民とともに奮闘する。
 『東京新聞』6月4日の世論調査では、戦争放棄や戦力不保持を掲げる9条を「変えない方がよい」58%、「変える方がよい」33%で、96条見直しについては、「過半数への緩和反対」が55%、「賛成」38%の数字が示されている。安倍首相は与野党・世論の批判の高まりに直面し、先行改正論をトーンダウンさせたものの、しかし96条見直し自体は公約に明記し、対決の姿勢をあらわにしている。しかも、安倍政権支持率は、時事通信6月調査では54・4%と下がり始めているものの、改憲論とは別の理由で依然高水準を維持している。
 新自由主義の諸政策をはじめ安倍政権の全政策との闘争を拡大し、自民・維新改憲勢力の目論みを打ち砕き、地域から民主的で左翼的な「第三極」勢力の創出にむけ奮闘することを呼びかける。

 立憲主義否定の自民改憲草案

 日本国憲法は、諸個人の権利や自由、つまり、基本的人権を守るために国家権力を規制するという近代立憲主義の立場に立つ。たとえ民主的に選出された政権であっても、権力を濫用する可能性は否定できず、それを防止するためにも国家権力に、縛りをかける立憲主義の立場をとっている。
 現行憲法第3章「国民の権利及び義務」第11条では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられる」と述べ、基本的人権の尊重について記述している。そして、第10章「最高法規」(97条〜99条)冒頭97条は、11条に関連して「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、…侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と記している。このことは、基本的人権の尊重こそが、憲法の最高法規性を実質的に裏付けるものであることを示している。事実98条は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅…の全部又は一部は、その効力を有しない」と最高法規性を宣言、そのことを裏付けている。
 さらに81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する」として、裁判所に違憲立法審査権を与えている。
 前述96条(改正規定)は、これらの条項と一体のものとして掲げられている。従って96条は、憲法保障の重要な役割を担うものであり、基本的人権を守るために、改正が困難な「硬性憲法」として制定されている。
 さらに現行99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定め、国務大臣や政府等に、憲法尊重擁護義務を課している。
つまり現行憲法は、基本的人権を守るために権力を規制する近代立憲主義の立場をとっている。そしてそれは、国際的潮流でもある。従って仮にも最高法規たる憲法が改正されるためには、充分論議が尽くされ、慎重に検討されなければならない。
 にもかかわらず自民党日本国憲法改正草案(以下自民党改憲草案)では、現行96条にあたる第10章改正の100条において、「衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し…国民投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする」と述べ、そのハードルを著しく引き下げている。この条文は硬性憲法であることの否定である。過半数を握った政権与党は、立憲主義のもとで縛りをかけられている立場にもかかわらず、その縛りを解くために、簡単に「憲法改正案」を発議することが可能になる。これは立憲主義の否定であり、基本的人権をないがしろにするものである。
周知のように、小選挙区のもとで過半数の獲得は、むずかしいことではない。昨年十二月総選挙のように投票率が6割を切れば、有権者から得た得票率が3割に満たなくても、自民党は294議席を占めることができた。それは衆院定数のおよそ6割にあたっている。つまり、ほんの一部の支持で憲法改悪が可能になるのである。立憲主義をないがしろにするこのような暴挙が許されていいはずがない。まして安倍首相や閣僚達権力者が、憲法改悪を口にすることは、憲法99条の立場からしてあり得ないことであり、言語道断である。
 そればかりではない、自民党改憲草案は、現行97条を全文削除するという暴挙にもでている。これは、市場原理を最優先する新自由主義路線を推進し、資本の自由な活動を最大限保障するために、また戦争遂行国家のために、基本的人権を制限しようと画策していることに他ならない。
 その時々の支配層の利益のために、安易に改憲することは、基本的人権の保障に関わるだけに絶対にあってはならないことである。

 「3分の2」は「国際標準」

 自民党・石破茂幹事長は、「衆参両院で3分の2が賛成しないと国民投票をしてもらえない。国民は権利を使えない」と説明、3分の2はハードルが高すぎると主張した。この発言は立憲主義を理解していない証左だが、改正要件が高すぎるという自民党の主張も欺瞞に満ちている。
 外国と比較して、日本国憲法改正要件は決して厳しいとは言えない。
 アメリカは、上・下院3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会などでの承認が求められている。また、韓国、ルーマニア、アルバニアは、議会の3分の2以上の賛成と国民投票を必要とする。さらにドイツでは、連邦議会3分の2以上の賛成と連邦参議院3分の2以上の賛成で改正できるとしている。またイタリアでは、各院の過半数の賛成、そして3か月以上経過後に各院3分の2以上の賛成を求めている。2回目が3分の2未満の際は、国民投票が任意的に行われるシステムをとっている。
このように多くの国は改憲のための厳しい要件を定めている。法律と同じ要件で改正できる憲法は、きわめて少数である。従って自民党改憲草案は、姑息な手段を用いて「権力の乱用をねらったものでしかない」と言うことができる。

 国民投票の敷居を下げる改憲草案

 マスコミでは、国会での発議要件の緩和が取り上げられ論議されている。しかし国民投票の改悪にも大きな問題がある。
 現行憲法96条は、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行なわれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と定めている。ところが自民党改憲草案は、「法律の定めるところにより行なわれる国民投票において、有効投票の過半数の賛成を必要とする」と規定して、国民投票の敷居を著しく引き下げている。「その過半数の賛成」を改ざんし、「有効投票の過半数の賛成」として改憲しやすくしているのだ。権力側は、矢継ぎ早に改憲する思惑を持ち、あらかじめ通し易くしておきたいという意図が見え隠れしている。
 そればかりではない。2007年5月18日に成立の憲法改正手続法(改憲国民投票法)には、重大な問題が数多く存在している。
 それは、国民投票を有効とする最低投票率の規定がなく、少数の賛成によって憲法改悪が可能になるという事実である。また、国会での発議から国民投票まで十分な議論を行なう期間が確保されていないこと、賛成・反対の意見が平等に情報提供されないおそれがあることがあげられている。さらに公務員や教育労働者の国民投票運動参加に制限が加えられ、十分な情報交換と意見交換のできる条件が整っていないということもあげられている。しかも、これらの問題に全く手を付けることなく、発議要件緩和だけが取りざたされている。
 そして安倍は、改憲国民投票法の付則で要件として決められた有権者年齢の法改定を削除するなどのために、その改悪案を次の通常国会に提出する目論見である。
 
 義務拡大は立憲主義否定

 今回の改憲論議で特筆すべきことは、9条改憲はもとより、先述のように近代立憲主義の否定があげられる。
 また自民党改憲草案102条は、「全ての国民は、この憲法を尊重しなければならない」と述べ、憲法を守るべきは権力を持つ側であることを無視し、「国民が守るべき」として、立憲主義を否定する。96条改悪は、立憲主義の後退そして、否定をねらって仕掛けられている。従って、96条改悪阻止は、重大な意味を持つ。
 自民党改憲草案は、「日の丸・君が代尊重義務」、「領土・資源確保協力義務」、「家族の助け合い義務」など国民の義務規定を多く盛り込んでいる。
 現行憲法が、勤労・納税・子どもに教育を受けさせる義務の三つの義務を国民に課しているのに対して、伊藤真弁護士によると、自民党改憲草案には、さらに10の義務規定が追加されているという。これも立憲主義の否定を自民党等がねらっているという証である。
 6月5日行われた参議院憲法審査会では、自民党議員から「憲法は、国柄や歴史、文化を国民が共有するものだ」という持論が展開され、たしなめられる一幕もあった。この発言は、憲法は『国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民が協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルール』とする主張と共通している。この論理こそは、自民党が国民に担うべき義務を押しつけ、立憲主義を否定する論拠にもなっている。しかし、この主張は欺瞞である。
 主権在民の民主主義的憲法観では、主権者国民の権利規定が憲法の骨幹であり、主権者がその権利を実現するために国家を作り、政府を組織するとされる。国家・政府は国民の道具であって、対等ではない。公共的義務の多くは、下位法によって規定される。
 また、マルクス主義の観点から言えばこうである。F・エンゲルスは国家について、「抗争しあう経済的利害を持つ階級が、無益な闘争のうちに自分自身と社会を消尽させないためには、外見上社会の上に立って、この抗争を和らげ、これを『秩序』の枠内に保つべき権力が必要になった。社会から出てきながらも社会の上に立ち、社会からますます疎外していく権力が国家なのである」と述べている。そしてさらに続けて、「国家は階級対立を制御する必要から生じたのであるから…もっとも有力な経済的に支配する階級の国家である」と主張する。国家は、「支配する階級」つまり独占ブルジョアジーが労働者民衆を支配するための道具として存在している。故に、独占ブルジョアジーは、自らの利益のために、国家によって労働者・民衆を支配しているのであって、国家と国民の協力などあり得るはずがない。
どのような観点からも、自民党のように、「国家と国民が協力し合い」として、国家という手段を人格化しているのは明らかに矛盾である。支配階級は、基本的人権を侵害し、自らの利益を追求することに価値を見い出している。現行憲法を改悪し、権力を規制するものとしての憲法から、「国民が守るべき義務」としての憲法にすりかえているのは、独占ブルジョアジーの利益追求のためである。

 闘争拡大で96条改悪阻止

 96条改悪への各党の対応は、政治路線や党内事情、立憲主義の無理解を含めて、様々な傾向を示している。
 自民党、日本維新の会は、96条改悪を明確に主張している。維新の会は、「道州制など日本の統治機構を改めるには、改憲が必要…96条を改め国民的議論を求める」と主張し、自民党と共に改憲策動を強めている。公明は、「加憲」の9条改憲論であるが、96条改憲には慎重策を取っている。みんなの党は改憲論をトーンダウンさせたが、参院選公約では首相公選制のための改憲を主張する。
 他方、社民党・共産党等は、明確に9条・96条改憲反対を打ち出し、社民党は、96条について、憲法は「国会に対する縛りであり、縛りをかけられている側から条件の緩和を打ち出すことは認められない」として反対論を展開している。それに対して民主党は参院選公約で、「改正の中味を問うことなく、改正手続きの要件緩和を先行させることには反対」と主張する。同様の立場は、生活の党などいくつかの諸政党に見られ、あいまいさを示している。
 このかん、96条改憲論に対し、試合の前にルールを変えるのか、姑息だなどの分かりやすい反対世論も広がり、「96条の会」結成など知識人・市民の動きも始まった。国会内でも、96条先行の改憲論に反対する勢力は結束を強め、民主党・社民党などの護憲派議員連盟「立憲フォーラム」等が形成され活動を進めている。また自民党内でも96条改悪に反対する政治家が意見を表明するなど様々な動きがでている。
 これら国会内外の動きをさらに拡大し、参院選では96条改悪反対、9条改悪反対の議員を一人でも多く当選させることが求められている。
しかし最も大事なことは、憲法闘争を大衆運動として前進させ、改憲反対の国民的な強大な共同戦線を形成・拡大することである。地域・職場から、96条改悪阻止・9条改悪反対の闘いを前進させよう!(O)