9・19の成功からどう進むか
  脱原発運動の拡大は、民主主義を問い、統一戦線を求める

 9・19明治公園「さようなら原発」集会が、6万人の大結集で成功した。このことをどう総括し、今後の闘いにどうつなぐのかは重要な論点である。
第一には、この大結集によって、大震災以降の人々の要求が、原子力発電やめろの要求にとどまらず、日本の政治・社会のあり方全体を問いつつあること、これを示したと見るべきである。「原発にさようなら」だけでなく、官僚まかせ、アメリカまかせ、ウソと隠蔽の政治、札束で人の弱みにつけ込む政治、これらの「旧い政治にさようなら」である。
 09年政権交代でちょっと顔を出したこの民主主義の新局面は、ほどなく消え去ってしまったが、こんにち明治公園を溢れ出た大衆行動の力として、より強く蘇ってきた。現在の人々の最大関心事である原発問題は、エネルギー政策転換の問題であるだけでなく、もはや日本の民主主義を根本から問う問題である。(また震災以降、「本土」では関心が相対的に引いているが、普天間基地返還問題も、沖縄から日本の民主主義をいよいよ詰問するものになっている。米軍基地を沖縄に押しつけ、原発を過疎地に押しつけてきた旧政治は、今こそ一掃されなければならない。)
 当面の闘いの焦点は、原発再稼動の阻止である。「安全神話」の崩壊により、日本の原子炉54基のうち、現在稼動しているのはわずか11基である。これらが定期点検に入り停止したままとなれば、来年五月には全ての原子炉が止まるとみられる。他方、今停止中で再稼動予定の原子炉は10基ある。「稼動原発ゼロ」と「原発ゼロ」との間には距離があるが、稼動ゼロの実現は脱原発の現実性を、きわめて明瞭に示すだろう。
 これに危機感をもつ野田政権、経済産業省、電力会社をはじめとする独占資本、電力・電機の連合系労組などが、再稼動へ必死となっている。野田首相は、9・19の民意に敵対し、九月二二日の国連での原子力会合において、「日本は原発の安全性を世界最高水準に高める」などとして原発堅持を明確にした。菅前首相の脱「原発依存」=「減原発」方針からさえ、大きく後退している。
 当面は、この再稼動阻止の闘い(とくに原発立地点の自治体と知事への働きかけが重要となる)と、脱原発一千万署名運動などによる世論の底上げと組織化の闘いである。
次に問われるのは、脱原発のための制度的・法的な獲得目標であるが、ドイツのような脱原発法の制定をめざすのか、イタリアのような国民投票の実現をめざすのかなど、制度政策論では分岐していくだろう。これらには国会の変化も必要であり、当面、一千万署名運動での三項目要求(4面参照)のように、一致点を明確にして共同行動を発展させることが先行しなければならない。
脱原発運動の前進は、民主主義と住民自治の気運をあらゆる領域から刺激しつつあり、すべての闘いの発展に連動していくだろう。
9・19の第二の総括点は、この行動が原水禁系、原水協系、新旧の反原発運動、中央労働団体などの枠を超え、それらの大合流として実現されたこと、その威力を示したということである。
明治公園に来なかったのは、自民党など右翼、民主党の主流派、原発依存の御用労組だけである。その意味では、民主・自民の二大ブルジョア政治勢力に対峙する労働者人民の「第三極」政治勢力、これが目に見える形で登場したといってもよい。
むろん9・19の「統一戦線」は、諸勢力が著名氏呼びかけに乗る形での、漠然とした一日共闘であった。しかし、新しい政治・社会を求める労働者人民の運動の前進は、新しい統一戦線の形成を促していかざるをえない。日本の革命的諸勢力は、現在のこの過程を意識して、団結・奮闘するべきである。