11・13さよなら原発!福岡集会に一万五千名
    脱原発は超党派で

玄海原発(佐賀県)と川内原発(鹿児島県)を有する九州電力の本社がある福岡市においては、福島原発事故以降、反原発の運動が日増しに大きくなっている。
今年四月二十日、市民団体が集合して九電本社に原発の即時停止を申し入れたが、門前払いの対応に抗議し、同日から本社前にテントを建てて座り込みが開始された。
以降、毎月の様に反原発の行動が開催され、東京で開催される「五万人集会」を控えて、九月十一日には福岡市内の公園に市民団体が中心となって一千人を超える市民が結集。九電本社までサウンドデモで行進し、本社前のテント座り込みを激励した。反原発での市民団体の集まりで一千人規模の市民が結集したのは、福岡では初めてのことであった。
九月十九日には、同日の東京での「五万人集会」(目標を上回る六万人が参加)に連帯して開催された福岡県集会にも、約一千名の労働者・市民が結集。九電本社までデモを行なったが、これは旧総評系の労組などで構成する「平和・人権・環境フォーラム」が主催したものである。
十一月十三日には、「さよなら原発!福岡一万人集会」が実行委員会主催で開催され、主催者の目標を上回る一万五千人が市内舞鶴公園に結集。三つのコースに分かれデモ行進し、九電本社前でのテント座り込みを激励した。
この参加者の大半は九州一円から動員された日共系の団体であったが、集会でのシンポジュームでのシンポジストには自治労主宰の地方自治研究所の主要メンバーが招聘されており、壇上からの発言者も福島からの避難家族、キリスト教を基盤としたNGOやサウンド市民デモの代表者など多彩に及んでおり、また、少数派とはいえ連合系の労組や社民党、無党派の市民団体、日共とは一線を画す市民生協が参加するなど、実行委員会としては超党派の共同行動を目指したものと思われる。
通常なら「平和・人権・環境フォーラム」などは共同行動に積極的に取り組まなければならないはずであるが、11・13では当初の呼びかけや準備段階から日共が総力を挙げて組織的に取り組んでいることが明らかなやり方であったので、平和フォーラムは意識的にサボタージュしたものと思われる。
しかし、もちろん少数派とはいえ主体的に参加した非日共系の取り組みは、実質的に日共系の取り組みとわかった上での、共同行動を目指すべきだとの強い意思の反映でもある。引き続き広範な共同行動を目指し、反原発の運動を大きなものにしていかねばならない。(九州M通信員)


玄海原発止めて―
  九州は稼働ゼロへ

佐賀県玄海町にある玄海原発は九州電力で最大の原発であり、反対運動を押し切って1号機が一九七五年に運転開始され、その後、増設が計画されるたびに反対運動が闘われたが、現在、九七年に運転開始された4号機まで存在する。
近年では、プルサーマル(プルトニウム混合燃料)導入が計画された頃から「玄海原発プルサーマル裁判の会」などの市民団体をはじめとする反対運動が広がっているが、これを押し切って3号機にて国内最初となるプルサーマル運転が、〇九年十二月より開始されている。
一〇年十二月に3号機が、一一年一月には2号機が定期点検のため運転停止。ともに四月に運転再開される予定であったが、三月の福島原発事故を受けて再開が延期になっていた。しかし残る1号機・4号機は十二月には定期点検に入るため、2号機・3号機の運転再開ができなければ、1〜4号機のすべてが運転停止となってしまう。
そのため運転再開を急ぐ九電や古川佐賀県知事の意向を受けて、六月に経済産業省がテレビ放送で県民説明会を実施。この説明番組に対する意見のメール受け付けに対し、古川知事と九電幹部が結託し、九電関係者などが運転再開賛成の組織的メールを送ったのが、いわゆる「九電やらせメール事件」である。
この事件の真相を解明する目的で九電は第三者委員会を発足させたが、委員会は「古川知事が九電幹部と会談したときの発言が、やらせメールを誘導した」と認定。ところが九電は委員会の最終報告を認めず、自社の一部幹部が勝手に行なったことだと反論し、古川知事の擁護に終始している。しかしなぜ、九電は古川知事をこうまでしてかばうのだろうか。
九州のトップ企業として、産業界や政界、地方行政に、さらには九電労組を通じて労働界にも大きな影響力を持つ九電は、表面には出ず、水面下での裏工作や調整を各界・各分野で行なう中心的役目を担っている。特に住民や地方自治体の反発が強い原発の推進においては、この役目は九電にとって最重要の任務なのである。
したがって、住民の反発が強いプルサーマルの導入について国内で最初にゴーサインを出した古川知事(父は九電の社員で、玄海原発のPR館の館長であったといわれている)は、九電にとって最高に好都合の人物なのである。だからこそ、今回の問題でその原因を古川知事に帰せるわけにはいかないようである。これまであらゆる分野の背後で調整役を担ってきた九電にとって、裏での結託の相手側の真意を表面に出してしまうことは、結託者との信頼関係を失い、今後すべての裏の調整役が困難になってしまうことを意味するからである。
第三者委員会の最終報告を無視した九電の経済産業省への報告に対し、枝野経済産業相は認められない旨の発言をしている。だが、今年十月に4号機が機器のトラブルで停止し、十二月には定期点検のため運転停止しなければならないのに、国はいち早くゴーサインを出し、十一月一日には早々と運転再開している。
民主党政権は決して脱原発には向かってないのである。枝野経済産業相の発言は、反原発の大衆の動向を気にしてのものにすぎず、原発再稼働問題を電力会社のトップの交代問題でお茶を濁し、乗り切ろうという腹であり、九電トップの交代で原発の再稼働を認めるための筋書きでもある。
このことは九電トップも承知しており、早期に退陣すれば原発の安全問題に大衆の関心が行ってしまうので、意識的に委員会の報告に反論することによって時間稼ぎを行なっているのである。そして、あたかもトップの交代が原発再稼働の条件の問題であるかのように焦点化し、再稼働との交換条件でトップ交代にもっていくのが真意と思われる。
玄海原発の2号機・3号機は定期点検で運転停止後、福島原発事故を受けて再開が延期になっており、残る1号機・4号機も今年十二月には定期点検に入る。そのため、このままでは九電が保有する玄海原発の1〜4号機と川内原発の1〜2号機(定期点検で運転停止中)のすべての原発が運転停止となり、初めての事態となる。
したがってこの期間は、大衆行動で節電運動を広めるなどして、原発無しでも生活できることを示す絶好の機会でもある。そのためにも、引き続き広範な共同行動を目指し、反原発の運動を大きなものにしていかねばならない。(M)

対経産省、闘いは続く
  12・10「さようなら原発一千万署名」日比谷野音集会へ

 東京電力本社と経済産業省がある東京では、9・19明治公園での六万人集会以降も、各地・各界で脱原発を求める諸行動が続いている。
その主要な要求は、停止中の原発の再稼動阻止、稼動中の原発とくに福島原発事故機と同型のものの即時停止、「もんじゅ」など核燃サイクルからの撤退、また福島県内などからの自主避難の権利とその補償、首都圏各地での放射能汚染調査と除染など諸対策、これらを政府・自治体や電力会社に求めるものである。
 9・11に、一回目の経済産業省包囲行動が約1500名で行なわれた。この包囲行動の中で、上関原発建設反対に参加してきた若者などによってハンストが開始されたが、以降これを継承する形で「経産省前・脱原発テントひろば」が設けられた。9条改憲阻止の会など多くの人々によって「テントひろば」は継続され、行動展開の一つの拠り所となっている。
十月二七日〜二九日にわたって、福島県内から女性たちが大挙上京し、「原発いらない福島の女たち100人の座り込み」が経産省前で行なわれた。連日、経産省前では五〜六百人の行動が繰り広げられ、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」などを先頭に政府・国会要請なども展開された。強制避難地域圏外の汚染地域の要求を、政府に突きつける大きな行動であった。
そこでは「避難の権利」が訴えられている。政府の福島県内への政策は、年積算20ミリシーベルト以下なら避難しなくてよい、国の責任で除染するから住み続けろ、が基本になっている。福島の母親たちの抗議によって、政府は学校などでの判断値としては20ミリシーベルトを事実上撤回したが、避難の目安としては撤回していない。
除染は企業にカネを落とす公共事業にはなるが、県全域の除染には天文学的経費がかかる。野山も含め広範囲に汚染されている地域では、家屋を除染しても、その効果の持続が疑われるのではないか。大規模除染を前提とするよりも、その経費の一部は、子どもと保護者の避難・疎開に対する援助・補償に回すべきである(自己費用による県外への自主避難は、夏休み以降も増え続けている)。その援助の適用基準は、チェルノブイリの避難基準である年5ミリシーベルトが目安となるだろう。
諸行動にもどる。二回目の経産省包囲行動は11・11、雨中の夜にもかかわらず1300名が参加して行なわれた(主催・再稼動阻止全国アクション実行委員会)。このころから、脱原発運動を憎悪する一部右翼が、警察とつるみながら、経産省前テントへの妨害行為を激化させてきた。右翼と警察に強く抗議する。テントを始めとする経産省前での行動を、権力が厳しく規制できないのは、脱原発を支持する広範な世論がその背景にあるからである。
十一月十八日には、「脱原発を実現する労働者集会」が都内田町で開かれた。主催は、全港湾、全日建運輸連帯、全国一般全国協が呼びかけの集会実行委員会。労働組合の立場から、脱原発1000万人署名の達成と、労働者被曝への安全対策確立など諸課題を確認した。鎌田慧さんの講演「脱原発を実現するために何が求められているか」が行なわれ、脱原発の闘いで、労働者の組織的力を発揮する意欲を示した集会となった。主催の中小三単産は、このかん9・19明治公園の前段行動として東電抗議行動を独自に行なうなど、震災・原発問題で連携した闘いをすすめている。
十一月二七日には渋谷宮下公園で、たんぽぽ舎や原子力情報室など従来から反原発をやってきた人々による、「くりかえすな!原発震災 つくろう!脱原発社会」を掲げた震災後四回目の集会・デモが行なわれた。
これらの諸行動が合流する当面の大きな行動が、「12・10がんばろう!さようなら原発1000万人署名」日比谷野音集会であり、9・19明治公園と同じ主催(脱原発一千万人アクション実行委)で行なわれる。
また、一千万署名の締め切り近くの来年二月十一日には、全国一斉の脱原発行動が各地(東京では代々木公園)で取り組まれる。
当面、一千万署名で世論の底上げを進めるとともに、稼動原発ゼロを実現し、このゼロの現実をもって脱原発への政治の転換を迫ることが問われている。そして来年度予算案に、その転換の第一歩となる内容を入れさせる闘いも問われている。その中心は、高速増殖炉の研究開発予算の凍結、「もんじゅ」廃炉の決断を政府・与党をして行なわせることである。
年をまたいで、闘いは重要局面となる。何としても勝利しよう!(東京W通信員)