6・30〜7・1大飯原発現地阻止行動
  再稼働に重大打撃

 七月一日の午後9時に予定されていた大飯原発3号機での再起動(制御棒の引き抜き開始)を阻止すべく、六月三十日〜七月一日に現地阻止行動が闘われた。
 六月三十日には、関西各地からの参加でおおい町内で約500人の再稼動反対集会が行なわれ、その後、大飯原発の入り口に通じる道に車列でバリケードが築かれた。その先のトンネルには、関西電力の警備員、警官隊が阻止線を張った。
 七月一日には、東京からのバスで「経産省テント」の人びと約50人なども合流し、バリケード前後に約300人が集まり、終日、座り込みなど抗議行動を行なった。午後5時頃から警官隊が退去通告を行ない、路上座り込みの仲間へのごぼう抜きが始まった。抗議の怒号のなか、非暴力抵抗闘争が貫徹された。その後、乱闘服を着た機動隊も出てきたが、車列バリケードと仲間たちを強制排除することまではできなかった。
再起動スイッチが押されてしまった後の深夜、警官隊も撤収、その後仲間たちによってバリケードは自主的に撤去された。再稼動反対の強い世論によって、警察も、ごぼう抜き以上の弾圧はできなかったようである。
この現地行動によって、再起動開始に立ち会うことになっていた関電・八木社長や経産省・牧野副大臣は、車道を避け、卑劣にも船で大飯原発内に逃げ込まざるをえなかった。再稼動は一か所で突破されたものの、この闘いによって、政府・電力会社は重大な打撃を受けたといえる。(A)


 今なぜ再稼働?福井でつながろ6・17緊急集会
 
 この日、早朝から大阪・釜ヶ崎のセンター一階は、熱気にあふれていた。3・11大震災・原発事故以来、もう何度目のバス『勝利号』での出撃になるのだろう。力強いアジテーションにしっかり聞き入る仲間たち、もう大半の労働者は闘争仲間だ。
 ベテラン組の顔も見えるが、このかん脱原発闘争を繰り広げる中で、少なからず若者(と言っても釜では四十歳代だが)の姿を見る機会も増えてきた。気合が入る。
 向かうは福井市。名神高速を安全運転で走行する『勝利号』を、大阪や京都の仲間を乗せたバスが次ぎつぎと追い越していく。窓越しに闘いのエールを交換しながら、大飯原発3・4号機の再稼動を阻止すべく、バスは福井へ福井へ。
 福井県庁そばの公園での集会は、約2200人が結集、やはり熱気と怒りにあふれていた。前日十六日に行なわれた野田政権4閣僚による再稼動決定の「最終判断」、これへの抑えることのできない怒りである。それを象徴するかのように東京からはバス6台で! 福島からもバスを仕立てての参加だ。広島から長崎から更に海外からも参加と、再稼動反対の声が全国・海外に拡大していることがよく分かる。もはや脱原発闘争は一大民衆闘争だ。

 集会の運営も実にすばらしかった。1分間スピーチは発言者八十名以上にのぼり、歌あり・絶叫あり・時に淡々と・時に怒りに震えたスピーチありで、一人ひとりの再稼動阻止の生の声が伝わってくる。
 その中でも、「福島の女たち」の発言はより心を打つものがあった。静かな語り口の中で、原発事故が地域の共同性を修復不可能なまでに破壊している現状が生々しく語られた。補償金や除染地域での政府・東電による住民無視の線引きが、家族・兄弟・親類・幼馴染の関係性までを破壊していること、さらに20ミリシーベルトの放射能汚染地域に多くの人々が残されており、「昨年十二月で事故収束」とは真っ赤なウソで事故は何ら終わっていない、そのような状況がありながら原発再稼動がどうして許されるのか! 心をゆさぶるアピールであった。
 続いて集会では、小林圭二さんによる今回の再稼動の危険性についての分かりやすい解説、地元福井の中島哲演さんのアピールなどがあり、最後に鎌田慧さんから7・16東京十万人集会を実現しようとの呼びかけがあった。
 参加した多くの仲間たちは、我々も含めて、この一年の闘争で多くのことを学んだ。
 今なぜ再稼動か? 我々はなぜ怒っているのか、こうしたことを縷々書く必要もないくらいに事態の本質を知ることができている。「原子力規制庁」の発足もないまま、事故調査委員会の最終報告もないまま、大飯原発にはベントも注水口もなく、免震棟もなく、地震震源の活断層だけが三つもあって、これでも「安全」とはもはや言葉を失ってしまう。
 それとも野田は、四月にわずか二日ででっち上げた「再稼動のための新たな安全基準」が本当に「基準」足り得ると信じているのだろうか。おそらく確信も自信もないだろう。それなのになぜ再稼動なのか。「原発はエネルギー安全保障上必要」、この野田発言こそ事の本質をバクロしている。1954年に日本の原子力事業が開始された時と、まったく同じではないか。エネルギー問題解決のための原子力事業とする裏で、密かに意図されていたのは「核開発」、潜在的核保有ではなかったか。
そぞろ本音が出てきた。原子力規制庁を作るための原子力規制委員会設置法が、六月二十日成立した。しかし、それに伴って原子力基本法が一部改定され、その第2条に「我が国の安全保障に資することを目的として」という重大文言が入れられた。「電力不足」「市民生活に大きな影響」「企業活動の停滞」など、うわべのたわ言だったのである。
闘いは、次の敵との衝突にむかっているようだ。それは巨大独占電力企業を頂点とした原子力ムラの守護神――日本という国家であろう。(関西M通信員)


再稼働反対!
 首相官邸前に空前の人波20万
  普通の人々が中枢占拠

 このかん原発再稼動に反対する首相官邸前行動に、空前の数の人々が結集し、脱原発の世論と運動の画期的な広がりを明らかにした。
この勢いは、大飯原発で再稼動が強行されたとは言え、沈静化するというものではなく、他の原発の再稼動を制約し続ける。そして、東京・代々木公園での来る7・16脱原発集会に十万人以上の参加を実現しつつ、政府と「原子力ムラ」に対峙した全国民的な運動につながっていくだろう。野田政権は、八月のエネルギー基本計画決定で原発・核燃を温存せんとしているが、それは政権打倒の合図となるだろう。
新旧の反原発市民団体によって構成する首都圏反原発連合は、このかん毎週金曜日の首相官邸前行動を呼びかけてきた。五月の毎金曜日までは、多くても一千人程度であった。野田首相が再稼動に踏み込んだ五月末以降、金曜日の様子が変わってきた。6月1日・2700人、6月8日・4000人、政府による翌日の再稼動決定を阻止しようと6月15日・1万2000人、決定強行に抗議して6月22日・4万5000人、ついに6月29日・20万人という空前の数にふくれあがった(いずれも主催者発表数)。
この6・29では、国会の南側半分から首相官邸および経済産業省に到る道路と空間が、抗議の人波で埋めつくされた。政府・国会という日本の中枢の広範なエリアが、一時的にせよ民衆運動によってオキュパイ(占拠)されたのは前代未聞の快挙であり、60年安保闘争時を上回る事態であった。
マスコミがこの毎金曜日をあまり報道しない中、普通の人々がインターネットや携帯で情報を得、首都圏・関東各地から週を追うごとに集まってきた。そして若い人々が多い。
関西・西日本では、民衆の動きに、こうした劇的な新展開は見られていない。首都圏・東日本では、あの日、電車が全停止し必死で歩いて帰った、そして放射性物質が飛んできた、低線量でも被曝させられたという共通体験がある。原発が他人事でなくなったのである。この被災体験が、何かの時に、人びとを覚醒し続けるのかもしれない。(W)


東京都「原発住民投票条例案」、6・20否決の暴挙
  問われる反動都政の転換

 東京電力管内の原子力発電所の稼動の是非を問う「東京都民投票条例案」(有効署名32万名の直接請求)が、去る六月十八日の都議会総務委員会と、二十日の都議会本会議において、自民、公明、民主一部の反対多数で否決された。
 六月二十日には、みんなで決めよう「原発」国民投票の事務局今井一さんをはじめ、約百名が傍聴する中で、この暴挙が強行された。あまりの都民無視、人民不在の「議会」の有り様に怒りを隠せなかった。
 前段の十八日の都議会総務委員会の審議では、「原案」と、民主党有志と生活者ネット(生活者クラブ生協が支持母体)による共同「修正案」、日本共産党の単独「修正案」、この三つが提起された。民主有志と生活者ネットの「修正案」は、「原案」が投票資格を十六歳以上・永住外国人参加とする部分を修正したものであった。
 この共同修正案の採決では、自民、公明の7名が反対、民主、生活者ネット、共産の7名が賛成し、もしここで議長(民主)が賛成すれば可決されるところであったが、議長が反対し、賛成7・反対8で否決された。なお共産の修正案は、賛成2・反対12で否決された。
 この結果、二十日の本会議には、原案のみが提起されたが、賛成41(民主一部、生活者ネット、共産、無所属の福士敬子)・反対82(自民、公明、無所属)で否決された。
 石原都知事は、この否決に満面の笑顔を浮かべ、「心情は分かるが、原発問題は国政の問題で有り、重層的な判断が必要」云々と、日頃の突出した反中国・反朝鮮の発言とは打って変わったソフトな顔色でうそぶいた。(他方では、「尖閣」の都購入策動では、「都が国政の先頭に立つ」云々としており、まったくの二重基準である)。
 今日、首都の首相官邸・国会周辺では、原発再稼動に反対する六月二二日の四万人、二九日のそれ以上の大結集と、連日の集会・デモが続き、福井県をはじめ全国での反原発の国民運動が形成されつつある。とくに首都圏では、野田政権が大飯原発の再稼動決定を強行して以降、加速度的に人びとの抗議が広がっている。国会・地方議会における利権と権勢の政治家たちの腐敗と政争をのり越えて、今や、歴史的な人民の闘いが開始されているのである。
 この東京都議会の、民衆の意思にまったく逆行した「否決」という暴挙に負けることなく、脱原発を含む都政・国政の全面的転換に向けて、ねばり強く闘い抜いていこう。とくに、何がなんでも日本の超反動首府・東京を変えるために、都政の革新的大転換をめざして、工夫をこらした闘いを現在から進めていく必要がある。
 石原都政、自・公・民主一部を与党とする、この反動都政と全面的に対決し、首都圏から都政・国政転換を実現していこう!(東京Y通信員)