問い、かつ学ぶ営為を否定
      古色蒼然の新自由主義教育
                   

 橋下大阪市長と評論家・尾木氏の留年バトル

 テレビカメラを引き付けるために、“自転車操業”のように忙しい橋下市長は、今度は「尾木ママ」こと評論家・尾木直樹氏の「留年学習」を真似て、義務教育での「留年制度」を唱えた。
しかし、思想の根幹が違うために、両者の主張は、大きくズレている。すなわち、尾木氏の主張は、「ひとり一人の子どもの個性に見合った教育を重視する観点から、本人や保護者が希望した場合には柔軟に留年をも認めてよいという主旨」(『朝日新聞』二月二十三日付け)である。ところが、橋下氏の場合は、あくまでも大阪市の生徒の「学力」を上げ、全国的な位置として下位レベルにある大阪の現状を引上げるのが目標である。
このため、尾木氏は、「一定の学力に達しない子どもを機械的に留年させる考えなら私とは真逆。安易な運用は競争主義を生むし、子どもの学習意欲をそぐ」(同前)と、手厳しく批判している。橋下市長の教育観はイギリスのサッチャーやアメリカのブッシュのそれと極めて類似したものであり、新自由主義思想に基づくものである点からすれば、尾木氏の批判はうなづけることである。(ちなみに、サッチャーやブッシュの教育政策はともに強い批判を受け、失敗した代物とみなすことができる)
尾木氏があくまでも、子どもの視点にあるならば、橋下市長はあくまでも行政トップの視点からの問題提起である。
この義務教育での「留年制度」の可否を求めるならば、あくまでも真の当事者である生徒たちの意見に耳を傾けるのがもっとも重要なことであろう。これについての全国的なアンケート調査は多分ない、と思われる。ただ、現在的には、東京の杉並区和田中学校の一〜二年生たちの討論結果が、一つの参考意見として見る事ができるであろう。これは、『朝日新聞』の三月三日付け夕刊に掲載されている。
これによると、75・9%の子どもたちが、留年制度に反対している。反対理由は、「子どもの目線で見たら、下の学年に行くのは絶対嫌。橋下市長は子どものためと言っているが、そうは思いません」、「意欲を低下させて勉強が苦痛になり、負の連鎖につながってしまう」などである。諸外国以上に「イジメ」の強い日本社会で、いくら大人たちが“本人のため”といっても、逆効果でしかないであろう。「留年制度」などと、大上段にかまえなくとも、特別補習とか、個別学習とかで、用は足せるのであり、これまでも行なわれている。

〈教育〉は〈EDUCATION〉の訳語にふさわしいか

この議論を見ていて、日頃の疑問がふたたび、頭をもたげてきた。
日本近代初期の先人たちは、何故に、EDUCATIONという英語に、〈教育〉という語をあてたのであろうか。
たしかに、当時の翻訳者たちは素晴らしい仕事を行なった。たとえば、西洋が歴史的に生み出した「社会」は、厳密に言えばそれに相当する実態が日本や中国にはなかった。しかし、先人たちは歴史経過の異なる中で、培われた社会実態であったにもかかわらず、否それだからこそ、今までに日本や中国になかった「社会」という訳語を創り上げた。近代初期の先人たちが翻訳した新たな言葉(漢字用語)は、古代世界とは異なり、今度は逆に中国などに「輸出」された。近代社会や資本主義にかかわるさまざまな用語は、その多くが中国でも採用されているといわれる。
しかし、そのような功績をもつ先人たちではあるが、何故にEDUCATION(エズゥケイション)に〈教育〉をあてたのであろうか。
英和辞書によると、EDUCATIONの元となったラテン語の?duc?tusの意味は、「(能力などを)外に引き出す」といわれる。ところが、この点では、〈教育〉〈教〉は、百八十度異なり、「外から教え込む」というものである。
〈教育〉というのは、『新修漢和大字典』によると、「をしえそだてる、しつける、教えて立派なひとにする。又、其のをしえ。」としている。そして、例文として、『孟子』の尽心章句上の「天下の英才を得て、而(しこう)して之を教育するは、三の楽なり」という一節を引いている。これは、君子(王者)には三つの楽(たのしみ)があるといって、第一に、父母が揃って健在で、兄弟姉妹が達者なこと、第二に、天を仰いで恥ずかしいことがなく、俯(ふ)しては何人に対しても後ろめたさがないこと、第三に、英才を教育することと、三つを挙げて、その第三から例文が引かれている。
ちなみに、同字典で、〈教〉を調べてみると、「イ)ヲシフ、ヲシヘ。ロ)オホセ。天子の命令を詔といひ、太子及び王侯のを教といふ。ハ)宗教の略語。ニ)シム、セシム。又令と連用してシムと訓ず。……」となっている。〈教〉は、天子の詔に準ずるもので、太子(世継ぎ)などの命令なのである。
念のため、『角川漢和中辞典』を引いて見ると、〈教育〉は、「@おしえそだてる。教えて、おこないの正しい人にし、知識を授け、感情を豊にし、からだを健康にする。〔例文として先述の『孟子』の章句が引用されている。〕A未成熟者の心身の諸性能を発達させる目的で、成熟者が計画的な方法で、一定の期間継続して与える課業」となっている。同辞典で、〈教令〉を見ると、「天子のおしえ」になっている。ちなみに、〈教〉を見ると、《字義》としては、「@おしえる。おしえられる。いましめ・さとし。A学。学問。B信仰に関するおしえ。C助辞として、〈○○をして○○せしむ〉という場合の、〈せしむ〉〈しむ〉」となっている。《解字》では、「鞭(むち)で打って習わせる意」となっている。〈教〉は、もともとは強制的に習わせるという意味だったのだ。《参考》には、「上から下におしえること」というものがあった。
以上から考察すると、〈教育〉とは、一般的には「上から下に教え、育てる」という意味合いを持っていることが解かる。その場合の「上から下へ」というのは、広い意味では、「目上の者から目下の者へ」とか、「成熟者から未成熟者へ」とか、「父から子へ」なども含まれるが、中国古代の支配思想という観点から見ると、やはり「天子(皇帝)から民へ」が基本である。当時の皇帝は同時に国家でもあるので、別の角度から言うと、「国家から人民へ」となる。
このことは、後漢の第三代目の皇帝・章帝が開催した白虎観会議での儒学者の討議を、章帝自らが裁定し、『漢書』の著者・班固が文章化した『白虎通』誅伐篇で、「王者は養長を以て之に教うる。故に父専らにすることを得ざるなり」と、述べていることでも明らかである。つまり、人民全てに対する教育に関して、王者(皇帝)の絶対性が、父の子に対する教育の絶対性に優越することを表現したものである。ここでもやはり、〈教〉は上から下に向かって、既存のある内容を授けるものである。そして、皇帝すなわち国家の教育が至高のものであることを示している。
儒家思想が唱える王権イデオロギーでは、天命思想が核心点である。その天命思想は、『春秋左氏伝』の襄公14年(前五五九年)の条で、「天、民を生じて之が君を立て、之を司牧せしめ、之が性を失わしむること勿(な)し[*民の天性の正しい性情を失わせないようにする]」と、簡潔にまとめて述べられている。この天命思想から必然的に導き出されるイデオロギーこそが、徳化主義であり、教化主義である。すなわち、徳化とは、天子の完備された徳により、民や異民族(「蛮夷」と言って差別した)を導くのであり、教化とは、民を教え育て、導いて善に進ませることである。ここでは、天子=皇帝は上帝(天)に選ばれた特別な者として、絶対的な専制的な権力を掌握するだけでなく、徳や教育などイデオロギーの世界においても、最もすぐれた者であることが、アプリオリに前提となっているのである。
儒家思想を国教とした前漢で、イデオロギー装置(教育もその一つ)が重視されたのは、秦帝国が短命に終ったことに対する教訓である。すなわち、暴力的支配だけでは、支配秩序は継続せず、皇帝支配を人民が内面化する(国家・社会を維持するのには皇帝支配が必要と承認する)ことが不可欠とされたのである。

 国家の為か、それとも子どもたちの為か

周知のように、日本は、古代から中華文明の影響を強く受けてきた。このことは、近代初期においても、EDUCATIONの訳語に〈教育〉をあてたことにも現れている。それだけでなく、今日まで多くの人々が、疑問も持つことなく、これを受け入れてきた。
だが、今や、このような状況を根本から変える必要があるのではないだろうか。〈教育〉とは、本来的に、天子とか、国家とか、大人とかが、既存の知識やイデオロギーなどを教え込むものである。そこでは、生徒が疑問を持って、主体的に問い学ぶものではなく、子どもの視点に徹頭徹尾、立脚したものではない。「先生」なるものは、あくまでも子どもの〈修学〉や〈学問〉の補助者に徹するべきである。
橋下市長と尾木教授の考え方の違いは、子ども達が学校などで、問いかつ学ぶ一連の営為を、一体誰の視点から規定するかで、ただちに理解しうる。国家や大人の為か、それとも子どもたちの為か。