ヶ崎メーデー・中之島メーデー
 社会的(公的)就労の拡大を、反失業闘争の軸に

 五月一日、大阪・釜ヶ崎において「第44回釜ヶ崎メーデー」が闘い抜かれた。
 前日四月三十日の「メーデー前夜祭」の成功を受けて、早朝5時より情宣が開始される。「釜ヶ崎解放」のノボリ旗が林立し、西成労働センターはメーデー一色に染まる。
 7時からの集会には、「デモには体がしんどくて…」という歴戦の仲間も含めて多くの釜ヶ崎労働者が参加し、熱気のうちに「釜メーデー」の意義を確認し、闘う決意を打ち固めた。
 8時25分、いよいよデモへ出発だ。「万国の労働者、被抑圧民族団結せよ!」と大書きした釜ヶ崎日雇労働組合、反失業連絡会の横断幕を先頭に、百名を超える隊列で、釜ヶ崎の労働者・住民の注目と支援の中、地域内デモを貫徹した。
 地域デモ終了後、「連合メーデー」の清掃に就く四十名の仲間と分かれ、五十名の部隊は対大阪市行動を闘い抜いた後、「中之島メーデー」に合流していった。
 「中之島メーデー」は、大阪全労協、全港湾大阪支部、全日建連帯関西生コン支部などによる実行委員会の主催で開催され、剣先公園に一千人近くが参加した。合流した釜ヶ崎労働者は、中之島メーデーによる西梅田公園までのデモを最後まで闘い抜いた。
 ここで改めて、「釜ヶ崎メーデー」の意義を考えてみよう。その第一の意義は、釜ヶ崎労働者も労働者階級の一員であり、階級的自覚を高め、分断支配を打ち破り、釜ヶ崎労働者の団結とその隊列を、「世の中」に指し示すことである。
 釜ヶ崎労働者は、支配階級による歴史的な差別・分断攻撃の中で孤立化され、本工主義によって既成の労働運動からも排除されてきた。
 1970年、「日雇い労働者も、労働者だ!」と第1回釜メーデーを闘いとって以降、この差別・分断支配を打ち破り、寄せ場内外を貫く、正規・非正規を貫く階級的団結を求めて、釜メーデーは続けられた。
 しかし問題は簡単ではない。なぜならば、階級支配にとって差別・分断支配こそが支配者にとって最も重要だからである。
 このような現実に絶望し、「市民社会敵論」や「本工主要打撃論」的な誤まった傾向がそれぞれの時代に、それぞれの装いで、くり返し現われている。下層の側から、分断支配を支え、固定化する必要は無く、この傾向は誤りである。
 ねばり強く階級的団結を求めていく。こうした立場を確認することが第一の意義である。
 残念ながら今年もまた、「忘れられて」、中之島メーデー実行委員会からの「正式」な参加呼びかけを、釜ヶ崎労働者は受け取ることができなかったが、合流することはできた。
 また、連合メーデーのほうにも、清掃作業という形ではあるが、約百名の仲間が参加した。連合メーデーであれ、中之島メーデーであれ、その労働者は我われの仲間である。
 釜メーデーの第二の意義は、反戦・反基地、反原発、改憲阻止など諸人民闘争への決起を促がしてきたことである。
 安倍政権は、TPP交渉参加、原発推進、消費税増税へと突き進んでいる。その行き着く先は9条改悪、戦争のできる国への転換である。形のうえだけではあるが「主権在民」から、「天皇元首化」「国防軍」への転換である。
 こうした生活破壊と政治の右傾化との対決を鮮明にする、これが第二の意義である。
 第三の意義は、反失業闘争の前進を掲げてきたことである。
 TPP参加や円安で利益を得るのは、一部の輸出産業だけである。「アベノミクス」によるインフレ政策も、実質賃下げであり、結局は経済・財政をいっそう破壊し、人民の生活を破壊するだけだ。
 構造的不況の深まり、失業・貧困の増大を政府は押しとどめることができない。反失業闘争が、労働運動にとって重要な闘いになる所以である。
 高度経済成長を前提として、労働者の権利を拡大するといった旧来の労働運動の思想では、一定程度の「抵抗闘争」は組織できたとしても、資本の攻勢を打ち破り、労働者の生活を守ることはできない。資本による「雇用」を前提とした労働運動では、非正規層の増大、失業の増大と闘うことはできない。
 つまり、社会的(公的)就労の拡大を要とした、反失業闘争の前進が問われている。
 釜ヶ崎においては、1990年以降の反失業闘争の中で「高齢者特別清掃事業」を社会的(公的)就労事業として、その「しくみ」を創り、NPOを作り、その運営を責任を持って担ってきた。
 未だに、こうした闘いの意義を理解できず、四十年一日のごとく「職安は仕事を出せ」、「賃金・労働条件を守ることは組合の任務」と、それ自体は正しいが、これを主張するのみであたかも原則を守っているかのように錯覚している部分もいる。旧来の労働運動に3周も4周も遅れて同じことをしようとしていることに、気がつかないのであろうか。高度経済成長期ならともかく、この大失業の時代。この傾向は結果として、新たな「しくみ」づくりの足を引っぱっている。
 釜ヶ崎は、大きく変わろう(変えられよう)としている。「西成特区構想」に向けた「有識者座談会」の答申のいくつかは、具体化し始めている。「特区構想」での新自由主義の貫徹は許さず、しかし活用できるものは大いに活用し、社会的(公的)就労を拡大させていくなどの対処方針が問われている。
 「安心して働き、生活できる釜ヶ崎」の実現に向けて、新たな「しくみ」をつくり出していこう。そして、こうした闘いを全国の反失業闘争、労働運動へ拡大していこう。
 社会的(公的)就労の「しくみ」づくりを軸とした闘いを、反失業闘争の軸へと押し上げよう。(釜ヶ崎S)

新宿メーデー
 声を出し行政動かせ


 5月1日、新宿・柏木公園で第19回新宿メーデーが、新宿連絡会(新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)の主催によって開催された。一五〇名の労働者が参加した。
 新宿連絡会の笠井さんは、最近は固定層の問題だけでなく、地方都市などから流入したり、支援諸制度から路上に回帰・循環したりして増大する流動層の問題が大きくなってきていると指摘。新宿野宿労働者の運動の歴史を再確認しつつ、「声を出さなければ行政は動かない」「きょうのように大きな塊となって声を出すこと、一人ひとりも声を出すことが大切」とアピールした。
 三多摩自由労働者組合の篠原さんは、敗戦直後の不況と違い、現在の不況は景気回復の展望が全くないと指摘し、「失業対策事業を作れ」の運動を訴えた。池袋連絡会の仲間もあいさつした。
 最後に笠井さんが、大阪など全国で野宿の仲間がメーデーの闘いに起っていることを紹介、連帯して闘おうと締めくくった。集会を終えた参加者は、「屋根と仕事をよこせ!」「仕事を創ろう!」「福祉を削るな!」と新宿の街中へ繰り出した。(東京M通信員)
 

日比谷メーデー
 安倍政権に対決し

東京日比谷公園では、第84回日比谷メーデーが開催された。開会に先立ち、多民族多文化メーデー合唱団による「WE SHALL OVER COME」が披露された。開会宣言は、中小民間労組懇談会代表の田宮高紀さんが行った。集会では、全国一般東京東部労組メトロコマース支部の後呂さん、沖縄平和運動センター事務局長山城博治さんらがアッピールを行った。メーデーアッピールでは、廃炉作業や除染作業に従事する下請け労働者へのピンハネや放射線被ばくを許さない、安倍政権によって画策されている、憲法96条の改悪に反対する、公務員労働者への賃金切り下げ、解雇の金銭解決方式導入などの労働法制規制緩和に断固反対する、沖縄県民の闘いと連帯して普天間基地即時撤去、辺野古への新基地を許さず闘う、などが提案され、全体の拍手で採択された。
 集会後、参加者は二手に分かれて、東京都内をデモ行進した。


4・13「釜ヶ崎講座」第19回講演のつどい
  動き出した「特区構想」に、どう対処するか


 四月十三日、大阪市のエルおおさか南館において、「釜ヶ崎講座・第19回講演のつどい」が約40名の参加でもたれた。
 そのテーマは、「『西成特区構想』とはいかなるものか!第2弾〜『西成特区構想』を活用して何が実現できるのか。釜ヶ崎の何が変えられるのか〜有識者座談会提案項目の具体化にむけた現状報告と討論」であった。
 この題目から分かるように、今回のゲストスピーカーお三方(ありむら潜さん、寺川政司さん、西口宗宏さん)は、1990年代頃より釜ヶ崎の町づくり問題にかかわり、独自に、または行政側からの付託にも対処しながら、運動してきた人たちである。ありむら、寺川両氏は元有識者座談会委員。西口氏は、地元町内会会長を現在まで十二年間つとめている人。
 三人の講師は各二十分強の持ち時間で、各自の町づくりに対しての思い入れと今後の展望を語った。提起の各内容は概要、次のようなものである。
@ 西成・釜ヶ崎の町づくり・町おこしの問題は、橋下市政が『特区構想』として発表するずっと以前より、研究し、具体的に案を練り、考えてきた問題だ。
A 町づくりとは、「区画整理」やら、国・地方からの「箱モノ」の受け入れやら、としてとられては困る。また、橋下氏は嫌いと言って、今回の有識者座談会の提言に目を通さない人もおられるが、ぜひ、よく読んでほしい。西成にとって悪いことばかりではない。
B 町づくりは、残すべき大事なもの、良いものは継承していくべきだ。今ある寄せ場機能を一掃しようとしていくものでは到底ない。
C 立場の違う者どうしが、時間はかかっても、とことん話し合い、納得したところを実行していく、つまり民主主義の発揚だ。そして釜ヶ崎を中心に長年横たわっている多様な問題を、解決すべく話し合うテーブルの保障こそ最重要。エリア・マネージメント協議会が機能するよう、つよく図っていく。
D 高齢化社会の深化の中で、居場所づくりの課題が重要となってくる。町内のあらゆる個人・支援グループ・運動体の連携とその役割は増していく。住民一人ひとりの役割と参加の発揚が大事。
E 差別・偏見の中で生活してきたが、西成ほど、生まれてきたからには、ここで暮らすんだという誇りを強く持っている町はない。困難や障碍を持つ人々がたどり着き、そうした人びとを受け入れてきたのも、この町である。これまでの我われのノウハウを活かして、マイノリティ社会での人としての成功例をつくり出していく。だから全国どこでも出来るんだ、という事例として発信していきたい。
等である。
 次に、釜講座の渡邉充春さんが、今回第19回のつどいの意義について提起。去年十二月の第18回つどいでは、おもに医療・福祉と「特区構想」の関係について討論した。今回は、長年の町づくり計画という観点で開催した。そして釜ヶ崎講座がこのかん一貫して重要視してきた「社会的就労」という概念が、特別清掃事業のあり方の中で、言葉としては市・行政サイドからも発せられていること、また、こんにち「相談支援」を軸とした若年層をも含む就労自立支援の具体策が、予算が付く中で始まっていること、これらを踏まえ、運動側の新たな要求の組み立てと対処が求められていると提起した。
 質疑応答では、「特区構想」と「大阪都構想」との関係、釜ヶ崎での「特掃」の実態、町づくりに係わる各運動体の行政に対する認識について、など多岐にわたる質問が出された。
 いずれにせよ西成・釜ヶ崎で働き・住み暮らす人々が、それぞれの立場を誤解から解き放って相互理解し、そして共働へと発展させていくならば、現在の「西成特区構想」の動きを、住民自治の動きへと発展・転化させることができるとも考えられる。
 そうした可能性を感じさせた釜講座のつどいであった。(関西I通信員)

4・20〜21労働運動研究討論集会
  労働組合運動再生へ本腰入れて

 四月二十日、二十一日の両日、東京の全水道会館で「労働運動研究討論集会」が開催された。「正規・非正規労働者の連帯で、原発も貧困もない平和な社会を切り開こう!」と題されたこの集会に、全国から130人を超える労働者、組合活動家が結集し、活発な討論を行なった。
 かって、労働戦線の右翼的再編に反対して総評3顧問といわれていた太田薫さん、市川誠さん、岩井章さんの呼びかけで「労働運動研究センター」(労研センター)が組織された。現在、その流れを受けて伊藤彰信さん(全港湾委員長)や中岡基明さん(全労協事務局長)が中心となって、「労働運動研究フォーラム」(労研フォーラム)が取り組まれている。
 今回の討論集会は、この労研フォーラムが中心になり、多くの呼びかけ人が集まって、日本労働運動の再生を目指して開催されたものである。
 労線「統一」で誕生した「連合」は現在、原子力発電の推進、消費税増税の容認、TPP推進の加担を進めており、労働者派遣法や労働契約法についても法案の骨抜きに協力した。もはや大企業の正社員労働者は、連帯というより敵対的な存在になってきている。「連合」は闘わない労働組合、「名ばかり労働組合」になっており、今、政府や資本は、他方での闘う労働組合の存在、この息の根を止めようという方向に向かっている。
 日本の労働運動が非常に危機的な状況にある中で、いかにして闘う若い労働者をつくり出し、育てていくのか、これが今討論集会の大きなテーマとなっていた。注目されたのが、反対闘争に止まらないで、政策能力をもった運動とその指導者をいかに育てていくか、という提起であった。
 討論集会は来年も開催し、労研フォーラムが事務局を担うこと、また労研フォーラムで年4回程度『レポート労働運動研究』という情報交換誌を発行することが確認された。
 この動きが、たたかう日本労働組合運動の再生に取り組む本格的な流れの一つになることが、期待される集会となった。(東京T通信員)