労働者共産党 第5期第2回中央委員会総会決議(2012/9)

 橋下・維新の会に対する態度

  T 橋下・維新の会とは何者か?

 橋下・維新の会は、8月末、国政進出を目指す次期衆院選の公約のベースとなる「維新八策」最終案を発表した。大阪での施策は、徹底・発展・全国化するものとして、その構成部分に組み込まれている。そこで、この最終案を使って、橋下・維新の会の政治的特徴を明らかにしていくことにする。
 特徴の第一は、弱肉強食・競争原理の全社会的持ち込みをテコに、マネーゲーム資本主義の時代に勝ち抜ける国家・社会へと日本を改造しようとする点にある。
 目指しているのは、マネーゲーム資本主義というステージでの競争(金融賭博)に勝ち抜くこと、世界市場に徘徊する投機マネーを呼び寄せる都市間競争に勝ち抜くことである。「競争力強化のためのインフラ整備」は、あくまでそのためのものである。今や、産業的競争力の回復がメインではありえない。「貿易収支の黒字重視一辺倒から、所得収支、サービス収支の黒字化重視戦略」、いわゆる金融(賭博)立国である。そのために「資産課税」を強化して投機マネーが待ち構える賭博場へ民衆資産の投入を促すのである。
 既に産業が成熟(市場が飽和)してしまった今日、市場原理に頼って「実経済政策は競争力強化」「産業の淘汰を真正面から受け止める産業構造の転換」を期待してみても、かつてのごとく新産業が勃興する訳ではない。実際は、ますます多くの貨幣資本を産業から遊離・過剰化(投機マネー化)させ、その対極に失業人口を累積させることになる。「TPP参加・FTA拡大」による国内産業の衰退がそれを加速し、「解雇規制の緩和を含む労働市場の流動化」が失業者の増大を助長することになる。
 教育や社会保障という社会の相互扶助領域は、拡大が問われている。最終案は、ここに「バウチャー制度」を導入するという。この制度は、要するに競争の徹底化による人と人の絆の破壊と引き換えに教育・社会保障事業を発展させようとする政策である。だがそのようなやり方は、この領域の性格と両立しないため、この領域の豊かな発展を阻害し、「新規事業・雇用の創出」も実現しない。人と人の絆の破壊だけが拡大する。既にイギリスなどで実証済みのことである。
 生活保護に関する「現物支給中心」、給付の「有期性」等々は、保護費削減・生活保護打ち切り強化のためのあの手この手でしかないものである。「現役世代は就労支援を含む自立支援策の実践の義務化」も、資本主義がますます多くの労働者に雇用を保障できなくなっている中では、しかも公的就労を「創出しない」という中では、欺瞞的な保護費削減・生活保護打ち切り策でしかない。
 特徴の第二は、国家機構をマネーゲーム資本主義の時代の国家機構へと改造することである。この国家改造のポイントは、中央政府の役割を国際投機マネーと多国籍企業の利益に奉仕するものへと純化し、地方政府の統治機構を民衆に対する監視・分断・弾圧へと純化する点にある。
 すなわち中央政府の役割は、「国防、外交、通貨、マクロ経済政策など」とする。「首相公選制」が、首相の政治意志の形成を地域住民の必要から最大限切り離し、国際投機マネー(と多国籍企業)の利益に奉仕しやすくする意図をもって提起されている。「首相が百日は海外に行ける国会運営」などもその一環である。
 「中央集権型国家から地方分権型国家へ」は、地方政府が民衆支配全般を引き受けるということである。この見地から、「国の仕事は国の財布で、地方の仕事は地方の財布で」と、地方政府の財源の「自立」化を主張する。「消費税の地方税化と地方財政調整制度」は、消費税の取り分をめぐる中央政府との醜い争い、大都市を抱える地方政府からする貧しい地方政府の抱き込み策、というところであるだろう。
 民衆支配全般を引き受けることを想定した地方政府における「統治機構の作り直し」の核心は、統治機構から利益誘導・所得再分配型統治の側面を削ぎ落とし、監視・分断・弾圧する機構へと統治機構を再編・純化する点にある。それというのも、資本主義が社会を崩壊させ、国家が財政破綻を深める時代に入ったからである。
 この統治機構の作り直しの強力なテコが「日の丸・君が代」の強制であることは、大阪府・市における教育労働者に対する弾圧を見ても明らかである。だから最終案は、「教育委員会制度の廃止」などを掲げ、統治者による教育の掌握と愛国主義教育の強制を目指すのである。
 また最終案は、統治機構の作り直しにとって、公務員労働組合の存在と相容れないとの立場に立つ。「大阪府・市職員基本条例をさらに発展・法制化」「公務員の強固な身分保障の廃止」などは、公務員労働者を、労働者としての権利も市民としての権利も全く保障されない文字通りの奴隷に落し込めるものである。
 もとより統治機構の作り直しは、民衆に対する監視・分断・弾圧の強化と連動する。「国民総背番号制で所得・資産を完全把握」などは、その一つである。
 橋下・維新の会は、社会の統合のために必要な所得再配分を廃止しようとする。大都市と勝ち組に財政支援を集中し、農村地方や社会的弱者を切り捨てる。当然、社会の格差拡大と崩壊が加速する。これに対しては、監視・分断・弾圧で対処すればよいという訳である。民衆の間にある対抗力はことごとく潰していくことなる。警察の役割が重要になるが、触れていない。触れていないことも重要である。
 特徴の第三は、「日米同盟を基軸」「豪州、韓国との関係強化」などに込められたアメリカ一辺倒路線である。
 「ODAの継続的低下に歯止めをかけ、積極的な対外支援策に転換」するとした。さらに、覇権拡張・軍事介入政治に不可欠な「外国研究体制の拡充」を、「安全保障上の視点からの外国人規制」と併せて実施する。そして「憲法9条を変えるか否かの国民投票」で9条改憲を実現し、アメリカの世界覇権を維持・拡張するための侵略戦争に、先兵となって貢献しようというのである。
 橋下・維新の会は、都市部的な社会の崩壊が最も進み、没落への不安が最も強い大阪の地にこの改造の旗を立て、国政への進出の足がかりを獲得しようとしている。
 大阪は、グローバル資本主義(マネーゲーム資本主義および多国籍企業資本主義)の時代になると、急激に没落した。産業の成熟(慢性的過剰生産)、産業的大企業の管理機能の東京一極集中化、国際金融取引の東京集中化などが、その大きな要因であった。大阪はこの流れにもろ洗われ、中間層が没落し、失業・半失業層が膨張し、生活保護人口が増大した。行政は、財政破綻状況に陥っていった。
 行政は当初、社会的包摂・参加型の政策をもって、この事態に対処した。大阪の全般的没落をもたらすグローバル資本主義を前提に、その犠牲者を包摂することで社会の崩壊を押しとどめようとする政策であった。参加型は、安上がりに政治的包摂を果たそうとする意図を含むものであった。
 この社会的包摂・参加型の政策をやめ、マネーゲーム資本主義の方向こそ大阪の展望だと主張して登場したのが橋下・維新の会である。没落への不安を強める中間層が彼らを支持した。またこの社会に希望を持てない非正規の若年労働者なども、少なからずこれを支持した。多くの人々が、橋下らが提示する「展望」とその実現のための「手段」に、とりあえず賭けようとしたのだった。
 だが戦略的にみるならば、このような橋下・維新の会の路線は壁に突き当たらざるを得ない。壁の第一は、農村地方の反発(国政への関与とともに)。壁の第二は、社会的弱者切り捨て(「西成特区構想」など)に対する都市下層の反発。壁の第三は、監視・分断・弾圧(「日の丸・君が代」強制、「教育基本条例」、「職員基本条例」など)に対する反発。壁の第四は、東アジアにおける孤立(国政への関与とともに)、である。そして世界金融恐慌の二番底に向かう趨勢と、福島第一原発事故を契機とする民衆運動の広大なうねりが、これらの壁を不抜化し、「橋下」の路線的破綻をもたらさずにはおかない。
  
  U 橋下・維新の会をめぐる情勢の特徴

@日本の支配階級は今日、社会の崩壊をもたらすマネーゲーム資本主義に向かう現実の中にあり、この道を突き進む路線と社会の崩壊を押し止めようとする路線に分裂し、末期的内部抗争を熾烈化させている。
 その先鞭をつけたのが、小泉政権である。小泉は、自民・官僚・財界のトライアングル(利益誘導型統治構造)の内部から、アメリカ一辺倒・市場原理主義(「第一極」)の旗を立て、この構造に大打撃を与えた。マネーゲーム資本主義を推進し、社会を崩壊の道に引きずり込んだ。しかし、格差の拡大が政治問題化する中で、後退を余儀なくされる。(橋下・維新の会は、この潮流のリニューアル型、巻き返しに他ならない)
 小泉路線に対する批判が高まる中で登場したのが鳩山・民主党政権だった。この政権は、一方で新自由主義をやりマネーゲーム資本主義への道を是認しつつも、東アジア共同体・国民の生活が第一の旗を立てて社会の崩壊を押し止めようとする路線(「第二極」)を立てた。だが鳩山政権は、アメリカ・官僚・財界の激しい妨害に直面し、挫折する。その後の民主党政権は、政権交代当初の路線を放擲し、彼らの軍門に降った。
Aこうしたことの結果、政治の主導権は官僚・財界に移行した。彼らは、「国民の生活が第一」路線の「抜け殻」と化した民主党と、「小泉構造改革」路線の後退で利益誘導型統治時代の「残滓」が幅を利かせる自民党を籠絡し、消費増税のための大連立を形成させた。世界(アメリカ)が、世界金融恐慌の余波の渦中にあって、息継ぎを必要としていたこともそれを可能にした。
 しかしこの政策大連立は、「抜け殻」と「残滓」の寄せ集めでしかないから、未来(人民の支持)が無い。世の中の閉塞感を飛躍的に高めた。それは、政治の混迷の打破を目指す政治勢力の進出を促さずにはおかない。
 「第一極」路線の橋下・維新の会は、そのような政治勢力として、また当面の局面において最も勢いのある勢力として台頭しつつある。「第二極」路線の小沢新党も、建て直しを図っている。だが、この局面での焦点となるのは、そのいずれでもないだろう。「第一極」路線は、その反社会的本性を一旦露呈させてしまった影響を、橋下的リニューアルによって全て消し去ることはできない。「第二極」路線も、その動揺性を露呈させ民衆の期待を裏切った直後であり、即復活とはいかない。「残滓」と「抜け殻」の大連立が社会の閉そく感を強める中で、民衆自身が大衆的に立ち上がり始めている。労働者民衆自身による「第三極」の形成が問われる局面に入っているのである。
 B地方の政治は、中央のそれと異なる特殊性をもっている。
 地方の統治機構と地域社会においては、「第一極」路線の構造改革が相対的に浸透しておらず、利益誘導(所得再配分)型統治時代の遺物が継承され、「第二極」路線がそれを包摂しつつ影響力を持っていた。「第一極」路線は、民主党政権の路線的変質・不人気化という機会を捉え、地方における利益誘導(所得再配分)型統治時代の遺物を批判することで、地方から巻き返しを活発化させた。「第二極」路線は、後退させられ受け身に陥った。大阪は、その典型・牽引軸となったのである。
 労働者民衆は、いまや自己自身の団結と闘争力をもって監視・分断・弾圧と社会的弱者切り捨てをはね返さねばならなくなっている。自己自身の政治勢力を形成しなければならなくなっている。労働者民衆は、政治的・社会的な自立を迫られているのである。
 
   V 方 針

@橋下・維新の会は、社会の崩壊を放置・加速する。これに対する闘いにおいて最も重要なことは、住民自治を発展させ、地域社会再建の在り方を対置し、それを基盤に大衆闘争の力で反撃することである。釜ヶ崎、被差別地域、在日集住地域は、この闘いにおいて大きな位置と役割を占めるに違いない。
 その際の第一のポイントは、地域社会に残る協同的活動である子どもの養護、病人の看護、高齢者・障害者の介護などの領域の破壊を阻止し、発展させることである。これを媒介に、地域社会の不敗の態勢(連帯)を打ち固めることである。
 第二のポイントは、社会崩壊の最大要因である失業問題である。資本主義の仕方では、社会的必要が広がる活動を十全に発展させることができない。NPOや協同組合など資本主義とは異なる方式で、人々の関係性の豊かさを発展させることである。
A橋下・維新の会の路線は、社会が崩壊してもかまわない、監視・分断・弾圧で臨む、という態度を核心に置く。抵抗の弱い部分から、各個に屈服させていく。人々の共感を呼ぶ大衆的反撃だけが、これを打ち砕くことができる。
 多方面・多階層に及ぶ各個の闘い、各地域の闘いを孤立させないことである。橋下・維新の会と闘うネットワークを創り出していかねばならない。そしてまた、大都市の中で個に解体させられている膨大な非正規、失業者、女性、若者たち(運動の勝敗を左右する人々)が、集い、闘うことのできる運動形態を創り出していかねばならない。
Bこうした運動と公務員労働者の結合が、社会を崩壊に導く「橋下・維新の会」との闘いの勝利を引き寄せる。
 公務員労働者(正規・非正規)を励まし、結合した闘いの発展を追求することである。「統治機構の作り直し」を打ち砕き、社会破壊路線をはね返して初めて、住民自治の発展と地域社会再建に力を注げるのである。
C橋下・維新の会との闘いは、政治の領域のたたかいと連動する。「第二極」は、敗走・混迷・態勢立て直しの渦中にある。「第三極」の形成が不可避に求められる。
 「第三極」政治勢力の形成は、それはそれで独自の領域である。大衆運動が発展すれば自然とできるというものではない。革命的左翼諸派、共産党、社民党などの左翼世界の大きな政治再編が不可欠だろう。住民自治の発展、地域社会の再建と結びつくことも必要である。青年層・非正規層に依拠できなければならない。大衆的反撃の組織化が問われる。課題は多い。しかし大阪では今、橋下・維新の会が、それらを可能にする条件を全国に先駆けて創り出してくれているのである。時代を切り拓く闘いへ踏み出そう。(以上)