東京・代々木公園
  空前の17万人−7・16さようなら原発10万人集会
   政府は原発ゼロ決定せよ


 七月十六日、東京・代々木公園で「さようなら原発10万人集会」が開催され、全国各地から17万人(主催者発表)が大結集、日本の原子力発電反対の運動としては過去最大で、かつ戦後の運動史でも有数の規模の大衆行動となった。
 主催は「さようなら原発1千万署名市民の会」で、9名の著名氏(内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔)を呼びかけ人とする超党派の集会である。集会の実行委員会は、原水禁や市民団体(これまで脱原発1千万署名を進め、昨年9・19明治公園の主催者でもあった「さようなら原発一千万人アクション実行委員会」)に加え、原水協系(全労連や「原発をなくす全国連絡会」など)、また新旧の反原発団体などが参加する広範なものであった。
 会場では、サッカー場のメインステージ、野外音楽堂、道路での二つの車上ステージと計四つのステージが設けられ、代々木公園の南側各エリアの全域に参加者が集っているという壮観な状況であった。
 午後一時から、全体の開会がメインステージで始まり、呼びかけ人の経済評論家・内橋克人さんが最初に発言、「政府は、原発を続けるために15%を決めようとしている。国民が合意しない国策は認められない」と訴え、つづいて作家・大江健三郎さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、ルポライターの鎌田慧さんがアピールし、珍しいところでは音楽家の坂本龍一さんも登壇して、「福島のあとに沈黙するのは野蛮だ」と発言した。
 これら呼びかけ人の他、福島被災地から武藤類子さん、大飯原発再稼動と闘ってきた福井の中島哲演さん、評論家の広瀬隆さんが発言した。
 この集会には決議というものは無かったが、総じて、原発再稼動を許さず、原発・核燃をなくす運動をさらに強大化すること、また、政府の新しいエネルギー基本計画の策定に対して、「原発ゼロ」を求める圧力を強めること、また1千万署名をさらに続けること(七月八日の集計では約785万筆)などが訴えられた。
 なお野田政権は、日本経団連などが原発依存率15%の選択肢に対してすら猛反発を公然化させたため、八月末に予定していたエネルギー基本計画決定を延期した。脱原発は、独占資本との闘いであることがはっきりした。
 さて野音の第2ステージでは、午後二時からトークやライブが再開され、湯川れい子、雨宮処凛、池田香代子、香山リカ、XJAPANのSUGIZOなどなどの各氏が発言、脱原発をめざす自治体首長会議も参加し、保坂展人世田谷区長、湖西市の三上市長、元国立市長の上原公子さんが発言した。
 二つの車上ステージでは、首都圏の反原発団体、原発各現地の人々、各地のさまざまな市民団体・労働組合などが発言し交流していた。韓国の反原発団体など海外からも来ていた。
 午後一時半からは早くも、都内3コースへのパレードの出発が開始されたが、出発に夕方までかかった。青山通りでは、全車線に広がったデモ行進が行なわれた。
 7・16代々木公園は大結集で成功した。この要因を考えると、一つは、組織・団体とは別の、個々人の関心の高さ、参加意欲があるだろう。団体に属する人であれ、そうでない人であれ、政府に再稼動を強行されたが、ここで大きな行動で反撃しなければ、という気持ちがあった。首相官邸前の大結集も、代々木公園の方はどうなるか、という刺激になっている。労働組合でも動員というより、個々の組合員の参加意欲・関心が一般にかなり高かったようである。
 もう一つの要因は、組織的勢力の大衆運動での統一戦線である。日共系は9・19明治公園6万人集会では、合流という参加の形であった。しかし今回の7・16代々木公園では最初から主催側の一員であり、その役割りと動員をより大きくしている。しかし、集会で日共色が強くなったということではない。誰でも参加できる超党派の集会とし、それを組織的勢力が共同して下支えする、これは適切なやり方であった。
 炎天下にも関わらず、これだけ集まった。この闘いはやれるぞ、という展望を与えた。その強い日差しは、原子力ではなく私の自然エネルギーを使いなさいと、お日さまが参加者に語っているかのようであった。(東京W通信員)


7・29脱原発・国会大包囲に延べ20万人
  原発やめろ完全包囲

 7・16代々木公園に続いて七月二九日、夕方から「7・29脱原発・国会大包囲」が行なわれた。昼間には日比谷公園からの集会・デモが行なわれ、のべ人数で20万人が参加と主催者は発表した。
 この主催は首都圏反原発連合。また、さようなら原発一千万人アクション、原発をなくす全国連絡会なども協力となっている。首都圏反原発連合は、新旧の反原発団体によって昨年九月に作られ、今年の3・11に1万4千人の国会包囲を行ない、四月以降今も毎週金曜に続いている首相官邸前の再稼動反対行動、これの主催者でもある。
 午後3時半からの集会は酷暑にもかかわらず、日比谷図書館前あたりを中心に1万人位がすでに集まっている。おなじみのタレント山本太郎さん、脱原発世界会議の吉岡達也さん(ピースボート)などがアピールし、また青山学院大学の小島敏郎教授をはじめ多くの発言で、原子力規制委員会の人事案への批判が強く出されていた。集会後デモ行進に出発し、午後七時開始の国会包囲に向かう。
六時頃には、国会周辺は電車でやってくる包囲参加者で、すでに人だらけなっている。そこに、しだいにデモ隊が到着し、国会全周が埋まってくる。夕闇が迫ってくると、キャンドルが灯され、人びとのアピール、音楽、原発やめろの叫びが高まる。警察は前回と同じく、内側歩道から参加者を締め出したが、国会正門方面には続々と人が増えてくる。七時過ぎ、正門前で参加者は道路いっぱいに進出し、正門前の大通り一帯が包囲行動で埋めつくされた。これは六〇年安保闘争の時以来と言われる。
今回は、震災一周年の国会包囲の数倍、実数で二万人以上が参加したと思える。6・29首相官邸前、7・16代々木公園に続いて、脱原発の闘いの発展を確信できる行動であった。野田政権は財界の巻き返しに追随しているが、この闘いを無視することも最早できなくなっている。この長期戦は山場に近づきつつある。(東京A通信員)

 
廃炉にせよ東海原発
  東海第二原発差し止め求め、7・31提訴

 東海第二原子力発電所(茨城県東海村)の廃炉を求める周辺住民と首都圏労働者市民の運動が、力強く発展している。
 昨年3・11で運転停止をした東海第二原発は、福島第一と同様に、全電源喪失の危険性をはらむ状態であったことが事業者である日本原子力発電から明らかにされたことにより、東海村はもちろん周辺自治体からも、その廃炉を求める声が高まってきた。
 そのことは、東海村の村上達也村長が、枝野経済産業相に同原発の永久停止と廃炉を求める意見書を四月に提出したことをはじめ、つくば市議会や築西市議会が同原発の廃炉を求める意見書を全会一致で可決していることに示されている。さらには、同原発の再稼動中止と廃炉を求める署名が展開され、五月には17万筆を超える分が茨城県に提出された。
 四月一日には、東海村の隣のひたちなか市において、県労働組合総連合などの呼びかける実行委員会の主催で「さよなら原発4・1大集会inいばらき」が開催され、三千人を越える結集を実現している。
 このような動きは、茨城県内ばかりではなく千葉県にも及んでいる。東海第二原発周辺自治体の議会の動きでは、議員提案で廃炉要求の意見書を可決しているが、千葉県松戸市においては市民の請願署名によって「東海第二原発の廃炉を求める陳情」が提出された。ところが六月二十二日、この松戸市民2700名を超える陳情を、保守系議員と公明党議員が委員会審議で否決するという暴挙が行なわれた。本会議では「原発の再稼動は慎重に」とする抽象的な意見書が可決されたが、これは廃炉要求をごまかすものである。このように原発問題にかぎらず、住民自治を理解しない輩が議員を務め、市民の直接民主主義に敵対している構造が温存されるかぎり、住民自治・地方自治の前進は図れないといえる。
 東海第二原発の30キロ県内には百万を超える住民が居り、東京までは福島第一原発の半分の距離、百キロほどであり、その過酷事故による被害は計り知れないものとなることが想定されている。
 このため七月三十一日、長らく東海第二原発の廃炉運動を行なってきた東海村村議の相沢一正さんをはじめとする茨木県・千葉県・東京都の住民266名が水戸地裁で、日本原子力発電と国に対して、同原発の運転差し止めと原子炉の設置許可を無効とすることを求めた提訴を行なった。この提訴は、相沢さんが語るように、「これまでの住民運動や議会を動かす政治的な働きかけだけでなく、司法の場でも解決を目指し、どのような方法によっても廃炉にしたい」との思いがこめられている。
 すべての原発の廃炉を求める運動の全国的な広がりの中、首都圏における東海第二原発の再稼動阻止と廃炉を求める運動は、首相官邸前・国会包囲の行動をいっそう持続的運動とし、より具体的な闘いとすることにつながるものでもある。
 また八月十日には、毎年行なわれているピースサイクルでの「六ヶ所村コース」の出発地として、東海村一日行動が行なわれる。このコースは八月十八日に青森県大間を合流地とし、大間原発建設阻止を訴える。
 全原発の廃炉実現のため、全民衆的な決起を全国各地で実現しよう。(千葉県A通信員)