領土ナショナリズムに反対し、東アジア人民の連帯を
  「竹島・尖閣」が問う侵略史清算

 このかん「竹島・尖閣」をめぐって、またもやナショナリズム鼓吹の騒動が引き起こされた。
その経過をみると、八月十日、韓国の李明博大統領が8・15を前に、独島(日本名「竹島」)に視察上陸。野田政権は駐韓大使を引き上げて抗議し、国際司法裁判所への共同提訴の提案など、外交攻勢を強めている。
釣魚台(日本名「尖閣諸島」)では、石原・東京都による「尖閣」購入策動に反対しつつ、八月十五日に香港の活動家が上陸、日本側に逮捕・強制送還され、十九日には今度は東京都議や右翼が、上陸をやり返す騒ぎとなった。中国では、各地で対日抗議行動が起き、二七日には丹羽中国大使の公用車が「日の丸」を奪われる事件も発生した。九月二日には、東京都が「尖閣」の現地調査を強行。「尖閣」購入をめぐる東京都と国のあつれきは、結局、国費による国有地化という中国刺激策に行き着いている。
野田首相は八月二四日、「竹島」「尖閣」について特別な記者会見を行ない、「不退転の覚悟で臨む」との決意表明を披露、同日には衆院で、「竹島・尖閣」国会決議が強行された。
こうした、繰り返される「竹島」「尖閣」問題での紛糾は、つねに日本の支配層が、他の重要問題での自国人民の政権批判をそらし、国内の階級対立をナショナリズムで丸め込み、支配体制に同調させるための格好の道具となっている。このことは韓国や中国にとっても、多かれ少なかれ妥当する。
日本の労働者人民は、日本、朝鮮半島、中国・台湾の労働者人民を仲たがいさせようとする一切の企てを許さず、東アジア労働者階級人民の友好と連帯の道を進まなければならない。
「竹島」「尖閣」問題は第一に、旧日本帝国の侵略・膨張の歴史を正しく清算できるかどうか、という問題である。「竹島」の日本編入が、朝鮮半島支配をロシアと争った日露戦争の渦中に、軍事的必要からこっそりと行なわれたことは否定できない。そして日露講和直後には、日本が韓国の外交権を剥奪した経緯がある。また「尖閣」の日本編入が、日清戦争の渦中に戦勝の勢いに乗って、その講和条約による台湾併合に一歩先んじて行なわれたことは否定できない。
第二次世界大戦後の日本は、「竹島」「尖閣」の領有権を、他の不法・不当な併合地域と同様に、放棄して出発すべきであった。対日講和条約で言う「鬱陵島」に「竹島」は含まれない、「台湾」に「尖閣」は含まれないという、日本で支配的な論理は屁理屈であり、侵略清算という大局に立っていない。また「尖閣」の場合は、対日講和条約で米軍支配に沖縄を売り渡したため、事態が複雑化した。米軍は「尖閣」を台湾に返さないまま、その一部を射爆場とした。米軍だのみで大陸に対峙した蒋介石時代の台湾は、米軍が沖縄に「尖閣」を含めたことを黙認したのである。
今からでも、「竹島」「尖閣」の領有権放棄を宣言することは遅くはない。しかし、それらを日本領だとする立場は、あろうことか日本共産党や社民党も含めて挙国一致的となっている。日共や社民が8・24衆院決議に反対したのは、中韓との摩擦を拡大するから、という消極的理由にすぎないのである。
とくに、日共が「尖閣」について、日本支配層と同様、西洋植民地主義の論理である「無主地先占」論によって、その領有権を正当化していることは重大な誤りである。その「無主地」は、「釣魚」の名が示すように台湾・福建の伝統的な漁場であり、明代の倭寇海防ラインにも明記されていた島であった。それに対し「尖閣」とは、幕末のイギリス海軍による呼称の邦訳であり、日本側にとっては未知の島であったことを示している。近代主権国家の領域確定行為を先に行なったから我が国のものだ、というのは植民地主義の強盗の論理である。
しかし、国会与野党、全マスコミが挙国一致の有様であるため、日本政府が簡単に領有権を放棄することは期待できない。
したがって第二に、この問題は、関係国の国民一般の目線で、相互に実際的な外交ができるかどうか、という問題でもある。領土・領海紛争の解決は将来の世代にゆだね、相互の漁民などの利益の調整、資源の共同開発、漁業資源・自然環境の保全などで、実際的な外交が行なわれることは当面妥当な選択である。
都知事石原の策動は、こうした外交を真っ向から否定するものである。石原の狙いは、韓国が「竹島」でやっているように、「尖閣」の実効支配を軍事面も含めて強化しようというもので、これは沖縄を対中国の矢面に立たせ、結局、沖縄戦の悲劇を再来させる暴挙である。国の購入も、そういう危険な実効支配に行き着きかねない。
第三には、東アジア共同体を将来に展望するかどうか、という問題としても捉える必要があるだろう。
現代世界は、近代主権国家の時代が終わりつつあり、地球市民の共生をいかなる制度で実現していくのかが問われている時代である。とすれば、野田首相の「不退転」の決意表明などは、幕末維新の時代に、わが藩は、わが藩は、と騒いでいるような時代錯誤である。
我々マルクス主義の立場から言えば、まさに世界共産主義革命が問われているのである。この世界革命の構成部分としての、労働者人民の東アジア共同体は、領土・領海紛争を歴史の屑箱に捨ててしまうであろう。(A)