橋下妄言に内外から厳責
 「侵略・植民地支配」反省せず

 日本維新の会の共同代表・橋下大阪市長の、元「従軍慰安婦」の女性に対する侮辱、女性の基本的人権を否定する五月十三日以降の発言に、内外から厳しい批判が集中している。
 橋下発言の主な誤りの第一は、命がけで戦っている軍兵士には、「……どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度が必要なのはこれは誰だってわかる。」(十三日午前)という独断である。
 まず兵士の慰問について、まっ先に「女性の性」を利用しようという発想を持つこと自身が、橋下共同代表の女性差別の思想性を物語っている。橋下市長が、沖縄訪問の際、「慰安婦制度は、今は認められないが、風俗業は必要だと思う。だから(大型連休初めに)沖縄に行った時(米軍の)司令官に会い『もっと風俗業を活用してほしい』と言った」(十三日夕方)という発言も、この差別思想の延長にあるものである。
 橋下市長は、後に、「慰安婦制度が必要」だというのは、当時の考え方であり、自分の考えではない、と言い訳けしたが恥の上塗りである。
 第二の誤りは、五月二十七日の外国特派員協会での記者会見で、「当時は日本だけじゃなくいろいろな軍で慰安婦制度を活用していた。」といって、日本の公的責任をあいまいにしていることである。
 神戸女学院代の石川康宏教授(経済学)によると、「少なくとも第二次世界大戦で慰安婦制度があったことが確認されているのは、旧日本軍とナチスのドイツしかない」、「旧日本軍は、一九三〇年代初頭以降、進出や侵略したアジア各地に慰安所を設置した。ドイツ軍もアフリカや欧州各地に戦線を拡大する過程で現地の売春施設を軍の管理下に置き、慰安所として利用していた」(五月二十八日『東京新聞』)といわれる。
 だが、橋下共同代表は、「第二次世界大戦当時、アメリカやイギリスが利用していた現地の民間施設でも人身売買はあった。日本の軍が一定関与した施設と、民間業者の施設で、人身売買において変わることはない。両方悪い。」(二十七日の記者会見)と言い訳している。
 だが、この言い訳は、「両方悪い」という一般論で、国家や軍など公的機関の責任の重さを軽視している。公的責任の重さをあいまいにすることは許されない。
 第三の誤りは、橋下共同代表は、通説などを批判する場合、しばしば、客観的な証拠を持って反論するのでなく、個人的な感覚や心証で批判し、建設的な論議にならないことである。
 たとえば、橋下共同代表は、「侵略の定義について学術上、きちんと定義がないことは安倍首相が言われているとおりだが、」(十三日午前)といって、その「侵略の定義」があたかもないかのような印象を、安倍首相ともども世間に流している。
 この発言は、政治家らしからぬ発言である。仮に「学術上、きちんと定義がない」と仮定しても、政治的国際的には、一九七四年の国連総会で採択した「侵略の定義に関する決議」が厳然として存在しているのである。
 橋下共同代表は、安倍首相は、この決議に批判があるならば、政治家として、きちんと論拠を示して、反論すべきなのである。
 第四の誤りは、日本帝国主義のかつての侵略や戦争責任について、橋下共同代表は依然として、あいまいだということである。
 橋下共同代表は、侵略について、石原代表とは異なり、表面上は認めているような言動をしている。しかし、先の「侵略の定義」の発言にすぐ続けて、「日本は敗戦国。敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めないといけない。」と述べている。
 これは、解せない言葉である。では、日本が負けなかったならば、侵略ではないというのであろうか。侵略の意味が、彼には理解できていないのである。
 橋下共同代表や安倍首相も含む歴史修正主義者に共通する誤りは、次の点にある。もっとも肝心なことは、「侵略した側と侵略された側」「植民地支配した側と植民地支配された側」の関係であり、帝国主義諸国の犯罪の軽重度合いは、二の次のことである。だが、歴史修正主義者たちは、根幹と二の次との区別ができないで、さまざまないい訳をして、たえず、「侵略と植民地支配」をあいまいにしようとしている。
 だからこそ、村山談話や河野談話は、たえずあいまいにされ、場合によっては葬り去られようとしているのである。(T)