8・13〜15「第41回釜ヶ崎夏祭り」もりあがる
橋下批判の布陣固め
第41回釜ヶ崎夏祭りが八月十三〜十四日、大阪市西成の三角公園で開催され、多くの釜ヶ崎労働者、地域・周辺の住民、そして支援の仲間たちの参加によって大きく盛り上がった。
初日の夜、「SHINGO☆西成」の出演中、釜夏祭り史上初と思われるカミナリを含む大豪雨の為、盆踊りが中止となったが(ステージの演奏は大雨の中、最後までやり切ったが)、それ以外はトラブルもなく、最後まで楽しむことができた。
今回の夏祭りの特徴は、まず第一に、橋下大阪市長―維新の会による「グレートリセット」「西成特区構想」に対して闘う布陣を打ち固め、闘いの方向を示したことである。
従来は、ともすればスケジュール確認などの事務的打ち合わせが軸となっていた夏祭り実行委員会であったが、今回は会議で、釜ヶ崎反失業連絡会の会議と連動しながら、医療センターの機能縮小の問題、生活保護の問題、子供の里事業への補助金打ち切りの問題、特別清掃事業の随意契約から入札導入の問題と、それぞれの問題について集中した報告と討論が行なわれ、それは夏祭り実行委員会の「声明」として全体で確認された。
実行委員会が「声明」
その「声明」から抜粋して、以下紹介する。
「釜ヶ崎は一大財政改革、『グレートリセット』と『西成特区構想』の大波に洗われることとなりました。
『グレートリセット』は、
* 耐震強度不足による労働センターの取り壊し・移転による機能再編
* 過重診療・過重投薬を減らすためという生活保護者の病院・薬局指定制度導入
* 医療センターの診療所化による入院機能の縮小
* 子供の家事業の廃止、学童保育事業(費用自己負担が原則)との統合
* 生活保護世帯の半数への削減
『西成特区構想』では、
* 高齢者世帯が多い西成区に、若い子育て世代を呼び込むために、小・中・高の一貫教育を行なうスーパー校をつくり、税制を優遇する。
* 駅前再開発により外国人旅行者を呼び込み、経済の活性化を図る。
などと言われていますが、現実にこの街を拠点に働いている労働者(センター調べで約5000人)、この街に住みながら、失業し、仕事につけなくて野宿せざるを得ない野宿者、また9500人と言われる三畳一間で生き甲斐なく、孤独に生活する生保―引退労働者、この現実を、この街で生活し働いている人たちの問題を無視しては一歩も改革は進みません。」
「センターを取り壊した後、もし、寄り場機能をなくしてしまえば違法業者の路上手配が横行し、四十年前に逆戻りするのは明らかです。労働福祉センターが作ってきた、相談機能、違法業者であっても一定の条件で統制してきた統制機能、転職に向けての資格取得・講習機能、これらはどうなってしまうのでしょう。」
「失業・野宿の問題は福祉の問題とするより、働いて生活することが大事だと早くから指摘してきました。特掃事業を拡大し、増やすことにより、稼働能力がありながら生活保護に頼らざるを得ない労働者が、民間の求人にはじかれて労働意欲を失っていくのを防ぎ、社会的に貢献できるという意識を持続しながら、次の段階へ進んでいける面と同時に、公的就労を出しながら自力で頑張ってもらうことは社会保障費を削減していくことにもつながります。残念ながら大阪府・市は、この十年以上も月4〜5回のペースでしか特掃を出していません。」
「私たち実行委員会は、大阪市の『グレートリセット』、『西成特区構想』が今、西成区に、釜ヶ崎に生活し、働き、育っている者たちの声をよく聞かない限り、成功するとは思えません。」
全国の闘いと連動し
さて、夏祭りの特徴の第二は、現下の全国的な闘い、すなわち東京での毎回10万人規模で行なわれている反原発の金曜行動、そしてそれに連動した全国での金曜行動や、またオスプレイ配備に反対し、沖縄民衆に連帯する闘いの高揚、そしてまた消費税増税への反対の声の高まり、これらに見られる「野田はやめろ!」の「暑い夏」を釜ヶ崎でも作り出したことである。
ステージには、「老いも若きも、安心して働き、生活できる釜ヶ崎を実現しよう!」のメインスローガンの他に、反原発、消費税増税反対、オスプレイ配備反対、九条改憲阻止、そして、なによりも反失業―仕事よこせ、と具体的スローガンが掲げられた。
特徴の第三は、祭りの輪、闘いの輪がさらに広がったことである。
今年もまた、多くの釜ヶ崎労働者だけでなく、新たな仲間の実行委員会への参加があり、当日は昨年を上回る青年・学生の参加が見られた。また、ゆかた姿の子どもの手をひいた、ご近所の人々も多数見られ、ともに祭りを楽しむことができた。
釜ヶ崎労働者は、「解散―総選挙」に向けて政治が大きく動き始める今秋、夏祭りで作り出した団結を打ち固め、さらに闘い抜いていく。(釜ヶ崎S通信員)
8・15釜ツアー
「西成特区構想」の関連地を巡って
第41回釜ヶ崎夏祭り最終日の八月十五日、釜ヶ崎と市民をむすぶ市民団体「釜ヶ崎講座」によって、恒例の「釜ヶ崎ツアー」が挙行された。
今回の釜ツアーは約25名の人びとが参加し、水野阿修羅さんを案内人として、橋下大阪市長がアドバルーン的に打ち出した「西成特区構想」、それに関連した施設・場所を中心として見歩いた。
参加者からは多くの質問が出された。橋下にすり寄るマスコミにより、西成区と釜ヶ崎への予断と偏見が振りまかれている中、その偏見と現実のギャップに、参加者は驚きを隠せなかったようである。(大阪I通信員)
特別区設置法
橋下・維新の会へのおもねりで成立
都区制と同じ矛盾に陥る
野田首相に対する問責決議が可決された八月二十九日、「大都市地域特別区設置法」(以下、特別区法に略)が可決・成立した。
これは、橋下・大阪維新の会の「大阪都構想」を後押しする法律として、民主、自民、公明、みんなの党、国民新、国民の生活が第一・きづな、改革無所属の会の七会派が提出していたものである。
諸政党は、総選挙をひかえ、それそれの思惑をもって、大阪維新の会におもねり、異例の早さで特別区設置法を成立させた。
同日、民主、国民新、みんなの党の三党は、政令指定都市や都道府県が国に対し、新たな大都市制度を提案することを認める法案を衆議院に提出した。これは、政令指定都市に都道府県と同じ権限を持たせる「特別自治市」構想など、「大阪都構想」以外の大都市制度の議論を活発化させる狙いを持ったものである。
特別区設置法の骨子は、@政令指定都市と隣接市町村の総人口が200万人以上の地域に特別区が設置できる。A申請する市町村と道府県は、各議会の議決を経て「特別区設置協議会」を設置する。B同協議会が、区割り、税源配分、財政調整、事務分担などを定めた「特別区設置協定書」を作成する。C市町村と道府県の各議会の承認と、各市町村の住民投票で過半数の賛成を得て、国に申請する。D総務相が、特別区設置を決定する。必要があれば、申請から6ヵ月をメドに法制上の措置を行なう―というものである。
だが、この特別区設置法は、橋下市長が当初から求めていた「府」を「都」に改められる規定が盛り込められていないため、大阪府を大阪都に変更するためには、さらに新たな特別法が必要となる。橋下市長は、この間、名称についてはこだわらないと発言もしていたが、いざ、新法が成立されると、「大阪府のまま」になることに、強い反発を示した。
特別区設置法が成立したにもかかわらず、「大阪都構想」の実現に到るまでには、まだまだいくつものハードルがある。
第一は、区割りをどうするかの問題である。堺市はすでに不参加を決めているが、現在24ある行政区をどのような組み合わせで8〜9の特別区に再編し、住民の納得を得るかはは、極めて困難な作業である。とくに、24区の税収格差は大きく、住民一人当たり最も小さい西成区は、最も大きい中央区の約26分の1である。
第二に、解体する大阪市の権限・財源を大阪府と特別区との間でどう振り分けるか、あるいは特別区間でどう振り分けるか。東京都と23特別区の間でのこの問題は戦後以来えんえんと続いているのであり、同様の矛盾関係に大阪も陥ることを意味する。ちなみに、東京都の特別区の一つである千代田区は、二〇〇一年十月に、第三次長期総合計画の基本構想「千代田区第3次基本構想―千代田新世紀構想」で、「千代田市」を目指し、千代田区からの脱皮を狙っている。
第三に、「特別区設置協定書」が作成されたとしても、各議会の可決や、住民投票の賛成が不可欠であり、高いハードルが続く。橋下市長は、大阪市の解体・特別区への移行を二〇一五年四月までに終えたいとしているので、これらの作業をこなすには、まさに強行軍とらざるを得ない。
しかし、特別区設置法に依拠して、大阪府―特別区の体制が仮に実現できたとしても、この構想には致命的な欠陥がある。それは、特別区が基礎自治体としては、他の市町村と比較しても、「不完全」なことである。
たしかに、地方自治法は、一九九八年の改正で、特別区を「基礎的な地方公共団体」として、初めて法律に明記した。しかし、「千代田市構想」が象徴するように、特別区は都の制約のもとにあり、基礎的自治体としては、まだまだ不十分なものである。
六大都市(東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)が府県から独立する運動は、戦前からあるが、仮にそのことが実現したとしても、大都市制度の下の基礎的自治体は規模を小さくして作らざるを得ない。「身近な問題は、身近で解決する」という基礎的自治体(市町村)優先の原則からすれば、現在の都市はあまりにも規模が拡大しすぎているからである。
この点では、大阪府市一体化派も、大阪市存続派も、基礎的自治体を強化し、住民自治を発展させるという肝心なところで、共通した欠陥をもっていたのである。(H)