釜ヶ崎メーデー・中之島メーデー
  橋下との闘いはこれから本番

 五月一日、「第43回釜ヶ崎メーデー」が闘いとられた。
 早朝5時、西成労働総合センターのシャッターが上がると同時に、釜ヶ崎メーデーへの参加を呼びかける情宣が開始される。
 センター中央で呼びかける釜ヶ崎日雇労組・反失業連絡会、センター北入口で机を出す全港湾西成分会、そしていくつかのグループ。まさに、この日の朝のセンターは、メーデー一色であった。
 7時からは、センター中央で、多くの仲間たちによって集会が開始される。
 特別清掃事業の指導員の仲間によるギター伴奏で、労働歌が唄われ、大きく盛り上がる中、反失連、医療連、キリスト教協友会、そして釜日労、野宿者ネットワークの仲間たちが次々に闘いの決意を語る。いずれも、日常的に責任をもって、釜ヶ崎で協力・連係しながら闘う仲間たちだ。また、支援の仲間たち(連帯委員会、釜ヶ崎講座、学生企画ネット)の連帯アピールも行なわれた。
 なお集会の横では、最近、釜日労をなんと名誉毀損で裁判に訴えた釜合労の稲垣委員長も、情宣を行なっていた。その暴挙を弁明する内容であるが、誰も耳を傾けはしない。論争を労働者の判断ではなく、国家権力の判断に委ねるというのは、一線を超える行為であり許されない。
 さて7時25分、いよいよデモ出発だ。
 140名にふくれあがったデモ隊列は、赤旗をひるがえし、「仕事をよこせ!」「野宿をさせるな!」「医療センターの機能縮小を許さない!」「特掃をふやせ!」「若い仲間の仕事の仕組みをつくれ!」「ホームレス自立支援法を延長しろ!」「原発はいらない!」「大飯原発の再稼動阻止!」「下層の仲間に被曝労働を押しつけるな!」「全国−全世界の労働者と団結しよう!」の声も高々に、多くの労働者の支持と注目の下、地域内のデモを最後まで貫徹した。
 デモ終了後は、連合メーデーの清掃に行く仲間と分かれ、「中之島メーデー」に向った。
「第83回中之島メーデー」は、全港湾、全日建連帯などによる実行委員会主催で、午前十時から中之島剣先公園にて、約―――名で開催された。今年の中之島メーデーは、「原発NO!」「橋下NO!」が強く打ち出されていた。
釜ヶ崎からの参加は、釜メーデーから直行の者、西成分会のメーデーから駆けつけた者、支援者などが合流し、80名の部隊で(第三梯団を受けもって)デモを闘った。そして、関西電力本社前では、警察の妨害をはねのけ、反原発の怒りの声をたたきつけた。
釜ヶ崎メーデーの成功を受け、釜ヶ崎の闘いは、いよいよ正念場を迎える。
第一には、大阪都構想・西成特区を掲げる橋下大阪市長との闘いは、これからが本番だ。「教育・職員基本条例」も許せないが、特掃・シェルターの予算切り捨て策などは絶対に許さない(今は七月までの暫定予算)。
第二は、釜ヶ崎の失業問題の解決は、社会的・公的就労の拡大を闘いとる以外にはない。この闘いは、全国の反失業闘争の先頭に立って、社会の仕組みを変えていく闘いだ。
第三は、さらなる反原発闘争の前進だ。大飯原発を突破口とした再稼動を許さない。
最後に第四は、野宿者自立支援法の延長をかちとり、就労自立が可能な仕組みを闘い取っていく。
釜ヶ崎労働者は、現実の闘いをつうじて、こうした課題に回答を出していくであろう。(釜ヶ崎S)


新宿メーデー
  自立支援法の延長を

 五月一日、東京・新宿の柏木公園で、第18回新宿メーデーが開催された。主催は、九〇年代半ばに野宿労働者の強制排除反対運動の中から生まれた新宿連絡会(新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)。集会には、野宿労働者二〇〇名が参加した。今年のメインスローガンは、「ホームレス自立支援法の延長を!」である。
 主催団体の笠井和明さんは次のように訴えた。
 「ホームレス問題は国の責任と規定した『ホームレス自立支援法』がなくなれば、野宿を余儀なくされる仲間が路上にあふれてくるだろう。リーマンショックや東日本大震災に見舞われても、路上生活の仲間の数が極端に増えなかったのは、『自立支援法』があったからだ」
「今日の都庁交渉でも、国に対して東京都の責任において支援法の延長を求めるよう、要求していく。五年の延長期間をだらだらとするのではなく、誰もが路上生活を余儀なくされることのない都市に東京をどう変えていくか、そういう視点に立った東京都路上生活者対策の総仕上げをもとめていく」
「いま上からの救いの目で俺らを見たり、下からの差別の目で俺らを見たりする風潮が強まっている。そうした風潮に対しては、俺らは底辺の労働者らしく、俺らのやり方で生き抜き、助け合い、俺らの力で突破していく。それには今日のようにおおぜいの仲間が集まり、俺ら自身の意志を世の中に示していくことがとても重要だ」と。
 池袋野宿者連絡会や山谷からの発言があった後、集会参加者は新宿の街の中へとくりだした。途中、交渉団を都庁に送り出し、新宿中央公園までデモを貫徹した。(東京M通信員)
 

日比谷メーデー
  JAL不当判決許さず

 連合の中央メーデーは今年も連休を避けて四月二八日に行なわれたが(3万5千人)、全労協などによる「日比谷メーデー」は今年も全世界労働者の団結した闘いの日、五月一日に東京・日比谷野外音楽堂の内外にて行なわれ、都労連の各労組、国労、中小民間労組、地域ユニオンなどの労働組合員、約8千名が参加した。
 この第83回目の日比谷メーデーでは、二大スローガンとして、「東日本大震災の被災者の救援・復興にともに連帯し全力をあげよう!」「すべての原発を即時停止し廃炉へ、原発依存のエネルギー政策の転換を!」が掲げられている。これは昨年のスローガンとまったく同一で、すこし工夫が足らないと思えた。原発再稼動阻止などの文言を入れるべきであった。
メーデー集会は、田宮高紀さん(中小民間労組懇談会)の開会宣言で始まり、震災犠牲者への黙祷の後、鎌田博一さん(国労東京)の主催者挨拶、武藤弘道さん(都労連)の連帯挨拶、福島みずほさん(社民党)などの来賓挨拶とつづき、韓国民主労総などからの連帯メッセージも紹介された。
多民族・多文化メーデー合唱団の演奏の後、各闘争から決意表明が行なわれた。郵政労働者ユニオンの大倉ひろさんは、JPによる65歳での非正規大量首切りの強行を糾弾した。福島県平和フォーラムの永山信義さんは、東電・国が福島第一原発事故の責任をまったく取らないなか、福島商工会議所などによる福島第二原発の再稼動へ向けた動きなど、逆流も出てきており、さらに全国で闘いを強めようと訴えた。
第二の国鉄闘争とも言われるJAL闘争では、JAL原告団が登壇した。乗務員原告団長の山口宏弥さんは、このかんの地位確認訴訟で東京地裁が不当判決を下したこと(パイロットなど乗務員原告団には三月二九日、客室乗務員原告団には同三十日)を徹底糾弾し、全労働者の権利が掛かった闘いとして、JAL不当解雇撤回闘争をさらに拡大していこうと訴えた。
最後に、日比谷メーデーアピールを採択し、団結ガンパローの後、二手に分かれてメーデー行進を貫徹した。
なお、この日、全労連は代々木公園にてメーデー集会を行ない、2万1千名であった。(東京W通信員)


どう取り組むか、被ばく労働問題4・22集会
  「被ばく手帳」制度の確立を

4月22日、東京代々木八幡区民会館において、被ばく労働を考えるネットワーク準備会主催による、「どう取り組むか、被ばく労働問題、交流討論集会」が開かれ、160名が参加した。
昨年の東京電力福島第一原発事故以来、被ばく労働問題が大きくクローズアップされてきた。過去、全国の原発とその関連産業に数多くの労働者が投入され、放射線被ばくによる事故や疾病が相当程度発生したことは疑いない。しかし、その多くは、電力会社の強力な圧力によって隠蔽・弾圧され、被災者と支援団体の奮闘により労災認定となったケースは、十数例を数えるのみである。
しかし、原発事故以降、東京電力の公表資料によっても3月30日現在で2万人を超える労働者が福島第一原発で被爆し、総被ばく線量(平均被ばく線量×人数)は247人・SVで、2009年度の日本の通常の原子力施設における放射線業務従事者の約3倍となり、電離放射線障害防止規則の基準である、年間100m/svを超えた被爆者は167名にも及んでいる。また除染作業に従事する労働者の被ばくが問題となり、除染電離則が発効したが、実際の除染現場では、適切な放射能防護がなされていない場合も多い。
福島第一原発の廃炉に向けた長期的な作業、除染労働、また福島県に在住する人々の中で、今後放射能によるがんなどの疾病が多発するリスクが大変高まった。しかし、東京電力は、収束作業に従事する企業と膨大な労働者を囲い込み、また国も除染労働や福島県民に対する対策が不十分である。被ばく労働の危機感と、安全・健康・権利・生活を守る、総合的なネットワーク構築の必要性が、この集会につながった。
集会は、山谷労働者福祉会館なすびさんの司会で行われ、全国労働安全衛生センター連絡会議の西野方庸さん、全港湾書記長の松本耕三さん、東京清掃労働組合の岸野静男さん、全国日雇労働組合協議会の中村光男さんらからの報告を受けた後、福島現地の人々からの発言が行われた。またその後作家の鎌田慧さんが問題提起を行った。
「原発産業は国策として行われたので、国、企業、裁判所が動員されて被爆者を切り捨てて繁栄を築いた。被ばく労働日本の労働構造の問題である。人夫出しには暴力団が関係しそれは収束と除染でも同様だ。政府の責任は大変大きい。」と発言した。また会場からは、白血病労災認定を勝ち取った、故嶋橋伸之さんのお母様が発言され、「「被ばく手帳」制度を確立して、すべての被災者を救おう」と提案された。
被ばく労働を支援する運動の枠組みを作ること、早い時間で出来ることは出来るだけやる、ことを確認して集会を終えた。(東京H通信員)