10・21京都
 第6回「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」に750名
   時代変革のうねりへ

 快晴の10・21、京都市の円山野外音楽堂で恒例の秋の集会、「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」が同実行委員会主催で開催された。回を重ねることすでに六回目となった集会には、京都をはじめ全関西の仲間たち約750名が参加し、熱気に満ちた盛大な集会となった。
 振り返ってみれば六年前、新自由主義・グローバリゼーションの時代に民衆の側からの反撃を!との思いで始まった秋の集会であったが、時代はその後のリーマンショック、沖縄普天間基地移設の辺野古回帰、そして昨年3・11東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故と、激動の時代の様相を浮き彫りにしてきた。
 それゆえにこそ、この集会の持つ意義は、年々その重要性を高めていると言っても過言ではないだろう。
 2008年以降の失業・貧困の状態も、軍事基地の状態も、いささかも改善されていない。普天間基地移転策は沖縄米軍基地の「縮小」につながったであろうか、否である。それどころかオスプレイ配備に象徴されるように、中国脅威論をふりまきながら、日米安保・日米地位協定を盾とした基地の再編強化が、沖縄民衆への更なる重圧となって襲いかかっている。沖縄民衆の怒りは、もう「沖縄振興予算」増額などというカネのばらまきで押しとどめることはできない。「65歳以上の決死隊」での普天間全ゲート実力封鎖の闘いは、沖縄民衆の苦渋の歴史の、究極の表現ではないだろうか。
 また、福島原発事故に対する闘いは、脱原発を合言葉に燎原を焼き尽くすかのように広がっている。その闘いは今や、原発に依拠した日本の社会の仕組みと根底から対立する様相を帯びている。東京の首相官邸・国会前に集まる民衆の声は、全国の脱原発の声と共鳴し合い、時代変革の「うねり」となり始めている。
 10・21京都集会は、こうした闘いのうねりを一つに練り上げ、今後の本格的な闘いへの総決起的な意義を持っていたといえよう。
 集会では、まず実行委代表世話人の中尾宏さんが、上記同様の基調を述べ、「闘いの意志を一つにして秋の闘いを全国で前進させよう」と力強く訴えた。
 つづいて、集会のサブタイトルである「原発と基地」、これを闘っている各戦線から挨拶がなされた。わけても「福島原発告訴団」団長の武藤類子さんは、「昨年十二月の政府による事故収束宣言がいかに政治的なウソであるか」を、具体的な現地の実例をあげながら淡々と語った。彼女の口調は穏やかで、参加者の一人ひとりに福島の現実をより深く理解してほしい!との思いが伝わってくる。それゆえか、その言葉の一つひとつがまるで、脱原発へ向けた魂の響きを持っているように思えた。
 「収束宣言」以降の補償問題は、地域の共同性を引き裂き、家族を引き裂き、事故とその後の無責任が、ふるさとを奪い取り、子どもたちの未来を奪い取っている現状。さらに「除染作業」での基準である1ミリ〜20ミリシーベルトは、この作業が明らかに被ばく労働であることを示し、また、その「効果」は福島の人々の願いとは無縁である。そして、かっての「原発安全神話」が、今度は除染作業による「安全キャンペーン」「復興キャンペーン」にすり替えられ、事故責任を覆い隠そうとしている。これらを武藤さんは指摘した。
 つぎに、特別挨拶を沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが、「オスプレイ普天間配備と日米地位協定」と題して行ない、その問題点を簡潔に述べた。その中で、「なぜ、アメリカ本土での訓練飛行ができないのに、その訓練を沖縄に押しつけるのか」、「その法的根拠が日米地位協定」とされていること、この問題こそが沖縄の現実の象徴なのだと指摘した。
 最後に、慶応大学・金子教授による「時代を闘う―変えよう!日本と世界」の講演であった。その内容は、「中央集権型の統治システムから地域分散型社会へ」時代の流れを作っていく必要、ということであった。
 あえて異論はないが、その論理で展開するならば、その新しいシステムを構築する主体の問題を提起しなければならない。自然成長的な「地域分散システム」の「論理」だけになるのではないか、と疑問を持たざるを得なかった。
 なお、この日、大阪・釜ヶ崎からは、恒例のパス『勝利号』で50名の参加を勝ち取った。秋の京都集会での「釜ヶ崎解放」の数十本の赤旗も、集会の定番のようなものにさせていただいている。
 デモの終了総括では、釜日労書記長からの「次は10・28大阪集会」だとの訴えを全員で確認し、この日の闘争を終了した。(釜ヶ崎M)


10・28大阪
 「戦争あかん!基地いらん!関西の集い」に850名
   大きな共同勢力めざし

 十月二八日、大阪市のエルおおさかにて、「10・28戦争あかん!基地いらん!2012関西のつどい」が同実行委員会主催で開催され、約850名が参加、集会後は大阪市役所までデモ行進を行なった。
 本集会はスローガンとして、許すな!オスプレイ配備・原発再稼動・橋下「維新」、これを掲げており、関西の民衆がどうしても解決しなければならない「反基地・反原発・反新自由主義政治」の直面する課題について、大きな共同勢力を作っていこうという集いであった。
 最初に、中北龍太郎さんによる実行委を代表しての力強いあいさつがあり、まず、小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)の講演があった。小林さんは、現在の福島第一原発の実状を絵図を使って説明しながら、とくに、4号機建屋内の使用済み燃料棒が危機的状況にあること、大きな余震が起きれば間違いなく建屋の支えがもたない、ぼう大な線量の放射能飛散を起こし、3・11規模どころではない惨状を招くと断言した。最後に、「関西における全民衆的規模の原発反対のうねりを作り上げていこう」と、講演は締めくくられた。
 つづいて国会議員の服部良一、辻恵の両氏が、それぞれの立場から連帯のあいさつを述べた。社民党の服部さんは、青森・大間原発建設の視察活動を報告し、「大間住民は原発に反対だと、はっきり言っている。対岸の函館市長は、政府の新しいエネルギー政策は支離滅裂だと、憤りを隠さないでいる。また、いま実施されている活断層地質調査では、自分も関わりを強め、だまされないで実態をつかんでいきたい。政府のいい加減な対応に歯止めをかけ、原発の課題に併せて、改憲、基地の課題でも国会内外で闘う」と決意を述べた。
 民主党の辻恵さんは、会場から飛ぶヤジをものともせず、「人々を裏切り続けてきた民主党の中にあって、私はまだ民主党に残ってやるべきことがある。反消費税・反TPP・反原発などの主要課題において、国会内での連合勢力作りをつとめるのが、今の私の役割りだ。野田政権打倒を柱として、闘う政治勢力作りにがんばりたい」と力強く述べ、最後には大きな拍手を受けていた。
 さて、沖縄連帯をメインにして、この集会は毎年、沖縄からゲスト講演を迎えてきたが、今回は前宜野湾市長の伊波洋一さんであった。伊波さんからは、「復帰40年の沖縄から問う普天間基地問題と日本の平和」と題しての講演であった。
 伊波さんは、まず、昨今の「オスプレイ騒動」について、米軍の無法きわまりない飛行訓練が事前の日米取り決め(日米合同委員会合意)を完全に無視・反古にしつつ、昼夜を問わず行なわれていることを全聴衆に糾弾バクロした。彼は、この日改めて、沖縄と日本本土との基地差別の根深さを認識してもらう基調で、1952年サンフランシスコ条約と日米安保条約の締結、そして60年安保による「治外法権協定としての日米地位協定」への経緯を説明した。また、彼のアメリカ本国での基地視察調査活動の話しもあったが、米国本土では基地周辺のクリアゾーン(米軍機の飛行範囲などについて、周辺住民の安全を確保するためのエリア)は完全に遵守されているのに、その一方、沖縄でのそれは無きに等しいことを、普天間基地の写真を示して説明した。
 今も、普天間基地の周りの住宅密集地のど真ん中を、米軍機が飛行・旋回する証拠写真は、私たち聴衆に十分すぎるインパクトを与えた。このような事実を隠ぺいしつつ、「基準はおおむね守られている」とうそぶく防衛省と森本防衛相の詭弁を許すことなく、基地の廃絶に向けて一体となって闘っていこう、と伊波さんは締めくくった。彼への大きな拍手で、沖縄との連帯・共感の一体感が生み出された。
 その後、オスプレイ強行配備の後も、さらに続出している米軍犯罪を決して許すな、など各発言を受け、集会基調を確認して、デモ行進に移った。(関西A通信員)


全国で「反貧困」行動
  大阪では10・14反貧困フェスタ

 「人間らしい労働と生活の保障を求めてつながろう」をスローガンに、今夏から全国各地を巡回して「反貧困全国キャラバン」が行なわれるとともに、それに合わせて、大阪、名古屋、東京など各地で反貧困集会が今秋行なわれた。主催は、「反貧困ネットワーク」(代表・宇都宮健児弁護士)などによる実行委員会。
 大阪では、「反貧困フェスタ2012大阪」として十月十四日、扇町公園で開催された。
 関西でも今日、原発事故・震災などでの不況の継続、そして派遣・非正規切り、幸いに職を得ても労働強化による精神疾患、労災の続出などの理由で、生活苦に陥り、毎日の暮らしを続けていくことが困難な人々が増えている。その中で、若年労働者がネットカフェや釜ヶ崎を行き来したりする状況も続いている。
 このような中で、この日は、大阪を中心として活動するコミュニティ系ユニオンや、釜ヶ崎での活動団体のスタッフ、野宿者支援や生活相談のグループが集まって、上記イベントを準備し、ライブやトーク、屋台、バザーなどの模擬店、子どもの遊びコーナー等々があるフェスタとして開催したものである。
 医療相談のコーナーでは、渡邉充春歯科医師らでつくる歯科保健研究会の人々が、「歯科相談」活動を行なった。渡邉さんらは去年3・11東日本大震災の直後、いち早く現地被災地におもむき、地元宮城県の医師と協力して、女川を拠点に歯科医療での支援、歯科診療所の維持の活動に貢献してきた。今日でも、現地との接点を確保しつつ、京都、大阪などの医療スタッフを送り、現地支援の力となっている。
 フェスタ当日の「歯科相談コーナー」では、扇町公園周辺で暮らす野宿労働者や、フェスタを訪れた親子の歯科検診・相談に対応した。周りでは、健康一般相談や法律相談を受けもつ他のグループも対応し、全体が連係し、生活や健康の相談活動に忙しく立ち働いていたのが印象的であった。
 このようなフェスタを担った各団体の地道な取り組みは、人々の共感を生み出しながら、貧困をなくす社会をめざす本格的な社会運動へと、連なっていくことと思う。(関西I通信員)

東京10・20
  反貧困世直し大集会2012

 東京では十月二十日に、「反貧困世直し大集会2012」が芝公園4号地で行なわれ、約500人が参加した。最初に、三ヵ月かけて全国を回ってきた反貧困キャラバンカーの到着イベントが行なわれ、午後には、全体集会とともに、「生活保護」「労働」「セクシャル・マイノリティ」「移住者」「子どもの貧困」「住まい」などなどの、各テーマに分かれた発言・交流会が行なわれた。
直面するメインの課題としては、復活した生活保護の切り捨て策、これとの闘いであった。リーマンショック、派遣切りの嵐の後、生活保護が若干得やすい状態が勝ち取られたが、近年は財政危機を口実に逆流が強まっている。
集会は、「財政赤字を根拠にした生活保護基準の引き下げ」、「市場原理に委ねられていく公共サービス」などの政策を許さず、「安心して働き、生きていける社会をつくるために必要な諸制度を政府に求める」とする集会宣言を採択した。
また、「STAND UP」のデカ字看板を掲げてのパーフォーマンスを全員で行ない、気勢をあげた。最後に、街頭パレードが行なわれた。(東京N通信員)