12・19韓国大統領選挙、パク・クネが勝利
  民主進歩陣営の敗因どこに

 昨年十二月十九日投票の韓国第十八代大統領選挙の結果は、周知のように与党セヌリ党のパク・クネ候補の勝利に終り、韓国民衆のみならず、日本の日韓民衆連帯陣営にとっても、安倍自民党の総選挙勝利と同様に大きな落胆として受け止められた。
 選挙戦直前には、有力候補のアン・チョルス氏が立候補を辞退し、選挙戦最中には統合進歩党のイ・ジョンヒ候補も降り、野党候補者のほぼ一本化が実現されたため、選挙戦はかなり有利に運ぶものと思われた。
 開票結果は、パク候補1577万票(51・55%)、野党民主統合党ムン・ジェイン候補1469万票(48・02%)と、百万票3・5%という僅差であった。その他では、無所属で労働者候補のキム・ソヨン候補が16687票、進歩新党系の無所属キム・スンジャ候補が46017票であった。
 確かに得票差はたいへん僅差であったが、韓国の民主進歩陣営にとっては、とてつもない敗北として受け止められ、その気持ちを表す言葉「メンプン」(メンタル・プンゲ=崩壊)が流行語となっていると言われる。
 選挙結果を分析すると、一つは、旧来から連綿と続く「地域主義」が克服されたと言えるかどうかである。パク・クネ候補は、父親をはじめ歴代保守地盤の慶尚北道の大邱広域市において、またムン・ジェイン候補は、金大中元大統領の出身地で野党側の牙城である全羅南道の光州広域市において、それぞれ10%ほど得票率を落としている。しかし、いわゆる「地域主義」が克服されたとまでは言いがたい。
地域別の特徴をみると、ムン候補の出身地の釜山広域市、慶尚南道は、もともと金泳三元大統領の出身地で、金泳三が旧独裁政権与党と統合したことで、この地も保守の地盤となった。事実、金泳三はパク・クネを支持したのであるが、ムン・ジェイン候補はここで40%近くを得票している。しかしながら、労働者の街・蔚山市では、かっては民主労働党が幾度となく国会議席を得ている地であるにもかかわらず、ムン候補は40%に届かぬ惨敗を喫してしまった。このようなことから、ソウル首都圏での圧勝が求められたにもかかわらず、そこで互角、この結果が敗北を導いた。
 世代別では、際立った特徴があり、最近の選挙では投票率の低い五十歳台がきわめて高い投票率を示し、出口調査ではパク・クネ候補が圧勝している。ここには二つの経路がある。一つは、女性の投票率の高さである。彼女たちの青春時代の「悲劇のお姫様」がパク・クネであったのである。もう一つは、金大中時代、ノ・ムヒョン時代に、その新自由主義政策により、リストラされたり事業が破綻した人びとがその世代に多く、ノ・ムヒョン政権の中心を担ったムン・ジェイン候補への反発として現れた。しかしながら、この世代は、八七年の民衆大抗争を主体的に体験した世代でもあるのだが。
 もう一つ重要なのが、アン・チョルス現象とも言うべき事態は何であったのか、である。筆者はアン・チョルスの階級性は疑問と考えるが、韓国の運動圏の分析では、アン・チョルス支持層は、進歩勢力の潜在的な支持層と重なる、既成の野党では飽き足らない層がこれであると言われている。
 李明博政権時代の大型選挙戦を見るならば、2010年の統一地方選挙、11年のソウル市長選挙での野党圏連帯成立による勝利、12年春の総選挙での敗北とあった。これらの総括ができて、大統領選に臨めたのかどうか。総選挙での敗北は、与党側が、支持率が20%にも満たない李明博を追いやってパク・クネを選対委員長に据え、党名さえ変えて背水の陣をしき、大企業中心の新自由主義を「批判」しながら、「民生回復、国民統合」を旗印に打って出たことによる。
 以上から、大統領選の敗因の結論はどうなるだろうか。民主進歩陣営は、候補者の一本化さえ実現するならば勝利できると、そこに全てを傾注し、保守パク・クネ陣営の背水の態勢(民主進歩勢力の政策を大幅に取り入れ、相互の差異を曖昧にした)に充分に対応しきれていなかったのである。また前政権で民主党が取ってきた新自由主義政策を、克服しきれなかったことも挙げられるだろう。
 今後は二つのことが求められるだろう。一つは、パク・クネ政権が「進歩的」政策を前面に立てたため、その実行可能性が疑問視されている。保守層からの反発を招く一方、民衆側からは、常に監視しながら「民生回復」の実施を迫る闘いとなる。
 もう一つは、民主進歩陣営の分裂状況を根本的に克服することが、急務である。とりわけ進歩陣営の悲惨な分裂状況は、権力側の意図的とも思える介入があるにしても、これが克服できないならば、消滅の危機と言える事態と見られている。
 また民主労総の分裂状況は、民主労働運動のこれまでの理念が今は揺らいでいることに起因するだろう。民主労働運動は元来、抑圧された少数派の闘いとして出発した。今の民主労総は、大企業本工主体に変質し、過半を数える韓国非正規労働者、不安定雇用労働者が充分に組織されていない。新自由主義によって社会の分裂状況が深刻な韓国では、民衆運動じしんの分裂克服が大きな課題となっている。(Ku)


  康宗憲 元「死刑囚」が再審無罪に

 一月二四日、元在日韓国人「政治犯」死刑囚であった、京都在住の康宗憲(カン・ジョンホン)さんの再審裁判が、ソウル高等法院(高裁)で無罪判決をかちとった。
 高等法院は、「捜査機関の被告人自白陳述は、捜査権がない保安司の不当捜査によるもので証拠能力がなく、法廷自白も捜査過程の過酷な行為や不法拘禁を考慮すれば証拠として使うことができない」とし、また検察側証人のキム・ヒョンチャン氏の陳述と公開書簡に関しても、証拠能力がないとの判断を下した。
 康宗憲さんは、一九七五年に学園浸透スパイ団事件で不当逮捕され、死刑判決を受け、後に無期刑に減刑されたといえ、十三年の長きにわたり囚われていた。
 その後、ノ・ムヒョン政権時代に、民主化運動などで不当な拘束を受けた人びとに対し、名誉回復と人権補償を行なうため、政府機関として「真実和解のための過去事整理委員会」が設けられ、多くの民主人士の救済が行なわれた。
 これに基づき、近年、元在日韓国人「政治犯」の人々は、再審請求を行なってきている。現在まで三十名ほどの人びとの再審裁判が開始され、十名の完全無罪が確定している。しかし、元在日韓国人「政治犯」の方々は二百名にも上ると言われ、被害の全体像がすべて明らかになっているとは言い切れない。
 康宗憲さんは、検察の上告がなければ再審無罪が確定する。これをバネに、全ての元「政治犯」の再審無罪が求められている。(Ku)