沖縄から市民訪米団   来年1月
  オール沖縄の辺野古NO対米要請を促す

 沖縄では十月十二日に、平和・環境の市民運動によって「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」が作られ、来年一月下旬に市民訪米団を送って、辺野古新基地建設反対・普天間基地撤去の要請を米政府・議会と米国民に直接訴えようとしている。
 同会の世話団体は、沖縄平和市民連絡会、沖縄・生物多様性市民ネットワーク、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会、第3次嘉手納基地爆音差し止め訴訟原告団、普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団、ヘリ基地反対協議会、ヘリバッドいらない住民の会、以上の7団体。
 なぜ今、訪米行動なのか。同会にアドバイサーとして関わる伊波洋一前宜野湾市長は、次のように述べる。「今年から来年三月頃までが要請行動の最適の時期である。理由は、上院軍事委員会が十五年も実現していない辺野古新基地建設を断念することを求め、上院歳出委員会は2012年度グアム移転費を全額削除して、国防総省と海兵隊司令官に、来年五月までに計画実現性についての報告と今後の具体的計画書の提出を義務付けた。提出がなければ、次年度のグアム予算も認めないというものである。」
 レビン軍事委員長らによる辺野古案白紙化の声明が今年五月に出されて以降、議会側の国防費削減要求によって、昨年の「5・28日米合意」がアメリカ本国で見直されんとする状況が続いているのである。
十月十八日には沖縄県庁で、「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」の記者会見が行なわれ、「県民へのアピール」が発表された。このアピールは次のように述べている。

 今、野田民主党政権の閣僚たちの「沖縄詣で」が続いています。
 何のためでしょうか。
 辺野古に「普天間基地の移設」と言って新たな基地を建設するためです。
 しかし、沖縄県民にとってそのことは、民主党の政権公約とその後の数々の選挙において、県民大会、全会一致の県議会決議において、決着済みのことです。
 沖縄の民意は辺野古「ノー」です。この民意に従って政治を行なうことが民主主義です。なぜ、民主党政権は、この政治の常道を行なおうとしないのでしょうか。
 この間、日本の政治が、去る9月21日の日米首脳会談の「結果を求める時期に近づく」発言騒動に象徴されているように、アメリカの一部官僚とそれに呼応する日本の外務・防衛官僚たちによって、ことごとく民意は阻害され、歪められ、民主主義が否定されてきたことは、もはや公知の事実となっています。まさに今、進められている「辺野古アセス評価書の年内提出」「来年6月までに県知事からの埋め立て許可の取得」等の政治過程はその延長上にあります。
 私たちは、このような沖縄の民意を阻害し、民主主義を否定する政治をここで断ち切るべきと考えます。(中略)
 沖縄の未来に関わる「新たな米軍基地の建設」という不条理をただすことは、今の日本の政権には全く期待できません。沖縄が大同団結して、県民大会で確立された意思「国外・県外」を掲げて、独自に米国連邦議会と世論に訴えていくべきです。

 以上の主旨であるが、このアピールの中で、同会が訪米団を出すだけでなく、「沖縄県、沖縄県議会、市町村、市町村議会が立ち上がり、大要請団を組織して派遣すべき」だとして、全沖縄の訪米行動となるよう広く呼びかけている点も特長となっている。
 仲井真知事が日米首脳会談直前の九月十九日に訪米して、日米合意見直しと「県外移設」を表明したことは一般には評価されている。仲井真知事は、「日本国内の他の都道府県への移設が合理的かつ早期に課題を解決できる。辺野古移設は見直すべき」とシンポジウムで講演した。(日米安保支持の知事にとっては、県外移設=本土移設である)。しかし知事は、高良倉吉氏ら日米有識者による「沖縄クエスチョン」に招待されて訪米したとみられ、単独の要請行動となっている。知事一人の行動、その得点稼ぎでは、有効ではないというのが沖縄の市民運動の見方である。
 「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」の結成は、オール沖縄の対米行動が必要であり、それを市民運動が引っ張ろうということである。
 同会の訪米行動の意義は大きい。とはいえ、日本の民主党政権が自民党時代の「日米合意」を踏襲せず、「普天間基地は国外移設」として対米対処していれば、今回のように沖縄が直接の対米要請行動を起こす必要も無かった。「本土」の我々にとっては、日本政府を変えきれない忸怩たる気持ちを禁じえないのである。(W)
 

 10・30
 戦争あかん!基地いらん!関西のつどい
       沖縄、福島と結び

 十月三十日、大阪市の大阪城野外音楽堂にて「10・30戦争あかん!基地いらん! 11関西のつどい」が約800名の参加で開催された。主催は同実行委員会。
 本集会は毎年、関西での沖縄反基地運動との連帯をメインに、実行委形式で開催されてきた。今回は、反原発運動の大きな盛り上がりをリンクさせることで、この国の未来を考えさせる発信力ある集会となった。
 集会は中北龍太郎氏の実行委挨拶に続き、まず沖縄から高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)が報告した。
 高里さんは、「ずっと基地を押しつけられ集中されてきたゆえに、日常、米軍・米兵による数々の事件が発生し、今もやむことはない。これに対抗して、今沖縄では22000人という原告団による第三次嘉手納爆音訴訟が展開中だ。この原告団の数と、何十年と続く闘いの長さ、その意味に注目していただきたい」と語り、また「今年三月には年間1881億円という巨額の『米軍思いやり予算』五年延長が、大震災のどさくさの中で認可・執行された。闘いは止むことなく続く。『第四次琉球処分』と言われる2010年の『5・28日米合意』、この背後にある日米安保体制をなくしていくことなしに、私たちの未来はない」と、事態の本質を突いた報告を行なった。
 つづいて、福島からは、佐藤和良さん(脱原発福島ネットワーク世話人・福島県いわき市市議)が登壇し、「私は一九八八年より福島で反原発に関わってきたが、この大事故を許してしまうことになった。福島原発はメルトダウンではなくメルトアウトの状態であり、さも冷温停止措置が取れるかのような欺瞞的な世論操作の中で、内部被曝、海洋汚染の広がりをみせている。国とそれに追随する県の、避難なき除染策ではダメ。除染産業で一兆円規模のカネが動いている」と語り、県民の緊急避難・学童疎開の支援策の確立を訴えた。また氏自身の取り組みとして、放射能市民測定室の開設、年2回以上の全県民健康測定の実施、「被曝者援護法」制定などへの決意を述べた。
そして佐藤さんは、「沖縄問題にも共通するが、かっての歴史の過ちの責任をしっかり明らかにできぬまま時を過ごした今日の日本が、この福島の惨状を招いている」と指摘し、「国民の生存権をここまで危機にさらした国・東電の責任を、最後まで徹底して追及していこう」と訴えた。
この沖縄、福島からのメイン報告の他に、各団体アピール、辻恵、服部良一各国会議員の決意表明が行なわれた。とりわけストップ・ザ・もんじゅの代表からは、若狭湾の美浜・敦賀などの原発廃止を求める12・3大集会を成功させる決意が述べられ、また君が代・日の丸に対抗するネットワークからは、橋下大阪府知事らによる「君が代強制条例」の撤廃、「教育・職員基本条例案」の阻止のための取り組み強化が訴えられた。
集会後半は雨となり、デモは強い雨の中であったが、京橋駅まで繰り広げられた。参加は労働組合では全港湾、全日建連帯が中心であったが、各労組の結集力はまだまだ少ないと思える。釜ヶ崎日雇労組は四十五名が参加した。
3・11以降の今、民衆は国家権力の横暴、無責任に大きく気づいている。関西からこそ広範な統一戦線を形成し、闘いの拡大を実現していこう。(関西I通信員)


10・16反戦・反貧困・反差別共同行動in京都
  変えよう!日本と世界

 十月十六日、京都市の円山公園で、「変えよう日本と世界、反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」が開催された。今回で第五回目となる集会は、昨年を大きく上回る約1000人の結集があり、3・11以降の脱原発運動の広がりをシッカリと受けとめたものであった。主催は、反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)。
 京都では前日、「脱原発―どんな社会をめざすのか」のシンポジウムが260名参加で成功裏に開催されており、いわば十五〜十六日の連続闘争であった。当日十六日は大阪では、「ストップ・ザ・もんじゅ」呼びかけの集会が800名参加で行なわれ、さらに神戸でも脱原発集会が開催されており、さながら関西全域で脱原発デーの様相を呈していたといえる。
 集会は、主催者代表の仲尾宏氏の発言で幕を開けた。同氏は、08年のリーマンショック以降の闘いから昨年の普天間基地移設をめぐる闘いを簡潔に振り返り、その上で、3・11以降の脱原発運動がそれらと固く結びついていること、脱原発はたんなる「原発反対」ではなく、そうした経過の上に今日の「社会のあり方」そのものをどう変革していくかが問われている!と力強く発言した。
 今回の集会のメインスローガンは、これまでの「このままでええの?」から「変えよう」日本と世界!に書き換えられている。それは今の時代を的確に表し、同時に脱原発を闘う人々が、否応なく原発に依拠した社会のあり方や既存の、言い換えれば成長神話の呪縛と決別し、人民の自主・自力の新しい社会の創造を課題とせざるを得ないということでもある。
 続いて講演では、鎌田慧氏(ルポライター)が「9・19さようなら原発東京5万人集会の成功の持っている意義」を解き明かし、「野田首相は国連に行って、原発の安全性を高めて再開すると言っている」が、これは「人民に対する敵対」とバッサリ切り捨て、「脱原発1000万人の声を突きつけよう」と呼びかけた。
 その後、集会の定番となっている趙博さんの歯切れのいい歌でリラックスし、現場からのアピールに移った。
 まず、現在の状況を反映して差別・排外主義との闘いからは、「在特会」の京都第一初級学校襲撃問題を法廷で闘う在日の弁護士カン・ソナ氏が裁判の現状を報告。労働現場からは、おおさかユニオンネットの柿沼氏が発言した。
つづいて登壇した釜ヶ崎日雇労組の仲間は、釜ヶ崎から脱原発を闘う思想的立場を簡潔にまとめた上で、その核心が被曝労働者の命を守る闘いであり、またこの闘いは、失業・野宿・貧困を強制する原発利権構造を含む「社会の仕組み」と衝突せざるをえないと訴えた。さらに脱原発は広範な市民の闘いであると同時に、寄せ場労働者・非正規・正規を横断的に貫く課題であり、労働運動としての脱原発をさらに強化しようと力強くアピールした。場内からは大きな拍手が沸きあがり、被曝労働問題への関心の高さをうかがわせた。
さらに現地福島からは、避難生活を余儀なくされている「脱原発Tシャツプロジェクト」の加藤氏が、原発事故直後から避難生活にいたる経過や現地の人々の生の声を紹介した。今更ながら被災地フクシマの過酷さを思い、東電の無責任ぶりに怒りの声が沸きあがっていた。
現場アピールの最後は、元福井県美浜町議の松下氏で、「12・3もんじゅを廃炉に全国集会」への行動提起を行ない、拍手で確認された。

 緑の党へ―ン氏に勇気づけられ

今回の集会を最も特徴づけたのは、ドイツ緑の党会派の副代表ベーベル・へーンさんと、作家・瀬戸内寂聴さんの「特別挨拶」である。緑の党ヘーンさんは五日ほど前に来日し、その後の行動力には目を見張るものがあった。現地フクシマ、東京、名古屋、福井、京都と回って多くの運動体や個人と意見交換をしての登場である。したがって集会での発言には、ドイツで脱原発を実現しつつある豊富な運動と日本の現状を重ね合わせた、示唆に富んだ内容が随所にみられ聞く者を感心させた。そして「脱原発は実現できる!原発のない社会は成立できる!」の発言には、本当に勇気づけられるものであった。
瀬戸内さんの講演はユーモアと辛口がミックスされ、とても九十歳とは思えぬ張りのある声であった。その中で、「脱原発運動や現地ボランティアに参加している若者達こそがこの国の未来を担う、まんざらこの国も見捨てたものではない」との感想は、我々にも共有しうるのではないだろうか。
次は10・30大阪、12・3福井へ!(関西M通信員)


10・1〜2
  第23回コミュニティ・ユニオン全国交流集会
  震災のり越え、運動拡大へ

 十月一〜二日、熊本県阿蘇の山ふところのホテルで、今年の「コミュニティ・ユニオン全国交流集会」が開催された。予定されていた秋田での開催が東日本大震災で急きょ、場所を変更して開催されたものである。全国各地のコミュニティ・ユニオン(地域ユニオン)から300人を超える仲間たちが結集した。
 一日目は、コミュニティ・ユニオン全国ネットワークの定期総会で開始した。総会では最初に、東日本大震災で亡くなられた多くの人々に対して黙祷をささげた。
 連合本部からは非正規労働センターの山根木晴久氏が来賓のあいさつに立ち、コミュニティ・ユニオンの各地でのたたかいへの連帯を表明した。社民党の福島党首、衆院議員の工藤仁美氏などが連帯のあいさつを行なった。
 議事に入って、新たに三団体の加盟が報告された。北海道、首都圏、東海、関西、九州などで地方ネットワークが定着し、各地方でユニオンの連携したたたかいが拡がっていることなどが報告された。総会は2012年度の運動方針として、派遣法改正、有期雇用契約禁止のたたかいを進めることを決定し、新たな役員人事を採択した。
 記念講演では、関西労働者安全センター事務局長の西野方庸氏から、原発労働者の被曝の実態が細かく報告された。福島原発事故での労働者の被曝については、全労働者の安全管理の問題として捉えることの重要性が強調された。
 特別報告として、兵庫の赤石地域ユニオン、三重のユニオンみえ、熊本の連合熊本ユニオンのたたかいが報告された。ユニオンみえからの報告では、シャープの下請け会社で200人ものフィリピン人労働者がユニオンに加盟し、会社との交渉に入っていることが表明され、全国の仲間から応援の拍手が送られた。
 夜は恒例の食事をしながらの、交流パーティとなった。全国各ユニオンがブロック毎に紹介され、互いにエールの交換を行なった。
 二日目は、十一の分科会に分かれて、課題別により深めた討論が行なわれた。派遣法改正では、この課題で停滞した状況を動かすために、地元の代議士をオルグすることなどが話された。また地域の労働条件の底上げをするために、最賃引き上げや公契約条例を進めることなども議論された。
 最後に全体集会で集約が行なわれた。全体集会では、派遣法改正を進めること、有期雇用契約の禁止を求める運動の強化、最低賃金を速やかに時給1000円以上に引き上げること、など当面のたたかいを推進する特別決議が採択された。
 来年は、京都で全国交流集会を開催することを確認し、帰路についた。(S)