国家の機能不全(上)
                              深山 和彦


 国家は、階級対立の非和解性の産物である。それは、支配する階級と支配される階級に引き裂かれた社会が、自己を維持するために、自己の外部につくり出したシステムである。それは、機構的には軍隊と官僚機構から成り、機能的には上層階級による支配の機能と社会の共同的機能の二つの側面を有する。
 この国家が、今日、機能不全の淵に沈みだしている。この機能不全の主要な原因は、次の六点である。第一は、国家が人類史的な死滅・廃絶過程に入ったこと。第二は、国家が構造的な財政破綻に転落したこと。第三は、国家による統治を不能にする社会の崩壊が始まったこと。第四は、ブルジョア階級が、末期的内部抗争に陥ったこと。第五は、代議制民主主義が機能しなくなり始めたこと。第六は、国家への信仰が揺ぎだしたこと、である。
 今号は、「第一」および「第二」を論ずる。
 
 国家が人類史的な死滅・廃絶過程に入ったこと

 国家は、死滅・廃絶過程に入った。それは、産業の成熟・地球環境限界への逢着・人間(関係性)の自由で豊かな発展への欲求の高まりによって、社会を対立する階級に引き裂いてきた根拠が消滅してゆく時代に入ったからに他ならない。
 まず人類が、精神労働と筋肉労働への労働の分割を基幹とする分業への隷属構造を打破してゆくことのできる技術的条件を手にしたことである。次いで、物質的豊かさへの更なる突進が、人類社会の存立基盤である地球環境(=人間的自然)を台無しにする段階に入ったことである。そして人々が、人間(人と人、人と自然の関係)を犠牲にして物的豊かさを追い求めることを肯定した時代から、人間(関係性)の自由で豊かな発展を中心的価値として欲求する時代に入ったことである。
 もちろんこの変化は、階級システムの消滅への土台であり、出発点に過ぎない。新しい社会の在り方への欲求が高まり、地球環境限界への逢着に促迫され、技術的条件があっても、それで即、目標が実現できる訳ではない。階級社会の数千年に蓄積された社会構造とその意識諸形態の変革は、たとえば都市と農村への分割構造の解体、たとえば階級差別や女性差別などの重層的差別構造の廃絶、たとえば人が分業に隷属することなくやっていける社会構造づくりは、時間を要するものである。それにまた、そうした社会革命に対する支配階級と階級システムによる抑圧・抵抗がある。これとの闘いに勝ち抜かなければならない。
 だが、対立関係に引き裂かれた社会を変革する事業は始まっている。そしてそのことは、国家の死滅・廃絶過程の進行として、現実にそう意識されていなくても、現れずにはいない。
 国家は、かつて共同的機能を社会から切り離し、自己の機能として取り込んできた。しかし国家は近年、それらのうち階級支配の見地から見て重要でないものから順に、膨張する過剰貨幣資本のための新規投資領域として、民間資本に提供するようになってきている。保育・教育、保健・医療、介護・福祉、などにそれを見ることができる。
 ただこれら社会の共同的機能は、利潤目的の一奴隷制であるとともに投機的性格を強めている資本が、「人」を損なわずにまっとうに発展させうるものではない。それゆえ、住民自身がNPOや協同組合などの形態で、これらを引き受ける在り方も広がりだしている。国家が社会から剥奪し独占してきた社会の共同的機能を、地域社会がその内に吸収し、新たな社会的つながりを構築し始めているのである。
 この過程は、国家の側から見れば、階級支配機能に純化する過程であり、国際投機マネーの利益の擁護者となる過程である。国家は、社会からの遊離を完成させ、社会にとって単なる阻害物となり、政治的統合力を喪失し、社会によって廃絶される時を迎えるのである。
 社会の共同的機能を放擲して狭い意味での階級支配機能に純化し、国際投機マネーの利益の擁護者になることは、国家にとって自殺行為である。それゆえ国家は、自己が生き延びるために対策をとる。その対策のポイントは、新たな社会を創造する民衆自身の活動を政治的に包摂するところにある。今日の国家が、「参加型」とか「地方分権」を推進するのは、単に共同的機能を放擲する意図だけでなく、こうした政治的包摂の意図を含んでいるのである。もっともそれは、支配階級にとって両刃の剣であるから、内的葛藤と躊躇を伴わずにいない。
 ともあれ今日の国家の機能不全の進行を根底において規定しているのは、国家が死滅し廃絶される時代を迎えているという現実なのである。
 
 国家が構造的な財政破綻に転落したこと

 財政破綻は、国家の機能不全をもたらす。これを増税など人民の犠牲によって乗り切ろうとすると、民衆の反乱を呼び起こすことにもなりかねない。国家にとっては危険な事態だ。「先進国」は、財政支出の肥大化と税収の低迷が構造化し、この危険なパターンにはまりこもうとしている。
 
(財政支出の肥大化) 
 「先進国」世界は、産業が成熟し、市場が飽和した時代に突入している。そうした中で資本は、生産を組織し、社会的富の総量を増大させ、そのことによって利潤を手にするというかつての「堅実な」やり方から、マネーゲームによって既存の社会的富を争奪する「賭博」の道に転落しつつある。投機マネー化した資本の関心は、生産現場から離れ、マネーゲームの世界に没入している。このような資本にとっては、労働者の生活は視野の外であり、所得再分配は無駄・不要なものでしかなく、「小さな政府」が好ましいということになる。
 ところが支配階級は、国家財政の肥大化を止めることができない。それは、社会の崩壊を押し止めるための出費が増大しているからである。社会の崩壊は、絶対的過剰人口の形成、相対的過剰人口の膨張、過度労働とワーキングプアの増大、希望の喪失、孤独化、価値観の混迷、企業・学校・家族の崩壊、国籍・民族・宗教・性・障がい・「身分」・世代などの違いを媒介とした社会的諸対立の先鋭化、治安の乱れなどとして、広く深く進行している。
 今日の社会の崩壊は、人間(関係性)の豊かさへの欲求を牽引力に、社会自身を再建することによってしか克服されないものである。国家によっては克服できないのである。しかしブルジョア国家は、史上かつてないレベルで社会からその共同的機能を剥奪し、自己の機能としてきた。その結果、国家によっては克服できない問題に、ますます膨大な財政支出を余儀なくされているのである。
 もちろん国家は、自滅しないために対策をとる。
 第一に国家は、経済成長をもって資本主義的経済システムの立て直しを図り、その中で財政破綻を克服しようとしてきた。
 08年の世界金融恐慌は、実体経済の大不況へと波及し、社会の崩壊に弾みをつけた。この事態を前にして、オバマ米大統領が諸国政府に向かって、総額500兆円規模の景気対策を呼びかけた。諸国政府もこれに呼応はした。
 しかし、このような対策は、今日では経済効果がほとんどなくなっている。「先進国」では産業が、既に成熟段階に達しているからである。新産業の勃興による失業人口の大規模な吸収は最早なく、既存の遊休設備を一定稼動させる程度の効果しかない。対策が技術革新をもたらすとしても、既存の産業におけるそれである以上、より少ない労働人口でより多く生産するという趨勢を加速するだけのことである。もちろん産業資本の利潤率の低下も加速される。
 大規模な景気対策的財政出動の結果は、莫大な借金の積み増しだった。財政出動によって資本主義経済を立て直す試みは、破綻の先送りに過ぎなかった。米・欧・日の諸国家は財政赤字の重圧に喘ぐようになり、いまや国家の破産が現実の問題になりだしているのだ。
 国家の破産は、社会の崩壊を加速する。「先進国」において無秩序が拡大し、新たな社会システムと内乱の芽が吹き出してくるに違いない。
 第二に国家は、民衆自身による共同的機能の再建を推進・包摂し、その中で財政支出の削減を図ろうとしてきた。
 社会の共同的機能は、保育・教育、保健・医療、介護・福祉、ライフラインの整備、産業インフラ整備であり、社会秩序の維持や災害対処も含まれる。それらは、階級支配機能の側面を多かれ少なかれ併せ持っている。
 国家(その新自由主義潮流)は、社会の共同的機能の小さくない部分を飢えた過剰貨幣資本の前に新規投資領域として提供しようとする。いわゆる一つの新自由主義的改革である。
 また国家(その内の社会的包摂を重視する潮流)は、NPOや協同組合などの諸形態によって民衆自身が社会の共同機能を引き受けていく流れを支援し取り込もうとする。また社会の共同的機能のそうした再編を利用して、この領域にかかる財政支出を削減しようとする。
 だが改革や再編にも関わらず、社会の共同機能のための財政支出の膨張を止めることはできてない。社会の崩壊が深刻なためである。
 第三に国家は、軍事戦略の人民弾圧型への主軸移行を推進し、その中で財政支出を抑制しようとしてきた。
 米ソ冷戦の終結・アメリカ一極支配の時代の到来で、大国相手の戦争を想定した戦略は、他の大国を一定統制支配するためのものとしては生きているが、副軸化してきている。主軸を占めてきているのは、人民を相手とする戦争である。
 アフガンへの侵略戦争はその典型である。そしてそれは、「テロとの戦い」と銘打って、アメリカをはじめとした「先進国」の人民に対する監視と弾圧を含んだものとして展開された。の背後には、マネーゲーム資本主義の破壊作用にたいする反発の高まりと社会崩壊の進行がある。
 この戦争は、勝利のない戦争であり、やればやるほど泥沼にはまっていく戦争である。大国との間の軍事的緊張や戦争に比べて出費を抑えられるはずが、戦費の重荷に苦しむことになった。
 なお、アメリカの軍需はかつて、欧州の福祉や日本の公共事業と並んで、ケインズ主義的需要創出による経済成長を支えたが、それは昔話である。戦争によって兵器の大量需要が発生したところで、成熟した諸産業の衰退抑止にとどまる。新産業の勃興への波及効果がない以上、軍事費の膨張はただ単に財政赤字を増大させるだけに終わるのである。
 
(税収の低迷)
 このように財政支出の肥大化が止まらない中で、税収の方は頭打ちである。
 その要因の一つは、失業・半失業人口の増大である。収入がないか、ほとんどない人々の増大が、税収を減少させている。
 要因の二つは、中間層の没落である。かつての中間層(農民)の没落は、産業資本の自己増殖運動にともなう・全体の社会的富が増大する中での相対的没落であった。しかし今日の都市中間層の没落は、投機マネーの略奪運動に起因する・社会的富の総量が変わらない中での没落になっている。08年の世界金融恐慌を引き起こした巨大投機マネーによる金融的略奪は、アメリカ合衆国の中間層を消滅させたとまで言われる事態をもたらした。中間層の没落が税収におよぼす影響は、極めて大きい。
 要因の三つは、国際投機マネーと多国籍企業からの徴税を手控える金持ち減税の流れが強まっていることである。そもそも世界の富が、そこに集中して蓄積されるのであるから、そこからの徴税を手控えることは、税収面での最大の問題だといってよい。
 現代は、国際投機マネーを国内に引き寄せなければ、経済を浮揚(実はバブル!)させることができないという時代である。ところがその国際投機マネーは、税率の低い外国に資産・収益を身軽に移転して課税のがれをすることができる。だから徴税を手控えるということになる。
 産業資本としての多国籍企業も、「先進国」が市場の飽和(慢性的過剰生産)の渦中にあるため、国際的大競争に促迫されて、少しでも有利な国に生産拠点を移動してしまう。多国籍企業を国内に止め置くためとして、法人税の減税が大手を振ってまかり通るのだ。
 そして、国際投機マネーと多国籍企業の政治力が、極めて大きいことである。
 このように、財政支出の肥大化と税収の限界は、構造的なものである。財政赤字の増大は、結局は増税をもたらす。国際投機マネーと多国籍企業への増税をやれない・やらない状況の中では、失業と貧困の淵に沈む労働者民衆からの徴税を増やすことになる。民衆の抵抗は強まらずにいない。財政破綻も解決しない。国家の機能不全の病が高じていくのである。(了)