右派「第三極」を粉砕しよう
 混迷の時代をこえる左翼的・民主的「第三極」を


 十月二九日に臨時国会が始まったが、日本のブルジョア政治は目を覆うばかりの混迷を深めている。「尖閣」国有化による日中関係の悪化、領土ナショナリズムは声高に叫んでも米軍オスプレイ沖縄配備では対米追随、震災・原発事故からの民衆的復興には冷たいまま「原子力ムラ」は復活しつつある。民主党と自民・公明との争いも、唯一消費増税を決めただけで、地方交付税の配付に必要とされる赤字国債法案すら立ち往生させ、自治体財政を破壊している。
 こうして民主、自民に替わる「第三極」が喧伝されるようになった。橋下一派が「日本維新の会」を立ち上げ、十月二五日には都知事石原が辞職表明して「たちあがれ日本」を母体に新党をつくり、これらが連携する「第三極」をめざすという。九月二六日に復活した安倍自民党、これとも内通しつつ、右派勢力の攻勢が目立っている。その実、この右派の連携策は、親米と「真正保守」、新自由主義と国家主義、これらのごった煮、野合であって順調に進む見通しは無い。
 しかし、それにしても右翼的「第三極」が注目されるのに、左翼的・民主的「第三極」がなぜ登場できないのか。これには、日本共産党、社民党など、また我われ左翼諸派、それぞれに責任があると言うべきである。日共は議会主義者の習性であるが、総選挙を前にしてセクト主義を強めている。社民党内や民主党に残る良心的部分にそれなりの動きはあるが、選挙対応だけでは根が浅い。左翼諸派では、選挙・議会に無関心な直接行動主義・急進組合主義の傾向もあれば、民主党的リベラルと大差のない傾向もあり、全部が連携することはむずかしい。
 左翼的・民主的な「第三極」の登場のためには、その基礎となる大衆運動の前進、選挙・議会対応での工夫、政治内容の一定の共有などが必要だ。以下は、その政治内容に関わる同志の考察である。(編集部)


 @ 政治的混迷

 民主党政権の支持率が2割を切った。民主党は、離党の流れを止めることができず、衆院でも過半数割れが目前に迫っている。その原因は、マニフェスト(「東アジア共同体・国民の生活が第一」)の放擲であった。
 民主党政権は、アメリカ、官僚、財界の圧力の前にあえなく屈し、かつての自民党政権と同様の官僚が主導する利益誘導型統治へと後退した。この流れは、小泉・構造改革路線の政治的後退によって利益誘導型統治路線に回帰した自民党によって、促進され、支えられてきた。こうして民主党政権は、沖縄に米軍基地負担を押し付け続け、「3・11」後においてさえ、消費増税法を採決し、復興予算を食い物にし、原発存続を画策する。時代錯誤の政権に、展望は無い。
 ポスト民主党政権を狙う自民党は、利益誘導型統治路線の老舗でしかない。解釈改憲による集団的自衛権の合憲化なり明文改憲によって、アメリカの一定の指揮・命令下に、侵略戦争を展開できる国家を、利益誘導型統治の基盤の上でめざすものである。民主党政権に代わる受け皿として当面支持率を上げているが、利益誘導型統治の基盤そのものが成り立たなくなっている時代状況の中では、政権の機能麻痺傾向に歯止めをかけうる主体にはなりえない。
 そうした中で、国民の生活が第一、維新の会、石原新党、減税日本などの諸党が、続々と旗揚げしてきているのである。
 新たな諸政党の台頭は、機能不全に陥っている利益誘導型統治システムの改造へ、再度挑戦する動きである。それは、このシステムの基軸たる「官僚支配」の打破を一層鮮明にしたものとなっている。
 とはいえ、これらの諸政党は、これからの時代の支配階級が孕む深刻な内的矛盾から自由ではない。一方は、マネーゲーム資本主義の道を開くアメリカ一辺倒・新自由主義路線(第一極)であり、維新の会が代表している。維新の会は、路線的に同質のみんなの党だけでなく、安倍・自民党の極右版でしかない石原新党との連携をも画策し、大都市地域の地方政治を足がかりに路線的巻き返しの道を展望する。また他方は、新自由主義を一定やりつつも社会の崩壊を押し止めることに腐心してみせる路線(「第二極」)であり、「脱原発」「消費増税凍結」などを掲げる国民の生活が第一が代表している。この党は、民衆運動の高まりを意識的に利用するなどして、路線的巻き返しの道を展望する。
 総体的にみると支配階級は、右傾化しつつ、各々の展望とは裏腹に政治的混迷を深めていこうとしている。
 
 A 政治的混迷の背景

 背景には、08年世界金融恐慌を契機とした日本資本主義の構造変動と3・11後の民衆運動の高まりがある。
 日本の家電・自動車に代表される耐久消費財産業資本は、衰退期に入った。それは、すでに90年代初頭のバブル崩壊で始まっていたのだが、08年世界金融恐慌によって(さらにはエコポイント的財政支援なども息切れして)表面化したということである。
 このことの意味は重大である。それというのも、今後の日本資本の自己増殖は、産業領域における労働の搾取から、マネーゲーム(金融賭博)領域におけるそれへの「本格的な」移行を迫られるからである。それは、ブルジョア階級内部の深刻な葛藤、ヘゲモニー抗争をともなわずにはおかない。その政治領域における現れが、新たな諸政党の台頭であり、合従連衡・政治再編工作に他ならない。
 そして、支配階級の政治的混迷に拍車をかけているのが、原発推進への怒り、消費増税への怒り、沖縄の怒り…、労働者民衆の怒りのマグマである。
 根底には、マネーゲーム資本主義が拡大する失業、貧困、格差等、社会崩壊の深刻化がある。ただこれまでは、それらはそれとして支配階級の取り組むべき政治課題として取り上げられてきたに過ぎなかった。だが08年を経て、とりわけ「3・11」を契機に、それらは「本土」においても労働者民衆自身の闘いに転化して表出し始めたのである。しかもその闘いは、社会の在り方の根本的転換を追求する質を内包して拡大している。
 それは、「東アジア共同体・国民の生活が第一」路線を投げ捨てた民主党が、官僚の力をバックに安泰を決め込み、自民との大連立へと向かうことを阻んできた。それは、安倍自民党、維新の会、石原新党などの間において、領土問題の先鋭化の中でさえも、排外主義連合の形成を困難にしている。それは、「第一極」と「第二極」の路線対立を鮮明化させる方向に作用している。こうして支配階級は、自己の政治意志をまとめることができない時代、支配のほころびを拡大させていく時代へと漂流しだしているのである。
 
 B 問われる「第三極」への目的意識

 民主党が屈服し、自・公が復活に手を貸した利益誘導型統治(「官僚支配」)に打撃を与え、後退させる課題は、当面の重要課題となる。それと同時並行的に、これからの時代の階級闘争を特徴づける政治構造が、姿を現そうとしている。既に、支配階級の二つの路線は、小泉路線、鳩山・小沢路線として一旦姿を現しており、それぞれ政治的に後退した地平からの巻き返しの途上にある。その中で、労働者民衆の政治勢力の立ち上げが問われているのである。それは、これからの時代の階級闘争を特徴づける政治構造の中で、「第三極」を成すものである。
 この「第三極」は、利益誘導型統治(産業発展)時代の労働者民衆運動の路線をもってしては、自己を形成できない。社会が崩壊し、国家が機能不全化していく時代に対応した路線を推進的翼とすることではじめて形成される。それは、労働者民衆が協同的な生産・生活システムを創造し、住民自治を現代的に再構築し、横のネットワークを発展させ、その基礎の上に闘争力量を蓄積していく政治勢力であるだろう。支配階級の政治的混迷が深まり、統治力が衰退していく中で、この「第三極」形成への目的意識がますます問われてくるに違いない。(M)