12・8敦賀
 「もんじゅを廃炉へ!全国集会」に800名
    核燃サイクルを断念せよ


 十二月八日、「2012もんじゅを廃炉へ!全国集会」が現地福井県敦賀市で行なわれた。
これに結集すべく私たちが大阪・釜ヶ崎を出発するときは、曇り空だった。琵琶湖を越えて敦賀に近づくにつれて、風雨が強くなった。バス『勝利号』は一直線に、「もんじゅ」の見える白木海岸をめざす。日本海は白波を立てて、「冬の日本海」そのものだ。
白木海岸に到着すると、風雨はみぞれに変わっていた。白波を横に見ながら視線の先には、異様な姿の高速増殖炉実験炉「もんじゅ」が見える。すでに多くの組合旗が海岸に集結している。私たちも早速に「釜ヶ崎解放」ののぼり旗を押し立てて合流する。
短い集会の後に目指すのは日本原子力開発機構、それへの抗議・申し入れ行動だ。狭いのぼり坂が、闘いの旗で埋め尽くされている。なかなか壮観なものだ。
正門前に到着し、仲間が抗議文を管理機構の室長に突きつける。無言で受け取って、そそくさと立ち去ろうとする室長に「回答はどうする!」と仲間の声が飛ぶ、何かぶつぶつと呟いて逃げるように建物に逃げ込む。その姿は、「もんじゅ」がもはや開き直れないほどの、ムリ・ムダ・危険なものであることを象徴しているかのようでもあった。
その後、敦賀市内の会場で開かれた「もんじゅ廃炉を求める全国集会」には、約800名の全国の仲間が結集し、各界の専門家、運動家の綿密な報告が行なわれた。
最初に、主催の全国集会実行委員会の中心の原子力発電に反対する福井県民会議から、「もんじゅの現状と今後の闘い」として報告がなされた。その中で、政府の「革新的エネルギー環境戦略」の論議過程では「もんじゅ廃炉」が示唆されていたが、九月十四日の「新戦略」決定においては敢えてこの点が曖昧にされたこと、すなわち高速増殖炉研究の継続を意図していることが報告された。
これは、3・11以降の脱原発の運動の高揚に押されて、「脱原発」を口先で語り、本音では電力独占資本の意向を実現したい野田政権の本質を示すものであろう。大飯原発を再稼動させて脱原発に対する反転攻勢を画策し、さらに伊方原発などの再稼動、大間原発の完成を目論んでいる証である。
続いて、元政府原発事故調査委員の九州大学副学長・吉岡斉さんから、「今後のエネルギー政策のゆくえ」のテーマで講演が行なわれた。多くの資料とスライドを使っての講演は、静かな語り口の中に正確な論理と事実に裏付けられた内容があり、聴衆に、原発エネルギー施策がいかに危険な愚策かを改めて確認させるに十分であった。とりわけ、「新自由主義の時代は経済開放と規制緩和を掲げているのに、電力独占には規制緩和が全くないのは、誰かに都合のいい規制緩和なんでしょうね」との皮肉っぽい言い方は、現代の新自由主義の一面を見事に突いていたようだ。
また続いて、「青森からの報告・再処理工場の現状」を、核燃料サイクル阻止1万人訴訟原告団の佐原若子さんが行なった。佐原さんは、「六ヶ所再処理工場ともんじゅは兄弟のようなもの」との切り口で、六ヶ所の歴史と現状について、その核燃施設の危険性からだけでなく、それが地域経済や地域コミュニティに与えている影響を包括的に語った。なかでも、六ヶ所住民の年収が1364万円(08年度)で、青森県民の平均352万円とは大きな所得格差があり、県民・住民を分断している事実があること、それが電源三法による「交付金」によってなされており、ここでも原発依存経済が固定化していることが指摘された。
また残念なことに、柏崎刈羽原発反対地元三団体から武本和幸さんが、「隠されていた活断層」のテーマで報告予定であったが、強風と雪のために参加できなかった。
このころ外は吹雪であったが、会場内は静かな熱気にあふれていたのであった。来年度の再結集を拍手で確認して、集会は終わった。

 敦賀「活断層」認定の意味

なお、集会後の十二月十日、原子力規制委員会がようやく、敦賀原発2号機の直下の断層が活断層であることを認める見解を発表した。福島原発事故の以前に作られた耐震基準でも、活断層の上に原発を建設することは認められておらず、原発震災を経た現在においてはなおさら認められない。敦賀原発の廃炉は避けがたくなった。敦賀原発、美浜原発、「もんじゅ」は、活断層が集中する敦賀半島の同じ地域に立地しており、「もんじゅ」のサイト直下にも活断層が走っている。
この敦賀原発の活断層認定は、全国すべての原発について、その建設を認めてきた歴史の検証が必要になったということを意味する。あの断層は動かないなどとして、建設・運転されてきたすべての原発が、まさに問われているのである。
そして、「もんじゅ」の試験運転再開はありえず、廃炉しかないことも一層明らかとなったのである。(釜ヶ崎M)


東京12・15
 IAEA福島閣僚会議に対抗し
  脱原発世界会議・集会が

 十二月十五〜十七日に福島県郡山市において、国際原子力機関IAEAと日本政府の共催による「原子力安全・福島閣僚会議」が開催された。これはフクシマの経験に真摯に向き合わず、安全対策を強化すれば原子力発電は日本でも世界中でも推進できるとする国際会議であり、脱原発を県政としても決めている福島県民に敵対し、国民多数派の脱原発の民意に挑戦する会議にほかならない。またIAEAが、核兵器と原発を守るための国際機関であることを示すものでもある。
これに抗議し、郡山市では福島県民によって、様々な対抗アクションが行なわれた。
また東京では、十二月十五〜十六日の「脱原発世界会議2」など、「NuclearFreeNow」実行委員会の主催で諸行動が行なわれた。この実行委は、ピースボートをはじめ、原子力資料情報室、一千万署名市民の会、首都圏反原発連合などなどが参加するもの。
十五日は日比谷野外音楽堂で、「さようなら原発・世界大集会」が開かれ、あいにくの雨天であったが2千名近くが集まり、都心デモ「脱原発世界大行進2」も行なわれた。
野音の集会では、鎌田慧さん、内橋克人さん、澤地久枝さんなどから発言あるいはメッセージがあり、また田中優子さん(法政大学教授)からもアピールがあった。翌日が総選挙の投票日であり、マスコミが自民党の優勢を流しているだけに、これに危機感をもって触れる発言が多かった。そして、選挙結果がどうであれ、私たちは負けない、原発をなくす闘いを続け、勝利していくという決意を確認する集会となった。
また海外ゲストからは、イタリアのモニカ・ゾッぺさん、リトアニアのアンドレイ・オザロフスキーさんが発言した。ゾッペさんは、98%の賛成率で脱原発を決めたイタリアの国民投票などを報告した。オザロフスキーさんは、日立の原子炉を輸入する予定の原発建設について、リトアニアの国民投票で62%が建設反対を表明したことを報告した。彼は、輸出をあきらめていない日立と日本政府への働きかけを求めるとともに、日本語で「さようなら原発、ともにがんばろう!」とアピールした。(かれらの他、脱原発世界会議にはロシア、ドイツ、フランス、スウェーデン、米国、韓国、台湾などからゲスト参加があった。)
福島の被災者からは、大賀あや子さん(ハイロアクション)が発言し、「先日七日の余震で、さらなる放射能放出を恐れた。何も終わっていない。子ども被災者支援法が六月に成立したのに、その施策も予算も決まっていない」と現状を訴えた。
集会をもっとも沸かせたのは、都知事選候補・宇都宮健児さんの予定になかった登壇である。明日の投票日を前に宇都宮候補は、「福島原発の電気を使っていたのは東京都民であり、東電の大株主も東京都です。我われには責任があります。東京から脱原発を!」と力強く訴え、大歓声となった。
宇都宮さんの登場で、一気に元気になったような集会であった。都知事選での善戦をふまえ、さらに闘いは続く。(東京W通信員)


11・20
 「脱原発社会をめざす労働者実行委」が発足
  労働組合こそ先頭に

 十一月二十日、東京・全水道会館において労働組合の活動家らが集まり、「脱原発社会をめざす労働者実行委員会」が結成された。
 この実行委員会は、脱原子力発電の闘いの先頭に労働組合こそが立とう!という主旨で、全港湾、全日建連帯、全国一般全国協、国労、全水道東水労、東京清掃、都労連の7団体が呼びかけて結成されたもの。昨年、都内で開かれた「脱原発をめざす8・12労働者集会」(小出裕章講演会)を引き継いだ形の実行委員会である。
 第一部の結成総会では、全日建連帯の長谷川武久委員長が、脱原発を問う総選挙、宇都宮けんじ勝利の都知事選を戦おうとあいさつ、つづいて全港湾の伊藤彰信委員長が、経過と今後の活動計画などを提案した。
 今後の取り組みでは、「福島とつながる映画上映会」を都内を皮切りに各地で展開しつつ、二月十五日に都内で脱原発の労働者大衆集会を主催し、一千万人アクション呼びかけの三月九日〜十一日全国一斉行動、三月二十三日の福島現地集会などに参加していく。こうした大衆行動とともに、「職場の放射能安全対策を、単に法令や政府の指針にもとづく対策だけでなく、現場労働者の知恵を出し合いながら作り上げていく」等、労働運動としての活動を強めていく、これらを確認している。
 第二部は記念学習会として、海渡雄一弁護士(脱原発法制定全国ネットワーク事務局長)の講演が、「脱原発法のめざすもの」と題して行なわれた。海渡さんは、国会に九月に提出された脱原発法案について、論点になっている諸点にも触れつつ、国の政策転換のためには法制定が必要であることを力説した。
 最後に団結ガンバローで会合を終えた。日本の労働組合は原発維持という印象がある中、この労働者実行委の今後の闘いが注目される。
 なお脱原発法案は衆院解散によって、一旦廃案となった。現在の自民優位の新国会において、その制定を再度どのように目指していくのか、検討が必要といえるだろう。(東京A通信員)