「教育基本条例案」を廃案に!
  知事の独裁的権力で、新自由主義教育の貫徹をもくろむ
                                    浦島 学

はじめに

 十一月二七日投票の大阪市長選挙で、「維新の会」の橋下徹が現職平松を抑えて勝利し、また同日の大阪府知事選挙でも橋下一派の松井一郎が当選した。これによって、大阪府・市で「教育基本条例案」「職員基本条例案」を阻止する闘い、また大阪府の「日の丸・君が代条例」を撤廃させる闘いが、いよいよ重大なものとなった。
九月二十一日、橋下「大阪維新の会」は「教育基本条例案」と「職員基本条例案」を府議会に提出。次いで九月三十日には大阪市議会に提出した。市議会では「維新の会」が過半数を握っていないため否決されたが、府議会では十二月中旬一つの山場を迎える。以下、当面最大の焦点である「教育基本条例案」にしぼって徹底批判を加える。
「教育基本条例案」は、知事が府立学校の実現すべき目標を定め、その目標実現のために働かない教育委員を罷免。3年連続定員割れの高校を統廃合するなど、独裁的な権力による教育の支配統制と、新自由主義教育の貫徹をねらって提案されている。
 条例案は、その3分の2が処分条項で、教育労働者を新自由主義教育の担い手として動員し、子どもとともに生き、闘う教育労働者を排除しようとする反動的な代物である。
 「教育基本条例」は生きる力を育む教育とは無縁の条例であり、絶対に可決させてはならない。
 橋下大阪府知事は、その職を辞任し、府知事と大阪市長選のダブル選挙を仕掛けた。
 そして、「大阪都構想」「教育基本条例案」「職員基本条例案」等、新自由主義政策を掲げて公務員バッシングを繰り返し、庶民の反公務員感情を煽って支持拡大を画策している。政策が反動的で時代に逆行していることなど省みることもなく……。
 大衆煽動型の政治手法をたくみに駆使する地域政党として最大の「大阪維新の会」、かれらが掲げる「教育基本条例案」の成立を断固阻止し、反動勢力の根を絶つことが求められている。

その底流は、新自由主義教育

 「教育基本条例案」は第一章第二条で教育の「基本理念」について述べる。それは、「三、他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い、自己の判断と責任で道を切り開く人材を育てること。」「五…愛国心及び郷土愛に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること。六…激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること。」等を掲げている。
 これら教育理念は、教育改革国民会議最終答申、中央教育審議会最終答申等々に盛られた新自由主義教育と同一の内容である。
 「教育基本条例案」は「理念」の中に競争という言葉を何度も繰り返している。そしてさらに前文では、「大阪府の教育は…激化する国際競争に対応できるものでなければならない。」「…実現しないとなれば国際競争から取り残される…」等と述べている。
 つまり、「基本条例案」は、徹底した競争を強要し、子どもたちを学力によって幼いうちから振り分ける差別選別教育を目指している。そして、第七条第二項では、「学力調査テストの結果について、市町村別及び学校別の結果を…公開する。」とし、学力テストによって教育内容を統一し、個人、学級ごと市町村ごとの競争を激化させランク付けしようとしている。さらに第四十四条では「三年連続で入学定員を下回るとともに…改善の見込みがない…と判断する場合は統廃合しなければならない。」と述べ、学力等によって一握りのエリートを育てる差別選別教育を徹底化しようと目論んでいる。
 できる子には厚く、そうでない子は切り捨て、創造力、判断力、統括能力等世界を相手に競争できる一握りのエリート育成をねらって新自由主義教育を推し進めようとしている。
 競争の激化と格差の拡大は、社会不安を増大させる。社会維持には、競争社会が正義にかなったものとして、受け入れる意識を育てる必要がある。競争社会で「敗者」になる多くの子どもたちに、全て「自己責任」として承認させる必要があるのだ。第二条第三項では「他人への依存や責任転嫁をせず」などとたくみに言葉をあやつって
新自由主義に対応した意識と生き方を教えこもうとしている。
 第二条「理念」は、「国を愛する心」の育成を目指し国際平和に貢献する人材の育成を掲げている。しかし、それはアメリカの世界戦略に積極的に加担し、軍事行動を行うための教育である。戦争を賛美し、アジアの国々を蔑視する「つくる会」系教科書を支持する勢力が、どんなに国際平和や他国の尊重を唱えてもむなしいことである。
 「教育基本条例案」は新自由主義教育貫徹を目論み、子どもの自立、生きる力を育む教育とは無縁のものである。

上意下達の学校支配で、「教育の死」

 「教育基本条例案」では、第六条第二項で、知事は、府立学校教育の目標を設定するとし、第七条では、(知事が任命した教育委員からなる)「府教育委員会は…知事が設定した目標を実現するため、具体的な教育内容を盛り込んだ指針を作成し、校長に提示する」と規定する。さらに第八条第一項では「校長は…指針をもとに学校の具体的・定量的な目標を設定したうえ…幅広い裁量を持って学校運営を行う」と述べる。そして第二項で、「校長は…府教育委員会に当該計画を実行するための予算を要求することができる」とし、「採択すべき教科書を推薦することができる」と幅広い権限を与えている。そればかりではない。第九条第一項は、「教員は…組織の一員という自覚を持ち、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営指針にも服さなければならない」と述べ、教職員をがんじがらめにし、上から与えられたものをそのまま実行するよう求めている。
教育は本来、それぞれの学校や教師が自主的に教育活動を実施し、子どもや地域の実情に合わせて教育することが要求されている。まして現在の子どもたちをめぐる情勢は、ますます複雑で、深刻になってきている。それぞれのケースに応じて、子どもと寄り添って生きる教育労働者の姿こそ求められている。従って、上意下達の画一的な教育は、一人ひとりの子どもが抱える様々なケースに対応して生きる力を育む教育にはなじまず、子どもをますます不幸にするのみと言っても過言ではない。
 「教育基本条例案」は、新自由主義教育を押しつけるために、上から教育内容を規定し、実践させようとしている。そして、それは保護者にも及んでいる。
 「教育基本条例案」第十条第二項は、「保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない」と規定する。社会通念上不当な態様とはいかなるものなのか、明確ではない。子どもの抱える課題に保護者が悩むことは当然であり、学校や担任が、保護者とともに語り合い、よりよい教育を実現するのは、教育にとって不可欠なことである。保護者をも管理し、支配することによっては、豊かな教育を実現することは、できない。
 子どもをぬきにした新自由主義教育は、あやまりであり、ましてや独裁的権力で上意下達の教育を実現しようとすることは論外である。「教育基本条例案」の目指すところは、教育の死であり、決して許してはならない。

子どもに寄りそう教育を否定し、教育労働運動を破壊

 家庭の崩壊、いじめ、様々な苦しみや悲しみに囲まれて、子どもたちは必死に生きている。一人ひとりの子どもと丁寧に付き合い、子ども同士の心をつむいでいく教育、自らの課題を一つ一つ克服し、自立して生きる子どもたちを育む教育、違いを認め合い、ともに生きようとする教育こそが今求められている。子どもたちを巡る情勢が一段と厳しさを増している今日、独裁的権力を駆使した上意下達の教育、学力テストによって競争を強い、一人ひとりの子どもをばらばらにする教育、新自由主義の戦士を仕立て上げる教育は、何の力も持ちえない。学園を荒廃させ、社会を荒廃させるのみである。
 それにもかかわらず「教育基本条例案」は、子どもと生きる教育労働者を排除し、教育労働者の闘いと組織を押しつぶそうとしている。
 第十九条第一項でいわく「校長は、授業・学力向上・進路指導・生活指導・学校運営等への貢献を基準に…人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階で行い…」「一 S5%、二 A20%、三 B60%、四 C10%、五 D5%」に定めると。そして、第三項では「…府教育委員会は、その評価を直近の給与及び任免に反映しなければならない」と追い打ちを
掛ける。「教育基本条例案」は、必ず5%は最低ランク「D」とし、二年連続でDとなったら免職もできると述べている。
 子どもに寄り添い、生きる力を育む教育は、競争原理を持ち込み、テストの結果のみ重視の新自由主義教育とは相容れないものである。
 子どもと日々生きる教育労働者にとって、知事の方針を上意下達で押し付けた教育は、論外であり、校長の意に添わないためにD評価もありえるだろう。その教育労働者を「教育基本条例案」は処分しようと目論んでいるのだ。
 そればかりではない。校長が発した職務命令について、第三十七条第一項では、「職務命令に違反した教員は…戒告又は減給する」とし、第二項では、「過去に職務命令に違反した教員が、職務命令に違反した場合は、停職とする」と定めている。そして第三十八条は、「五回目の職務命令違反又は、同一の職務命令に対する三回目の違反を行った教員等は、直ちに分限免職とする」と規定している。
 これらは、教育のあるべき姿を否定し、運動を押しつぶそうとする条文であり、絶対に許すことはできない。君が代斉唱、日の丸掲揚に反対する等の教育労働者の闘争破壊を「教育基本条例案」は、ねらっているのである。
 また、第十二条では、「府教育委員会の委員が、規則に違反して目標を実現する責務を果たさない場合などには、罷免事由に該当する」として教育委員にも処分を行なおうとしている。このことも見逃してはならない。

知事の政治介入は「不当な支配」

「教育基本条例案」は前文で、改悪教育基本法にうたわれている教育行政のあり方について、「この条文は『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育』などを行ってはならないとの趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない…ということではない」とし、教育基本法の精神をねじまげている。そして、地方教育行政の組織及び運営に関する法律では、「教育委員会及び地方公共団体の長は…管理執行にあたって、『条例』に基づかなければならない旨を定めている。」従って「議会が条例を通じて教育行政に関与し民意を反映することは…法律上も明らかに予定されている。」と主張する。「教育基本条例案」は、これらの解釈を根拠に、知事が公然と介入し、三分の二にも及ぶ処分を定めている。
しかしそれは、憲法、教育基本法、地方公務員法など既存の法体系を無視して立案されたものである。改悪教育基本法でさえ、第十六条で「教育は不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきである」と定めている。これは大きな反対運動の中で、旧教育基本法の精神が生かされたものであり、知事の政治介入を制度化し、学校をその独裁化に置くことは、「不当な支配」にあたると指摘している。
 また免職等については、地方公務員法第五節第二十八条に記され、厳格な要件が示されている。「教育基本条例案」は、これをあいまいにするばかりでなく、労使交渉なしに機械的一律処分、大人員整理を行なおうとしている。これは、明らかな違法行為である。従って、大阪労働弁護団を始め多くの法律家や団体などから抗議の声があがっている。
 また、10月25日には、大阪府教育委員会の生野教育長ら教育委員五人も、「『教育基本条例案』は白紙撤回されるべきであり、修正の有無は関係なく、これが可決されれば、教育委員は総辞職する」とした見解を発表している。
 各界、各層から批判の声が上がっている。教育労働者には、「職員基本条例案」でいわれなき批判の的とされる自治体労働者との団結を始め、多くの労働者と団結して戦線を一層拡大することが求められている。そして父母や地域の市民運動と団結し、ネットワークを広げることが必要だろう。橋下「大阪維新の会」は、二つの基本条例案を使って公務員バッシングを強め、支持の拡大と条例可決をねらっている。これを許さず、子どもの生きる力を育む教育と労働者の闘いを前進させるために、闘争の輪をひろげよう。そして、「条例案」の違法をつくなど様々な戦術を駆使して、廃案に追い込む以外ない。共に団結しよう!