8・12脱原発社会をめざす労働者集会に1300人
  労働者としてどう闘うか

 八月十二日、東京都江東区のティアラこうとう大ホールにて、「脱原発社会をめざす8・12労働者集会」が開催され、会場に入りきれないほどの約1300名の労働者・市民が参加した。
主催は同集会実行委員会で、それは全日本港湾労働組合、国鉄労働組合、全日本建設運輸連帯労働組合、全国一般東京東部組合、全国一般労働組合全国協議会、全水道東京水道労働組合、東京清掃労働組合、東京都労働組合連合会など多くの労働組合によって構成された。また、フォーラム平和・人権・環境が協賛した。
集会は、司会の開会宣言に続いて、全港湾・伊藤彰信委員長が、基調報告「脱原発をめざす労働者のたたかい」を提案した。
この基調報告では、@3・11を受け、労働組合として脱原子力発電闘争を強化し、地域運動・住民運動と連携して闘うこと。A職場での放射能安全対策を、労働者の知恵を駆使して作り上げること。Bエネルギー政策の転換、「原子力ムラ」に象徴される体制の変革等の課題について、学習と運動の取り組みをすすめる。など5項目が掲げられた。
それは、労働組合が脱原発勢力として、今後も全力で闘い抜くことの表明であった。
提案は、割れんばかりの拍手で承認され、闘う決意が会場にみなぎった。
次いで、大分のシンガーソング・ファーマー姫野洋三さんが、「若狭の海」を含む4曲を歌い上げ、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)の講演「放射能汚染の現実を超えて」に進んだ。
小出裕章さんは講演で、広島・長崎の原爆投下、チェルノプイリ原発事故などを例に、放射能汚染の範囲や実態、人体に与える影響を、プロジェクターを使ってリアルに表現。今回の福島原発事故による東京での放射能測定値が、チェルノブイリ事故当時に京都で測定された数値の何千倍にも及んだことなどを報告した。
そして、「子どもたちを放射能から守ること」、「第一次産業を守ること」、これらを大人の責任として提起した。さらに小出さんは、1968年の合化労連チッソ労働組合による「恥宣言」、すなわち「今まで水俣病を闘い得なかったことは、まさに人間として、労働者として恥ずべきこと」と表明した宣言を改めて紹介し、労働者が闘いに立ち上がることの大切さを訴えた。会場は熱気に包まれた。
集会は、「さようなら原発1000万人アクション」の1千万署名等を労働運動から担いきることを明らかにしつつ、労働者が脱原発闘争をいっそう前進させるものとして勝ち取られたのであった。(東京0通信員)


脱原発法制定運動始まる
     国会で原発ゼロの国策を決定しよう

 「脱原発法制定全国ネットワーク」が八月二十二日に、その設立の記者会見を衆院議員会館で開き、脱原子力発電を国の政策として確立するため、脱原発法案の制定の運動を開始することを表明した。また、この法案の骨子が提起され、議員立法として今国会中に、遅くとも衆院解散の前までには国会に提出するよう、各党の国会議員に働きかけることが表明された。
 この脱原発法制定ネットの代表世話人は、大江健三郎、鎌田慧、内橋克人などこのかんお馴染みの各氏、また弁護士の河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会)らで、多くは「さようなら原発1千万人アクション」の呼びかけ人と重なっている。このかんの7・16代々木公園十七万人集会などの大衆行動、達成途上にある脱原発一千万人署名運動、これらの成果を引き継ぎ、法制定で脱原発を確かなものにしようというものである。
 提起された脱原発法案の骨子は、@脱原発を遅くとも2020年度から25年度までの、できるだけ早い時期に実現する。A原発新増設は認めず、運転期間四十年の例外は認めない。B最新の科学的知見にもとづく基準に適合しなければ、再稼動を含む原子炉運転は認めない。C高速増殖炉もんじゅは即時廃止。D発送電分離など電力システム改革や再生可能エネルギー拡大、省エネに取り組む。等となっている。
 この骨子では、@の原発廃絶の期限までの間はどうなるのか、Bは一定の前提においては原発稼動を容認するということか、など議論も呼びそうである。しかし河合弁護士によると、Bで言う「基準」について「その基準に適合する原発は日本では存在しない」という説明であり、あくまで再稼動は認めずが前提となっているようである。この前提は堅持されなければならないが、国会提出の後も多くの論点が出てくるものと思われる。(ドイツは2020年までの原発全廃を決めたが、稼動している原発がある。脱原発の国策決定ということと、原発稼動の阻止ということと、日本ではどちらが優先なのか。こういう論点もあるだろう。)
 また、この法案の基調に対し、原発の即時全廃になっていないのはけしからんという批判も当然ありうる。しかし即時全廃の内容では、今の国会では成立の見込みはなく、提出自体もおぼつかないというのが現実だ。立法化の達成は多くの場合妥協の産物であり、立法化のための対応と、大衆運動の要求とは区別する必要がある。逆に、立法作業に大衆運動が従属する必要もないのである。
 さて、脱原発法の制定は、3・11直後から、一千万人アクションの中心といえる原水禁がその必要を提起していた。我われ労働者共産党も、昨年八月の党大会で、「原発全廃期限を明確にした脱原発法の制定要求を支持する」と決議している。しかし、この時点では状況はまだ成熟していなかった。
脱原発法制定は、ここ一年の脱原発の運動と世論の大きな前進によって、ようやく現実性を獲得してきたといえる。こんにち国民世論では明らかに過半数が、国会議員でも少なくとも42%(朝日新聞による今夏調査)が、原発ゼロを支持している。
 脱原発法の制定要求は、運動的には、このかんの脱原発の大衆運動を一時的な盛り上がりとせず、持続させ、具体的で全国的な目標を与えるという効果を持つ。また、来る総選挙では、各党・各候補者に脱原発法案への賛否をきびしく問い、脱原発運動の前進を総選挙に反映させる格好の手段となる。
 また脱原発法が実現されれば、今後いろいろ政権が変わっても、立法によって拘束することができる。
制度的にも、脱原発法が客観的に必要である。一見、原発ゼロは、各電力会社に経営判断として原発から撤退するという民間の選択を強いるだけで実現できそうにも見える。しかし国策としての原子力推進あるいは温存の予算支出、原発を保護する既存の法律や諸制度が存続しているかぎり、一時的に原発稼動が止まっても「原子力ムラ」は存続し続ける。「原子力ムラ」を解体し、脱原発を達成するためには、行政府の原発ゼロ決定、立法府での脱原発法制定、この両方が必要だ。
野田政権は、2030年での原発依存度「ゼロ%」「15%」「20〜25%」の選択肢を提起し、そのエネルギー環境会議で八月に決定するとしていたが、原発・核燃温存の「15%」すら日本経団連から反対されて、決定を先送りにした。他方では、エネルギー環境会議へのパブリック・コメントにおいて、九割が原発ゼロ%であったことも無視できず、野田政権は「ゼロ%」選択での課題検討も始めてはいる。しかし具体的な政策決定は、再び先送りする気配である。
政策決定は先送りしつつ、他方では、原子力規制委員会の、「原子力ムラ」出身の田中俊一氏を委員長とする人事案は、国会承認無しで強行せんとしている。名ばかりの原子力規制庁によって、原発再稼動をなしくずし的に認めていこうとしている。
政策がはっきりしないまま、大飯原発の再稼動が続き、伊方原発などの再稼動が始まることは最悪である。脱原発法案によって、日本が取るべきエネルギー政策の方向をはっきりさせ、国会と政府に決断を迫る時がきたのである。(W)