道州制論議に寄せてL−地方支配の歴史的変遷
  住民自治から離れた地方分権
                    堀込 純一


 
X 新自由主義と上からの分権

(三)分権一括法時の限界と問題点

市町村の巨大化で新たな基礎自治体必要〉
 地方分権一括法の施行以降、政府・与党などは、地方分権の際の受け皿を強化するという名目で、市町村合併をさらに促がした。
 いわゆる「平成の大合併」(注1)といわれた市町村合併では、一九九九年に三二三二あった市町村数は、二〇〇六年三月末までに一八二〇に激減(56・3%に減少)している(一次合併)。この間、五八二の合併自治体が、誕生している。さらに市町村合併を奨励するべく、二〇〇五年三月に、市町村合併特例法を改正し、二〇一〇年三月まで延長している(二次合併)。この結果、二〇一一年一〇月現在、市町村数は一七二〇へと減少し、首長・議員の減少は二万一〇〇〇人となり、年間一二〇〇億円の節約になったといわれる。
 この市町村合併を促進した要因に、市町村合併特例法(注2)がある。
 同法は、一九九五年の改正では、@合併協議会の設置に関する住民の発議制度創設、A議員定数・在任特例措置の期間延長、B合併後のまちづくりに対する財政支援の大幅拡充、C都道府県の合併過程への関与、などが盛り込まれた。
 この市町村合併特例法は、地方分権一括法の一つとしてまた改正され、一括法の公布日と同じ一九九九年七月十六日に施行された(法律の期限は、二〇〇五年)。
 改正の特徴は、以下の諸点にある。@合併協議会会長に、学識経験者を選任できる。Aすべての合併関係市町村で同一内容の住民発議があった場合、合併協議について議会への付議を義務付ける。B合併市町村の施策全般に関して意見を述べる「地域審議会」を旧市町村単位に設置できる。C地方交付税が合併前の合算額を下回らないことを保障する期間を延長する。D合併特例債の許可。E合併促進に向け、国・都道府県は積極的に支援する―などである。
 一次合併での市町村合併は、当初、ほとんど進展していない。急速に増加したのは、二〇〇四〜〇五年である。
 その要因は、なんといっても、期限を切り、その期限内に合併を実現した自治体のみに与える財政上の特典である。その典型が、自治体の借金(元利払いのおよそ七割)を国が交付税で面倒をみる合併特例債である。何が何でも合併をさせようと、財政難であるにもかかわらず大盤振舞いをしているのである。
 市町村数を減らし、基礎自治体の規模を拡大して個々の財政力を強化しようという方策は、先ず第一に、これまでの地方自治体抑圧の結果でもあり原因でもある財政配分(中央と地方の間での)制度を改善しない結果となった。すなわち、税財源の地方移譲は、分権一括法にはそもそも盛り込まれなかった。この点を野党は厳しく追及したが、小渕首相は、ただ「税財源対策をできる限り早く国会に提案する」と述べるだけであり、宮沢喜一蔵相は、「国の経済が年2%ぐらいの成長軌道に乗った時」と答えただけである。両者とも、地方分権・地方自治の肝心要である財政自主権の問題を、真剣には考えていなかったのである。財政自主権なしには、地方分権といっても、絵に描いた餅に過ぎないのである。
 第二に、「経済合理主義」だけが先走って、肝心の自治が置き忘れ去られたことである。
自治の財政的裏付けを強めるための規模拡大は、市町村の規模を拡大して、特例市・中核市など財政上の特典を獲得するためのものであり、肝心の地方自治、なかでも住民自治を発展させるものではなかった。それどころか、市町村規模の拡大に正比例して、住民との距離は遠くなり、あらたに細分して新しい基礎自治体を構築する必要性を高めたのである。
 このことは、二〇〇四年の地方自治法一部改正で地域自治区を、〇五年の市町村合併特例法の一部改正で合併特例区を創設できる制度を設けたことが、問わず語りに述べている。 
 地域自治区は、合併して大きくなった市町村に住民の声を反映させるために、市町村の判断によって設けられる区域である。区域内に住所を有する者が構成員になるが、ただし、これは法人格をもたない。合併特例区は、一般の地域自治区とは異なり、旧市町村の一部の区域に設置でき、法人格をもち一定の予算編成もでき、特別職の区長も置くことができる地域自治区である。しかし、それは合併市町村で五年以内の期間限定で、設置できるにすぎない。いずれも、一面的なもので、糊塗策以上に出ない。

〈市場原理への依存〉
 欧米での分権化(decentralization)には二つの意味があり、一つは中央政府から地方政府への権限や財源などの委譲であり、もう一つが中央・地方政府部門から非政府部門への資源配分決定権の委譲である。このことは、すでに本シリーズの前々回(本紙522号)で述べた。
 日本では、しばしば前者を「地方分権」といい、後者を「規制緩和」といって報じられ、まさに地方分権と規制緩和は車の両輪となっているのである。
 一九八〇年代、イギリスのサッチャーリズムに始まる行政改革は、行政事務の民営化・外部化に見られるように、市場原理の利用・依存、政策立案と実施の分離、成果の事後評価などを特徴としている。
 中央省庁などの改革再編に向けての処方箋となった「行政改革会議最終報告」(一九九七年一二月)では、肥大化した行政組織とその機能を減量化・効率化させる方策として、「民営化」、「民間移譲」、「民間委託」の三つの方式に区別した。民営化は行政の事務事業を民間に外部化することであり、民間移譲は特定の事務事業を限定的に民間組織に移譲することであり、民間委託は特定の業務を民間組織に委託することである。
 民営化でもっとも代表的なものは、一九八〇年代の中曽根内閣時代の電電公社や国鉄、小泉内閣時代の、郵政、道路公団などの組織替えである。中央省庁の事務のうち、国立病院や試験研究機関などは、実施部門を切り離し行政機構をスリム化するもので独立行政法人とされた。だが、職員の身分を公務員として残すものは、特定独立行政法人とされた。
 地方自治体においては、「国に先立って逐次的に取り組まれた地方行政行革においてとりわけ民間委託が推進されてきており、以前からその対象事業は、税の徴収、各種の計算・統計、庁舎や公共施設の清掃・維持管理からごみやし尿の収集・処理、下水、図書館の運営等に至るまでさまざまな領域に及んできた。」(『地方自治の現代用語』学陽書房 P.216)といわれる。
 しかし、これらに共通するのは、肥大化した行政組織とその機能の減量化・縮小化をするために、民間団体と契約する際に市場原理に依存していることである。そのために、諸部門で雇用されていた労働者の生活がまっ先に犠牲の対象となったことである。とりわけ理不尽なのは、この機会に多くの正規労働者が非正規労働者に置き換えられ、劣悪な賃金労働条件に落とされたのである。
 その上に問題なのは、民間委託などのような場合は、委託されても、委託の対象となった各種事業に対する公的責任主体は、依然として自治体にあるのであり、「経済合理主義」一辺倒の場合は、この公的責任がおろそかになることである。たとえば、保育所などで非正規の保育士が短期間でつぎつぎと取り替えられると、保育されている児童にとっては非常に不利なことである。
 さらに民間組織との契約を自治体が行なう場合の、その契約のあり方である。その場合、ほとんどのケースで、価格を基準としていることである。そのような市場原理にもとづく契約は、とりわけ公契約ではそぐわないものである。
 中央・地方政府が自ら発注する公共工事や委託業務を契約する際に、「公契約は、価格競争入札ではなく、入札基準に労働条件、人権、環境、福祉、公正など社会的評価を加えた総合評価方式に転換していく。最低制限価格制度を積極的に活用し、公的機関が委託や請負を行わせる場合はその地域の平均的労働条件を切り下げることがないよう規定したILO公契約条約(第94号)の実現」(わが党の第三回労働運動決議「当面する労働組合運動におけるわが党の諸政策」)をめざすことが重要である。
 市場原理に依存した公契約ではなく、人権・労働条件・公正などの社会的評価を加えた「政策入札」による契約こそが重要なのである。

〈対等性は本当か〉
 一九九九年の第145国会で、自民・自由両党の連立合意の上に成り立つ小渕内閣は、ゼネコンや金融機関を救済するための大盤振る舞いを行なった超大型予算を成立させた。他方で、地方分権一括法をはじめとして次のような重要法案を、十分な審議もせずに次々と成立させた。
 それは、周辺事態法など新ガイドライン関連法、中央省庁改革関連法、通信傍受法(盗聴法)、国旗・国歌法、住民基本台帳法、憲法調査会設置法などである。
 これら一連の重要法案が狙うものは、第一は、戦争ができる実際的な体制作りであり、第二は、国家としての対応を中央政府が敏速かつ的確に行なえるように体制を整えるとともに、地方政府は国民生活を中心とする内政を担い、また、中央政府の緊急事態対応を支える役割を担うことであり、第三は、明文改憲を射程において、憲法改悪の具体的な一歩を進めることである。
 地方分権一括法案と中央省庁改革関連法案が、衆参両院ともに、行政改革特別委員会で、強行的に一括審議されたことは、重要な意味をもつ。
 中央省庁改革関連法は、1府22省庁を1府12省庁に統合し、行政を政治主導に転換し、透明で効率的にするためのもので、内閣法改正、各省庁の設置法、独立法人通則法など17の法律で構成されている。
 中央省庁再編の目的は、タテ割り行政の弊害をなくし、首相のリーダーシップを高め、政治主導の下で役割に応じた省庁を束ね、行政の無駄をなくすことである、といわれる。それらとともに、中央政府が内外の重要問題に、的確で敏速に対処するためには、従来のように地方のあらゆることに中央が関与する体制では立ち遅れてしまうのである。
 とりわけ、グローバル資本主義の下では、重要問題がひんぱんに惹起し、従来のような体制・姿勢では、とてもは敏速に対応できないのである。このことは、バブル崩壊の後始末が未だできず、一九九八〜九八年の金融システム危機(拓銀、山一証券、長銀、日債銀などの破綻による)に陥った経験から如実のことである。
 この意味で、地方分権が中央政府にとっても必要なのであるが、逆に、従来地方自治体が関与した行政事務でも、敏速に対処する必要がある場合は、中央事務執行化によって、地方自治体の関与をとりあげることにもなる。
 その典型的な事例は、米軍用地特別措置法である。これは、駐留米軍に土地や施設を提供するために、一般民有地を強制的に収用・使用する手続きを定めた法律である。
 そのいくつもの段階における手続きの内で、旧特措法では@土地・物件調書への代理署名、A使用対象となる土地の公告、関係書類の縦覧、B都道府県収用委員会による公開審理と裁決―については、地方自治体の関与が不可欠となっている。これらはいずれも機関委任事務であったが、分権一括法の成立によって、Bが法定受託事務となり、他の@Aは国の直接執行事務に変わったのである。
 中央政府の統制強化は、教育分野にもみられる。一九五六年の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によって、今までは、都道府県教育委員会の行なう事務、管理、執行について文部大臣が是正・改善を求めたり、同委員会の教育長任命には文部省の承認が必要だったりしたが、これらはたしかに、地方分権一括法によって廃止された。しかし、教育課程行政などは、逆に中央統制が強まっている。
 従前の学校教育法では、「校長及び教員の資格」についての決定者を「監督庁」としていたが、これが「文部大臣」へと、その変更を明記した(8条)。従前は、「監督庁」は「当分の間、これを文部大臣とする」(旧106条)として、地方分権に変わる可能性もあったが、今度、中央統制が明確となったのである。
 同様に、同法20条、38条、43条で、小中高等学校の教科・学科について定める権限を「監督庁」からやはり「文部大臣」へと変更を明記した。これにより、学校教育の内容を統制している教育課程行政が、中央統制としてさらに強化されたのである。
                                  (つづく)

(注1)いわゆる「明治の大合併」は、市町村数を一八八八年の七万一三一四から翌年には一万五八五九へと、22・2%に減少させている。いわゆる「昭和の大合併」は、一九五三年一〇月の九八六八から一九六一年六月の三四七二へと、35・2%に減少させている。
(注2)市町村合併特例法(正式には「市町村の合併の特例等に関する法律」)は、もともと一九六五年三月に、公布・施行された。同法は、十年間の時限立法であったが、一九七五年、一九八五年、一九九五年と三回延長された。