3・9〜11東京
 「3・11」福島原発震災二周年、全国・全世界で


 私たちは負けない!

 東日本大震災・福島第一原発事故から二年目の「3・11」を迎え、東京をはじめ全国各地で、また世界各地で原子力発電からの即時脱却を求め、脱原発の政治と社会を求める行動が繰り広げられた。
 日本では、この二年間に、とくに後半の一年で脱原発の世論と運動が大きく成長したものの、その成果を議会選挙制度にはうまく反映させることができず、昨年十二月の総選挙では、原発固執勢力の筆頭である自民党の政権復帰を許す結果となってしまった。成立した安倍自民・公明連立政権は、民主党政権による「30年代に原発稼動ゼロ」という曖昧な方針すら白紙化し、電源ベストミックスと称して原発を堅持する態度を明確にした。安倍政権と、これを頼みに再起した「原子力ムラ」、これらと日本労働者人民との矛盾が激化しつつある。
 こうした情勢下、今年の「3・11」行動は、原発固執勢力の巻き返しを許さない労働者人民の力量を示威し、当面する原発再稼動の阻止など勝利の展望を再度明確にするうえで重要であった。
 東京では三月九日、明治公園において「3・9つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」が、「さようなら原発」一千万署名市民の会の主催でひらかれ、一千万人アクション実行委員会に参加の市民団体・労組などを主力に約15000人が参加した。ひろい会場は人波と各団体テントで埋まり、それ以上の参加者数とも思われた。
 集会前半では、福島被災地と原発立地点などからのリレートークが行なわれ、午後二時に大震災・原発事故犠牲者への黙祷が行なわれて、後半が開会。一千万署名呼びかけ人の鎌田慧さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、澤地久枝さん、内藤克人さん(メッセージ)が発言し、また作家・広瀬隆さん、福島市から京都への自主避難者である斎藤夕香さんなどが発言した。
 鎌田さんが、「今日は、私たちは絶対に安倍政権に負けない、脱原発をかならず実現するんだという集会です。それは原発をなくすだけでなく、原発社会をなくす闘いです」と述べたのが、集会の雰囲気を代表するものであった。脱原発署名の現在数は、820万8千と発表された。
パレードは2コースで行なわれ、その先頭で大江健三郎さんもスニーカーを履いて完歩した。パレード出発時に1名の不当逮捕があったことに、抗議する。
この集会には、韓国、フランス、イギリスなど海外の反原発運動からメッセージが寄せられている。ドイツを含め同日行動も各国で行なわれ、とくに台湾・台北市では、原発の新規建設計画などに反対する画期的な十万人デモが行なわれた。
翌三月十日には、首都圏反原発連合の主催で「3・10原発ゼロ☆大行動」が日比谷野外音楽堂・霞ヶ関一帯・国会正門前などで行なわれ、延べ四万人(主催発表)が参加した。
午後一時からの野音の集会には、入り切れない5千人以上の結集。主催者あいさつをミサオ・レッドウルフさん、協力団体として五団体(さようなら原発一千万人アクション、脱原発世界会議、原発をなくす全国連絡会議、経産省前テントひろば、再稼働反対!全国アクション)がアピールした。脱原発をめざす首長会議からも発言があった。
その後、今回は国会請願の形でデモに出発、同時に各省庁などで抗議行動が展開されつつ、午後五時からは国会正門前を中心に人波が議事堂に迫ってきた。
国会正門前の集会では、自民・公明・維新の以外のすべての議会諸党が、連帯あいさつを行なった。社民党・生活・緑の風の3党が、みんなの党の協力を得て、脱原発法案を明日の三月十一日に参院に提出することが報告された。また元首相の菅直人衆院議員も、初めて連帯あいさつを行なった。
翌三月十一日には、「3・11東電本店前アクション」が諸団体によって行なわれるとともに、夜には品川区大井の「きゅりあん」において、「3・11つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」が一千万署名市民の会の主催で行なわれた。これも1200人以上の盛況であった。この屋内集会では、音楽家・坂本龍一さんの発言や、福島大学教授・清水修二さんのアピールなどがあった。
これら東京での三日間の行動を見るかぎり、総選挙での痛手にもかかわらず、脱原発の勢力とその気迫は健在であることが示された。

 3・23福島県民大集会に七千

なお、被災地フクシマでは三月二十三日、福島市のあづま総合体育館において「3・23原発のない福島を!県民大集会」が同実行委員会主催で行なわれ、東京などからの参加者も含め約7000人の大結集となった。
その直前の三月十八日には、福島第一原発で停電によって、使用済み燃料冷却システムが一日以上にわたって停止するという重大事故が発生した。県民大集会は危機意識をもって「事故収束には程遠い」、「県内十基をすべて廃炉に」と訴えた。(東京W通信員)


3・10大阪
 さよなら原発関西2万人行動
  大飯原発すぐ止めろ

 関西では三月十日、「さよなら原発3・10関西2万人行動」が、大阪市・中之島公園女神像前など3ヵ所において同実行委員会の主催で行なわれ、全体で約1万1千人が参加した。
 三つの会場では、午前中の若者を中心とした音楽イベントに続き、午後は参加各団体の3分アピール、福島からかけつけた武藤類子さんなどの訴えが行なわれた。福島からの発言は一律に、「いまだ福島原発事故は収束せず、拡大している」と訴えるものであった。そして、すべての原発の廃炉と、福島の被災者に対する責任の所在を明らかにするための、諸行動をさらに強めていこうと訴えた。
 集会途中より雨が強まったが、それをものともせず、関西電力前コースなど3コースでデモ行進を行ない、「大飯原発すぐ止めろ!」「全ての原発を廃炉に!」などを訴えた。
 御堂筋コースの中途では、「在特会」の輩が挑発を試みたが、デモ参加者の怒りのシュプレヒコールによって気勢をそがれ、退散してしまった。
 なお、釜ヶ崎日雇労組、反失業連絡会の仲間は、福島現地で命と安全をないがしろにして被曝労働を強要してきた元請・鹿島建設グループの暴挙を、当日の集会・デモで宣伝した。そして、地元労働者が安全と権利保証を求めて立ち上がったことに連帯し、関西でも行動を強めていくことをアピールした。(関西I通信員)


3・10函館
 「原子力ムラ」の横暴を許さず、集会、裁判を闘う
  大間原発建設阻止を!

 日本の原子力政策は、民主党政権から自公政権に代わっても流れは一つである。脱原発と言う「民意の総意」などどこ吹く風、すきあらば休止原発の再稼働に向けて、原子力規制委員会の新安全基準のなし崩し的決着を図ろうと躍起である。まさしく「原子力ムラ」総出で、「フクシマ」の存在を無きものにしていくため、その原子力災害を過小評価し、新たな「安全・安心神話」を喧伝している2年目の「3・11」である。
 これら原子力推進の輩が跋扈する中で、着実に、確実に「3・11」を忘れることなく、同じ過ちを引き起こすことのない、そして、次代を担う子供たちへの責任として、脱原発、反核の運動は北海道・函館の地でも続けられている。
 今年の函館での「3・11」は三月十日、「つながろうフクシマ、止めよう大間原発」を掲げた市民大集会として、市内千代台公園において約450名の市民参加のもと開催された。
当日は、春の余韻はいささかも感じられない冬真っ盛りの吹雪と氷点下の中での集会となり、凍える手を擦りながらも、呼びかけ人の大間原発訴訟竹田とし子代表より熱く怒りを込めた挨拶がなされた。「大間原発建設を止めることは、日本の原子力政策をストップさせることだ。裁判の勝利に向けて頑張ろう」と訴えかけた。
建設強行中の大間原発に反対している青森県大間町の地元からも発言があり、「昨年十一月の地元での反対集会は大きな影響をもたらし、自信も与えてもらいました。今まで表面に出なかった反対の声が具体的にあがって来ています」と訴えていた。その後、参加者からの一言アッピールでも「原発推進企業に対する不買運動の協力」訴え等、多くの市民が大間原発は「大間違いだ」と気勢を上げ、酷寒の中、集会は最後まで整然と行なわれた。その後、全員で市内デモ行進を行ないアッピールした。
 また函館では、この集会と前後して二月には、歌手・加藤登紀子さんを招いて「どうする大間原発?プルトニウムと暮らせる?」シンポジウムが開催され、市民300名が参加した。また3・11当日は、平和運動フォーラム傘下の労働組合が中心となり、福島現地から放射能汚染の現状を訴えた集会も開催されており、多くの参加者で意思共有がなされた。

 二つの建設差し止め訴訟

 大間原発建設差し止めの訴訟も、昨年末の第8回口頭弁論、そして、三月十五日には第9回口頭弁論が函館地裁で開廷されている。第8回の陳述では、アイヌ民族の代表としての意見陳述も行なわれ、「アイヌモシリを放射能で汚すことは認められない」として毅然と先住民族の立場から反対の声が挙げられた。
また第9回口頭弁論では、福島から避難された家族の母親が陳述し、「海峡を挟んで目先に原発が建設されているのが見えます。しかし、わたしと子どもとの時間は、まさしく毎日が未知との遭遇で、宝物の時間です。これを奪わないで欲しい」と切々たる訴えが行なわれた。裁判官は変われど、原告の訴えは脈々と続いている。確かな勝利判決を勝ち取るため、原告市民と弁護団が一体となり闘われている。
 函館市を原告とする大間差し止め提訴のほうは、どうなっているか。函館市も十二月議会では訴訟準備費用を全会一致で議決し、二月には函館市および周辺自治体の首長が、自公の新政権に対して「無期限凍結」への要請行動を展開した。函館市議会もその全会派で、国会4会派への要請を展開している。
 函館市の提訴の骨子は、「『公の財産の損害』や『自治体の崩壊』を未然に防ぐ」ことを軸にして訴状を作成中と言われており、またその弁護団も市民訴訟を担う弁護士が中心となっている。
函館市は行政が初めて裁判に訴えることの重みを踏まえ、原子力規制委員会の新安全基準施行(七月)をにらみつつ提訴に踏み切るとしており、そこには市としても、「新安全基準は再稼働に向けたものである」との認識をもっており、状況の変化はいささかもないとの立場から危機感を募らせている。
まさしく、市民と市行政とによる同時並行した大間原発建設差し止め訴訟が展開されていくという、歴史的裁判闘争になることはあきらかである。原告代理人の弁護団も、「大間訴訟は原発新設を許すかどうかの天下分け目の戦い」として戦い抜くことを決意しており、私たちも全力でこの重みを受け止め、闘っていきたい。(北海道M通信員)