貿易収支の赤字定着化の原因とその影響
 更に深まる日本資本主義の留滞
                          安田 兼定


 はじめに

 財務相が一月二十五日に発表した2011年の貿易統計(速報)によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は、2兆4927億円の赤字となった。通年での貿易赤字は、1980年いらい31年ぶりのことであった。同じく財務相が二月八日に発表した国際収支状況(速報)によると、2011年の経常収支は、10兆円を割り込んだ。経常黒字が10兆円を割り込むのは、1996年いらい15年ぶりのことである。
日本の貿易収支が赤字へ転落したのは、果たして一時的な要因によるものであるか、それとも、今後、構造的なものになっていくのであろうか。
貿易収支のみならず、経常収支の赤字が構造化した場合、日本経済への影響は計り知れないものがあり、とりわけ財政への影響は破滅的なものになろう。その場合、現在の支配階級であろうとも、日本経済の構造変革を抜本的に行なわざるを得ず、同時に日本の政治の質的転換自身が問われざるを得ないであろう。

〈31年ぶり貿易赤字の原因〉

2011年の輸出は、前年比2・7%減の65兆5547億円で、二年ぶりに減少した。輸出は、2008年の世界恐慌時から徐々に回復しつつあったが、今回の減少で、2005年水準にまで低下した。主な商品では、自動車が10・6%減、半導体など電子部品が14・2%減であった。
輸入は、前年比12・0%増の68兆0474億円で、二年連続で増加した。火力発電に使う液化天然ガス(LNG)の輸入額が37・5%も増加したのが特徴的であった。その他にも、原油など資源価格の高止まりの影響もある。
たしかに2011年の貿易赤字は、東日本大震災やタイの洪水による部品不足などでの輸出減退、また原発事故にともなう火力発電のための燃料の輸入額の増大などの一時的要因が大きい。
2011年の貿易赤字は、31年振りといわれるが、最大の原因はくしくも31年前と同じエネルギー問題だといわれる。1980年の場合は、第二次石油ショックによって、原油の輸入単価が八割も上昇した。昨年は、福島第一の原発事故の教訓から定期検査で止まった各原発の再稼働が不可能となり、火力発電所の燃料代がかさばり、LNGの輸入が過去最高に達したといわれる。原発を廃止し、発電のための燃料を大幅に輸入に依存する状態をできうるかぎり早期に克服するためにも、再生可能なエネルギーへの転換が求められている。いくつかの困難があるだろうが、農業同様に自前のエネルギー生産の確立と、ムダの多い「成長経済」への信仰から脱却する必要があろう。
だが、2011年の貿易赤字の原因については、他方で、円高の長期化(今回の円高は、四年半)やヨーロッパの債務危機にともなう世界的な景気後退に伴う輸出減退という世界経済全体の影響もある。このため世界の成長の推進翼と評価され、日本の最大の貿易相手国である中国に向けた2011年の輸出額ですら、対前年比1・4%のマイナスとなっている。
しかし、世界経済による輸出後退は、これまでも何回もあった。図表1(『朝日新聞』一月二十五日付け夕刊)に示されるように、日本の貿易収支の黒字は1980年代からたしかに定着している。しかし、それでも為替の変動相場制への移行や新自由主義のグローバル化などによって、世界資本主義経済の不安定性が恒常化し、これまでもしばしば貿易収支の変動が繰り返されている。したがって、一時的要因もふくめ、以上の諸条件は、日本経済の貿易赤字での恒常化の真の理由とはならない(これについては後述)。
経常収支が10兆円規模を15年ぶりに割り込む主要な原因もまた、貿易収支の赤字が大きかったためである。

〈多国籍業の発展と投資収益の拡大〉

ところで経常収支とは、外国との関係でモノやサービスのやりとりを示すもので、モノやサービスに対する支払額と受取額の差額において、前者が上回れば赤字、後者が上まわれば黒字となる。この経常収支は、貿易収支(モノの輸出額と輸入額の差額を示す)、サービス収支(輸送費、旅行代、特許使用料などサービスの輸出入の差額)、所得収支(海外からの利子・配当や賃金送金などと海外に支払ったそれらとの差額)、経常移転収支(資金援助や資金協力での収支)の4つの項目から成る。
この間、日本の経常収支の構造は、図表2(『日経新聞』一月三十一日付け)にみられるように、基本的に、サービス収支と経常移転収支が赤字基調で、貿易収支と所得収支が黒字基調で推移し、後者の額の方が多かったため、経常収支全体で黒字の基調となっていた。しかし、2008〜09年の世界恐慌時、そして、今回の2011年では、四半期ごとに見ると、サービス収支や経常移転収支にとどまらず、貿易収支までもが赤字に転落したので、経常収支も例年になく大きく落ち込んでいる。
だが、1980年代半ばからの経常収支の構造変化を図表化すると、図表3(『日経新聞』昨年十一月二十九日付け)となる。これによると、貿易・サービス収支は、周期的とは言えないまでも、1990年、1996年、2001年、208〜09年と、繰り返し2〜4兆円前後のレベルにまで落ち込んでいる。この間、貿易収支は黒字基調を続け、1998年には15・7兆円に達し、この年がピークとなった。その後は減少傾向をたどり、リーマン・ショックの2008年には、約4兆円にまで急減し、ついに昨年約2・5兆円の赤字となる。
これに対して、図表3で見るかぎり、所得収支の方は、着実に黒字を伸ばし、1995年に4兆円前後となり、世界恐慌前の2007年には16兆円前後にまで黒字を積み重ねている。貿易黒字が減少するのとは対照的に、所得収支は貿易黒字を利用して、「先進国の債権」などへの間接投資や、海外への工場建設・M&A(併合・買収)などの直接投資によって利益をあげ、ついに2005年には所得収支が貿易収支を上まわるという逆転を果たし、その後も年々、その格差を拡大してきている。(日本の対外直接投資残高は、2009年現在で7409億ドル〔約57兆円〕である)
30年以上にわたる貿易黒字の累積や海外投資の結果、日本は現在250兆円もの対外純資産を持つにいたっている(第二位の中国は150兆円弱)。
この姿は、まさに他国から収奪・搾取する帝国主義の典型的な形を示すものである。しかし、現実には、日本では日系多国籍企業の発展とは裏腹に、貿易赤字の定着とともにますます超高齢社会の諸矛盾や財政危機の深化が露呈されざるを得なくなっている。

〈交易条件の悪化が貿易赤字を構造化〉

では、日本の貿易収支の赤字が構造化し恒常化するする真の原因は、一体どこにあるのだろうか。
それは、結論的に言って、交易条件の悪化にこそある。
日本経済の貿易黒字が定着するのは、先述したように1981年からである。だが、図表4(週刊『エコノミスト』二月二十一日号)にみられるように、日本経済の交易条件は、1986、87年頃をピークとして、その後下がり続け、2000年代前半からは目に見えて急速に悪化してきている。
交易条件の悪化とは、高い輸入品を買いながら、販売面では低価格競争を強いられ、輸出品価格が低下して、利幅が薄くなることである。一般的には、交易条件は輸出物価を輸入物価で割って算出されている。図表4が示すように、1980年代以降、日本の交易条件が改善されてピークに達した頃には、120(2000年を100とした場合)を超えていたが、2000年頃から急速に悪化し、今や70をも割り込んだ状態である。
日本の交易条件悪化の原因は、グローバル資本主義のもとでの資本間競争の激化にある。このことは、象徴的には「第三世界」諸国のうちの一部の国々が、新興国として世界市場に台頭し(帝国主義諸国の大資本に賃金の安い自国市場を開放しつつ、その見返りに生産活動のノウハウと資金を獲得)、旧来の帝国主義諸国の多国籍企業などとの激烈な競争戦に入ったことに見て取れる。この結果、資源獲得競争が激化したため資源価格が高騰し、日本をふくめた「先進国」の交易条件を悪化させた。日本はとくに各種資源のとぼしさから、技術革新よる新製品で劣化した競争力をカバーしようとしたが、それも限界があった。しかも、日本の多国籍企業は競争相手を主に欧米としたため、中・低所得者を対象とした製品開発と販売強化に立ち遅れ、輸出の主力である家電や自動車、とくに家電分野で、韓国、台湾、中国などに追いまくられている。
さらにもう一つ交易条件が悪化した理由に、日系多国籍業の行動がある。
ここで注意しなければならないことは、「交易条件」にしろ、「貿易収支」にしろ、「経常収支」にしろ、それらの統計は国単位で行なわれていることである。したがって、「先進国」をはじめとする各国の多国籍企業のパフォーマンスのすべてが統計的に明らかにされてはいないのである。
だが、たとえば中国の輸出の半分ぐらいは、多国籍企業や、外国企業と合弁した中国企業が占めているといわれる。こうした状況からすると、日本の交易条件を悪化させている激しい資本間競争は、新興国資本の激しい挑戦だけでなく、日系多国籍企業の逆輸入もまた大きな比重を占めているのである。
ソ連圏の崩壊と、その構成国ならびに中国やベトナムなどの市場経済への転換も含め、グローバル資本主義の下での資本間競争は、一層激烈となった。日本の独占資本も、「発展途上国」の安い賃金を使って、この競争戦に勝ち抜こうと、多国籍企業としての活動展開を強める。だが、それは日本国内の産業とくに製造業の空洞化を進展させるだけでなく、(新興国だけでなく、日系多国籍企業の逆輸入の増大という圧力もあって)国内残存企業は競走力を向上させようと、正規労働者とは比較もできない程安い賃金の非正規労働者を増大させている。これでは国内市場は、ますます狭まらざるをえない。内需の縮小である。日本経済の長期化するデフレの原因は、超高齢社会の進展による内需縮小だけでなく、非正規労働者の増大に伴う賃金水準の低下による内需縮小もまた大きな要因を成しているのである。独占資本の手前勝手な行動により、交易条件の悪化だけでなく、内需の縮小も進展しているのである。

〈経常収支の黒字維持は不確か〉

貿易収支の赤字が構造化する点については、多くのエコノミストが肯定的に見るのに対して、経常収支の将来については、さまざまな意見が提起されている。経常収支の黒字が長期的に継続するというエコノミストもいれば、早晩、経常収支も赤字化するというエコノミストもいる。
さらに、後者においては、その赤字化の時期を2014、15年頃と見るエコノミストもいれば、20年先あるいは30年先とみるエコノミストもいる。ちなみに、「経済産業省の試算では、貿易赤字の定着と家計の貯蓄取り崩しで、日本の経常収支は10年代後半にも赤字に転落するおそれがある。」(『日経新聞』一月二十七日付)といわれている。
いつごろから赤字基調となるかは、予想はむずかしいとしても、いずれかの時期に赤字基調となること事態は、きわめて有り得ることである。
その理由の第一は、先述した貿易収支赤字の構造化である。この貿易収支の赤字定着の時期と規模によっては、経常収支も早期に赤字基調になる可能性はある。
第二の理由は、海外投資の不安定性である。
主に海外投資の収益(利子や配当など)を示す所得収支の内実は、2011年で見ると、総額約14兆円の黒字のうち、その67%である9・5兆円が証券投資によるものである。さらにこの9・5兆円の73%(6・9兆円)は債券利子である。しかし、この債券利子による収益は、今後、減少する可能性がきわめて高いのである。
2011年の所得収支収益全体に占める中長期債権投資の割合は、51%であるが、最近一年間(2010年10月〜2011年9月)で見ると、地域別証券投資収益では欧米が67%を占めている。すなわち、この状況に大きな変化がないとすると、比較的安定的な収益を可能とする中長期債の運用は、欧米でのことと推定しうる。
だが、ヨーロッパの場合は、南欧諸国などでの債務危機により、世界金融恐慌に発展するかもしれない。仮に恐慌にまでならないとしても、継続する債務危機で日本の金融諸機関も警戒し、ヨーロッパ投資を積極的に行なうこととはならない。
アメリカの場合は、10年もの国債は2%を割り込む水準にまで低下している。FRB(米連邦準備制度理事会)が、 実質的なゼロ金利政策を2014年まで延期し、量的緩和政策も継続しているため、従来よりは金利低下の傾向にある。かつてのように米国債に投資すれば、安全で確実にもうかるという状況ではないのである。
直接投資は、たしかに近年増大し、2011年の直接投資収益は、前年比34%増の3兆8136億円で、過去最高を更新した。
だが、日本の名目国内総生産(名目GDP)に対する直接投資残高の比率は、15%で、英国(75%)や米国(31%)に比較すれば、まだまた未成熟である。したがって、収益率も2010年段階で、日本4・6%に対し、米国が8・9%、英国が7・5%であるように、大きな差があり、まだまだ直接投資収益が投資立国のカナメに成るという状況ではない。
そして、何よりも、日本の指導層には、第二次世界大戦を反省しない人物が少なからず存在し、アジア現地での企業活動が必ずしもスムーズにいくとは限らないのである。タイやインドネシアなど一部の国々を除き、アジア諸国との友好関係は極めて脆弱である。(つづく)